進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
848年9月10日
世界を百年以上もの間、分厚い恐怖のベールで覆い隠してきた仮初の平穏は。
まるで張り詰めた薄氷が巨大なハンマーで叩き割られるかのように、たった一夜にして粉々に粉砕された。
海を隔てた超大国、マーレ。 その周辺に位置する『中東連合』や諸外国の各都市で、朝一番に刷り上がったばかりの真新しい新聞のインクの匂いが、街の空気を瞬く間に異様な熱気と狂騒へと変えていった。
各紙の第一面を黒々と、そして暴力的なまでの大きさで飾ったのは、世界中の人々の常識と絶望の根底を根こそぎ引っくり返す、決定的な見出しであった。
『マーレ国、巨人戦力完全喪失か』
それは単なる三流紙の飛ばし記事や、根も葉もない噂話ではなかった。
記事の本文には、マーレがその武力を喪失したとするに至った経緯と、それを確信させるに足る緻密な状況証拠の数々が、冷酷なまでに詳細に掲載されていた。
数年前に大々的に発表された、パラディ島への『始祖奪還作戦』。
それに赴いたマーレが誇る四人の戦士──すなわち四体の知性巨人が、誰一人として未だ帰還していないという事実。
さらに、功を焦ったマーレ軍上層部が、国家の最高戦力である『獣の巨人』と『車力の巨人』を追加で島へ送り込み、結果的にその二体までもが完全に消息を絶ち、喪失したこと。
マーレのパラディ島における橋頭堡であったはずのパラディ港が、完全に沈黙し、派遣した工作船が次々と行方不明になっていること。
表向きは『極秘作戦行動中』として強弁しているマーレだが、ここ最近、中東連合や諸外国国境に対するマーレ軍の威圧的な軍事的挑発行為が、ピタリと鳴りを潜めているという事実。
これらのピースが完璧に組み合わさった時、導き出される答えは一つしかなかった。
マーレ政府は、即座に報道機関に対して圧力をかけ、「作戦は現在も継続中であり、我が国の巨人戦力は健在である」と必死のアピールと火消しに回った。
だが、その対応の遅さと、かつての強硬な軍事独裁国家らしからぬ弱腰な態度は、かえって国内外の不信感を煽る結果となった。
「ならば、その健在であるという巨人を我々の前で見せてみろ」「世界に対して説明責任を果たすべきだ」と、諸外国からの批判と追及の嵐が、マーレの首元へと容赦なく吹き荒れたのだ。
そして。 マーレ政府がその対応に追われ、泥沼の火消しに奔走している間に。
積年の恨みを持つ中東連合や諸外国は、水面下で着々と国内の反マーレ感情を極限まで煽り立てていた。
マーレに攻め入る為の強固な大義名分を掲げ、諸外国との太いパイプを繋ぎ合わせ、対マーレ包囲網の形成、大規模な兵の動員、そしてマーレ本土を火の海に変えるための具体的な作戦立案等を、狂気的なまでの熱狂と共に着々と進めていたのである。
それから約一ヶ月が経過した、848年10月中旬
マーレ大陸から海を隔てた南方に位置する、見渡す限りの広大な砂漠と、地下に眠る豊富な化石燃料資源を有する国家群の同盟──『中東連合』。 その軍事と政治の心臓部たる、重厚な石造りの参謀本部にて。
過剰なまでに冷房が効かされた巨大な円形議場の中には、中東連合加盟国の軍部トップや政治代表たちと、それに賛同する周辺諸国の代表らが、肩が触れ合うほどの密度で一堂に会していた。
水煙草の甘ったるい煙と、香辛料、そして男たちの汗と興奮が入り混じった独特の熱気が、広大な空間をジットリと支配している。
そして、そのむせ返るような熱気の渦中において。
一段高い来賓席に、オブザーバー的立ち位置として静かに腰を下ろしている一人の女性の姿があった。
極東の島国、ヒィズル国からの特命使者であり、名家アズマビト家の当主でもある女性──キヨミ・アズマビトである。
漆黒の髪を品良くまとめ、異国の伝統的な絹の着物を思わせる豪奢で洗練されたドレスに身を包む彼女は、周囲の男たちの狂騒とは完全に一線を画す、冷ややかで透き通るような静謐さを保っていた。
