進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
848年4月上旬
海を隔てた超大国、マーレの首都に隣接する巨大なエルディア人隔離施設──レベリオ収容区。
高いコンクリートの壁と有刺鉄線で四方を囲まれ、劣悪な衛生環境と密集した粗末な住居がひしめき合うその街は、世界中から「悪魔の末裔」と忌み嫌われるユミルの民が、マーレの監視下で家畜のように飼い慣らされるための泥濘であった。
だが、その絶望の掃き溜めから少しだけ外れた場所に、周囲の荒んだ景色とは完全に一線を画す、圧倒的な異空間が存在している。
かつての巨人大戦において、フリッツ王を退け、マーレに勝利をもたらしたとされる『救世の英雄』の末裔。
現在、このマーレという世界最大の覇権国家を、実質的に裏から支配している特権階級──タイバー家が有する、広大な本邸の敷地である。
見渡す限りに広がる緑豊かな庭園は、専属の庭師たちによって一寸の狂いもなく刈り込まれ、色とりどりの花々が春の柔らかな陽光を浴びて咲き誇っていた。
石畳の小道にはチリ一つ落ちておらず、その清潔さと静謐さは、すぐ壁の向こう側で泥水をすする同胞たちの生活圏とは、文字通り天と地ほどの隔絶を見せつけている。
その美しい庭園のさらに奥に建てられた、重厚な石造りの白亜の屋敷。
外部の音が一切届かないように防音処理が施された、当主専用の広大な書斎にて。
世界を股にかける超大国の『表向きの最高権力者』と『裏の真の支配者』という、二人の男が、今後の国家の命運を左右する極秘の議論を静かに交わしていた。
「……苦労をかけて済まないな、カルヴィ元帥」
豪奢なマホガニーの机越しに、上質な革張りの椅子に深く腰を掛けた男が、静かで、しかし知性に満ちた響きを持つ声で労いの言葉を口にした。
見目麗しいプラチナブロンドの髪を几帳面に撫でつけ、一切の隙を感じさせない洗練された身のこなしと、底知れぬ深淵を覗かせるような灰色の瞳。
タイバー家現当主、ヴィリー・タイバーである。 彼の目の前には、マーレ軍の最高司令官たるカルヴィ元帥が、軍の威厳を示す数々の勲章を胸に下げたまま、直立不動の姿勢で静かに頭を垂れていた。
数ヶ月前、マーレ軍の最高機密会議室において、無能な幹部たちを前に『マーレの滅亡までのタイムリミット』を冷徹に宣告し、絶望的な防衛策を命じていたあの将だ。
「いえ……これもマーレ、ひいては全人類が生き残るためです。ヴィリー様の判断に、間違いはないかと存じます」
カルヴィ元帥は、表向きはマーレの軍事独裁を推し進める冷酷な元帥として振る舞っているが、その本質はタイバー家への絶対的な忠誠を誓う古き忠臣である。
彼は、パラディ港の拡張工事と称して工作船を送り込み、実質的に新エルディア帝国へ『最新鋭の船と技術兵』を横流しするという、国家反逆罪に値する悪魔的な裏取引を自らの手で推し進めていた。
すべては、この目の前に座る若き当主の描く、途方もない『大局』のために。
「……ふっ……今のこの国の置かれた、逃げ場のない絶望的な状況を考えれば、私ではなくとも、まともな思考力を持つ者であれば誰でもそう判断する筈さ」
ヴィリーは、どこか自嘲気味な言葉を口にしながら、机の上に置かれたアンティーク調の磁器のカップを手に取り、立ち昇る湯気を軽く吹き飛ばして、漆黒のコーヒーを一口含んだ。
苦味の強いその液体が喉を通り抜けていくのを感じながら、ヴィリーの脳裏には、数ヶ月前から海を越えてもたらされた、あまりにも非現実的で、しかし絶対的な『真実の報告』の数々が渦巻いていた。
「タイバー家が代々管理してきた『戦鎚』を除く、マーレが保有していた六つの知性巨人。……その全てが、あの日以来、あの島の悪魔たちの手に渡ってしまった」
ヴィリーはカップをソーサーに戻し、両手で顔を覆うようにして深く息を吐き出した。
「『女型』『鎧』『超大型』『顎』のみならず、偵察に向かわせたジークの『獣』とピークの『車力』すらも、瞬く間に無血で鹵獲された。 ……その上、なんだ。あの百年の眠りについていたパラディ島に、二千年前に死んだはずの『始祖ユミル』ご本人が、現世に受肉して復活しただって? ……ははははっ。普通の軍略会議でこんな報告を上げれば、正気を疑われて眉唾物だと一蹴されるか、精神病院送りにされるのがオチだろうな」
