進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
極限の集中。 ジリジリと照りつける初夏の太陽の下、アトラス湖の浅瀬に立つ俺たち三人の間には、水遊びという言葉の枠を完全に逸脱した、一触即発の殺気にも似た空気が張り詰めていた。
右にリーシェ。左にユミル。
二人は水面すれすれまで腰を落とし、獲物を狩る猛禽類のような目で俺の一挙手一投足を見据えている。
対する俺も、水圧を感じさせないほど軽やかなステップで立ち位置を微調整し、コンマ一秒の隙を窺っていた。
静寂。 聞こえるのは、湖面を撫でる風の音と、遠くの砂浜で固唾を呑んで見守るエルヴィンたちの、微かな衣擦れの音だけ。
(……来ないなら、こっちから行く!)
両者動きがない膠着状態を破るべく、俺は先に行動を起こすことを決断した。
狙うは、先手必勝の全体攻撃。 先程、不意打ちで放った「水の壁」は、あくまで広範囲を力任せに薙ぎ払っただけの粗削りなものだった。
だが、今回は違う。
俺は脳内のリミッターをさらに一段階解除し、この超絶美少女ボディに内包された15メートルの鋼の巨人のエッセンスを、自身の右腕の筋肉群へと極限まで圧縮・収縮させた。
足の指が湖底の砂を抉る。 全身の骨格が、今にも弾け飛ばんとする巨大なバネのようにギリィッと軋み、溜め込まれた莫大な運動エネルギーが、背骨を伝って右手のひらへと収束していく。
狙いは二人の中間点。そこから広がる余波だけで、二人同時に水を被らせるという完全な詰将棋だ。
俺は、水面すれすれの位置で、水を掻くようにしてその右手を全力で振り抜いた。
──────パァンッッ!!!!
最早それは、水が跳ねる音でも、飛沫をあげる音でもなかった。
大気が物理的に引き裂かれ、音速の壁を超えた際にのみ発生する、鼓膜を破壊するような轟音───ソニックブームだ。
俺の振り抜いた掌の軌跡から、空気が圧縮されて生じた白いドーナツ状の衝撃波が弾け飛ぶ。
そして、その破滅的な音の直後に、ほんの一瞬遅れて。
俺の膂力によって抉り取られた何十トンという膨大な湖水が、文字通り『絶対回避不能の水の城壁』となって、リーシェとユミルの二人に対して容赦なく差し迫った。
(勝った……!)
俺が心の中で勝利を確信し、口角を吊り上げた、その刹那だった。
水の壁が彼女たちを飲み込む、コンマ数秒前の極限の世界で。 俺の巨人由来の動体視力が、信じられないものを捉えた。
ユミルが、横に立つリーシェに向けて、顔を近づけて何かを『耳打ち』したのだ。
爆発的な水音と衝撃波がすべての音を掻き消していたため、俺の異常な聴覚をもってしても、彼女が何を囁いたのかを聞き取ることは出来なかった。
ただ、その耳打ちを聞いた直後。 リーシェの端正な口角が、ニィッと、極上の獲物を見つけた肉食獣のように吊り上がったのと同時に。
──────タンッ!!
二人の姿が、迫り来る水の壁の圧力を嘲笑うかのように、水面を蹴って左右へと分かれたのだ。
それは、水飛沫一つ上げない、まるで空間そのものを滑るような、完璧で無駄のない超音速のバックステップ。
二人は一瞬にして、津波の被害が及ばない数十メートル先の安全圏へと、同時に移動を完了させていた。
そう、リーシェだけでなく、『ユミル』も、だ。
「へ?」
俺の口から、間抜けな風切り音が漏れた。
──────ざぶぅぅぅんん!!!!
