進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
848年7月下旬
海を隔てた超大国、マーレのレベリオ収容区に隣接する特権階級の居住区は、うだるような真夏の熱気に包まれていた。
広大なタイバー家本邸。 手入れの行き届いた緑豊かな庭園では、夜の闇に紛れて秋の気配を先取りするような虫の音が微かに響き、むせ返るような昼間の熱気を少しだけ和らげている。
その庭園の最も奥まった一角。 何重もの防音材と厚い石壁に守られ、外部の耳目を完全に遮断した当主専用の書斎にて、今宵もまた、世界の運命を裏から操る三人の男たちが一堂に会していた。
マーレの真の支配者たる、ヴィリー・タイバー。 マーレ軍の最高司令官にしてエルディア復権派の生き残り、カルヴィ元帥。
そして、新エルディア帝国の特務兵団が誇る最強の暗殺者、ケニー・アッカーマン。
彼らがこの密室で顔を合わせるのも、もはや何度目になるだろうか。
最初は互いの腹を探り合う関係だったが、幾つもの極秘任務と修羅場を裏で共有してきた今、彼らの間には、ある種の奇妙な『戦友』としての連帯感すら芽生え始めていた。
書斎の中央に鎮座する、艶やかに磨き上げられたアンティーク調の高級なテーブル。
その上には、マーレの軍事会議で広げられるような物々しい地図や書類の束はない。
代わりに、年式も定かではないほど古く、しかし確かな品格を漂わせる重厚なガラスの酒瓶が一本、堂々と鎮座していた。
そして、三人の男たちの前には、それぞれその瓶から注がれた琥珀色の液体で満たされたショットグラスが用意されている。
「はっ。……このイカれたメンツで、のんびり酒を酌み交わす日が来るとはなァ」
ケニーが、鍔広の帽子を少し上に押し上げ、年代を感じさせるテキーラの酒瓶をまじまじと見つめながら、どこか卑しい、裏社会のゴロツキ特有の笑みを浮かべてヴィリーに問うた。
「マーレ産のテキーラか。見るからに高ぇ酒だなァ? ……おいヴィリー、こんな代物いくらではたき落としやがった?」
「ははっ。大した事はないさ」
ケニーのその下世話な質問に対し、ヴィリーは仕立ての良いジャケットの袖を軽くまくりながら、本当に、心の底から何てことはないというような明るい声で、とんでもない事を口走った。
「少しばかり……そうだな、大きめの家が一軒建つぐらいだよ」
「…………は?」
ケニーの顔から、一瞬にして卑しい笑みが消え失せた。
『大きめの家が一軒買える』のではない。
土地を買い、基礎を打ち、職人を雇って立派な邸宅を『建てる』のと同じ金額だと、この男は涼しい顔で言ってのけたのだ。
たった一本の、アルコールの入ったガラス瓶に対して。
「……おいカルヴィ」
ケニーは、額にピキッと青筋を浮かべ、グラスを持ったまま割とマジな声音と引き攣った表情で、隣に座るカルヴィ元帥へと顔を向けた。
「こいつの金銭感覚を狂わせたバカもんは何処だ。今からそいつのドタマぶち抜いてきてやる……」
「落ち着け、ケニー」
殺気を滲ませる暗殺者に対し、カルヴィ元帥は相変わらずの感情の読めない無表情のまま、静かに宥めるように言った。
「ヴィリー様なりの、ささやかなジョークだ。彼の金銭感覚に狂いはない」
「……あぁ? 冗談か。脅かしやがって……」
ケニーが毒気を抜かれたように息を吐き出そうとした、その時。
「悪いね、ケニー」
ヴィリーが、一片の悪びれる様子もなく、どこまでも上品な貴族の微笑みを顔面に貼り付けて、優雅に謝罪を口にした。
「客人に極上の酒を振る舞う時は、いつもこうして、相手がどういう反応を示すか試したくなってしまう性質でね」
「ったく。俺をお前の身内ノリのダシすんじゃねぇよ、悪趣味な貴族サマが」
ケニーは忌々しげに舌打ちをし、グラスの琥珀色の液体を揺らした。
「まぁ、いくら何でも、少なくとも家が建つようなアホみてぇな値段の酒ではねぇって事か──────」
「いや、家は建つ」
「建つのかよッッッ!!!」
静寂の書斎に、ケニーのけたたましいツッコミが響き渡った。
ヴィリーは腹を抱えて可笑しそうに笑い、カルヴィも僅かに口角を上げて肩を揺らしている。
そんな、一国の最高権力者たちとは思えない和気藹々としたやり取りを済ませた後。
