進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
848年1月上旬
海を隔てた超大国、マーレの首都にそびえ立つ軍参謀本部。
その最奥に位置し、国家の命運を左右する重大な意思決定が行われる最高機密会議室には、この世のすべての絶望と暗雲を凝縮したかのような、通夜よりも重苦しく冷たい沈黙がドロドロと淀んでいた。
重厚なオーク材の扉によって外界から完全に隔絶されたその空間で、円卓を囲むマーレ軍の最高幹部たちは、誰一人として口を開こうとはしなかった。
彼らの手元でくすぶる高級葉巻から立ち昇る紫煙だけが、主を失った幽鬼のように力なく天井へと吸い込まれ、部屋の空気をただひたすらに息苦しいものへと変質させている。
百年前から世界を恐怖で支配し、絶対的な優位性を誇ってきた彼らの顔には、かつての傲慢な支配者としての威厳は微塵も残っていなかった。
ある者は血の気を失い土気色に染まった顔で虚空を見つめ、ある者は額に滲む滝のような脂汗を拭うことすら忘れて小刻みに震えている。
「……報告を」
やがて、円卓の上座に深く腰を沈めていた軍の最高権力者である元帥が、鉛のように重い沈黙を打ち破るように、短く、そしてひどく掠れた声で傍らの部下に命じた。
「……はっ」
名指しされた情報将校は、弾かれたように背筋を伸ばしたが、その声はひどく干上がり、死刑宣告を読み上げる執行人のように平坦なものだった。
彼は手元の報告書に目を落とすこともせず、すでに脳髄に焼き付いて離れない残酷な現状を、淡々と告げていく。
「パラディ島へ極秘裏に送り込んだ二名の戦士……ジーク戦士長およびピーク、ならびにマガト隊長率いる分隊規模のマーレ精鋭兵からの定期連絡は、依然として完全に途絶。沈黙を保ったままです。
……更には、彼らの安否確認と港の状況把握のため、先週からパラディ港へと向かわせた連絡船および偵察船は、ただの一隻も帰還せず、完全に消息を絶ち、行方不明となっております……」
将校はそこで一度言葉を切り、ゴクリと乾いた喉を鳴らした。
「これまでの状況証拠と、島から発せられていた電波通信の件を鑑みるに。……恐らくは、彼らは既に────」
「もういい……それ以上、言うな」
元帥の低く、しかし絶対的な拒絶を含んだ制止の声が、将校の言葉を遮った。 再び、会議室に胃を握り潰されるような重い沈黙が舞い降りる。
「皆も知っての通りだ」
元帥は、机の上で組んだ両手に額を押し当てるようにして、絞り出すように言った。
「我々は……現状想定し得る中で、最も恐れていた最悪の事態に陥っている……」
その言葉が突きつけた現実は、マーレという巨大な帝国の屋台骨を根底から粉砕するものであった。
数年前に「始祖奪還作戦」の命を帯びて送り出された、『超大型』『鎧』『女型』『顎』の四人の戦士の喪失。
それに次ぎ、今回パラディ島へと足を踏み入れたマーレの最高頭脳と機動力たる『獣』と『車力』の二人の戦士の喪失。
現在、マーレの管理下に残された知性巨人は、ただ一体。
タイバー家が所有する『戦鎚の巨人』のみである。
だが、タイバー家はマーレ国内において影の支配者とも呼べる特権階級にあり、軍の指揮下で前線へと自由に動かせるような手駒ではない。
それはつまり、事実上、マーレ軍は他国を圧倒するための切り札であった『巨人戦力を完全に喪失した』という、建国史上最大の軍事的致命傷に他ならなかった。
その上、追い打ちをかけるような連絡船の行方不明という事実。
それは、分隊のマーレ兵もろとも、あの頭の切れるジークやピークまでもが、壁内の悪魔たちに捕らえられたか、あるいは完全に寝返ったという絶望的な証明に他ならない。