俺が放った無慈悲な巨大な波は、対象を失ったまま、ただ虚しく湖の対岸に向かって爆走し、遠くの森の木々をへし折って消えていった。
(は? 何だ今の動き)
俺は、突き出した右腕をそのままに、呆然と左右に散った二人を交互に見比べた。 内心で、とてつもない速度で混乱の渦が巻き起こる。
リーシェのあの動きは、まだ分かる。
だが、ユミルはおかしいだろ。
今のあの子の身体は、『不老不死で太らない』という固定化の加護を持つ、ただの少女の肉体のはずだ。
それが今、明らかにリーシェの神速の機動と『全く遜色のない』、完璧なベクトルと反応速度で波を回避してみせたのだ。
しかも、水の抵抗を完全に殺す重心移動まで、リーシェの技術の丸写しだった。
俺は、たまらず大声を張り上げて問いかけた。
「今の動きなに!? どうやったの!?」
俺の切実な、そして困惑しきった問いかけに対して。
ユミルは、湖面にぷかぷかと浮かぶように立ちながら、自身の口元に人差し指を当てた。
「えー、どうしよっかなー」
その顔には、完全に悪戯が成功して調子に乗りまくっている子供のような、最高に小憎たらしい嘲りの笑みが浮かんでいた。
(……こいつぅぅ)
俺の額に、ピキッと青筋が浮かぶ。 ユミルのくせに、どこで覚えたのかウザい煽りスキルを、ここぞとばかりに完璧に使いこなしてきやがる。
すると、左側の安全圏に避けていたリーシェが、余裕たっぷりに濡れた金髪をかき上げながら、ユミルに向けて優しく話しかけた。
「流石にアトラスが可哀想だから、種明かしをして教えてあげて、ユミル」
「はーい!」
元気よく、そして物凄く素直に返事をするユミル。
(なんでリーシェの言葉にはそんなに素直に答えるんだよ……)
俺の胸の奥で、理不尽なパワーバランスに対するジェラシーと不満がくすぶる中、ユミルはニコニコと笑いながら、とんでもない種明かしを口にした。
「さっき『道』で、身体構造の書き換えと、リーシェの戦闘経験技能のインストールをしてきたんだー!」
「はぁぁぁぁあああああ!?!?!?!?!?!」
俺は、大気をビリビリと震わさんばかりのクソデカ声で、その出鱈目で理不尽すぎるユミルの言葉に思わずブチギレた。
(そんなのアリかよ!!!!)
『道』で身体構造を書き換える? まぁ、それは百歩譲って分かる。彼女はすべてのエルディア人の魂と肉体を設計する始祖の神様だからな。
だが、戦闘経験技能のインストールってなんだよ! なぜ神聖な巨人の起源たるシステムを、そんなUSBメモリでデータを移すようなお手軽なチート感覚で使っているんだ!
俺が顔を真っ赤にしてワナワナと震え、理不尽な怪奇現象に激しく歯噛みしていると。
「『道』の能力を使用することについては、お姉様、ルールで禁止してなかったよね? ねぇ?」
ユミルは、くすくすと底意地の悪い、しかし最高に楽しそうな愉悦の笑みを浮かべながら、俺に向けて全力で煽りを畳み掛けてきた。
「今どんな気持ち? お姉様? しれっと自分に都合の良いルール決めて、私を足手まといにして縛ろうとしてた作戦が、完全にご破算になってどんな気持ち? ねぇねぇ! 教えて!」
「──────ッ!!」
(バレてたのかよ!)
俺は、図星を突かれてカァッと耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染め上げた。
そう。俺がこの戦いの前に、わざわざ大声で明記した『リーシェとユミル、どちらかが水を被ればチーム・リーシェの負け』という特別ルール。
正直な話をしよう。 この水掛け合戦において俺は、この馬鹿げた超絶美少女ボディに宿る『物理的な出力』以外、リーシェに勝っている部分は何一つとして存在しない。
そりゃあ多少は、巨人由来の無駄にスペックの高い脳の処理速度で、彼女の神がかった動きを視覚的にトレースすることは出来る。
だが、それはあくまで「動きの形」を真似ているだけだ。
長年、対人戦闘や対巨人戦闘という極限の死線で磨き上げられてきた彼女の『実戦における駆け引き』や『直感』にそれが及ぶかと言われれば、完全に否である。
真正面からテクニックで勝負すれば、俺は秒で手玉に取られてしまう。
故に、俺はあのルールを利用したのだ。 言い方は悪いが、戦闘能力が一般人並み(だと思っていた)のユミルを、リーシェの「足枷」として物理的に縛り付けようとしたのだ。
リーシェがどれだけ超音速で逃げ回ろうと、ユミルの方を狙って広範囲攻撃を仕掛ければ、リーシェはユミルを庇うために必ず動きが制限される。
そこを狙い撃つという、完璧な盤面操作のつもりだった。
卑怯だって? 前世で平和に生きてきたただの大学生が、人類最強の鬼神に勝つためには、これくらい小賢しいハンデを背負わせないと勝負にならないのだ。
だが、今まさに、その俺の小賢しい盤面操作を、始祖の神の権能による『技能のインストール』やら『身体構造の書き換え』などという意味不明なチート現象で、いとも容易く覆してのけたユミルを見ても、まだ俺を卑怯だと言える人間がいるなら、甘んじてその言葉を受け止めよう。
むしろ俺の方が被害者だ。
「くそぅ……! ならば、実力行使あるのみ!」
俺が羞恥と怒りで顔を歪め、力技で二人を湖の底へと沈めてやろうと両手を構え直した、その時だった。
──────シュン……
波の音すら立てず。 俺の視界の左右にいたはずのリーシェとユミルの姿が、文字通り、蜃気楼のように音もなくフッと消滅した。
「──────っ!」
俺は即座に、全身の産毛が逆立つような強烈な危機感を覚え、水底の砂を踏みしめていた両脚に限界まで力を込めた。
そして、考えるよりも先に、適当な真上やや後方へと向けて全力の跳躍を行った。
──────ドガァァン!
