進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
秋の乾いた風が平原を吹き抜け、舞い上がった土煙が、俺の鼻腔に僅かな土の匂いを運んできた。
冷たく冷え切った地面に両膝を突かされ、後ろ手に固く縛られたままの俺は、目の前に歩み出たその男から、どうやっても視線を外すことができなかった。
黒いコートに身を包み、少し草臥れた初老の男。
丸眼鏡の奥のエメラルドグリーンの瞳には、かつて俺を「マーレの戦士」として仕立て上げようとした狂気じみた復権派としての熱は、欠片も残っていなかった。
ただ、過去の己を深く悔いるような計り知れない罪悪感と、そして何故か、憑き物が落ちたような静かな安堵だけがそこに在った。
「……ジーク」
震える声で俺の名を呼んだ父、グリシャ・イェーガー。
だが、彼はそれ以上何も言わなかった。
俺と数秒間だけ視線を交わし合うと、深く一つ息を吐き、静かに背を向けて俺たちを包囲する兵士たちの後方へと退いていったのだ。
(……何故だ。何故、父さんがここにいる)
俺の頭の中で、長年抱き続けてきたエルディア人の安楽死計画と、父に対する複雑な愛憎が激しく渦を巻く。
だが、俺のそんな思考の海は、目の前で突如として繰り広げられた、あまりにも場違いな狂騒によって木端微塵に粉砕された。
「あー! さてさて! 先ずはマーレの諸君! 遠路遥々、このパラディ島の奥地までようこそお越しくださいました!」
先程、俺たちの前で腹を抱えて爆笑していた、特徴的なゴーグルを額に押し上げた長身の女───ハンジと呼ばれていた女が、まるでサーカスの司会者のように大袈裟に両手を広げ、満面の笑みで語りかけてきた。
「ささやかではありましたが、こうして歓迎の催しをさせて頂いた訳ですが! 何か質問はありますか? 今なら特別に、私が何でも答えてあげましょう!」
「……少しは真面目にやれ。こいつら、間抜け面晒して完全に固まってやがるじゃねぇか」
ハンジのその能天気な演説を、隣に立つ小柄な男が、底冷えするような絶対零度の声と三白眼で鋭く制した。
一切の隙を感じさせないその立ち姿。腰に帯びた見慣れぬ形状の武装。
(……どうやら、頭が可笑しいのはこの眼鏡の女だけで、少なくともあの小柄な男だけはまともな感性をしているようだな)
俺は拘束を解かれながら、内心で僅かな安堵を覚え、冷や汗を流して事の成り行きを見守った。
すると、俺のすぐ隣で、スッと音もなく手が挙がった。
マガト隊長だ。 彼は、額に滲む脂汗を拭うこともせず、誇り高きマーレの指揮官としての威厳を何とか保ちながら、低く、重い声で問いを投げかけた。
「……貴様らは、我々をどうするつもりだ」
淡々と短く、しかし今、俺たちが最も知るべき核心を突いた質問。 部隊の命を預かる者として、当然の問いだった。
「うん、いい質問だ! 答えよう!」
ハンジは、ポンッと手を打ち鳴らし、ニコニコと笑いながら答えた。
「先ず君たちは、これから新エルディア帝国の捕虜として、壁内の拘留所で一時的に預かることになっているよ。安心して! 勿論、殺したり、拷問したり……」
そこで、女の顔からスッと笑顔が消え、ゴーグルの奥の目がドロドロとした執念に濁った。
「……君たちのその素晴らしい肉体を……切り刻んで、解剖して、未知の巨人科学の神秘を紐解く至高の人体実験を……したりも……しないッ!! ……ちくしょうっ!! なんでダメなんだエルヴィン!!」
