進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
「────エルディアの為に!!!」
薄暗く、カビと湿気に満ちた地下の秘密室に、エルディア復権派の同志たちが上げる悲痛で、しかし確かな希望に満ちた熱い咆哮が木霊した。
その魂の叫びを背に受けながら、レオンは決意に満ちた表情で静かに頷き、長く住み慣れたアジトの部屋を見渡した。
彼は、事前に荷造りを済ませておいた年季の入った革のボストンバッグを肩に背負う。
今後の新エルディア帝国にとって有用となるであろう、マーレ内部の軍事情報や諜報員のリスト、そして彼らが命懸けで集めてきた機密書類の数々だ。
一人では到底持ち切れないその膨大な量の荷物は、ヴァルターが引き連れてきた特務兵団の屈強な護衛達が、無言のまま手際よく分担して持ち上げてくれた。
「……行くぞ」
ヴァルターの低く短い合図と共に、一行は踵を返し、来た時と同じように地下深くへと続く階段を上り始めた。
一歩上るごとに、冷たい地下の空気から、ジリジリと肌を焼くような真夏の重苦しい熱気へと近づいていくのが分かる。
ギィィ……ッ。 重厚な鉄の床扉を押し上げ、再びあの朽ちかけたボロ小屋の中へと這い上がる。
隙間から差し込む強烈な太陽の光が、地下の暗闇に慣れた目を容赦なく突き刺した。
外に出ると、レベリオ収容区の周縁に位置する、人気の無いジメジメとした倉庫街特有の、腐った木材と鉄錆の匂いが鼻を突いた。 むせ返るような潮の香りが、港が近いことを報せている。
「急ぐぞ。予定時間を少し回っている」
ヴァルターは、周囲に監視の目がないことを鋭い視線で確認すると、軍帽の鍔を深く被り直し、足音を殺しながら先頭を切って歩き出した。
彼らはマーレ海軍の白い制服に身を包んでいるとはいえ、ここが四方八方を悪意に囲まれた敵地のド真ん中であることに変わりはない。
少しでも不自然な挙動を見せれば、その瞬間に銃弾の雨が降り注ぐのだ。
迷路のように入り組んだ倉庫街の影を抜け、やがて視界が開け、巨大な軍艦が停泊するレベリオ軍港のコンクリートの桟橋が前方に見えてきた。
彼らの乗ってきた、新エルディア帝国製の偽装蒸気船が、静かに波に揺られながら待機しているのが確認できる。
あそこまで辿り着き、タラップを上げて出航すれば、作戦は完遂だ。
だが──────
「……待て」
先を歩いていたヴァルターの護衛の一人が、不意に右手を小さく上げ、極めて低い声で止まるよう注意を促した。
「何かあったか」
ヴァルターは即座に歩みを止め、護衛が見つめる方向───彼らの偽装艦が停泊しているコンクリートの桟橋の入り口付近へと、鋭い視線を巡らせた。
「……ッ」
ヴァルターの眉間が、微かに、しかし険しく寄った。
桟橋へのアクセスを塞ぐような形で、純白のマーレ海軍の制服に身を包んだ数人の兵士たちが、葉巻を吹かしながらたむろし、彼らの偽装艦を興味深げに指差して何やら話し込んでいる姿が視界に入ったのだ。
「……厄介な事になったな」
ヴァルターの隣で、レオンが忌々しげに舌打ちをして言葉を零した。
長年マーレの泥水を啜り、軍の裏側を熟知している工作員としての冷徹な顔つきに、微かな焦りの色が滲み出ている。
単なる見回りの兵士ではない。彼らが纏う空気は、明らかに通常の警備任務のそれとは異なっていた。
「……このまま遠巻きに動きを止めて様子を窺っていても、逆に怪しまれるだけだ。向こうの視界には、すでに我々が入っている。……ここは何とか、穏便に切り抜けるしかない」
ヴァルターが、額に滲む汗を拭うこともせず、覚悟の滲んだ低い声音で決断を下した。