爆弾でも破裂したかのように、俺が蹴り飛ばした場所の湖水だけが、綺麗に円形にくり抜かれたように吹き飛び、周囲に土砂降りのような水飛沫を撒き散らす。
これだけ派手に水を弾き飛ばせば、姿を消した二人が近づいてこようとも、十分な牽制の盾になる筈だ。
「どこ? どこにいるの?」
俺は、一足飛びで軽く数十メートル程の高さまで上空へと飛び上がり、空中の滞空時間を利用して、上から俯瞰する様に周囲の湖面を鋭く見渡した。
太陽の光を反射してキラキラと輝くアトラス湖。
遠くの砂浜では、俺の常軌を逸した大ジャンプを見たミケやハンジらギャラリー達が、完全に口をあんぐりと開けて天を仰いでいるのが見える。
だが、俺の眼下にある水面には、リーシェとユミルの姿はおろか、波紋の一つすら立っていない。
まるで、最初からこの湖には俺しかいなかったのではないかと錯覚するほどの、不気味な静寂。
(おかしい……いくらあの二人の動きが速くても、水の上を走れば必ず飛沫が上がるはずだ。完全に気配が消えてるなんて……)
思考を高速で回転させるが、答えは見つからない。
そうして重力という絶対の法則に従い、俺の身体は放物線を描いて、段々と水面へと向かって自由落下を始めていく。
──────バシャァァァン!!!
着水と同時に、落下速度の勢いによってそこそこ大きな水しぶきが上がり、周囲に白い波紋が広がった。
ザブン、と。 そこは、浅瀬から随分と離れた沖合であり、俺の身体が既に鎖骨の辺りまで深く沈み込むほどの水深がある場所だった。 冷たい湖の水が、火照った肌の熱を奪っていく。
(水の中は動きが制限される……ここは不味い!)
俺は本能的に不利を悟り、また直ぐに水底を蹴って空中に飛び上がろうと、脚の筋肉を収縮させようとした。
その時──────
「うひゃあっ!?」
ぬるり、と。 水面下、俺の下半身──正確には、俺の太ももからふくらはぎの裏側にかけて、何かが柔らかく、しかし絶対に逃さないという強い力で、這い上がるようにしがみつく感触が走ったのだ。
「えっ!?」
俺は反射的に、心臓を跳ね上がらせて自身の足元、暗い水面の下へと視線を落として見下ろした。
水草か? 巨大な魚か? いや、それにしてはこの柔らかい指の感触は……ユミルの手!?
だが、その「水中の足元を確認した」という、ほんの一瞬の意識の逸れ。
それこそが、彼女たちの仕掛けた完璧なトラップであり、俺が晒してしまった致命的な『隙』だったのだ。
「取った!!!」
俺の真後ろ。 完全に死角となっていた水面のすぐ背後から、リーシェの、勝利を確信した高い歓喜に満ちた声が鼓膜を打った。
(しまった……!)
俺は水中の足元への意識を強引に引き剥がし、バッと背後を振り返って反撃、あるいは回避しようと身体を捻った。
しかし、時既に遅し。
──────ザパァッ!!