最後の最後で、女は地団駄を踏みながら、心底悔しそうにブツブツと恨み言を吐き捨てた。
俺は、人体実験を熱望する狂人を前にして、完全に表情が死んでいくのを自覚していた。
「……そこの三人組の他に、顎の巨人、マルセルがいた筈です。彼はどこですか」
俺が呆れ果てていると、逆隣に座らされていたピークが、幾分か冷静さを取り戻した気怠げな声で質問を発した。
数年前に送り出した四人の戦士のうち、ライナー、ベルトルト、アニの姿はそこにあるが、もう一人、マルセル・ガリアードの姿が見当たらないのだ。
ピークの問いかけに対し、兵士たちの後方で居心地悪そうに控えていた三人組のうちの一人、ライナーが、重い足取りで静かに前へと進み出た。
「……マルセルは、俺を庇って無垢の巨人に喰われた」
ライナーは、自身の足元を見つめながら、悲壮感を漂わせつつも、確固たる意志でかつての仲間の死の事実を告げた。
「……そう」 ピークは、短く、それだけを返した。
戦士として選ばれた以上、死は常に隣にある。彼女もまた、その現実を冷静に受け止めたのだろう。
だが、その少しだけしんみりとした空気を、またしてもあの狂人が木っ端微塵に粉砕した。
「あーっと……因みに! 補足しておくと、そのマルセル君を捕食して人間に戻った女の子はね、今は帝都で『三神教』の大司教の養子として、お父さんにベッタリ甘えながらすっごく幸せに暮らしているよー!」
「…………」
(……こいつ、本当にデリカシーという概念が欠落しているのか?)
俺は、傷口に塩を塗り込むような、それでいて情報量がおかしすぎる発言をためらいなく口走るこの女に、深いため息をつきたくなった。
だが、その女の戯言の中に混じった『ある単語』に、強烈に引っ掛かりを覚えていた。
「……三神教について、教えて欲しい」
俺は、丸眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、静かに問いかけた。
マーレの資料によれば、壁内には壁そのものを神と崇める『ウォール教』という宗教が存在しているはずだ。
三神教などという単語は、一切聞いたことがない。
「あー、三神教ねぇ……何て言えば良いかなー。ちょっと説明が難しいんだよねぇ」
ハンジが、何やら難問を突きつけられた学者の様に腕を組み、「うーん」と考え込んでしまった。 すると。
「私が話しましょう」
澄み切った、鈴を転がすような凛とした美しい声が、平原に響いた。
声の主は、先程あの15メートルの鋼の巨人の中から現れた、純白のワンピースを着た黒髪の超絶美少女だった。
彼女は、俺たちを一瞥することなく、ただ花が綻ぶような、この世のすべての慈愛を込めた極上の微笑みを浮かべて、サラリと答えた。
「三神教とは、私と……この子、『始祖ユミル』と。そして彼女、リーシェを『神』として崇める、新エルディア帝国の国教です」
「…………」
(……また、謎が増えた)
俺は、自身の脳髄が限界を超えて悲鳴を上げるのを感じながら、最早乾いた笑いを浮かべるしかなく、「……ご丁寧に説明ありがとう……女神様……?」と、疑問符全開で返すことしかできなかった。
始祖ユミル。 俺たちエルディア人の原初の祖であり、すべての始まりの存在。
それが、何やら二千年の時を経て現世に降臨したとでも言うのか? あの、美少女の隣で「えへへー」と無邪気に笑いながら、鈍色の金髪を揺らしているあのアホ面丸出しの明るい少女が、その『始祖ユミル』ご本人だと言うのか?