そして、彼らが無傷でパラディ港の機能を維持し、マーレの船を拿捕しているということは……マーレがかつて島へ放ち、天然の防壁として機能していたはずの数え切れない無垢の巨人が、既にあの悪魔たちの手によって『すべて狩り尽くされている』可能性すら高いということを意味していた。
これほどの戦力と技術力を手に入れたあの悪魔の島から、我々マーレがいつ大攻勢(逆上陸)を受けるか分からないという恐怖。
はたまた、マーレの巨人戦力の完全喪失という事実を諜報網で聞きつけた中東連合などの諸外国が、この窮地という絶好のチャンスに嬉々として軍備を整え、牙を剥いて一斉に侵攻を開始する恐怖。
或いは、巨人という圧倒的な圧力から解放されたことを悟った広大な植民地が、一斉に離反しようと大規模な武装反乱を起こす恐怖。
考えられるのが、そのすべてが。
マーレの息の根を止めるであろうその『すべて』が、同時に起こり得るという最悪のシミュレーション。
「……艦隊を! 艦隊を直ちに送り込むんだ!!」
突如として、恐怖のあまり完全に思考のタガが外れた一人の幹部が、机を拳で叩きつけて立ち上がり、血走った目で絶叫した。
「そうだ、連絡船が沈められたということは、奴らの島にはもう我々を阻む無垢の巨人が殆ど居ないという証拠に違いない! ならば、通常の近代兵器で、或いは我が国が誇る大艦隊で艦砲射撃を打ち込めば……あの島の沿岸部ごと、悪魔どもを吹き飛ばすことができるはずだ!!」
焦燥に駆られた、あまりにも無謀で短絡的な武力行使の提案。
だが、その叫びは、向かいの席に座る別の幹部の極めて冷徹な正論によって、一瞬にして冷水へと沈められた。
「馬鹿を言うな!! 向こうには遠距離攻撃に特化したジークに、地形ごと吹き飛ばす破壊の化身たる超大型巨人がいるかもしれないんだぞ!?」
反論した幹部は、まるで恐ろしい怪談でも語るかのように顔を青ざめさせ、震える声で怒鳴り返した。
「艦隊など近づけたところで、ジークの投擲か超大型の爆発で、上陸する前に一網打尽にされて海の藻屑となって終わるだけだ! ……それに、だ! そんな大規模な艦隊派遣などしてみろ。すぐさま中東連合や諸外国の諜報機関が我々の異常な動きを嗅ぎつけ、マーレが『巨人戦力を喪失し、島への総攻撃に打って出ざるを得なくなった』という致命的な弱点に気付くやもしれん! 動けば動くほど、我々の首が絞まるんだ! 詰みだ、完全に詰みなんだよ!!」
「……では、このまま指を咥えて見てろというのか! 島の悪魔や諸外国が我々の喉首を掻き切るのを、ただ待てと!? 誇り高きマーレが、そんな無様な真似を……!」
「現実を見ろ! 我々にはもう、世界を脅かす力など残っていないんだ!!」
恐怖と絶望に駆られた男たちの怒号が飛び交い、最高機密会議室は完全なパニック状態へと陥りかけた。
彼らは皆、自分たちが築き上げてきた帝国が、今まさに砂の城のように崩れ去ろうとしている現実に耐えきれず、互いに責任をなすりつけ合う醜い獣と化していた。
「静粛に」
加熱する口論を、元帥の低く、しかし厳格さと絶対的な権力を孕んだ一喝が制した。
その凄みに、立ち上がっていた幹部たちはビクッと肩を震わせ、渋々といった様子で再び椅子へと腰を下ろした。
元帥は、深く充血した目で円卓の面々を一人一人睨み据え、もはや後戻りのできない泥沼の延命策を、淡々と、しかし矢継ぎ早に命じていった。
「いいか。先ずは各々、己の持てる人脈と組織の全権限を最大限に駆使して、徹底的な『情報統制』に回れ。
……巨人戦力の喪失、戦士隊の裏切り。この事実が諸外国や植民地に一文字でも漏洩すれば、その瞬間に我々マーレは終わりだ。どんな手を使ってでも隠し通せ」
元帥の言葉は、海の向こうのパラディ島で新エルディア帝国の軍部総司令たるエルヴィン・スミスが推測していたマーレの動きと、恐ろしいほどに完璧に一致していた。
