進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
第二百三十五話
848年7月上旬。
遥か遠く、海を隔てた超大国マーレの大陸、レベリオ軍港の近海にて。
夏の強い日差しが照りつける青い海原を、黒煙を吐き出しながらゆっくりと海を割って進む、一隻の蒸気船の姿があった。
その船体に掲げられているのは、誇り高きマーレ海軍の軍旗。
外見上は、どこからどう見てもマーレの正規輸送船あるいは工作船である。
だが、その実態は、パラディ島で鹵獲された船体を徹底的にリバースエンジニアリングし、新エルディア帝国の誇る技術開発部門が総力を挙げて独自建造した、偽装の潜入艦であった。
艦の最上部に位置する艦橋。 偽装された、糊のきいた真っ白なマーレ海軍の軍服に身を包んだ艦長が、ガラス窓の先、水平線の向こうに徐々にその巨大な威容を現し始めた黒い軍港を凝視し、顔の筋肉をギリッと強張らせていた。
「……艦長。もう間もなく、レベリオ軍港に到着します」
傍らに立つ副長の、低く、しかし微かに緊張を孕んだ言葉が、艦橋の空気を一段階重くした。
その言葉により、この無謀とも言える作戦が、いよいよ取り返しのつかない現実味を帯びて艦長の肩にのしかかってくる。
刻一刻と迫る、事実上の敵地の心臓部への『単艦潜入』。
周囲には、マーレの誇る巨大な軍艦が何隻も停泊し、沿岸部には大口径の防衛砲がズラリと並んでいる。
少しでも不審な挙動を見せ、正体が露呈すれば、この一隻の蒸気船などコンマ数秒で海の藻屑と化すだろう。
だが、彼らは決して無策で突っ込んでいるわけではない。 あの軍港の内部では、マーレ軍の最高司令官たるカルヴィ元帥と、裏社会の密偵であるケニー・アッカーマンの手引きにより、長年マーレの泥水の中で息を潜めてきた『エルディア復権派』の精鋭たちが根回しを行い、万全な受け入れ体制を整えて待っている筈なのだ。
「……進路そのまま。決して、不審な動きを見せるな」
艦長は、額に滲む冷や汗を拭うこともせず、氷のように冷徹な声で命じた。
「はっ」
副長は、体に染み付いた右拳を左胸に当てる祖国の敬礼を咄嗟に封じ込め、完璧に訓練されたマーレ式の敬礼でそれに応えた。
この艦に乗船している数十名の乗員すべてが、あのエルヴィン・スミス総司令の直轄である『帝国特務兵団』から選抜された、超エリートたちで構成されている。
彼らは巨人を狩る戦闘技術だけでなく、海を渡る操船技術、敵国の言語、マーレ軍の軍規や作戦行動に至るまで、文字通り血を吐くような訓練を短期間で叩き込まれた精鋭中の精鋭だ。
帝国の官僚たちや他兵団の間では、彼ら特務兵団の事を畏敬と少しの揶揄を込めて『なんでも屋』と呼ぶ。
国家の暗殺任務から、土木工事の監督、そして今回のような敵国への決死の潜入工作まで。
その仰々しい本来の名称とは結び付かないような、あまりにも過酷で多岐にわたる汚れ仕事を引き受ける、俗な言い回しである。
艦長は、艦橋内に居る、緊張で顔を強張らせながらも各計器に向き合う部下たち全員に対して、重々しく、本作戦の概要を改めて告げた。
「これより我々は、敵地レベリオ軍港に着岸し、エルディア復権派と呼ばれる帝国の協力者達の極秘回収を行う。……いいか、これはエルヴィン総司令より直々に命じられた、帝国の威信を賭けた、決して失敗の許されない作戦だ」
艦長の声に、艦橋の空気がビリビリと震える。
「今、この瞬間にも……あの軍港のすぐ隣の収容区では、世界中から悪魔と虐げられ、壁の向こうで家畜のように飼い慣らされている我らの同胞がいる。 この回収作戦の成功こそが、いずれ彼らを救い出すための、エルディア人の真の解放への足がかりとなる。
──────正に、我々特務兵団にかかっているのだ!各員、心してかかれ!」
「「「「はっ!!!」」」」
死地へと向かう恐怖を完全に塗り潰す、歴戦の漢達の勇ましい返事が、艦橋内の空気を震わせた。
彼らの瞳には、もはや迷いはなかった。
数十分後
偽装された蒸気船は、無数の軍艦が停泊するレベリオ軍港の巨大な岸壁へと、静かに、そしてゆっくりと滑り込むように接近していた。
岸壁では、彼らの到着を事前に知らされていたマーレ兵の誘導員が、赤い旗を振って手際よく彼らの艦を空いている桟橋へと誘導している。
軍港に響き渡る重機や蒸気の稼働音、飛び交う怒号。マーレの日常の風景が、彼らの五感を強烈に刺激する。
──────ガコンッ……!
