進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
厚さ十数メートルにも及ぶ青白い硬質化クリスタルのトンネルを抜け、俺たちは文字通り「壁の中」へと足を踏み入れた。
振り返ると、あの絶世の美少女の姿をした理外のバケモノ──アトラスが、トンネルの入り口に向けてまるで散歩の途中で扉を閉めるかのように、ごく自然に軽く手をかざしていた。
──────ピシッ……シャラララララ……!
ただそれだけの動作で、巨大なクリスタルが光の粒子となって瞬く間に再構成され、ぽっかりと開いていた強固な防壁の穴が完全に塞がっていく。
「…………」
その、物理法則も質量保存の法則も息をしていない神の御業を流し見ながら、俺の心は驚くほどに凪いでいた。
もう、驚かない。驚く気力すら湧かない。
俺が信じてきたマーレの常識も、この世界における巨人の力学も、あの少女の前ではただの砂上の楼閣に過ぎなかったのだと、完全に心が折れきっていたからだ。
壁の内側には、既に我々を移送するための数台の立派な馬車が待機していた。
促されるままに、俺とピーク、そしてマガト隊長は、そのうちの一台の幌付きの大型馬車へと乗り込む。
そこには既に、ライナー、ベルトルト、アニの三人も乗り込んでおり、互いに気まずいような、それでいてどこか安堵したような視線を交わし合った。
馬車の車輪が軋み、ゆっくりと動き出す。
向かう先は、この壁の内側に新しく形成されたという、新エルディア帝国の街だという。
ガタゴトと一定のリズムで揺れる馬車の中、秋の冷たい風が幌の隙間から吹き込んでくる。
馬の休息中、狭い空間にマーレの戦士たちと隊長が詰め込まれ、言い知れぬ重苦しい沈黙が落ちていた。
その、張り詰めた空気を揺らすように。
「……失礼するよ」
ギシッ、と馬車が傾き、一人の男が俺たちの乗る馬車の後部から乗り込んできた。
黒いコートに身を包み、少し草臥れた丸眼鏡の奥に、深く穏やかなエメラルドグリーンの瞳を宿した男。
「…………」
俺の呼吸が、一瞬だけ完全に停止した。
グリシャ・イェーガー
かつて俺がマーレの治安当局に密告し、楽園送りにした、俺の実の父親だ。
父さんは、馬車の入り口付近の空いたスペースに腰を下ろすと、俺たちマーレの戦士やマガト隊長に軽く会釈をした後、その視線をゆっくりと、俺へと向けた。
その瞳には、かつて俺を『エルディア復権派の道具』としてしか見ていなかった狂気的な熱は、微塵も残っていない。
「……ジーク……その……なんだ」
父さんは、膝の上で自身の両手をギュッと握りしめ、視線を僅かに泳がせながら、まるで壊れ物にでも触れるかのように、腫れ物を扱うような当たり障りの無い言葉を紡いだ。
「……大きくなったな」
その月並みで、不器用すぎる一言が。 俺の胸の奥底に、鋭く、そしてひどく重い痛みを伴って突き刺さった。
あぁ、本当に。俺が最後に見た、あの絶望に満ちた父の背中から、一体どれだけの時間が流れたのだろう。
「……父さんは」
俺は、父の顔を真っ直ぐに見ることができず、馬車の木製の床板をただじっと見つめながら、掠れた声で問い返した。
「俺が、マーレの治安当局に告発したこと……恨んでいるかい」
俺はずっと、安楽死計画という大義を胸に抱きながらも、心のどこかで自身の行いを呪っていた。
両親を売り、自分の手で彼らを地獄へと突き落としたという罪悪感。
だが、あの時の俺には、そうするしかなかったのだ。そうしなければ、家族全員が処刑されていた。
俺の震える問いかけに。
馬車の中のピークも、マガト隊長も、ライナーたちも、息を潜めて俺たちのやり取りを静かに見守っている。
「…………ジーク」
父さんの声が、微かに震えていた。
「……お前はまだ、私を『父』と呼んでくれるんだな……」
その言葉には、途方もない後悔と、自嘲が滲んでいた。
俺がハッとして床から視線を少しだけ上げると、父さんは両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせていた。
「私が……私がこれまで、ジークに行ってきた仕打ちに比べれば……お前の告発など、当然の罰だ……恨む筈が無い……!