振り返った俺の視界に映ったのは、水面から勢いよく飛び出し、両手にたっぷりと湖の水を掬い上げたリーシェの、太陽よりも眩しく輝く満面のドヤ顔だった。
──────ぱしゃん。
その両手から放たれた、冷たく、そして何の威力もない控えめな水飛沫が。
俺の顔面に、そして水着の胸元に、無慈悲に、そして完璧な精度で降り注ぎ、視界を完全に覆い尽くした。
「…………」
ポタポタと、俺の前髪から顔を伝って、湖の水滴が滴り落ちる。
「……あぁっ……」
敗けた。 俺の口から、間抜けで、すべての力が抜け落ちたような情けない声が喉の奥から漏れた。
神のごとき身体能力も、小賢しいルールの縛りも、すべてを粉砕されての、完全なる、完膚無きまでの敗北だった。
「ぷはぁっ! やった!? リーシェ!」
俺の足元、水面がボコッと割れ、中からプハァッと息を吐き出しながら、ユミルが元気よく顔を出した。
どうやら、さっき俺の足にしがみついて隙を作ったのは、やはり水中に潜伏していた彼女だったらしい。
「ええ、決まったわ。私たちの完全勝利ね」
リーシェが、濡れた金髪を色っぽくかき上げながら、誇らしげに胸を張る。
「やったー!」 「イェーイ!」
パァァンッ! と。 俺を挟んだ真横で、二人が最高の笑顔でハイタッチを交わす。
その快音が、敗者である俺の心に深く、深く突き刺さる。
(ぐぬぬぬぬ……ッ!)
俺は、両頬をぷくぅーっと限界まで膨らませ、水面をバシャバシャと叩きながら、子供のように不満を口に爆発させた。
「ちょっと待ってよ! 『道』で身体構造書き換えとか、戦闘スキルのインストールとかずるでしょ!? あきらかなはんそく! そんなこときいてない!」
俺が矢継ぎ早に、涙目で色々と言い訳や理不尽を並べ立てて文句を口にするのに対して。
二人は全く悪びれることなく、くすくすと顔を見合わせて意地悪な笑いを零した。
「アトラス、負け惜しみはみっともないわよ?」
リーシェが、俺の鼻先をツンと軽く突いて、からかうように消えていた間の種明かしを始めた。
「それに、インストールだけじゃないわ。アトラスはさっき、ルール説明の時に『お互いに直接掛ける水はダメ』と決めたけど……」
リーシェがそこで言葉を切り、ニヤリと笑う。 次に、水面に浮かぶユミルが、その言葉を繋ぐようにして、誇らしげに続きを話した。
「水の中に『潜ったりする事』までは、一言も禁止していなかったよね?」
「……え?」
「だから、お姉様が私の『道』のインストール説明を聞いて呆気に取られてる間に。波の音に紛れて水中に深く潜って、お姉様がジャンプして着水するまで、息を止めて泳いで移動して隠れてたんだー」
「…………」
俺は、開いた口が塞がらなかった。 確かに、思い返してみればそうだ。
「水を被ったら負け」というルールにおいて、自ら水に潜ることを禁止していなかったとすれば。
避けなくても、全身を自ら水中に浸からせておけば、相手から「水を掛けられる」という判定を回避できる。
つまり、ルール上は実質無敵状態ということになるのだ。
(……そうか。最初に俺の津波を左右に避けたのは……)
波を避けるためじゃない。 『水に潜ればノーダメージでやり過ごせる』というルールの抜け穴に、俺を気付かせ無い為の、完全なブラフだったのだ。
くそっ、完全にやられた。
あの時点で、俺が作ったルールの穴に気付かずドヤ顔でルール説明を終えた時点で。 この勝負の勝敗は、すでに完全に決していたのだ。
俺の単純な力押しなど、彼女たちの知略と機転の前では、ただの道化の踊りでしかなかったのである。
「お姉様、力はあるのに頭よわよわ〜♡ えへへ、ちょー可愛い♡」
ユミルが、俺の首に腕を回して濡れた頬をすりすりしながら、最強の煽り文句と共に甘えてくる。
「アトラスはこうでなくっちゃね。圧倒的な力を持ちながら、私たちにいいように転がされる……。たまらないわ」
リーシェも、俺の腰に手を回し、濡れた水着越しに俺の身体のラインをねっとりと撫で上げながら、完全にサディスティックな笑みを深めていた。
「~~~~~~ッ!!」
完全に手玉に取られ、言い返す言葉もなくなった俺は、悔しさと、自身のどうしようもないポンコツさに心底嫌気がさしてしまった。
結局俺はその後、最高に不機嫌で面倒くさい態度を貫き続けるのだった。