進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
ガタゴト、ガタゴト……
一定のリズムで鉄の車輪がレールを刻む重厚な音が、足元から心地よい微振動となって伝わってくる。
パラディ港の視察を終え、俺とリーシェ、そしてユミルの三人を乗せた蒸気機関車は、真っ直ぐに伸びた真新しい線路の上を、帝都ミットラスへ向けて力強く走り続けていた。
俺達『三柱の女神』のために特別に設えられたというVIP仕様の特別車輌。
床には深紅の分厚い絨毯が敷き詰められ、壁面には豪奢なマホガニー材がふんだんに使われている。
座り心地の良いビロード張りの特注ソファに深く身を預けながら、俺は車窓の向こうを流れていく景色を、ただぼんやりと眺めていた。
窓の向こうには、かつては無垢の巨人が跋扈し、人類が恐怖に怯えていたはずの壁外の広大な平原が広がっている。
だが今、そこに巨人の姿はない。
代わりに、新しく開拓された広大な農地や、煙を上げるレンガ造りの工場、そして馬車や人々が行き交う活気に満ちた平和な風景が、秋の柔らかな陽光に照らされて飛ぶように後ろへと流れていく。
(……本当に、変わったな……)
俺は、そんな風景を窓越しに眺めながら、半ば無意識のうちに小さく息を吐き出した。
「お姉様、どうかした?」
ふと、左肩に微かな重みと、ふわりと漂う甘い花の香りが乗しかかった。
見れば、ユミルが俺の肩にチョコンと自身の小さな顎を乗せ、紫色の大きな瞳に心配そうな色を浮かべて俺の顔を下から覗き込んでいた。
「……うぅん。何だろう……凄く、平和だなーって」
俺は、自分でも何が言いたいのかよく分からない、要領を得ないふわふわとした言葉を口にした。
頭の中が、温かいお湯に浸かっているようにぼやけているのだ。
「平和じゃ、ダメなの?」
ユミルが小首を傾げる。その鈍色の金髪が俺の首筋をくすぐり、少しだけくすぐったい。
「そんなことないよ。平和が何より一番大事。その為に、私達いっぱい頑張って来たんだから」
俺は、心の底からの本音を返した。
平和なのは、絶対に良い事だ。誰も巨人に食われず、理不尽な思いもせず、明日生きるか死ぬかで怯える必要のない、温かくて優しい世界。
俺が前世の記憶を持ったままこの残酷な世界に転生し、自壊するのも躊躇わない特訓で肉体を鍛え上げ、特異点として歴史に介入してきた最大の目的が、正にこの『平和』だったのだから。
でも、俺の胸の奥に引っかかっている、このぽっかりと空いた穴のような、不思議な空虚感は一体何なのだろうか。
「もう、私達が何かしなくても……この国は、勝手に回っていく。それも、確実に良い方向に向かって」
俺は、窓の外から視線を戻し、自分の手のひらを見つめながらポツリと呟いた。
「……それ自体は、凄く嬉しいことで、素晴らしいことなんだよ。でも……何だろう。何か大きな、壮大な役割から解放されて、急に目の前の道標がなくなって、先を見失ったっていうか……うーん、上手く言えないね」
「えへへっ」と、俺は困ったような笑みを浮かべながら、肩に顎を乗せたままのユミルの頭を優しく撫でた。
ユミルは俺のぼんやりとした言葉に「?」と困惑を浮かべながらも、俺の手のひらの感触が心地よいのか、目を細めて嬉しそうにすり寄ってくる。
すると、俺の右隣で、今まで静かに車内で出された紅茶を飲んでいたリーシェが、ティーカップをソーサーにコトリと置き、俺の空いている右手を自身の両手でそっと、しかし確かな熱を持って包み込んでくれた。
「ユミル、要するに今のアトラスは、『燃え尽き症候群』のようなものよ」
リーシェが、俺のモヤモヤとした感情の正体を、極めて的確な言葉で代弁してくれた。
「今のこの子は、自身の人生を懸けて成し遂げた圧倒的な達成感と、ようやく肩の荷が下りた重圧からの解放感で、ちょっとだけ糸が切れて、ぼーっとしてる感じかしらね」
「ほぉー、お姉様ぼーっとしてるんだー。可愛い」
「……そこだけ拾うのね」
相変わらず、すべてを『お姉様が可愛い』という一点のみに帰結させるユミルの無敵の思考回路に、リーシェが呆れたようにため息をつく。
だが、リーシェの説明は完全に的を射ていた。