「本日は、我々中東連合と志を同じくする諸外国の皆様におかれましても、遠方よりご臨席を賜り、誠にありがとうございます」
議場の中央、壇上に立つ中東連合の軍総司令が、マイクを握りしめ、恭しく、しかし腹の底から湧き上がるような野心を隠しきれない声で礼をした。
「皆様、遂に時が来ました。マーレ国の、巨人戦力完全喪失! ……これは、これまで百年の長きにわたり我々を理不尽に苦しめ、資源を奪い、尊厳を踏みにじってきたあの憎きマーレを打ち倒す、歴史上またと無い最大のチャンスです!」
マイクを通した総司令の激昂が、議場の空気をビリビリと震わせる。 集まった代表たちは、獲物を前にした獣のように目をギラギラと輝かせ、一言一句に深く頷き、あるいは拳を握りしめていた。
「しかし! いくら彼らが絶対的な巨人戦力を失ったとはいえ、奴らは長年この大陸を束ね、膨大な植民地を抱える超大国であることに変わりはありません。
我々中東連合だけの力では、あの巨大な帝国を完全に打ち倒し、解体することは難しいでしょう。
……故に! 皆様の、諸外国の強固な連携とご協力があって、初めてこの聖戦は成り立つのです!」
力強く、聴衆の魂を直接鼓舞するように、総司令は両手を天高く掲げた。
「今まさに、我々は一丸となり! あの悪の帝国マーレを打倒するのです! 我々の手に、我々の誇りを! 我々の子供達の明日に! 未来に! 真の自由を掴み取りましょう!!」
「「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」」 「マーレに死を!!」 「我々に真の自由を!!」
総司令の演説が終わると同時。 議場内に座っていた数百人の代表や将校たちが、弾かれたように一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手と、地鳴りのような歓声を上げた。
彼らの瞳には、積年の恨みを晴らし、新たな世界の覇権を握るという、狂気に近い熱病のような光が宿っていた。
だが。 そんな、部屋の温度が沸点に達したかのような熱狂の渦の中で。
ただ一人、来賓席に座るキヨミ・アズマビトだけは、手元の扇子をゆっくりと動かしながら、氷のように冷めた瞳で、立ち上がって狂喜乱舞する男たちの背中を見下ろしていた。
(……呆れた。茶番劇もいいところですね)
キヨミは、端正な顔立ちに微かな嘲笑を浮かべ、内心で冷ややかに毒づいた。
(彼等は、何も分かっていない。……マーレの弱体化が、天から降って湧いた偶然の幸運だとでも思っているのでしょう。
……違う。マーレは、すでに内側から『何か壮大な計画』によって意図的に解体されようとしている。何故それに気づけないのですか)
キヨミが、この中東連合の参謀本部という極秘の会議に、ヒィズル国の外交官としてオブザーバーという特等席で招待されたのには、明確な理由があった。
彼女はつい数ヶ月前、マーレの巨人戦力喪失の噂が世界に広まるよりも一足早く。
莫大な量の兵器、弾薬、そして軍需物資の数々を、中東連合に対して『破格の条件』で売却・提供するという大規模な裏取引を自ら申し出ていたのだ。
その圧倒的な物量支援によって、中東連合は開戦に向けた軍備を一気に整えることができた。
結果としてアズマビト家は、ヒィズル国の国家予算すら潤すほどの天文学的な資金を得たと同時に、今後の戦後を見据えた資源購入や鉱物取引における、極めて優位で低価格な独占的取引の約束をも取り付けていた。
ヒィズル国自体は遠く離れた島国であり、戦争への直接的な武力介入はしない。
しかし、最大のパトロンにして『恩人』となった彼女を、中東連合がこの場に招待しないわけにはいかなかったのである。
だが、キヨミ自身が持つその莫大な余剰兵器の出処。 そして、彼女に中東連合への接近を促した『とある人物からの助言』を思い返すと、キヨミの背筋には、冷房の冷気とは全く異なる、底知れぬ悪寒が這い上がってくるのを感じずにはいられなかった。
(……ヴィリー・タイバー様。……貴方には、一体この世界の未来に、どんな景色が見えているというのですか……?)