三人は、それぞれの覚悟と、来たるべき世界の変革に思いを馳せるように、ショットグラスをテーブルの中央で高く掲げた。
「「「──────」」」
言葉は無い。ただ、グラスを打ち合わせる微かな音が響いた後、三人は一気にその琥珀色の液体を喉の奥へと流し込んだ。
強烈なアルコールの熱が喉を焼き、胃の腑へと落ちていく。
それは、彼らがこれから歩む血生臭い修羅の道の熱そのものでもあった。
「……ぷはぁっ……!……んで?」
上質なアルコールが程よく血を巡り、身体の芯が温まり始めた頃合いを見計らって。
ケニーがグラスをドンとテーブルに置き、鋭い三白眼を二人に向けて本題を切り出した。
「今日、わざわざこんな高ぇ酒用意して集まったってことは、また例の『近況報告』とやらをするんだろ?」
「ああ、相違ない」
ヴィリーは、酔い覚ましのために用意されていたチェイサーの水を一口含み、先程までの柔和な貴族の顔から、冷徹な大局の支配者としての顔つきへと切り替わった。
「カルヴィ。……マーレ植民地領のレジスタンスへの根回しは、順調か?」
ヴィリーの問いに、カルヴィ元帥は姿勢を正し、軍の最高司令官としての威厳を持って報告を開始した。
「はい。極めて順調です。 ……密偵を通じて、マーレの広大な植民地に点在する各革命軍や反政府組織との連絡網を、水面下でほぼ構築し終えつつあります」
カルヴィの口から淡々と語られるのは、マーレという大陸帝国を内側から食い破り、解体するための緻密な謀略の進行状況だった。
「来るべき日に向けた、独立区画の制定。各派閥間の意見調整や、独立後の代表選出。そして何より、彼らを一つにまとめるための『旧植民地連合国化計画』。
……長年マーレに虐げられてきた者たちだけに、一部で過激な反発や権力争いの混乱はあるものの、我々が裏から資金と武器を流していることもあり、概ねの組織がこの壮大な計画に賛同していると考えて良いでしょう」
「ほう……もうそこまで進んでいたか」
ヴィリーは、その予想を上回る進行速度に、少しばかり驚きの色を浮かべた。
植民地の反乱軍を一つにまとめるなど、通常であれば何年もの月日と血を要する大事業である。
そんなヴィリーの驚愕の表情を見て、ケニーがグラスを弄りながら誇らしげに鼻を鳴らして補足した。
「当然だろ。俺が手塩にかけて鍛え上げた元・対人制圧部隊の部下たちを、こっちに引っ張ってきて、片っ端から護衛や交渉の『物理的な説得役』として貸してやってんだからな。
あいつらの手際なら、これぐらいの期間で裏社会をまとめ上げるなんざ、出来て当然だ」
「ああ。実際、彼らの働きには大いに助けられている」
カルヴィも、ケニーの部下たちの優秀さを素直に認めた。
「先日、私の腹心であったレオンをパラディ島へ明け渡してしまったからな。その情報網の穴の埋め合わせにと頼んだのだが、彼らは私の期待以上の働きを見せてくれた。
……あまりに優秀だったため、思わず何人かスカウトを試みたのだが、『俺たちの主はケニー隊長だけだ』と、見事に振られてしまった」
カルヴィは、ふっ、と一瞬だけ顔を綻ばせ、どこか嬉しそうにそう零した。
「おいてめぇ。……何勝手に、俺の可愛い部下を引き抜こうとしてやがる」
ケニーは、額に青筋を浮かべて凄みを利かせた。
だが、その声の裏には、自身の育てた部下たちが敵国の最高司令官にまで高く評価され、そして何より自分への忠誠を貫いてくれたことへの、隠しきれない照れくささと喜びが滲み出ていた。
それから、美味い酒の力も手伝って、話はまた少しばかり昔の地下街の武勇伝や他愛の無い内容へと脱線しかけた。
だが、ヴィリーが手を軽く二回叩き、再び部屋の空気を本筋へと引き戻す。
「ケニー殿。レオンの事だが……彼はパラディ島で、役に立っているだろうか」
エルディア復権派のリーダーとして、長年マーレの暗部で命を懸けて活動してきた男。
彼を無事に新エルディア帝国へと送り届けたことが、どれほどの果実を生み出しているのか。
その問いに対し、ケニーはチッ、と深く舌打ちをし、自身の頭をガシガシと乱雑に掻き毟りながら、忌々しげにカルヴィを睨みつけた。
