進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
絶望と恐怖、そして互いを罵り合う怒号に満ちていたマーレ軍の最高機密会議室。
だが、あの醜悪な狂乱の嵐が過ぎ去り、幹部たちが重い足取りで退出していった後のその広大な部屋には、もはや通夜のような重苦しい空気は欠片も残っていなかった。
残されたのは、冷めきった紅茶の入ったティーカップと、灰皿にくすぶる葉巻の匂い。
そして、誰もいなくなった重厚なオーク材の円卓を挟んで相対する、二人の男の姿だけであった。
「……ふっ……ハハハッ。随分な名演技じゃねぇか、カルヴィ元帥殿よォ?」
静寂を打ち破ったのは、先程まで部屋の入り口に直立不動で立ち、絶望的な報告を読み上げていた『情報将校』の男だった。
彼は、窮屈そうに首元まで留められていたマーレ軍の制服の襟を乱暴に引きちぎるように緩めると、あろうことか、大国の最高意思決定の場である円卓の上に、土汚れのついた軍靴をドカッと無作法に投げ出した。
そして、背もたれに深く体重を預けながら、相手を嘲笑うかのような低い声で、元帥の名を口にしたのだ。
その、軍規など微塵も介さない不遜な態度と、底知れぬ殺気を纏った男の眼光。
それは、マーレの忠実な兵士のそれではなく、裏社会で血と暴力の海を泳いできた『殺人鬼』の目であった。
「貴様も、中々どうして見事な演技派ではないか
──────ケニー・アッカーマン」
机に足を乗せられた元帥──カルヴィは、咎めることもなく、ただ淡々と彼の真の名を口にした。
先程まで、幹部たちの前で額から脂汗を流し、「マーレの滅亡」を悲痛な面持ちで語っていた土気色の顔色はどこへやら。
そこにあるのは、盤上の駒を冷徹に動かし切った、極めて冷静で底知れぬ為政者の無表情であった。
「はっ、超大国の最高司令官直々のお墨付きったぁ、光栄なこった。
……国を売り飛ばす、とんでもねぇ裏切り野郎に言われたかぁねぇがな」
ケニーは鼻で笑うと、懐からマーレの安物ではない、パラディ島から持ち込んだ上質な葉巻を一本取り出し、マッチでゆっくりと火をつけた。
シュボッ、という小さな音と共に、紫煙が天井の豪奢なシャンデリアへと向かって立ち昇っていく。
「……ふぅ……にしても、中々えげつねぇ事するなァ? アンタ」
ケニーは紫煙を細く吐き出しながら、先程の会議で元帥が決定を下した『作戦』を思い返し、肩を揺らした。
「パラディ港の拡幅工事と補給という体で、工作船を何波にも分けて送り込むったァ……言わば、俺たち新エルディア帝国への『単なる物資と人材の輸送』、プレゼントじゃねぇか。
無能なテメェの部下どもは、恐怖で焦燥しきってて、そんな初歩的な矛盾にも気づかず、まともな判断すら出来てやがらねぇ。
……終わってんなァ、この国!」
「ぶははははは!!!」 と、ケニーは、腹の底から込み上げる滑稽さに耐えきれなくなったように、机の上で大きく手を叩いて爆笑した。
そう。先程の会議で決定された「工作船の継続的な派遣」。
それは、マーレの領土奪還などという大義名分を被せた、パラディ島への意図的な『横流し』であった。
パラディ島で海軍力を創設しようと目論むエルヴィン・スミスが、最も喉から手が出るほど欲している「最新鋭の蒸気船」と、それを操る「造船・航海技術を持つ海軍兵たち」。
それを、マーレ軍の最高権力者であるカルヴィ元帥自らが、怪しまれることのない適度な間隔で、パラディ港で待ち構える特務兵団の元へと丁寧に『配達』してやるという、悪魔的な裏取引が成立していたのだ。
「…………」
ケニーの爆笑をよそに、カルヴィは何も言わず、冷めきった紅茶のカップを手に取り、静かに口へと運んだ。
そして、一つ深く、重い息を吐き出してカップをソーサーに戻すと、円卓越しにケニーを見据えた。
「貴様らは、随分と人材に富んでいる様だな。
……あれだけの武力と知略を持つ者がゴロゴロといる。何人か、我が陣営にも寄越して欲しいものだ」
パラディ島という未開の島からやってきて、マーレの厳重な情報網を易々とすり抜け、情報将校に成り代わって中枢にまで潜り込んできた目の前の男。
そして、海の向こうでこの完璧な盤面を描き、マーレ国という巨大な獣の首に真綿を巻き付けている金髪の指揮官。
カルヴィは、敵対国ながら、彼らの底知れぬポテンシャルに純粋な感嘆を漏らした。
「はっ、馬鹿言え。敵に塩を送る様な真似、誰がするってんだよ」
ケニーが葉巻を咥えたまま、嘲るように鼻を鳴らす。
「目の前にいるが?」
カルヴィが、自身の胸をトントンと指先で叩きながら、極めて真面目なトーンで返した。
「ぷっ……ぶははははは!!! こりゃ一本取られたぜ!」
ケニーは再び腹を抱え、涙が出るほど笑い転げた。
「違いねぇ! マーレの元帥サマが、敵国にせっせと船と兵士を送って塩をドカドカ流し込んでるんだからな! 最高だなァおめぇは! やっつけ仕事の無能どもを束ねるより、いっそおめぇがこっちに来いよ!」
「魅力的な提案だが……私は、タイバー家に忠誠を誓う者。謹んで辞退しよう」
