進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
849年1月23日
マーレ本国と国境を接する前線基地で、百万人規模の同盟軍が戦わずして恐慌状態に陥り、完全な自壊と敗走を遂げた翌日。
中東連合の政治と軍事の心臓部である参謀本部、その最奥に位置する最高機密会議室には、もはや数ヶ月前の「マーレを討ち滅ぼす」というあの狂気に似た熱狂と野心は欠片も残っていなかった。
広大な室内には、極限の疲労と恐怖のあまり吐き戻された胃液の酸っぱい臭いと、焦燥感を紛らわせるために何本も吸い潰された安煙草の煙が、ドロドロとした鉛のように重く淀んでいる。
円卓を囲む中東連合の軍部トップや各国の代表者たちは、誰一人としてまともに言葉を発することができず、血走った虚ろな目で宙を彷徨っていた。
二日前。 宿敵マーレが、全世界に向けて突如として大々的に宣言した『無条件降伏』。
その第一報を電信で受け取った瞬間、この会議室にいた幹部らは狂喜乱舞し、互いに抱き合って勝利の美酒に酔いしれていた。
「我々中東連合と諸外国の圧倒的な包囲網の圧力に恐れをなして、遂にあの傲慢なマーレが、我々自陣営に対して白旗を揚げたのだ!」と、誰もが疑いなくそう勘違いをしていたからだ。
だが。その歓喜は、数時間後にもたらされた詳細な追加報告によって、文字通り木端微塵に粉砕された。
『新エルディア帝国』
マーレがひざまずき、全権を委譲し、一切の抵抗をすることなく無条件降伏を誓った相手は、彼ら中東連合でもなければ、同盟を結んだ諸外国でもない。
これまで歴史の表舞台に一度たりともその名を現したことのない、全く未知の、聞いたこともない謎の国家だったのだ。
そしてそれに伴い、マーレという巨大な帝国そのものが、音を立てて事実上の「解体」へと向かっているという、理解の範疇を超えた事態。
上層部は、パニックに陥りながらも即座に予定していたマーレ本土への侵攻作戦の全面中止を下達した。
だが時すでに遅く、前線の百万の軍勢は「エルディア」という単語が持つ根源的な恐怖に当てられ、勝手に自壊してしまっていたのだ。
とにかく、正確で詳細な情報を収集するよう全諜報網を総動員して命じた結果。
今日、この場において、その『新エルディア帝国』に関する絶望的な概要が、絶対的な事実として彼らの眼前に容赦なく突きつけられたのである。
「なあ……っ? 誰か、一体何が起きたのか……これがタチの悪い悪夢だと言ってくれ……!」
円卓の端に座る一人の幹部が、両手で自身の頭を掻き毟りながら、今にも発狂しそうな引き攣った声で周囲に問いかけた。
彼の目の下には、一睡もしていないことを示す、どす黒く濃い隈がくっきりと刻まれている。
「『自由諸方連邦国』とは何だ……!? 『レベリオ自由領』とは何だ!? 『新エルディア帝国』とは何なんだ!? マーレの植民地が一斉に蜂起したと思ったら、瞬く間に独立して新国家を名乗り、マーレ本土は無抵抗で解体され、レベリオは自治領になるだと!? ……何が、何が起きているんだこれは!?!?」
悲鳴のようなその絶叫に対し、誰も明確な答えを返すことができない。
そんな中、会議室の前方に立つ、戦略情報部の制服に身を包んだ情報将校だけが、一切の感情を交えない、氷のように淡々とした事務的な声で、収集した情報の続きを口にした。
「……報告いたします。『新エルディア帝国』とは、パラディ島に住まうエルディア人たちによって新たに樹立された、近代国家であるとの確かな報告が上がっております」
「パラディ島……あの、壁の中に引きこもっていた悪魔どもが……国を、創っただと……?」
「はい。また、彼らは昨日のレベリオ港での降伏調印式の際、全世界の報道機関に向けて、このような大々的な『宣言』を行っております」
情報将校は、手元の報告書に視線を落とし、その内容を読み上げた。
「『全世界に散らばる、我らが同胞たるエルディア人に告げる。マーレからの独立を果たしたこの“レベリオ自由領”に集え。ここは今や、世界で唯一、エルディア人の完全なる自由と権利が保証されている聖地である。 ……衣食住の無償提供に、真っ当な職。そして何より、人が人として扱われる安住の地を欲するのであれば、我々新エルディア帝国は、同胞である諸君らを熱く迎え入れよう』……と、そのように宣言しております」
「…………はぁ?」
幹部たちの口から、間の抜けた、完全に理解の範疇を超えたというような声が漏れた。
パラディ島の悪魔が、世界中に散らばるエルディア人に向けて、衣食住と人権を保証する保護宣言を出した? それはすなわち、世界中で奴隷として扱われているエルディア人たちが、こぞって新エルディア帝国の傘下へと雪崩れ込むことを意味する。