思えば、あの日十五メートル級の巨人として目を覚ましてから、俺はずっと走り続けてきた。
マーレの戦士たちを捕獲し、フリーダの呪いを解き、始祖ユミルが受肉して、壁の中の約五十万もの超大型巨人を人間に戻し、直径1200kmもの新しい壁をユミルと共に創り上げた。
それは、一個人の元・男子大学生のメンタルでは到底抱えきれないような、世界そのものの命運を左右する途方もない重圧だった。
隣で俺をひたすらに愛し、支えてくれたリーシェと、無邪気な神の力で手助けしてくれたユミル。
この二人がいなければ、俺はとうの昔にそのプレッシャーに押し潰され、発狂していたはずだ。
確かに、まだ海の向こうのマーレ国に囚われている同胞たちを救出するという、最後の課題は残っている。
ただ……恐らくそれはもう、俺という理外の特異点が、超常の力でどうこうする段階の問題ではないのだ。
この新エルディア帝国は、今や完全に自立し、自らの足で立ち上がっている。
エルヴィン・スミスという不世出の天才指揮官の智謀と、アルミンやハンジたちのもたらした技術革新。
そして、民衆一人一人の力によって、残された課題も確実に解決できる道筋がついている。
俺はそれを、決して「自分が見捨てられた」「お役御免になった」なんていう、ネガティブな風には思っていなかった。
寧ろ、それは極めて健全で、人間が人間の力で未来を切り拓くという、素晴らしい一歩なのだ。
俺は、今日あのパラディ港を視察して、その事実を直接肌で実感したのだと思う。
俺の脳裏に、数時間前の港の光景が鮮明に蘇る。
そこには、かつて「壁の中の悪魔」と「マーレの兵士」として憎み合っていたはずの人間たちが、同じ作業着を着て、汗水垂らして笑い合いながら、巨大なクレーンを動かし、船の荷下ろしをしている姿があった。
壁の外と内という理不尽な枠組みを捨て、ただ一人の人間同士としてお互いを尊重し、語り合い、共に未来を築いている姿。
パラディ港という限られた小さな範囲ではあるが、俺が前世からずっと願い続けてきた『平和の形』が、あそこに確かに存在していたのだ。
俺のこれまでの足掻きの集大成が、あの光景に詰まっていた。
だからこそ、俺はもう、「神様」として世界を引っ張っていく役割を、静かに下ろしても良いのだと思えたのだ。
(……なら、俺がこれから先、為すべきことは……)
俺は、自分の右手を握るリーシェの温もりと、左肩に寄りかかるユミルの体温を、全身で感じ取った。
世界を救う役目が終わったのなら。
これからは、ただの一人の人間として……俺を愛し、俺が愛したこの二人と共に、ただ純粋に幸せになるための人生を歩んでいきたい。
俺は、これまであえて避けてきた、ある『言葉』を───俺の中の最後のケジメであり、最大の『約束』を口にすることを、静かに決意した。
「……ねぇ、リーシェ、ユミル」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、そして微かに震えていた。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……!
急激に、心臓の鼓動が早鐘のように高鳴り始める。顔にカッと熱が溜まり、耳の先まで真っ赤に染まっていくのを自覚する。
「うん? どうしたの、お姉様?」
ユミルが、俺の突然の真剣な声色に不思議そうに小首を傾げ、俺の顔を下から見つめてくる。
「どうかした? アトラス」
リーシェもまた、俺のただならぬ緊張を感じ取ったのか、握っていた俺の右手に少しだけキュッと力を込め、心配そうに俺の瞳を覗き込んできた。
俺は、大きく、深く息を吸い込んだ。
口の中がカラカラに乾いている。心臓がうるさすぎて、自分の声がちゃんと出せるか不安になるほどだ。
だが、この言葉だけは、絶対に逃げずに伝えなければならない。
俺は、右に座るリーシェの透き通るようなアイスブルーの瞳と、左に座るユミルの神秘的な紫色の瞳を、交互に、真っ直ぐに見据えた。
そして、腹の底から、ありったけの想いと覚悟を込めて、その言葉を紡ぎ出した。
「私と…………結婚……してくれますか?」
─────────っ!?