(ダメだ……意味が分からない。論理が崩壊している。マーレの常識が、ここでは一切通用しない)
ふと横を見れば、歴戦の猛将であるマガト隊長も、聡明なピークも、そして周囲のマーレ兵たちも、総じて脳を物理的に揺さぶられたかの様に両手で頭を抱え、完全に思考停止に陥っていた。
「あー、まぁその辺の詳しい事は、壁の中に入ってからゆっくり考えよう! ライナー君たちが懇切丁寧に、みっちりと説明してくれるから! ね!」
「え?」 突然話を振られたライナーが、素っ頓狂な声を上げる。
「よし! これにて質問コーナーは終了! 今から壁内に向かって行軍を再開するよー!」
ハンジが強引にパンッと手を叩き、流れを完全に断ち切った。
そして、その号令を皮切りに、俺たちは後ろ手に縛られたまま、兵士たちに囲まれて北へと向けた移動を強制的に開始させられることとなった。
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それから、数分後。
秋の冷たい風が吹く平原を、兵士たちに囲まれながら歩く俺とピーク、そしてマガト隊長のもとに、後方から、かつて送り出した後輩である三人の戦士──ライナー、ベルトルト、アニの三人が、気まずそうな足取りで隣へとやってきた。
「その……何と言えば良いか……」
ライナーが、俺たちマーレの上官を前にして、居堪れない様子で視線を泳がせ、何か言葉を投げかけようと口ごもる。
すると、マガト隊長が歩みを止めないまま、深く、重い息を吐き出した。
「……ライナー、ベルトルト、アニ。すまない」
マガト隊長は、その厳格な顔つきに確かな悔恨と、覚悟の決まった表情を浮かべ、彼ら三人の子供たちに向けて、深く、深く頭を下げた。
「大人として、お前たち子供に、世界の命運というあまりにも重すぎる任務を背負わせてしまった事。……そして、こんな地獄へ送り込んでしまった事。心から、申し訳ないと思っている。この通りだ」
「た、隊長! やめてください! 頭を上げてください!」
ライナーが慌てて両手を振り、顔を真っ青にして狼狽える。
「俺たちなんか、何も出来ずに……壁に触れることすらできずに、ただ一瞬で捕獲されただけで……謝られるようなことは何も……っ!」
マガト隊長は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、彼らの全身を、親が子の安否を確かめるような鋭い目でくまなく観察し、切羽詰まった声で問い質した。
「……この二年間、何か奴らに酷い仕打ちを受けたか……!? あの狂った眼鏡の女に、人体実験でもされたのか!?」
「い、いえ!! 全く! そんな実験なんてされてません!」
ライナーが、食い気味に激しく首を横に振る。
「むしろ……マーレの戦士候補生時代に居た頃より、遥かに快適で、平和な毎日を過ごせています」
「そ、そうか……。それは良かった」
マガト隊長は、心底からの安堵の溜息を吐き、ホッと胸を撫で下ろした。
確かに、ライナーの言う通りだった。彼らの着ている服は清潔で仕立てが良く、何よりそのがっしりとした体躯と血色の良い顔色からは、栄養状態も全く問題なく、むしろマーレの収容区にいた頃よりも健康的にすら見受けられる。
「だが、ライナー」
俺は、丸眼鏡を中指で押し上げながら、隣を歩く後輩へと視線を向けた。
「一体、この島は、どうなっているんだ? あの青白い硬質化結晶の巨大な壁も、さっきの三神教とやらも……何がどうなれば、こんな訳の分からない、常軌を逸脱したカオスなことになるんだ?」
俺の問いに、ライナーは一瞬だけ遠い目をした後、何かを悟ったような、あるいは布教の機会を得た狂信者のような、異様にギラギラと輝く目を俺に向けた。
「はい、それについては──────」
そこから、ライナーの口から機関銃のように告げられた情報の数々は、マーレの戦士長である俺の脳髄を、完膚なきまでに破壊し尽くす狂気的なものだった。