私が、愚かだった……お前の本当の気持ちに寄り添うこともせず、ただ復讐の道具として……お前に、どれほど重い荷を背負わせてしまったか……! 本当に……本当に……悔やんでも悔やみきれない……ッ」
「…………っ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にへばりついていた過去の冷たい記憶が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
思わず顔を上げ、父さんの方を真っ直ぐに向き直る。
「すまなかった……ッ!」
父さんは、座席に座ったまま、俺に向けて深く、深く頭を下げた。
許されなくてもいい。
ただ己の誠意と、過去の過ちを贖う為に。
一人の不器用な父親として、力強く、何度も頭を下げ続ける父の姿。
「……あぁ……」
俺の視界が、一瞬にして歪んだ。
丸眼鏡の奥から、熱いものがとめどなく溢れ出し、頬を伝って落ちていく。
ポタッ、ポタッ……と。
俺の瞳から零れ落ちた涙が、馬車の乾いた床板に幾つもの黒いシミを作った。
エルディア人の安楽死計画。マーレの戦士長としての重圧。 そんなものは、今はもうどうでもよかった。
今だけは、ただの「ジーク」という一人の息子として。 俺は、震える声で、ずっと心の奥底に封じ込めていた願いを口にした。
「ねぇ、父さん……俺たち、また、やり直せるかな?」
その言葉に。 目の前で深く頭を下げていた男が、バッ! と勢い良く顔を上げた。
そのエメラルドグリーンの瞳からは、俺と同じように大粒の涙がボロボロと溢れ出している。
「……ジーク……っ! あぁ……! お前が望むなら、私は何だってする……! 今度こそ、お前の父親として……!」
父さんは、純粋な喜びを顔いっぱいに顕にして、泣き笑いのような表情を俺に向けた。
俺もまた、涙を拭うことすら忘れ、ただ何度も首を縦に振った。
張り詰めていた冷たい空気が、完全に霧散していく。
馬車の中を、秋の風よりもずっと温かい、家族の絆を取り戻した優しさが満たしていた。
ピークが小さく微笑み、ライナーやベルトルトも、自身の家族を思い出すように目を潤ませて、俺たちの姿を静かに見守ってくれていた。
「……ごめん、見苦しいところを見せたね」
俺は、袖で乱暴に涙を拭い、照れ隠しのように小さく笑ってから、どこか弾んだ声音で切り出した。
「じゃあ先ずは、俺の仲間を紹介するよ。こちらは──────」
俺は、向かいの席に座る厳格な顔つきの男を手で示した。
「テオ・マガトだ。マーレ軍において、彼ら戦士組を指揮する立場にある」
「グリシャ・イェーガーです」
父さんは姿勢を正し、マガト隊長に向けて真摯な眼差しで頭を下げた。
「これまでの私の愚かな行いを考えれば、父として彼を誇れる立場にあるとは決して言えませんが……息子を、ここまで立派に教育し、生き延びさせてくれたこと、心より感謝いたします」
「……いや。私はただ、己の職務を全うしたに過ぎない……だが、そうだな、彼が立派な戦士長として成長したことは、私も嬉しく思っている」
マガト隊長もまた、かつての冷徹な軍人としての顔を少しだけ崩し、父さんと固い握手を交わした。
大人の男同士の、静かだが確かな敬意がそこにはあった。
その後、俺たちは馬車に揺られながら、お互いのこれまでにあった出来事や、空白の時間を埋めるように様々な思い出を語り合った。
父さんがシガンシナ区で再婚し、カルラという美しい妻と、俺にとって異母弟となる「エレン」という子供がいること。
そして、その弟たちと共に、あのアトラスやリーシェという理外の存在と奇妙な近所付き合いを送っていること。
「弟、か……」
俺は、自分に家族が増えていたという事実に、微かな喜びを感じていた。
「俺の弟は、今どうなっているんだ? きっと、父さんに似て立派な少年に育っているんだろうね」
俺が少しだけ頬を緩めて期待を込めて尋ねると。
「…………」
突如として、父さんの顔からサーッと血の気が引き、その瞳が果てしなく遠い虚空を彷徨い始めた。
「……エレンは……その……」
父さんは、額に滲む脂汗をハンカチで拭いながら、ひどく言いづらそうに言葉を捻り出した。
「一年前に、アトラスさんたちの関わる超常的な余波で……完全な……『絶世の美少女』に変異してしまってな……」
「……は?」 俺の思考が停止した。
「そ、それで……息子は、いや、娘は今……アトラスさんとリーシェさんが織りなす『神聖なる百合空間』に完全に魅了され……壁内で知らぬ人はいないほどの『天才百合絵師』として、帝国の思想を百合で染め上げているんだ……」
「………」
息子が、娘に? 壁内で知らぬ人はいない天才絵師? 百合空間? 俺の弟は……いや、妹は、一体どうなっているんだ!?
「ま、待ってくれ父さん。論理が飛躍しすぎている。俺の頭が破裂しそうだ。その状況は全く理解できな──」
俺が丸眼鏡を押し上げながら必死にツッコミを入れようとすると、父さんは俺の肩をポンと重々しく叩いた。
「……ジーク。深く考えてはいけないよ……この壁の中では、常識に囚われた者から先に狂っていくんだ……」
すべてを諦め、悟りを開いたような父さんの遠い目に。
俺は、先程までの感動の涙もすっかり乾き果て、ただただ頭を抱えることしかできなかった。
隣ではピークが「壁の中って、面白いですね」と理解することを諦めた僧侶のような表情で不思議そうに目を瞬かせ、マガト隊長がまたしても絶望的な顔で胃を押さえている。
そうして、俺たちが新しく出来た街へと到着するまでの数十分間。
途中、何度か怪談話じみたカオスすぎる現状報告に頭を抱えながらも。
馬車の中は、巨人の脅威もマーレの重圧も忘れ去られたような、和気藹々とした温かい雰囲気に満ちたまま、秋の平原を揺られていくのだった。