ガタゴトという列車の走行音すら、一瞬にして世界から消え去ったかのような感覚に陥った。
二人の息が、完全に止まるのが分かった。
言った。言ってしまった。 ずっと「妹」だの「保護者」だのと逃げ道を無意識に作っていた俺が、明確に、二人の人生を生涯背負うという人生最大のプロポーズを。
俺は、逃げ出したいほどの極度の羞恥と緊張に耐えながら、ただ真っ直ぐに前を見つめ、両隣から文字通り『物理的な矢』のように突き刺さってくる強烈な視線を、ただ黙って受け止めていた。
顔が熱い。口から火が出そうだ。 鼓動が早すぎて、本当に肋骨を突き破って心臓が飛び出しそうなくらい痛い。
体感にして数分にも、あるいは数時間にも感じられるような、永遠にも等しい重い静寂が、豪華な特別車輌の中を包み込んでいた。
やがて──────
「お……おねえ……さま……」
「あ……アトラス……っ」
二人の、掠れた、限界まで震える声が、俺の両耳に届いた。
ポタッ……ポタッ……と。 シーツの上に水滴が落ちるような小さな音が、確かに俺の鼓膜を揺らした。
次の瞬間だった。
バッ!! という風切り音と共に、俺の華奢な身体は、左右から凄まじい力で、息が詰まるほど強く抱き締められた。
「アトラスっ! うぅっ……! ええ、もちろん! ……愛してるわ! 本当にっ! ひぐっ……嬉しい……っ、私、嬉しくて……!」
右からは、リーシェが、俺の肩に顔を埋め、まるで子供のように声を上げてしゃくり上げながら、俺の服が濡れるのも構わずにボロボロと大粒の涙を流してすがりついてきた。
「うっ、うぅぅ……っ! お姉様! ずるいよぉ! こんな不意打ち! 大好き! ずっとずっと、ずーっと愛してるよ、アトラスお姉様……! 結婚しよう! 絶対に結婚するっ!!」
左からは、長きにわたり孤独な神であったはずのユミルが。
俺の胸元に顔をぐりぐりと押し付けながら、嬉し泣きの嗚咽を漏らし、俺の腰に回した腕をこれでもかと強く締め付けてくる。
二人の、狂おしいほどの愛と、熱い涙の温もり。
俺の肩と胸は、あっという間に二人の涙で濡れてしまったが、それがどうしようもなく愛おしかった。
「……うん……ありがとう、リーシェ、ユミル……」
俺は、左右から俺を潰さんばかりに抱きしめてくる二人の背中にそっと腕を回し、優しく、何度も何度も撫でた。
一世一代の大告白。
本当なら、もっと夜景の綺麗なレストランとか、星空の下とか、ロマンチックな場所で言うべきだったのかもしれない。
こんな、蒸気機関車の座席の上というロマンも欠片もない場所で言ってしまったことを、前世の俺が見たら「お前ムード無さすぎだろ」と呆れるかもしれない。
でも、多分、今この瞬間に言わなければ。
俺はこの圧倒的な幸福と平和な空気に甘えて、いつまでも「照れくさいから」と言い訳をして、先送りを続けてしまっていたはずだ。
だから、今しかないと思ったのだ。
そして、この涙でぐしゃぐしゃになった二人の笑顔を見れば、場所なんてどこでも良かったのだと、心から思えた。
俺は、二人の背中を撫でていた手をゆっくりと離し、少しだけ身体を離して、涙と笑顔でぐちゃぐちゃになった二人の顔を見つめた。
「二人は、もしかしたら知らないと思うけど……」
俺は、少しだけ照れくさそうに微笑みながら、前世の遠い記憶の風習を口にした。
「私が元々居た所ではね? 一生を共にすると、結婚を約束した人には……その証として、『指輪』を贈るっていう素敵な儀式があるんだよ」
「ゆびわ……?」 「指輪……?」
涙を拭いながら、二人が不思議そうに小首を傾げる。
この世界にも装飾品としての指輪はあるだろうが、結婚の証としての『エンゲージリング』や『マリッジリング』という概念は、一般的ではないのかもしれない。