「あぁ? あー……。役に立っているなんてもんじゃねぇよ。 ……マーレ大陸の詳細な地形図から始まり、軍用施設の正確な配置、武器弾薬の補給網ルート。 各地に潜伏している復権派の構成員リストやら、賄賂で動く要注意将校の弱み。 果ては、マーレが敵対している中東連合や諸外国の内部事情に至るまで……」
ケニーは、思い出すだけでもゾッとするような情報の質量に、顔をしかめた。
「カルヴィ。てめぇ、優秀な部下が欲しいだのなんだの言う割には、とんでもねぇ化け物みたいな奴を懐に抱えてやがったじゃねぇか。 あいつ一人の頭の中に入ってる情報だけで、マーレ軍の作戦参謀部が丸ごと何個もパラディ島に寝返ったようなもんだぞ」
「……情報というものは、あってもそれを行使できる『実力』が伴って動けなければ、意味を成さない」
カルヴィは、一切の驕りを見せることなく、淡々と事実を返した。
「マーレの中枢にいた私とレオンの二人だけでは、その膨大な情報を知っていても、国家を引っくり返すだけの武力を持っていなかった。我々には、ただの宝の持ち腐れだったという訳だ。
……是非、その情報網を、今後のパラディ島の戦略に有効活用してくれたまえ」
カルヴィはグラスを置き、その氷のように冷たい瞳に、明確な焦燥の影を落として言葉を続けた。
「それよりも、だ。……時間が無い。 中東連合をはじめとする諸外国が、パラディ港に向かわせて帰還しなかった偵察船の件から、マーレの『巨人戦力の完全喪失』という致命的弱点について、確信を持ちつつある」
その言葉に、書斎の空気が一気に張り詰めた。 グラスを傾けていたケニーの手が止まり、ヴィリーも目を細めて息を殺す。
「各国の軍事動員が水面下で加速している。……マーレ本土への一斉侵攻が始まるまでのタイムリミットは、もはや一年も無いと思った方がいい」
かつてカルヴィが会議で突きつけた「一年半から二年」という期限。
それが、敵国の諜報能力の高さによって、さらに前倒しになろうとしているのだ。
「……おいおい。マジかよ」
ケニーは、珍しく本気の焦りと心配の声を漏らした。
「……本当に、このままマーレの解体なんか進めちまって大丈夫なのかァ? 軍部を腐敗させ、反乱を煽って弱体化させた今の状態のマーレなんか、中東連合からすりゃ、手足をもがれた格好の獲物にしか見えねぇだろ。 下手をすりゃ、計画を遂行する前に、外からの武力で一網打尽にされて本土が火の海になるんじゃねぇのか?」
ケニーの危惧はもっともだった。
内部崩壊を待つ前に、外の獣たちに国ごと食い殺されてしまえば、タイバー家の存続もエルディア人の解放もすべて水泡に帰す。
だが。 カルヴィは、そのケニーの不安を冷徹な表情で真っ向から受け止め、微塵の揺らぎも見せずに、彼らが描いている『マーレ解体計画の全貌』を静かに語り出した。
「そこで……新エルディア帝国の出番だ」
「あ?」
「中東連合や諸外国が徒党を組み、マーレに対する圧倒的な戦力を整え、いよいよ国境沿いで一触即発の開戦状態にまで緊張が高まった、まさにその絶好のタイミングでだ。
……我々マーレ軍は、全世界に向けて、パラディ島勢力に対する『無条件降伏』を大々的に宣言する」
「なっ……」 ケニーが息を呑む。
「その混乱の隙を突き、事前に示し合わせていた通り、私を除くマーレの無能な軍上層部については、潜伏しているお前たち特務兵団の工作員の手引きによって、すべて一斉に捕縛・無力化させる。
これにより、一時的にマーレ国家と軍の全権を、この私が完全に掌握するのだ」
「ほう……。それで?」
ケニーが、そのあまりにも大胆で鮮やかな手口に戦慄を覚えながら、鋭い目を光らせて続きを促した。
「私が全権を握った直後、事前に根回しを終えていた『マーレ植民地領』で、一斉蜂起を行わせる」
カルヴィは、テーブル上の見えない地図を指差すようにして、淡々と壮大な地政学的シフトを口にした。
「そして、独立を宣言した植民地領の代表たちと、降伏したマーレ政府との間で、表向きの『講和会議』を、圧倒的な武力を持つ新エルディア帝国の仲介の下で開くのだ。
……その講和条件において、エルディア人が集中するレベリオ収容区周辺の広大な領土を、正式に新エルディア帝国の『保護領』として割譲し、タイバー家をその委任統治領の代表として独立させる」