キヨミは、扇子で口元を覆い隠しながら、ほんの数ヶ月前、あの夏のうだるような熱気の中で行われた、一人の恐るべき男との密会へと、思考の海を沈めていった。
─────────時は遡り、848年7月下旬。
マーレ国レベリオ収容区からほど近くに広がる、タイバー家本邸。
世界中から忌み嫌われるエルディア人でありながら、かつての巨人大戦を終結に導いた『救世の末裔』として、マーレにおける実質的な特権階級の頂点に君臨する一族の居城。
色鮮やかな薔薇が咲き誇る美しい庭園の奥深く。 外界の喧騒を完全に遮断する防音設備が施された、豪奢な来賓室にて。
キヨミ・アズマビトは、淹れたての最高級の紅茶が放つ芳醇な香りを鼻腔に感じながら、重厚なアンティークテーブルを挟んで、一人の男と相対して座っていた。
「……突然の呼び立て、誠に申し訳ない。どうしても、他国に漏れる前に、貴女と少しだけお話ししたい事がありましてね」
仕立ての良いスーツを身に纏い、プラチナブロンドの髪を美しく撫で付けた男──タイバー家現当主、ヴィリー・タイバー。
その端正すぎる顔立ちに、当主としての気品と、どこか底知れぬ余裕を含んだ微笑みを浮かべながら、彼は静かにそう切り出した。
「いえいえ。救世の末裔殿に、この異国のしがない商人を直接お呼び立て頂けるとは。
……我がアズマビト家にとって、これ以上の名誉はございません。恐悦至極に存じます」
キヨミもまた、外交官としての長年の経験で磨き上げられた、完璧な気品と柔らかな微笑みを顔面に貼り付けながら、恭しく一礼を返した。
水面下での探り合い。お互いに、相手がただの挨拶のためにこの極秘の場を設けたなどとは微塵も思っていない。
「そう言っていただけると助かります。……早速ではありますが、本題に移らせて貰いましょう」
ヴィリーの言葉のトーンが、ほんの僅かに下がり、空気が一段と張り詰める。 キヨミは、扇子を膝の上に置き、スッと姿勢を正した。
「今日、極秘裏にキヨミ殿をお呼び立てしたのは他でもありません。……貴女に、いや、アズマビト家に、とびきりの『儲け話』をひとつ、提案させていただきたいと思った次第です」
ヴィリーは、少し前のめりになり、口元に微かな笑みを残したまま人差し指をスッと立てた。
「近々……中東連合は、我がマーレに向けて、大々的な包囲網を敷き、大きく戦争へと動き出すことになります。
……マーレの『巨人戦力喪失』に対して、彼らが絶対の確信を持って」
「──────ッ」
キヨミは、商人の鉄仮面を剥がされ、大きく目を見開いて息を呑んだ。
彼女も、ヒィズル国の情報網を通じて、遠い海の向こうの国境沿いで囁かれている不穏な噂として、その話を耳にしたことはあった。
マーレの主力戦士が帰還していないという噂を。
「……キヨミ殿も、噂程度には聞いた事があるのでは?」
ヴィリーが、試すように灰色の瞳を細める。
「……えぇ。ですが、あくまで敵国の流言飛語、眉唾物だと考えておりました。
もしそれが事実だとすれば、この世界を支配するマーレという巨大な屋台骨が、瞬く間に瓦解する訳ですから。
…………っ! も、申し訳ございません。
マーレの真の支配者であられるヴィリー様の前で、このような無礼な憶測を……!」
キヨミはハッとして言葉を切り、手で口元を覆いながら、深く首を垂れて謝罪した。
国の最高権力者の前で、その国の滅亡を口にするなど、外交問題どころかその場で首を刎ねられても文句は言えない失言だ。
だが、ヴィリーは全く気を悪くした様子もなく、むしろ可笑しそうにクスリと笑った。
「どうかお気になさらず、キヨミ殿。
……貴女のその推測は、極めて正しい。 なぜなら、マーレの巨人戦力完全喪失に関しては、噂などではなく『紛れもない事実』ですからね」
「…………え?」
キヨミは、己の聴覚を疑った。 何て事ないように、まるで「明日の午後は雨が降るそうですよ」とでも言うような、極めて自然で穏やかな口調で。
目の前の男は、自国の防衛基盤が完全に崩壊しているという、国家最高の機密事項を、他国の外交官に平然と肯定してみせたのだ。
キヨミは、告げられた内容のあまりの異常性に、完全に狼狽えた。