「ふざけるな……! 奴らをそこまで増長させてたまるか! 兵を再集結させ、今すぐパラディ島とレベリオを地図から消し飛ばして──────」
「お待ちください。……また、戦略情報部からの最終見解を申し上げます」
激昂して立ち上がろうとした幹部の言葉を、情報将校が冷酷なまでに静かな声で遮った。
「彼ら『新エルディア帝国』と軍事的に敵対することは、絶対にお勧め致しません」
「なんだと……? 貴様、我が中東連合の軍事力を侮る気か!」
「侮っているわけではございません。……ただの、純粋な演算結果です」
情報将校は、薄暗い会議室の奥に設置された映写機の方へと視線を向けた。
「我が中東連合の全軍をもって真っ向から彼らに挑んだ場合……我が国は、およそ『半日』で、『国土ごと』物理的に消滅するとの試算が出ております」
「……半日、で……物理的に消滅……?」
もはや怒りすら湧かない、次元の違う絶望的な予測。 将校は、手に持っていた指示棒で白布のスクリーンを叩いた。
「こちらを、ご覧ください。……レベリオ軍港で、我が国の密偵が命懸けで極秘裏に撮影し、持ち帰った映像です」
カチャッ、という音と共に会議室の明かりが消され、完全な暗闇となった。
直後、背後の映写機がカタカタと無機質な駆動音を立て始め、スクリーンに白黒の粗い映像が映し出された。
音声の無い、ただの無音の白黒映像。
だが、それがかえって、そこに映し出されている『異常性』と『圧倒的な恐怖』を、彼らの脳髄に直接叩き込んでいた。
「なっ……何なのだ……これは……!」
総司令が、椅子から滑り落ちそうになりながら、スクリーンを指差して震えた。
荒い白黒のノイズ越しに映し出されていたのは、レベリオ軍港の海面をどこまでも覆い尽くす、鏡のように平らで不気味な『謎の巨大な膜』。
そして、その膜の上を滑るように進む、一隻の黒塗りの蒸気艦。
だが、彼らの目を完全に釘付けにしたのは、その艦を囲うようにして、海の上に左右に立ち並び、あろうことか『傅き、ひざまずいている』巨大な異形たちの姿であった。
「……あれは……マーレの知性巨人……!?」
筋繊維が露出した60メートルの超大型巨人。全身を装甲で覆った鎧の巨人。
長い毛皮の獣の巨人に、女型の巨人。 マーレが誇る最強の軍事力が、まるで王の凱旋を迎える忠実な騎士のように、一隻の船に対してひざまずいている。
だが、それら四体の巨人がまるで子供のおもちゃに見えるほどの、常軌を逸したバケモノが、映像の奥にそびえ立っていた。
距離感が完全に狂うような、天を衝くほどの巨大さ。全高170メートルに達する、山脈のような超超大型の巨人が、天を仰ぐようにして項垂れているのだ。
そして、その足元の最前列。蒸気船を先導するようにひざまずいているのは、全身を滑らかな装甲で覆われたような、15メートル級の未知の巨人であった。
声もない。ただカタカタと回るフィルムの音だけが、彼らの絶望を煽り立てる。
唖然として、瞬きすら忘れてスクリーンを見つめ続ける中東連合の代表たちを他所に、情報将校は淡々と報告を続けた。
「映像の奥に控える、一際巨大な超超大型巨人。
……あれは、エルディア神話に伝わる『始祖の巨人』であると推測されます。
……我々の試算では、あの巨人一体が動き出すだけで、人類の文明は容易く、そして跡形もなく滅ぼされます」
「ひっ……!」
「ですが、それだけではありません。手前にひざまずいている、全身を硬質化結晶で覆われた見覚えの無い『未知の15m級巨人』について」
情報将校の声が、一段と低く、重みを増した。
「我が密偵が命と引き換えに得た情報によれば……あの未知の巨人は、先程の始祖の巨人と『同等』、あるいはそれ以上の破壊力を秘めているとの報告を受けています」
「15メートルのチビが……あの始祖の神以上の力だと……!? 馬鹿な! そんな巫山戯た話があるか!」
「事実です」
将校は、スクリーンに映る海面を指した。
「映像に見える、レベリオ軍港の海を覆い尽くしているこの途方もない面積の硬質化の結晶。
……これは全て、あのたった一体の15メートルの巨人から、ほんの数秒で生み出されたものです」
「─────────」
もう、誰一人として言葉を発することはできなかった。
海を一瞬で凍らせるように結晶化させる神の御業。
もしそれを、中東連合の国土や都市のド真ん中で発動されたら。
防御も迎撃も不可能。一瞬にして、数百万の命が結晶に飲み込まれて圧死する。