カルヴィは、姿勢を正し、決して揺らぐことのない確固たる忠誠心をその瞳に宿して静かに首を横に振った。
「はぁー? ったく……巨人大戦を勝利に導いた英雄の末裔だァ? 影でコソコソと世界を操りながら、結局国を腐らせた挙句に敵国に売り渡そうとしてるアイツらこそ、とんだ道化共じゃねぇか」
ケニーが忌々しげに吐き捨てる。
「だとしても、だ。……現当主である彼には、生きていて貰わねばならんのだ」
カルヴィの声が、一段と低く、そして重い熱を帯びた。
「貴様らにとっても、この腐りきったマーレを解体し、新たな国家を新設し、世界中で迫害されているエルディア人を真の意味で救済するにおいて。
……裏から諸外国のパイプを握る彼の存在無くして、その実現は不可能だ」
カルヴィ元帥の真の主は、マーレ政府ではない。マーレを裏から支配する真の権力者、タイバー家当主ヴィリー・タイバーであった。
彼らは既に、巨人の力に依存したマーレの軍国主義がいずれ破綻し、世界から報復を受ける未来を正確に予見していた。
だからこそ、カルヴィはタイバー家の意向を受け、国を裏切り、パラディ島で台頭した新勢力と水面下で手を結んだのだ。
タイバー家の存続と、エルディア人の緩やかな救済。
その大義のために、マーレという巨大な泥舟を、最も被害の少ない形で計画的に沈没させるという、壮絶な自死への道標。
「……ま、俺は外の世界の同胞とやらがどうなろうが、知ったこっちゃねぇがな」
ケニーは、短くなった葉巻を灰皿に押し付けながら、ガシガシと乱雑に自身の頭を掻き毟った。
「まぁ、あのいけ好かねぇ金髪野郎の頼みだからなァ。ったく……面倒な奴に、借りを作っちまったぜ」
ケニーの脳裏に、あの日、地下礼拝堂で己の夢が完全に潰えた瞬間の光景が蘇る。
始祖の巨人を継承し、ウーリと同じ景色を見るという、彼の人生のすべてを懸けたくだらない夢。
それが、アッカーマンの血筋ゆえに不可能であったという絶望。
本来であれば、そこで彼の人生は抜け殻となって終わるはずだった。
だが、あのエルヴィン・スミスという男は、すべてを失ったケニーと、彼に付き従ってきた対人制圧部隊の部下たちを見捨てることはしなかった。
彼らの罪を完全に『免罪』とし、あろうことか新政府が直轄する『対人立体機動部隊』の精鋭として、リヴァイの指揮下に正規編入するという破格の優遇措置を与えたのだ。
『君たちのその殺しの技術は、これからの人類の解放に必ず必要になる。……君の夢は潰えたかもしれないが、部下たちに太陽の下を歩かせる夢くらいは、まだ残っているのではないか? ケニー・アッカーマン』
(……あの日の、金髪野郎の顔を思い出すと、今でも腸が煮えくり返るような気もするし、同時に、どうしようもない恩義を感じちまう……全く俺も弱っちまったなぁ )
彼は今、己の野望のためではなく、ただ不器用に自身を慕ってくれた部下たちの未来と、エルヴィンへの恩を返すためだけに、こうして敵国マーレの中心部で命懸けの暗躍を続けているのである。
「お互い、何かしら重いものを背負っているという事だな」
カルヴィは、そんなケニーの人間臭い一面を見透かしたように、口元に微かな笑みを浮かべた。
「私は、タイバー家の存続と未来のために、己の国家を売り飛ばす大罪人。
……貴様は、部下たちの命と、金髪野郎とやらに対する恩を返すために、こうして敵地の中心で死線を潜り抜けながら暗躍する影の立役者」
カルヴィは、空になったティーカップを指先で軽く叩き、半分本気の冗談を零した。
「すべてが終わった暁には……貴様とは、中々良い酒が飲めそうだ」
その、すべてを捨てて大局に殉じる覚悟を決めた老将からの、最大の賛辞と親愛の言葉。
「……はっ。誰が、テメェみたいな野郎と酒なんか飲むかよ。気色悪ィ」
ケニーは、帽子を深く被り直し、鼻で笑って一蹴した。
だが、その足取りはどこか軽く、悪態をつきながらも、彼の内心は決して悪くないと感じていた。
生きる世界も、背負っているものも全く違うが、同じように破滅の道を歩みながらも未来を切り拓こうとするこの老将に、奇妙な連帯感を覚えていたのは事実だった。
「じゃあな、元帥サマ。また近いうちに、あんたの無能な部下どもの悲鳴を聞きに来てやるよ」
ケニーは背を向け、ひらりと手を振って、最高機密会議室の分厚い扉の向こう側──マーレの影の中へと静かに消えていった。
残されたカルヴィは、一人、広大な円卓に広げられた世界地図を見つめながら、深く、静かに息を吐き出した。
窓の外には、マーレの誇る首都が、繁栄の極みとも言える美しい街並みが広がっている。
だが、それはすでに内側から完全に腐り落ち、崩壊のカウントダウンを待つだけの砂上の楼閣に過ぎない。
原作の歴史において、決して相見えることのなかった二人の男。
彼らがこの密室で交わした、国家の在り方と世界の形を左右する言葉。
海の向こうの大国マーレは、この時すでに、パラディ島に君臨する神々と、彼らを束ねる冷徹な指揮官の掌の上へと、完全に堕ちていたのであった。