微かな衝撃と共に、艦の側面が桟橋の緩衝材に触れ、完全に着岸した。 いよいよ、作戦の最も危険なフェーズの始まりだ。
「お前達は、ここに残れ。……私と、あらかじめ選抜した護衛十名で艦を降りる」
艦長は、腰のホルスターに隠し持った銃の感触を確かめながら、副長に振り返って鋭く命じた。
「"もしも"の事態が発生し、我々の正体が露呈した場合は……我々のことは見捨てろ。迷わずここを離れ、得られた情報を帝国へ持ち帰るんだ。
……副長、これよりこの艦の指揮権の全てをお前に移譲する。頼んだぞ」
艦長の瞳には、すでに己の命をこの敵地の土に捨てる覚悟が宿っていた。 そのあまりにも重々しく、非情な命令が、副長をはじめとする船員たちの胸を僅かに、しかし強く締め付ける。
「……艦長。ご武運を」
副長は、マーレ兵の監視の目が届かない艦橋の奥で。 今度こそ、マーレ式ではない……彼らの祖国、新エルディア帝国の誇り高き『心臓を捧げよ』の敬礼を、力強く、涙を堪えるようにして送った。
副長の敬礼に合わせる様に、艦橋に立つ船員達が一斉に、音を立てずに右拳を左胸へと叩きつけ、深い敬意と共に艦長を見送る。
艦長は、何も言わなかった。 ただ一度も振り向くことなく、真っ直ぐと迷いのない足取りで、タラップを下りるために艦橋を去っていった。
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ギシッ、ギシッ……
タラップの板が軋む音を立て、艦長と十名の護衛の兵士たちが、レベリオ軍港のコンクリートの桟橋へと降り立った。
照りつける真夏の日差しが、容赦なく彼らの白い軍服を焼き、海面からの照り返しが目を眩ませる。
空気には、パラディ島の海とは違う、鉄と重油、そして人間の汗の匂いが混じった、軍港特有のむせ返るような潮の匂いが満ちていた。
艦長は思わず、その強烈な日差しと周囲からの刺さるような視線から目を守るように、軍帽の鍔を深く被り直した。
周囲にはマーレの海軍兵や作業員たちが忙しなく立ち働いている。
その中から、先程彼らの艦を岸壁へと誘導していた、マーレの軍服に身を包む一人の人物が、極めて自然な足取りで彼らの前へと歩み寄ってきた。
男は、バインダーで口元を隠すようにしながら、周囲に聞こえないギリギリの低い声で、合言葉を囁いた。
「……『クモ』から、事情は把握済みだ。……お前達が、島からの協力者だな?」
『クモ』。 それは、かつてマーレの内部で暗躍していた伝説の工作員『フクロウ』に代わり、現在、彼らエルディア復権派を裏から束ね、資金と情報を供給している正体不明のトップを指す暗号名であった。
つまり、マーレ軍の最高権力者であるカルヴィ元帥その人である。
しかし、そのクモの正体がマーレ軍の元帥であるなどという神をも恐れぬ真実を知る者は、復権派の内部でもほんの一握りの幹部のみ。
当然、目の前に立つ彼のような末端の工作員は、その真の姿など知る由もないだろう。
「ああ、相違ない」
艦長は、その言葉を聞いて微かに強張っていた肩の力を抜きつつも、毅然とした態度で周囲を警戒しながら確認をした。
「我々を安全な場所へ導く、案内役と見て問題ないな?」
「………こっちだ。不自然に見回すなよ」
男は、艦長の問いには直接答えず、視線だけを油断なく動かして周囲を見回した後、静かに踵を返し、港の奥に立ち並ぶ巨大な倉庫群の方へと向かって歩き出した。
「……」
艦長は、背後に控える十名の護衛に対して、無駄のない僅かな目配せだけで『警戒を怠るな』と指示を出した。
敵地の心臓部。四方八方を悪意に囲まれたこの港で、頼れるのは己の偽装と、前を歩く一人の工作員のみ。
艦長たちは、軍港の喧騒と風景の中に完全に溶け込むように足音を殺し、黙々と案内役の背中を追って、深い影の落ちる倉庫街へと歩みを進めていくのだった。