ヴィリーの乾いた笑い声が、広い書斎に空しく反響する。
──────コン、コン、コン。
その時、重苦しい書斎の空気を叩き割るように、重厚なオーク材の扉を外から叩く、控えめで規則正しい音が響いた。
「お兄様。……少し、よろしいでしょうか」
扉越しに聞こえてきたのは、鈴を転がすような、しかし感情の起伏をあまり感じさせない、静謐で透き通った女性の声だった。
「───あぁ、構わないよ。入りなさい」
ヴィリーが声を張ると、ガチャリと金属のノブが回り、扉が静かに開かれた。
「……これはカルヴィ様。お話中のところ、大変失礼致しました」
部屋に入ってきたのは、メイドの制服に身を包んだ、タイバー家の使用人───いや、それはあくまで表向きの姿だ。
黒い髪を後ろでタイトにまとめ、伏し目がちで物静かな空気を纏う彼女は、ヴィリーの実の妹であり、タイバー家が世界を牽制するための最大の抑止力、『戦鎚の巨人』の現継承者であるラーラ・タイバーであった。
彼女は、部屋の中央に立つカルヴィ元帥に向けて、スカートの裾を軽くつまみ、淑女として完璧な、そして深く敬意を込めた一礼をした。
「ご機嫌麗しゅうございます、ラーラ殿。私の事はどうか、お気になさらず」
カルヴィ元帥もまた、タイバー家の真の武力の象徴たる彼女に対して、軍のトップという立場を捨て、感情の読めない顔で軽く一礼を返した。
「丁度良いところに来てくれた、ラーラ」
ヴィリーは姿勢を正し、妹の静かな瞳を見据えて、最も恐ろしく、そして最も核心を突いた問いを投げかけた。
「……あれから、巨人化は出来たか?」
その問いに対し、ラーラは顔色一つ変えることなく、ただ淡々と、残酷な事実を口にした。
「いいえ、お兄様。……刃物でつけた傷口が、巨人特有の治癒力で煙を上げて塞がる以外は、全く巨人化できる気配がありません」
ラーラは、自身の右手のひらをそっと持ち上げ、先程自傷したばかりの傷跡がすでに完全に消え去っている真っ白な肌を二人に見せた。
「先程、屋敷の地下深くにある特別な硬質化訓練用の地下室で、何度も強い目的意識を持って試して参りました。……しかし、体内のエネルギーがどこか見えない『壁』のようなものに遮断され、肉体を構成するための座標の光が、私のもとへ一切降りてこないのです。 その確かな経過報告のため、こちらへ参りました」
淡々と、まるで今日の夕食のメニューでも報告するかのように、彼女は『マーレに残された最後の軍事力が、完全に封殺されている』という絶望的な事実を述べていく。
ヴィリーは、その報告を聞いて驚く様子もなく、ただ深く、重々しく頷いた。
「そうか。……ご苦労だった。分かった、また何か身体に異変があったら、すぐに私に言いなさい」
「はい、お兄様。失礼致します」
ラーラは再び静かに一礼をすると、足音も立てずに書斎を退出し、扉をカチャリと閉めた。
また二人だけとなった静寂の部屋で、ヴィリーは大きく一つ息を吐き出し、首の後ろに手を当てて天を仰いだ。
「……これを見せられてしまっては。もはや、常軌を逸した報告書も、信じざるを得ないと言うものだ」
「…………」
カルヴィ元帥は、無言のまま額の冷や汗をハンカチで拭った。 知性巨人に対する、遠隔での完全なる干渉。
『戦鎚の巨人』は、海を隔てたマーレの大陸にある。パラディ島からは何千キロも離れているというのに。
ある日突然、ラーラの中から「巨人化の能力」だけが、まるでスイッチを切られたように封印されてしまったのだ。
十三年の呪いの解除と共に。 それは正に、すべてのユミルの民の魂を束ねる『始祖』が有する絶対的な力であり、少なくとも、始祖の完全なる権能を、パラディ島の新エルディア帝国勢力が掌握し、意のままに行使しているという、これ以上ない明確な証明であった。
「始祖の力は、正に無敵だ」
ヴィリーは、自身の指先を見つめながら、底知れぬ恐怖と畏敬の入り混じった声で呟いた。
「今、この瞬間にも……あの島にいる始祖の神は、座標を通して、パラディ島以外に住まう世界中のエルディア人すべてを、問答無用で巨人化させることだって出来るのだ。