カルヴィの言葉が、書斎の空間に重く、そして決定的な未来のビジョンとして響き渡る。
「これで、諸外国との防波堤として生まれ変わった巨大な『旧植民地連合国』。 戦力を失い降伏した『マーレ本土』。
そして、世界中の迫害されたエルディア人を集め、タイバー家が統治する『直轄領』。
……これらすべてが、殆ど血を流すことなく、平和的な条約という形で、強大な武力を誇る新エルディア帝国の『傘下』に組み入れられる事になる」
カルヴィが語り終えた後。 密室の書斎には、ただただ圧倒的な沈黙が降りていた。
ケニーは、口に咥えかけていた葉巻を灰皿に落とし、両手で顔を覆って、その悪魔的で、しかし完璧すぎる政治的盤面を脳内で猛烈な速度で反芻していた。
やがて、彼の鋭い洞察力が、その計画の持つ「真の恐ろしさ」をすらすらとうわ言のように口から紡ぎ出した。
「……ははっ……末恐ろしいなァ……なるほどな……マーレがパラディ島勢力に突如として無条件降伏し、あまつさえ事実上無抵抗で、一瞬にして分割統治されたとなりゃ……」
ケニーの三白眼が見開かれる。
「背後にいる俺たち新エルディア帝国の、見えない『強大すぎる工作力と武力』の底知れなさに慄き……開戦の準備を整えていた中東連合も、恐れをなして手出し出来なくなるって算段か……。
その上、自分たちが攻め入る前に、標的であったマーレという国家の枠組みそのものが内部崩壊して消滅したとなりゃ……奴らにとっての『マーレの脅威を事前に排除する』という、戦争を起こすための大義名分すらも完全に喪われる」
軍事力による真っ向勝負ではなく、政治と外交の枠組みを根底から書き換えることで、世界規模の戦争そのものを「発生させる前に無効化する」という、究極の盤面操作。
「……こんな、一寸の隙もねぇ、世界を盤上に見立てたイカれた計画を考えられるのは──────」
ケニーが、その恐るべき指揮官の顔を脳裏に浮かべて言葉を失いかけた時。
「────君たちのボス、エルヴィン・スミス総司令だ」
ヴィリー・タイバーが、どこかその端正な顔に深い畏敬の念と、底知れぬ恐怖を浮かべながら、それでもつくづくホッとした様子で、その名を口にした。
「……彼から密使を通じてこの計画の全貌を聞かされた時、私は三日三晩、恐ろしさのあまり眠れなかったよ。
今一度、パラディ島勢力……新エルディア帝国を、真正面から敵に回さなくて良かったと、心の底から思うよケニー殿」
ヴィリーのその言葉は、世界を裏から操ってきた一族の当主としての、完全なる敗北宣言であり、同時に最高の賛辞でもあった。
「……ッ、ぶははははは!!!」
その重苦しい沈黙を打ち破り、ケニーが腹の底から湧き上がる衝動に耐えきれず、狂ったように爆笑し始めた。
「一夜にして、血を流さずに世界を飲み込む『新エルディア共栄圏』の爆誕ってか!? 傑作だぜ! 事情を知らねぇ諸外国の連中からすりゃ、まさに突然世界が引っくり返るような、悪夢みてぇな話だなァ!」
ケニーの豪快な笑い声に当てられ、カルヴィ元帥もまた、肩の重荷が少しだけ下りたような、柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ。もし私が、中東連合や諸外国の軍のトップの立場なら……事態が理解できずに発狂するか、すぐに辞任して田舎で隠居を選ぶだろうな」
カルヴィは、その最高の皮肉と冗談と共に、再びなみなみとテキーラが注がれたショットグラスを手に取り、大きく呷った。
喉を焼く熱さが、今度は心地よい勝利の美酒のように感じられる。
「いい呑みっぷりじゃねぇか! 耄碌してねぇな、元帥サマ! 俺も負けてられねぇなァ!」
ケニーが自身のグラスを掲げ、豪快に飲み干す。
「私も混ぜて貰おうかな。……来たるべき、我々の平和な未来のために」
ヴィリーもまた、満面の笑みでグラスを合わせ、テキーラの熱に身を委ねた。
こうして。 国家の表の顔、裏の支配者、そして暗部を統べる暗殺者。
決して交わることのなかった三つの影は、エルヴィン・スミスという稀代の軍師が描いた世界改変のシナリオを酒の肴にしながら。
彼らの国が、そして世界が新たな夜明けを迎えるその日まで、ただひたすらに、熱く、語り合いながら飲み明かすのだった。