特務兵団の護衛たちも、ヴァルターの言葉に無言で頷き、いつでも腰のホルスターから銃を抜けるよう、筋肉の収縮を極限まで抑え込みながら歩調を合わせる。
一行は、先程よりも少しだけ歩みを進める速度を落とし、まるで「自分たちの船に戻ってきただけの、ごく普通のマーレ兵」を完璧に演じ切りながら、冷静を装って対象の集団へと近付いていった。
彼らの偽装艦を訝しげな表情で見つめていたマーレ兵達も、ザクッ、ザクッと規則正しい足音を立ててこちらへ向かってくるヴァルターたちの集団に気付いた。
葉巻を携帯灰皿に押し付け、少し警戒の色を滲ませながら、まるで道を塞ぐ関所のように相対して立ち並ぶ。
「……どうか、されましたかね?」
ヴァルターは、極限の緊張を分厚い理性で完璧に覆い隠し、愛想の良い、しかし軍人としての礼節を弁えた『人の良い笑み』を顔面に貼り付けながら、マーレ兵達に話しかけた。
「ん? 貴様、この艦の乗組員か?」
集団の中心に立っていた、一際恰幅の良い、立派な髭を蓄えた男が、顎をしゃくって傲慢な声で問い返してきた。
その話し方の威圧感と、胸元にジャラジャラと無駄に多く飾られた勲章の数々からして、海軍の中でもそれなりに階級の高い高級軍人であることは一目で分かった。
「ええ。この艦の艦長を務めている者でございます」
ヴァルターはそう言いながら、右手を掲げるマーレ軍特有の敬礼を、訓練で叩き込まれた完璧な角度と速度で実行した。
続くように、レオンを含めた背後の護衛達も、一糸乱れぬ動きでマーレ式の敬礼を送る。
「ふむ……艦長、か」
高級軍人は、自身の立派な髭を撫でながら、どこか品定めする様な、ひどくねっとりとした卑しい目でヴァルターの全身を舐め回すように見据えた。
さらに、彼の背後に控える護衛たちが持っている大きく膨らんだボストンバッグへと、その視線がねっとりと張り付く。
周囲を取り囲むマーレ兵たちも、上官の態度に同調するように、どこか嫌悪感すら感じさせるニヤニヤとした、下卑た笑みを浮かべていた。
(……なるほど。ここまで腐っているとはな)
ヴァルターは、冷徹な仮面の裏側で、彼らのその強欲な姿から直ぐに相手が『何を欲しているのか』を正確に察知した。
かつてカルヴィ元帥やタイバー家当主が憂いていた通り、マーレの軍事力と組織の規律は、長年の巨人の力に依存しすぎた傲慢さによって、すでに内部から完全に腐敗し切っているのだ。
大方、何かと難癖と理屈を並び立てて、この見慣れない船を接収……もとい、彼らが持っている『高価そうな積荷』を不当に奪い取り、自分たちの私腹を肥やそうという腹積もりなのだろう。
「いやはや、実を言いますと……丁度先程、この港での積荷の輸送任務を終えたところでして。これからまた、新たな物資の積み込みの為に別の港へ向かおうと、手続きを終えて戻ってきた次第であります」
ヴァルターが、視線を泳がせることなく、当たり障りの無い理由を澱みなくでっち上げ、そのまま自然な足取りで彼らの脇を抜けようとした──────その時だった。
「ほー。……だが、可笑しいな」
高級軍人が、一歩横にずれ、ヴァルターの行く手を完全に塞いだ。 その豚のように肥え太った顔には、先程までのただの強欲さとは違う、獲物を追い詰める爬虫類のような狡猾な光が宿っていた。
「貴様らがこの港に停泊し、艦を降りてからというもの。……我々がずっと監視していたが、タラップから誰一人として船員の出入りが無かった。 積荷の輸送任務を終えたと言うが、荷下ろしの作業員の手配すらしていないではないか」
高級軍人の声が、一段と低く、ねっとりとしたものになる。
「……何か、我々マーレ海軍の正規の監査に対して、隠し立てしなければならない『特別な理由』があるのかね?」
(……チッ!)