……そうなれば、あっという間にエルディア人を除く人類は、この世界から滅ぶ事になるだろう」
その身の毛もよだつような絶望的なシミュレーションに、カルヴィ元帥の屈強な身体が微かに震えた。
島外のマーレや中東連合、世界各地の収容区に散らばるエルディア人。
そのすべてとなると、数は凡そ一千万を優に超える。
その一千万人の老若男女が。 ある日突然、何の前触れもなく、空から降り注ぐ黄色の閃光と共に一斉に無垢の巨人へと変異したとなれば。
それはある意味で、フリッツ王が壁の中に潜ませていた幾千万の超大型巨人による『地鳴らし』よりも、遥かに残酷で、逃げ場のない恐ろしい地獄絵図と化すだろう。
世界中の都市の内部から、突如として人食いの怪物が一千万体も湧き出すのだから。
各国の軍隊が対応する間もなく、人類の文明は数日で内側から完全に食い破られ、崩壊する。
マーレの首根っこは、完全にパラディ島の神々の手の中に握られている。 相手がその気になれば、明日にでも世界は終わるのだ。
「……島からスパイとして送り込まれた我々の協力者、ケニー・アッカーマンによれば」
カルヴィ元帥が、その凍りつくような沈黙を打破すべく、必死に声を絞り出して、もう一つの『絶望の要因』についての話題を振った。
「あの島には、始祖ユミルともう一体……既存の『九つの巨人』とは全く別の次元に存在する、得体の知れない知性巨人が存在しているとの事ですが」
「あぁ。『理外の巨人』の事だな」
ヴィリーは、まるで旧知の友人の名を呼ぶかのように、当然の事としてその存在を口にした。
「知っておられましたか」
ヴィリーは、机の上に置かれた分厚い羊皮紙のファイルの一つを指先で叩いた。
「『アトラス・ベニア』……あのパラディ島が、これ程までに理不尽なまでに強大な帝国へと変貌した、全ての元凶だ。
……何でも、その恐ろしい肩書きや『歩く終末兵器』という名からは到底想像出来ない程に、美しく可憐な、絵画から抜け出してきたような女性らしいな」
「……女性……ですか?」
カルヴィ元帥は、予想外の単語に思わず怪訝な表情を浮かべた。
「……てっきり、『アトラス』という大地を支える神の名からして、屈強で筋骨隆々の大男、あるいは歴戦の老将のような人物を想像していましたが」
「あぁ。私も最初はそこに引っかかった。……だが、報告によれば、彼女の変身する巨人体の方は、まさにその想像通り、彫刻の様に引き締まった屈強で美しい『男性型』の巨人なのだそうだ」
ヴィリーは、報告書の矛盾点に面白さを見出したように、微かに口角を上げた。
「その『アトラス』という勇ましい名は、彼女がまだ巨人の姿のままで森に潜伏していた頃に、彼女と初めて接触した人間の女性……後にあの島で『氷の鬼神』として畏れ崇められる事になる、人類最強の兵士、リーシェ・ベニアが名付けたものだとされている」
「……リーシェ・ベニア。……『同じ姓』ということは、血縁者ですか?」
カルヴィの鋭い指摘に、ヴィリーは肩をすくめ、少しだけ困惑したような、言葉を選ぶような間を空けてから、パラディ島の『最大の狂気』について語り出した。
「ああ、新エルディア帝国の戸籍上は、彼女たちは『姉妹』として取り扱われているそうだ。……事実上の関係性は、姉妹という枠組みを遥かに超えた『それ以上』の爛れた関係といったところらしい」
ヴィリーは、自身でもその報告をどう処理すべきか分からないといった様子で、こめかみを押さえた。
「始祖ユミルが復活したのも、どうやらそのアトラスという特異点が『道』に干渉したことが原因らしいのだが……恐ろしい事に、その二千年前の神である始祖ユミルもまた、受肉してからはアトラスを深く慕い、三人で同じ家で暮らし、夜な夜な同じベッドで眠っているとの事だ。
……今やあの国では、この三柱の女神たちが織りなす『神聖なる百合空間』とやらが、国教である三神教の教義の核として、民衆の間で熱狂的に信仰されているらしい」
「…………」
カルヴィ元帥の口から、完全に言葉が失われた。 マーレの軍事力と世界の運命を脅かす、人類最大の脅威。
その正体が、美しき女性三人組によるイチャイチャとした同棲生活であり、それが新興宗教の教義として百万人以上の民衆に崇拝されている?