「なっ!? ご……ご冗談が過ぎますわヴィリー様……! それが事実ならば、貴方は一体何を──────」
「冗談などではありません。歴とした、揺るぎない事実です。キヨミ殿」
ヴィリーは、動揺するキヨミを他所に、落ち着き払った優雅な動作でティーカップを手に取り、香り高い紅茶を一口含んだ。
「……何故、そのような致命的な国家機密を、ヒィズル国の私に……? 私に、何をさせるおつもりですか」
キヨミの背筋に、嫌な冷や汗が流れた。 これほどの秘密を共有された以上、ただでは済まない。
もしここでマーレの防衛戦に資金や物資を協力せよと脅迫されるのであれば、アズマビト家の存亡に関わる。
「……マーレに協力して戦えと仰るのであれば。大変失礼ですが、私はここで席を立たせて頂きます」
キヨミが、覚悟を決めて腰を上げようとした、その刹那だった。
「中東連合に、我がマーレの『軍需物資』を販売されてはいかがでしょう」
「…………はい?」
キヨミの動きが、空中でピタリと停止した。 彼女の細い目が、狐のように鋭く光る。
腰に入れた力をゆっくりと緩め、彼女は再び、深く椅子へと座り直し、もう一度話を聞く姿勢に戻った。
ヴィリーは、キヨミのその商人の本能が刺激された様子を視界に捉えながら、表情を一切変えることなく、恐るべき提案の続きを口にした。
「いやはや、お恥ずかしい事に……現在マーレ軍の内部では、数十年分の旧式の兵器類や大量の弾薬の在庫が、管理しきれないほど余りに余っていまして。
そこで、世界に太いパイプを持つキヨミ殿を通して、それらの軍需物資を中東連合へと秘密裏に『売り払って』欲しいのですよ」
ヴィリーは、カップをソーサーに戻し、微笑んだ。
「輸送網と輸送費だけそちらで手配して頂ければ、兵器の売却で得た莫大な利益は、すべてアズマビト家で受け取って頂いて構いません」
破格。 あまりにも、常軌を逸した破格すぎる提案だった。 自国の首を絞めるであろう敵国(中東連合)に対して、自国の武器庫を開け放ち、弾薬を供給する。
その上、本来なら国家が得るべき売却益を、すべて仲介役の他国の商人にくれてやるというのだ。
「……お待ちください。何故、敵に塩を送る様な真似を……」
キヨミは、あまりの怪しさに扇子を強く握りしめ、ヴィリーを睨み据えた。
「軍事国家であるマーレにおいて、いくらタイバー家の当主とはいえ、そのような大規模な横流しをすれば軍部が黙っていないはず。何より、軍部がその様な国家反逆行為に──────」
「もちろん、軍部承認の下に行われる計画です」
ヴィリーが、サラリと遮る。
「正確には、軍の統括たる『カルヴィ元帥の承諾の下』と言った方が正しいでしょうか」
「…………はい?」
キヨミは、増々理解できないといった表情で、再び間の抜けた声で聞き返した。
軍の最高司令官たるカルヴィ元帥が、自国の兵器を敵国に売り払うことを承諾している?
それは言わば、国家ぐるみでの完全な『武装解除』、あるいは『計画的自沈』に近い行為ではないか。
「一体……何を考えておられるのですか。貴方達は、自ら国を滅ぼすおつもりですか?」
キヨミの問いに、ヴィリーはゆっくりと首を横に振った。
「これ以上は、話せません。
……このあまりにも旨すぎる提案に乗るか、乗らないか。今、ここで決めて頂きたい」
沈黙が、来賓室に重くのしかかった。
キヨミの脳内で、凄まじい速度の損得勘定と、地政学的リスクの計算が弾き出されていく。
(……これは、明らかな罠。いや、罠というより、何か途方もない巨大な陰謀の一部に、アズマビト家という駒を組み込もうとしている……)
だが。 もしこの提案に乗れば、アズマビト家は一瞬にして他国が束になっても敵わないほどの莫大な利益を得る。
斜陽にあったヒィズル国内での権力と地位を、盤石なものにまで高める事が出来る。
さらには、マーレを倒そうとしている中東連合との間に、この上なく深い繋がりと信頼を得られる上に、将来的な鉱物資源等の優遇措置も必ず取り付けられる。
商人として、一族の長として。
(……正直、喉から手が出る程欲しい……!)