ヴァルターは、内心で大きく舌打ちをした。
この男は、ただの強欲で腐った無能な小悪党では無かったのだ。
私腹を肥やす為の嗅覚だけは異常に鋭く、怪しい船を見つけてからずっと、獲物から目を離さずに監視を続けていた、そこそこ頭の回る厄介な男だったのだ。
「それに、だ。この艦そのものも怪しい。 私の部下に船体の識別番号を照会させたところ、マーレの海軍所属名簿のどこにも……こんな蒸気船は『登録されていない』との事だ」
ジリッ、と。 周囲のマーレ兵たちが、無言のままヴァルターたちを取り囲むように距離を詰めてきた。
彼らの手は、すでに腰の軍用拳銃のグリップへと添えられている。
レベリオ港の強い日差しの中、彼らの間にだけ、背筋が凍るような絶対零度の冷気が流れ込んでいく。
高級軍人は、一拍の間を置き、勝利を確信したような歪んだ笑みを浮かべて、致命的な核心を突く言葉を口にした。
「……貴様ら、マーレ兵では無いな?」
ピタリと、周囲の音が消え失せた。
正体が、完全に露呈した。 これ以上の弁明は無意味であり、時間を稼げば稼ぐほど、港の警備部隊が増援として押し寄せてくるだけだ。 交渉のテーブルは、完全に叩き割られた。
(……仕方ない。実力行使に移るか)
ヴァルターの青い瞳から、人の良い海軍士官としての光が完全に抜け落ちた。
そこにあるのは、死線を潜り抜けてきた特務兵団の冷徹な暗殺者としての、純度百パーセントの殺意だけ。
背後の護衛たちも、ヴァルターの気配の変化をコンマゼロ秒で察知し、荷物を放り捨てて瞬時に全員の急所を撃ち抜き、制圧するための筋肉の収縮を完了させた。
あと一秒。 いや、半秒後には、このコンクリートの桟橋が血の海に変わる。
ヴァルターが、右手を微かに動かし、決死の強行突破の合図を出そうとした────────その、瞬間だった。
「何の騒ぎだ」
張り詰めた氷のような空気を、上から物理的に叩き割るような、野太く、そして圧倒的な凄みを含んだ男の声が、横から割り込んできたのだ。
「「「ッ!?」」」
ヴァルターたちだけでなく、マーレ兵たちも一斉に声のした方へと顔を向ける。
そこには、黒いロングコートを羽織り、鍔広の帽子を深く被った長身の男が、長い脚をゆっくりと動かしながら、悠然とした足取りでこちらへと歩み寄ってくる姿があった。
その男の顔を視界に入れた瞬間、先程まで傲慢にふんぞり返っていた高級軍人の顔から、スゥッと一瞬にして血の気が引き、土気色の蒼白へと変わった。
「……ち、治安当局……! 何故、軍港のこんな管轄外の所に……!」
高級軍人が、無意識のうちに後退りしながら、小声で忌々しげに、そして明確な恐怖を滲ませてその名を口にした。
治安当局。マーレ内部において、軍とは異なる独自の指揮系統を持ち、思想犯や反逆者を容赦なく摘発し、拷問にかける国家の暗部。
不正に手を染めている軍人にとって、最も関わり合いになりたくない死神のような存在だ。
(……最悪だ。ここまで来て、よりによって治安当局の人間まで現れるとは……!)