先程の「半日で物理的に消滅する」という試算が、決して大袈裟なハッタリではなく、極めて現実的で控えめな数字であったことを、彼らは細胞の底から理解させられたのだ。
「……では、何だ」
総司令が、頭を抱え、すべてを諦めきったような虚ろな声で呟いた。
「その『新エルディア帝国』とやらは……マーレから奪った九つの巨人の力を持つだけでは飽き足らず……人類を容易く滅ぼす事が出来る『終末兵器』を……二体も、同時に保有しているということか……?」
「その通りです」
情報将校の肯定の声が、死刑宣告のように会議室に響いた。
議場は、再び完全な、息の詰まるような静寂に支配された。
もはや、抗おうという野心すら湧いてこない。圧倒的すぎる暴力の前に、彼らの誇りも戦略も、すべてが塵芥のように吹き飛んでいた。
「……更に────────」
無慈悲にも、将校が次の報告のページをめくる。
「……まだ、続くのか……」
幹部の一人が、泣きそうな声で懇願するように呻いた。これ以上の絶望を叩き込まれれば、本当に精神が崩壊してしまう。
「はい。……軍事的な絶望だけでなく、政治的、外交的な観点からの報告です」
将校は、淡々と世界の構造がすでに書き換えられている事実を告げた。
「今回のマーレの無条件降伏は、単なる敗戦ではありません。事実上の『国家の解体と再編』です。
新エルディア帝国の傘下のもと、マーレ本土、レベリオ自由領、そして独立した自由諸方連邦国は、すでに強固な軍事、経済、資源の絶対的な同盟関係を結んでいます」
将校は、冷徹な目で円卓の面々を見回した。
「……この巨大な経済圏の誕生に対し、極東の大国であるヒィズル国も、すでに正式な外交使節団の派遣を決定したとの情報が入っています。彼らが帝国と強固なパイプを結ぶのは、もはや時間の問題でしょう」
カチャッ、と。 映写機の電源が切られ、再び会議室の明かりが点灯した。
眩しさに目を細める幹部たちに向けて、将校は報告書を閉じ、最後通牒を突きつけた。
「総司令。……我々は、マーレを攻撃するための『宣戦事由』を完全に失っただけでなく、新しく誕生したこの超大国に恒久的に立ち向かうための『術』を、完全に喪いました。
表向き、新エルディア帝国とマーレの現政府は、植民地領を独立させ、虐げられていたエルディア人を解放したという、圧倒的な『大義と正当性』を持っています。
これに我々が武力で牙を剥けば、我々中東連合こそが、平和を乱す侵略者として、あの終末兵器たちに“合法的に”消し炭にされる大義名分を与えることになります」
言い逃れのできない、完全な「詰み」の盤面であった。
エルヴィン・スミスという男が遥か海の向こうで描いた、政治、外交、そして圧倒的な暴力を組み合わせた一寸の隙もない悪魔のシナリオ。
中東連合は、自分たちがマーレを出し抜いたと勘違いしたまま、まんまとその掌の上で転がされ、気付けば首に絶対に解けない鎖を巻かれていたのである。
「……しかし、総司令」
重苦しい絶望の中、沈黙を保っていた一人の初老の幹部が、震える手で額の汗を拭いながら、すがるような声で口を開いた。
「我々にとって、唯一の救い……不運中の最大の『幸運』があります。 ……我々はまだ、マーレに対しても、新エルディア帝国に対しても、正式な『宣戦布告』を行っていません。
前線で兵が勝手に逃げ出しただけで、公式にはまだ一発の銃弾も撃ち合っていないのです」
彼の言葉に、総司令はハッとして顔を上げた。
「このまま、軍の集結は国境警備のための演習であったと有耶無耶にしてしまいましょう。そして、ほとぼりが冷めたあたりで、早急に彼らと外交交渉に入るのです」
初老の幹部は、己の誇りや野心をすべてドブに捨て去り、生き残るための道化となることを選んだ。
「あの調印式の宣言を聞く限り、『新エルディア帝国』は、かつてのマーレのような暴力による一方的な支配ではなく、対話と善政を敷く国家である事が伺えます。
……こちらから武器を置き、姿勢を極限まで低くして、彼らの靴を舐める覚悟で歩み寄れば……少なくとも国として、問題なく受け入れられるはずです」
大義を失い、武器を奪われ、誇りをへし折られた中東連合。
彼らに残された最善にして唯一の選択肢は、静観と──新たな世界の絶対的支配者に対する、完全なる『平伏』だけであった。
会議室には、もはや怒号も熱狂もなく。 ただ、自分たちが見えない巨大な掌の上で踊らされていた矮小な存在であったことを悟った男たちの、深く、惨めな溜息だけが、いつまでも空しく響き続けていた。
小難しい世界情勢についてはここで一区切りです。
次回以降からは、エレンちゃんとミカサちゃんメインでストーリー展開していきます。
心の準備をしておいて下さい。