二年前。壁を蹴り破ろうとしたベルトルト、ライナー、アニの三人は、結局壁に指一本触れる事も出来ずに、瞬く間に、アトラスと呼ばれる九つの巨人に属さない理外の巨人と、人類最強と呼ばれる氷の鬼神リーシェの二人に無力化され、捕獲されたこと。
そして、そのアトラスによって『十三年の呪い』を強制的に解呪され、巨人化を完全に封じられたこと。
その後数日で、壁内では無血での政変が起こり、三兵団と真の女王を中心とした新たな政治体制に移行したこと。
極めつけは、政変の直前、始祖の継承者に接触して不戦の契りに干渉しようとしたアトラスが、『道』で始祖ユミルと邂逅し、あろうことか永遠にも等しい時間を共に過ごして籠絡した末に、結果として一ヶ月後に始祖ユミルが現実世界に『降臨(受肉)』するという超常現象が発生したこと。
その他にも、顎の継承者の十三年の呪いの解呪と巨人化能力の封印を、始祖ユミルが遠隔で指先一つで行った事。
三重の壁の硬質化を解体し、その中に潜む約五十万体の超大型巨人をすべて人間に戻し、労働力として社会に迎え入れるという神話を実現した事。
そして、今や『三神教』は壁内人類の殆どが熱狂的に信仰する国教であり、彼らもまた、その教義の虜となっていること等々……
「……それでですね! アトラス様のあの慈愛に満ちた眼差しと、リーシェ様との尊いやり取りがですね……!」
最後の方は、もはや完全にただの狂信的なオタクと化して嬉々として布教活動を始めるライナーの言葉を。
俺は完全に虚無に陥った死んだ魚の目で、右の耳から左の耳へとスルーして受け流していた。
ふと後方を見ると、ピークは俺よりも遥かに早くライナーの狂気(ヤバさ)を察知し、途中で説明を聞くのを離脱していた。
彼女は後方でアニと並んで歩き、「アニ、随分雰囲気が丸くなったね」「……色々あったから」などと、巨人の脅威など欠片もない平和な女子トークを繰り広げていた。
(……俺の安楽死計画は、なんだったんだ……)
俺が、自身の人生の目的を完全に喪失し、抜け殻のように歩を進めていると。 やがて、部隊の歩みがピタリと止まった。
視界を覆い尽くすほどの圧倒的な威容。
地平線の彼方まで続く、太陽の光を反射して青白く輝く、全高五十メートルの硬質化クリスタルの長城の足元へと、俺たちは到着したのだ。
「……これは、どうやって中に入るんだ?」
マガト隊長が、門も扉も見当たらないツルツルの結晶の絶壁を見上げて、呆然と呟いた。
「まぁ、見ていて下さい戦士長、隊長」
ライナーが、腕を組みながら、先頭に立つあの純白のワンピースを着た絶世の美少女の背中を、恍惚とした表情で見つめてドヤ顔を作った。
アトラスが、無言でスッと、その白く細い手をクリスタルの壁へと突き出す。
ピシッ……シャララララー……
その瞬間。 硬質化の壁が、彼女の手の動きに合わせて、高さ3メートル、幅2メートル程の半円状のトンネルの形となって、文字通りスッと光の粒子となって溶けて消え、あっという間に中へと続く巨大な入り口が形成されたのだ。
「「「…………」」」
俺も、マガト隊長も、そして周囲のマーレ兵たちも、完全なる無言になるしか無かった。
まさか、あの超巨大な壁は、すべて……
「そうです! この『ウォール・アトラス』と名付けられた、直径千二百キロメートルに及ぶ超長大な壁は、あのお方、アトラス様が直々に創り出された神の御業なのです!!」
ライナーが、『決まった!』とばかりに胸を張り、ドヤ顔で大声で自慢げに語り出した。
「なんであんたがそんなに得意げに語ってんの……」
後方で、アニが一切の表情を変えずに、鋭く冷たいツッコミを入れている。
「……は……はは……」
俺は、目の前で起きた物理法則を嘲笑う神の奇跡と、すっかり洗脳されてしまった後輩の姿を見て。
ただ空を見上げ、乾いた笑いを漏らしながら、ポツリと呟くことしかできなかった。
「……誰か、頼むから……これが夢なら、さっさと俺を殴って覚ましてくれ……」
マーレの戦士長が抱いた悲壮な願いは、無情にも、パラディ島の秋の空に虚しく吸い込まれて消えていくのだった。