ヴァルターは、完全に絶体絶命の窮地に陥ったと悟り、奥歯をギリッと噛み締めた。
マーレの海軍兵数人なら瞬殺できても、この騒ぎの中で治安当局の人間まで巻き込めば、事態はレベリオ収容区全体を巻き込んだ大捕縛劇へと発展してしまう。
「い、いえいえ! 当局様がお気になさるような事は、何一つとしてございません! こ、これはただの、その……些細な確認作業でして! そ、それでは、我々はこの辺りで失礼いたします!」
高級軍人は、先程までの傲慢な態度から打って変わって、まるで尻尾を巻いて逃げる犬のように媚びへつらい、慌てふためきながら取り巻きの兵士たちと共に、そそくさとその場を離れていってしまった。
権力と恐怖に弱い、マーレの腐敗を絵に描いたような滑稽な逃走劇だった。
だが、ヴァルターの緊張は解けない。 問題が解決した訳ではないのだ。小悪党が消えた代わりに、次はマーレの暗部である『治安当局』の人間という、最も厄介な相手の目を欺かなければならないのだから。
ヴァルターが、どうやってこの場を血を流さずに切り抜けるか、脳内で猛烈な速度でいくつもの言い訳と思考を巡らせていると──────
「ったく、冷や汗かかせやがってよォ……」
突如として。 先程まで、重々しく厳格な治安当局の死神のような雰囲気を漂わせていた長身の男が、鍔広の帽子をクイッと上に押し上げ、一気に荒々しく、どこか聞き覚えのあるチンピラのような口調で愚痴り始めたのだ。
「あの腐れ外道が、テメェらの船を遠くからじっと見て怪しい動きしてやがったから、念の為につけてきたらこれだぜ。
……世話焼かせんじゃねぇよ、エリートのお坊ちゃん達よォ?」
帽子の中央から覗いた、鋭い三白眼。 そして、その独特の飄々とした、しかし底知れぬ暴力性を孕んだ声のトーン。
「貴方でしたか……」
ヴァルターは、その男の正体を完璧に理解し、先程まで張り詰めていた全身の筋肉の緊張をスッと解き、深い、心からの安堵の息を吐き出して胸を撫で下ろした。
「名は口にしないでおきましょう。……ここはまだ、敵地のど真ん中ですから」
ヴァルターは、目の前の男に対して、ある種の畏敬と深い敬意を滲ませながら、小さく首を垂れた。
(……ケニー・アッカーマン。 特務兵団の影の切り札として、カルヴィ元帥の懐に入り込み、マーレで長らく潜伏し暗躍しているとエルヴィン総司令から聞き及んではいたが……まさか、治安当局の制服まで手に入れ、これほど完璧にこの国の中枢に溶け込んでいるとは……!)
彼が間一髪のタイミングで割って入ってくれなければ、今頃この桟橋は死体の山となり、作戦は最悪の結末を迎えていただろう。
伝説の暗殺者の、裏社会で培われた圧倒的なまでのカバーリング能力と機転。
ケニーは、懐から高級葉巻を取り出して口に咥えると、マッチで火を点け、紫煙を細く吐き出しながらヴァルターたちを一瞥した。
「……まぁ、あの豚共に囲まれても一切取り乱さず、一瞬で殺す算段を立ててた度胸は褒めてやるよ。良く指導が行き届いてるじゃねぇか。 ……ほれ。怪しまれねぇうちに、さっさとずらかれ」
ケニーは、彼にしては珍しく、エルヴィンが鍛え上げた特務兵団の練度に対する素直な賞賛の言葉を送り、そのまま背を向けて、再び治安当局の冷徹な歩みへと戻り、軍港の喧騒の中へと姿を消していった。
「……感謝します」
ヴァルターは、消えゆく頼もしい影に向けて心の中で深い感謝の言葉を送り、背後のレオンと護衛たちに向けて力強く頷いた。
「乗船しろ。出航するぞ」
一行は、迅速に、しかし決して焦る様子を見せずにタラップを上り、偽装蒸気船の甲板へと足を踏み入れた。
──────ブォォォォォォン……ッ!!!
やがて、船の巨大なボイラーが火を吹き、重厚なエンジン音がレベリオ港に響き渡る。
白い蒸気を天高く吐き出しながら、船はゆっくりとコンクリートの岸壁を離れ、太陽の光が反射する青い海原へと舳先を向けた。
イレギュラーな致命的危機はあったものの、彼らを導く幾つもの手札と連携によって何とか窮地を脱した特務兵団の一行は。
マーレの暗部で命を懸けてきたエルディア復権派の英雄という、これ以上ない極上の『積荷』を乗せ、新エルディア帝国という真の自由と希望が待つ島へ向けて、無事にレベリオ港を後にするのだった。