キヨミは、テーブルの下で膝の上に置いた手を血が滲むほど強く握り締め、奥歯をギリッと噛み締めた。
人目もはばからず、その顔を苦渋に満ちた欲望と恐怖の色に染め上げる。
数分にも及ぶ沈黙の後。 キヨミは、深く、重い溜息を吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。
「…………乗りましょう。そのお話、我がアズマビト家が謹んでお受け致します」
ヴィリーの瞳に、微かな満足の光が宿った。
「……しかし。本当によろしいのでしょうか」
商談を成立させた直後、キヨミは、外交官としてでも商人としてでもなく。
ただの一人の人間として、目の前で自国を解体しようとしている不思議な男に向けて、心からの心配の声を掛けた。
「ヴィリー様が話されている事が事実なのであれば……巨人戦力を失い、武器まで手放すマーレは、間違いなく中東連合の総攻撃によって火の海となります。
かなりの窮地、いえ、滅亡は避けられない筈です」
そのキヨミの純粋な懸念に対し、ヴィリーは、どこまでも透き通るような、清々しい笑顔を浮かべて応えた。
「先程も申した通り、話せるのはあそこまでです。
……とは言え、キヨミ殿。貴女のその心優しいご心配のお言葉については、深く、私の胸に受け止めておきましょう」
その時のヴィリーの顔には、死を待つ者の絶望や狂気など微塵もなく。
ただ、来るべき『新しい世界』の夜明けを信じて疑わない、殉教者のような美しさすら漂っていた。
……
………………
…………………………
場面は現在へと戻り、熱狂の冷めやらぬ中東連合参謀本部の議場。
「マーレの息の根を止めろ!!」 「我々の手で、新たな歴史を創るのだ!!」
キヨミ・アズマビトは、手元の扇子をパチリと閉じ、ただ淡々と、血走った目で狂喜乱舞する代表の男達を冷ややかな視線で眺め続けていた。
(……巨人戦力の完全喪失……あのヴィリー・タイバーは、それをあっさりと認めた。
……認めた上で、自国の武力や兵器を自ら手放そうとしている。
中東連合に平伏し、無条件降伏する訳でもなく。ただ、敵国が強大になるように裏から支援し、戦争を煽っている……)
考えれば考えるほど、マーレの……いや、ヴィリーとカルヴィ元帥の取っている支離滅裂な行動に、キヨミは頭を悩ませた。
彼らは、中東連合の大軍勢がマーレ本土に攻め入ることを、最初から『計画の一部』として誘導しているとしか思えない。
自国が火の海になることを分かっていながら、何故そんな破滅的な真似をするのか。
あの男の背後に、一体どんな『理外のバケモノ』が控えていて、彼らにどんな悪魔のシナリオを囁いたというのか。
キヨミの脳裏に、かつてヴィリーが見せた、あのすべてを達観したような穏やかな笑顔がフラッシュバックする。
だが。 そんな理解不能な陰謀の渦中にありながらも、キヨミの胸の中には、ただ一つだけ、揺るぎない確信として刻み込まれている事があった。
(……恐らく、この戦争に、対マーレ陣営が勝利することは………絶対に無い………)
彼女の視線の先では、自分たちがマーレを出し抜き、勝利を約束されたと思い込んでいる男たちが、滑稽なまでにグラスを掲げて祝杯を上げている。
(……根拠は無い……でも、私のこれまでの、幾多の死線を潜り抜けてきた商人としての『勘』が、そう告げている……!)
彼らは、見えない巨大な掌の上で、嬉々として踊らされているだけの道化に過ぎない。
いずれ、マーレの背後に潜む『真の絶望』が姿を現した時、この議場にいる者たちは皆、己の愚かさを呪いながら地獄に叩き落とされるだろう。
キヨミは、熱狂の渦に包まれた豪華な冷房の効いた議場の中で、ただ一人。
これから世界を覆い尽くすであろう、見たこともないほどの巨大な歴史のうねりと暴力の気配に、背筋を凍らせながら、静かに扇子で口元を隠すのだった。