「うん……ちょっと待ってね」
俺は、右の手のひらを上に向け、自身の『道』のシステムから、極限まで精密にコントロールした硬質化のエネルギーを指先へと集中させた。
俺のこの力は、世界を吹き飛ばすためだけにあるんじゃない。愛する人たちを幸せにするためにも使えるんだ。
サァァァッ……! と、俺の手のひらの上で、淡く青白い光の粒子が収束していく。
やがて光が収まると、そこには、俺が能力の粋を集めて創り出した、三つの美しく輝く『クリスタルの指輪』が乗っていた。
ただのクリスタルではない。ダイヤモンドよりも硬く、そしてどこまでも透き通るような純度。
さらにその内側には、俺の極小の硬質化操作によって、『Atlas & Rische』『Atlas & Ymir』、そして『Rische & Ymir & Atlas』という、三人の永遠の絆を示す名前が、美しく流麗な文字でしっかりと刻み込まれていた。
「はいっ。……二人とも、左手だして」
俺が優しい声で促すと、リーシェとユミルは、まるで魔法のアイテムを見るようなキラキラとした瞳でその指輪を見つめながら、震える左手をそっと俺の前へと差し出した。
俺は、まずリーシェの左手を取り、その細く長い薬指の先へ、一つの指輪を静かに当てがった。
そして、次にもう一つの指輪を、ユミルの小さく柔らかな左手の薬指へと当てる。
「この左手の薬指はね、心臓───命の中心に一番繋がっている指なんだって。だから、永遠の愛を誓うために、ここにはめるんだよ」
そう言いながら、俺は二人の薬指の根本へと、同時に、そっとクリスタルの指輪を滑らせてはめ込んだ。
太陽の光を反射して、二人の指先で青白い結晶がキラリと眩く輝く。
「……あぁ……」 「お姉様の……指輪……」
二人は、自身の左手にはめられたその冷たくも温かい永遠の証を、万感の想いで見つめ、やがて両手で包み込むようにして自身の胸元へと引き寄せた。
そして、まるで神に祈りを捧げるように、そっとその指輪に自身の唇を落としたのだ。
そのあまりにも神聖で美しい仕草に、俺の胸が再び熱く締め付けられる。
「……それじゃあ、私にも。……二人で、はめてくれる?」
俺が、自身の左手をそっと二人の前へと差し出すと。
「ええ……喜んで」 「うんっ……!」
リーシェとユミルは、俺の手のひらに残っていた最後の一つの指輪──俺自身の名前が刻まれたそれを、二人でそっと、右と左から大事そうに指先で摘み上げた。
そして、俺の左手の薬指へと、震える手で、ゆっくりと、ゆっくりと滑らせていく。
「これで……合ってる……?」
リーシェが、普段の絶対的な自信に満ちた顔ではなく、初めての作業に戸惑う少女のように頬を真っ赤に染めながら、不安げに俺を見上げて問いかけてくる。
「うん。……完璧」
俺は、自分の薬指にピタリと収まったクリスタルの指輪を見つめながら、こみ上げてくる感情を抑えきれずに、ふにゃりとだらしなく笑ってしまった
「えへへ……これ、自分でつくった指輪なのに……なんだか、凄く幸せ……」
自然と目尻に熱い涙が浮かんで、視界がぼやけてしまう。
俺は今、この世界で一番幸せな存在だ。
指輪の輝く自身の左手を、リーシェの左手と、ユミルの左手の上へと、そっと重ね合わせた。
三つのクリスタルが触れ合い、チリン、と小さな、祝福の鐘のような音が車室に響く。
互いの手の温もりを確かめ合いながら。
今はただ、これからの輝かしい未来へ向かって真っ直ぐに進む、列車の心地良い揺れに身を任せながら。
俺たち三人は、言葉を交わすこともなく、永遠の幸福を深く、深く噛み締める様に、静かに肩を寄せ合うのだった。