進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
847年9月下旬
新エルディア帝国の南端、かつてのウォール・マリアを遥かに超える領域にそびえ立つ、絶対防壁『ウォール・アトラス』の近郊。
秋の涼やかな風が、見渡す限りの青々とした平原の草を波打たせ、ざわわと心地よい音を立てて吹き抜けている。
そして、その地平線を分断するようにして屹立する、全高50メートル、厚さ十数メートルにも及ぶ青白い硬質化クリスタルの長大な防壁は、秋の陽光を反射して神々しいまでの威容を誇っていた。
その圧倒的な巨大建造物を遠景に望む平原の真ん中で、今、人類の歴史をさらに一歩先へと進めるための、極秘かつ画期的な実験が行われようとしていた。
「風速、気温、湿度、すべて記録したね? 受信機の真空管の温度は安定しているかい?」
普段の狂気的な探究心を分厚い理性の底に抑え込み、新技術開発部門の部門長としての真剣な眼差しを向けているのは、ハンジ・ゾエである。
彼女の視線の先には、木材と銅線を組み合わせただけの、どこか頼りなく原始的なアンテナが秋風に揺れていた。
そのアンテナから伸びる太いケーブルの先には、旧王政が長年不当に秘匿し、押収してきた数々の文献や資料から理論を掘り起こし、帝国の叡智を結集して組み上げた無骨な機械装置が鎮座している。
『無線電信』
目に見えない『電波』を利用し、空間を飛び越えて符号を送ることで、遠く離れた場所と瞬時に情報をやり取りする夢の技術。
馬の脚に頼るしかなかったこれまでの情報伝達速度を、根本から覆すための実証実験が、今まさにこの平原で行われていたのだ。
「そろそろ時間だ」
ハンジは、片手に握りしめた銀色の懐中時計の秒針を見つめながら、低く、微かに震える声で呟いた。
ここから数キロ離れた平原の別の地点では、ハンジの部下たちで構成された送信班が待機しており、あらかじめ決められた時刻に符号を発信することになっている。
周囲を取り囲む数十人の研究職員たちも、誰もが呼吸を忘れ、固唾を呑んでその原始的な機械装置の一点を見つめていた。
傍から見れば、ただの鉄と銅線の塊に過ぎない。
これが、帝国の今後を左右する偉大な装置であるとは、事情を知らない者には到底思えないだろう。
静寂が、平原を支配する。 風の音だけが耳を撫でる中、ただ一人、装置の前に座り込んでいた金髪の少年が、スッと顔を上げた。
「……来ます」
アルミン・アルレルト。
その幼い見た目とは裏腹に、類稀なる明晰な頭脳によって磨き上げられた、深く聡明さを感じさせる声音が響いた。
彼の手は、受信機のダイヤルに添えられ、その青い瞳は極限まで研ぎ澄まされている。
そして、彼が宣言した数秒後のことだった。
──────ツー、ツー、ツー。
機械装置に接続された受信機から、電子的な、しかし確かな意思を持った微かな破裂音が、静かな平原の空気を震わせた。
一回、二回、三回。たった三回の、短い無機質な音の羅列。
されどそれは、数キロという空間を一切の物理的な媒体を通さずに飛び越え、彼らの元へ正確に届けられた『言葉』であった。
「……! 記録! 記録を止めないで!」
ハンジの鋭い指示が飛び、研究員たちが一斉に弾かれたように手元の羊皮紙にペンを走らせる。
その後も、数分おきに何度か互いに決められたパターンでの送受信が繰り返され、空間を行き交う見えない波が、確かなデータとして次々と記録されていった。
やがて、予定されていた最後の送受信の音が鳴り終わり、完全な静寂が戻ってきた時。
受信機の電源を落としたアルミンが、小さく、けれど万感の思いを込めて拳を握りしめた。
「よしッ!」
その年相応の、純粋な喜びと達成感に満ちた笑顔とガッツポーズ。 それを合図に、周囲で息を潜めていた数十人の研究職員たちから、ワッ!と安堵と歓喜のどよめきが沸き起こった。
「やったぞ! 電波の到達を確認した!」 「理論は正しかったんだ!」 誰もが胸を撫で下ろし、互いの肩を叩き合って成功を喜んでいる。
しかし、彼らは浮かれるだけでなく、すぐに実験結果の照合や、装置の熱問題、ノイズの改善点についての議論へと頭を切り替えていた。
「いやー、良かった良かった! 素晴らしい成果だよアルミン!」
ハンジがアルミンの肩をバンバンと叩き、いつもの明るく狂気的な笑顔を弾けさせた。
「これで見えない波の存在は完全に証明された! あとは実用化に向けて、装置の小型化、そして天候に左右されない精度の向上なんかをドンドン詰めていこうか!」
「はい! この調子なら、来年には各区を繋ぐ通信網の基礎ができるかもしれません!」
アルミンも目を輝かせながら力強く頷く。
人類の希望。新エルディア帝国は、この瞬間、また一歩、世界に向けて大きく前進することとなった。
この技術が普及すれば、帝国内の情報伝達は飛躍的に向上し、軍事も経済も新たな次元へと突入するだろう。
……なのだが。 この歴史的な実証実験が齎した『結果』は、彼らが意図した技術的成功だけには留まらなかったのである。
実験の舞台となった平原。
その地平線の奥に、まるで世界を切り裂くようにそびえ立っていた、超長大な硬質化クリスタルの『ウォール・アトラス』。
あのアトラスという特異点が、自身の規格外の能力をもって生み出した、絶対に破壊不可能な青白い防壁。
アトラスのクリスタルは、かつて巨大樹の森の地下空間で、生着替えのドームを形成した際には「内部の音波を極限まで増幅して外部へクリアに伝える巨大なスピーカー」へと変貌する。使用者の意図しないところで『何かと物理法則を無視して増幅させがち』という、恐るべきバグ特性を秘めていたのだ。
今回も、例に漏れず。 ハンジたちが放った、本来なら数キロ先までしか届かないはずの微弱な実験電波は、背後にそびえ立つ巨大なクリスタルの壁に衝突した瞬間、その特異な分子構造と謎の共鳴を起こしてしまった。
アトラス由来のクリスタルは、受信した電波を吸収するどころか、巨大なパラボラアンテナのごとく一箇所に集束させ、物理法則を完全に嘲笑うかのような凄まじい勢いで、壁の外側──すなわち、海の向こうへと向けて『超・増幅反射』させてしまったのである。
そして、その不可視の増幅電波は、運悪く……あるいは運良く。
この巨大なパラディ島の南部、絶望の境界線であるパラディ港に停泊していた、マーレ軍の軍艦の通信アンテナに向けて。
距離による減衰を受けながらも、確かに『人工的な電波』として明確に読み取れる強さを保ったまま、真っ直ぐに到達してしまったのだ。
「……通信が届いたぞ! 島の内陸からだ!」と、艦橋の通信士を顔面蒼白にさせ。
「戦士たちが裏切って技術供与したに違いない!」と、海の向こうのマーレ軍上層部を完全なるお通夜状態のパニックに陥らせ、勝手に絶望のシミュレーションを加速させて自滅への道を歩ませることになった、あの一連の騒動。
そのすべての元凶は。 秋の平原で、純粋に科学の夜明けを喜んでいた少年とマッドサイエンティスト、そして、「無意識に何でもかんでも増幅させてしまう」という、歩く終末兵器兼新エルディア帝国の女神の創り出したクリスタルの壁が引き起こした、あまりにも壮大で間抜けな『バタフライエフェクト』だったのである。