「次に……パラディ港の拡張工事と補給を名目に、工作船を何回かに分けて、適宜島へと送り込むんだ」
「こ、工作船ですか? しかし、それではまた拿捕されるのでは……」
「構わん」 元帥は、自軍の兵士を使い捨てることに一切の躊躇を見せることなく、冷酷に言い切った。
「乗船させるマーレ兵にも、現場の指揮官にも、島の現状や真の目的などの『詳細』は一切伝えるな。あくまで通常の工作船としての体で向かわせ、占領されているであろうパラディ港を強引に奪還、あるいは状況を探るのだ。
……第一波、第二波で失敗し、船が帰ってこなかったとしても……三波、四波と、次々と人員を補充して送り込め。奴らが息切れし、根負けするまで、ひたすらにジャブを打ち続けるんだ」
兵士たちの命をただの目眩ましの駒として使い潰す、血も涙もない計画。
それを捲し立てるように伝え終えると、元帥は、まるで全身の骨から力が抜け果てたかのように、豪華な革張りの椅子に深く、重く腰を掛け、乾いた大きな溜息をついた。
「……情報統制の限界。そして、諸外国の諜報機関が我々の異常を察知し、首脳陣が意思決定を下すまでの時間。 さらにそこから、対マーレ同盟の結成、世界規模での軍の動員、作戦計画の立案、そして我々を攻め滅ぼすための正当化工作……」
元帥は、天井の豪奢なシャンデリアを虚ろな目で見上げながら、頭の中で緻密なタイムスケジュールを計算し、ポツリと呟いた。
「……それらをすべて考慮して……持って、一年から……長くても一年半、といったところか……」
その、あまりにも具体的で、そして絶望的な数字の提示に。 会議室の幹部の一人が、震える声で問い返した。
「それは、一体……なんの数字ですか……元帥殿……」
元帥は、ゆっくりと視線を下ろし、問いかけた幹部を、いや、会議室にいるすべての人間を、憐れむような死んだ目で見つめ返した。
「我々マーレが、滅びを迎えるまでの『タイムリミット』だ」
──────っ!?
冷徹に、恐ろしいまでの無表情で淡々と告げられたその衝撃的な宣告。
会議室の空気が、今度こそ完全に凍りつき、誰一人として呼吸すらできなくなった。
マーレの最高権力者の口から、自国の滅亡が明確な期限付きで確約されてしまったのだから。
「我々は……巨人戦力という、時代遅れの絶対的な力に依存し過ぎた。その力に驕り、他国を蹂躙し、あまりにも多くの敵を作り過ぎたのだ」
元帥の口の端から、諦観混じりの、ひどく乾いた自嘲の笑みが漏れた。
「ふっ……案外、あの恐ろしい島の悪魔どもからの逆上陸を受ける前に……同じ人間である諸外国の手によって、我々は無惨に滅ぼされるのかもしれんな」
その自嘲は、マーレという世界に名だたる大帝国が、すでに内側から腐り落ち、過去の栄光に縋るだけの『不治の病人』であることを、彼自身が誰よりも深く察していたからこその言葉だった。
巨人の力という絶対的な盾を失ったマーレは、これまで自分たちが虐げてきた世界中からの憎悪という刃を、その身一つで受け止めなければならないのだ。
一年半、あるいは二年。 それが、マーレという大国が歴史から姿を消すまでの、神から与えられた執行猶予。
「……会議は以上だ」
元帥は、ゆっくりと立ち上がり、絶望に打ちひしがれて俯く幹部たちに向けて、最後に重く、冷たい声で命じた。
「我々にできることは、この沈みゆく泥舟の中で、一秒でも長く足掻くことだけだ。
……生き残りたくば、死に物狂いで職務を全うしろ」
それは、マーレ軍元帥としての厳格な、それでいてどこか酷く草臥れ果てた、滅びの足音を聞きながら下された最後の厳命であった。
紫煙が立ち込める最高機密会議室には、もはや栄光の欠片もなく。
ただ、這い寄る破滅の時を待つだけの、敗者たちの重く苦しい呼吸音だけが、いつまでも虚しく響き続けていた。