マーレの元帥として、数多の血みどろの戦場を見てきた彼でさえ、このあまりにも平和的で、あまりにも狂った『情報量』の濁流には、脳の処理が全く追いつかなかった。
「……まるで、熱病の患者が見る悪夢の様な話ですね……」
カルヴィは、虚空を見つめながら、魂の抜け殻のような声でそう零すことしかできなかった。
「残念なことに、これが我々の直面している現実だ」
ヴィリーは、冷めきったコーヒーを一息に飲み干し、静かにカップを置いた。
「彼らから意図的に開示されてきた情報はここまでだが……恐らく、実際の島の武力や技術力は、この程度では無いだろう。我々が想像もつかない隠し玉が、山のように積まれているはずだ。 ……カルヴィ。我々が今相手にしているのは、単に知性巨人を複数保有するだけの武装勢力では無い。言うなれば、現実に顕現した神々と、それを束ねる冷徹な軍師を擁する、次元の違う『超帝国』を相手にしているんだ」
ヴィリーは立ち上がり、書斎の大きな窓から、美しい庭園の向こうに広がるマーレの街並みを見下ろした。
遠くには、軍港に停泊する誇り高きマーレの黒い艦隊の姿が見える。
「……もし、彼らが過去のエルディア帝国のように、世界に対する復讐と支配を望む『覇権主義的』な思想を持っていたならば。 ……今頃、このマーレの街並みは、とうの昔に始祖の力によって焦土と化し、我々タイバー家も一族郎党皆殺しにされていただろう」
だが、パラディ島は動いていない。 彼らは巨人を人間に戻し、内政を固め、そしてマーレに対して工作船を通じた密かな「外交交渉(技術と人材の引き抜き)」という、極めて理性的なジャブを打ち続けてきている。
それは、彼らが無駄な血を流すことを望んでおらず、世界との共存、あるいは圧倒的な力を背景にした平和的な不可侵を模索している証拠であった。
ヴィリーは、窓枠に手をつき、これまで張り詰めていた肩の力をスゥッと抜いて、深く椅子へと座り直した。 力みで強ばっていた彼の端正な表情が、微かに緩む。
「……逆に言えばだ、カルヴィ」
ヴィリーの灰色の瞳に、かつてないほど強烈な、これからの輝かしい未来を必ず掴み取るという、野心と闘志の炎がメラメラと燃え上がり始めた。
「彼らの圧倒的な力と慈悲にすがり、上手く彼らを味方に付けることができれば。……我々は、世界からの憎悪を跳ね除け、この先千年の繁栄が約束される」
ヴィリーは、机の上で両手を強く組み、カルヴィ元帥を真っ直ぐに射抜いた。
「故にカルヴィ。この国を……この腐りきった軍国主義のマーレを、最も被害の少ない形で、パラディ島の手によって上手く『自沈』させるんだ。 中東連合との資源争いや、反乱の火種を抱える広大な植民地など、もはや捨て置け。そんな物は、これからの時代、我々にとって重い負債でしかない」
ヴィリーの言葉は、マーレという大国を根本から解体し、新エルディア帝国という新たな世界の覇者の傘下へと下るという、壮大なる『国家売却』の宣言であった。
「我々タイバー家が裏で世界の首脳陣を操り、パラディ島が圧倒的な武力でマーレを制圧する。
……新エルディア帝国との『完全なる融和』こそが、これからのエルディア人に、そしてこの世界に、真の平和と大きな繁栄を齎す……いいな?」
ヴィリーの、一族の命運と世界の歴史を背負った、絶対の命令。
「はっ……仰せのままに」
カルヴィ元帥は、一切の迷いを見せることなく、タイバー家に対する絶対的な忠誠心を宿した瞳で、仰々しく、そして誇り高く応えたのだった。
パラディ島の巨大樹の森で、アトラスというたった一つのイレギュラーな特異点がもたらした介入。
その小さな羽ばたきから始まったバタフライエフェクトは、もはや壁の中だけに留まらず。
海を越え、歴史を書き換え、世界最大の覇権国家マーレの心臓部すらも完全に飲み込みながら、未だその勢いをとどまるところを知らずに、世界を新たな神話へと導いていくのであった。