進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
激重描写有り。解釈違い注意。若干の性描写有り。
第二百四十九話
849年2月17日
新エルディア帝国の政治と経済の中心、帝都ミットラス。
政府中枢の敷地に隣接する、アトラスさんやリーシェさんたちが住まう豪奢な邸宅のリビングは、今日もポカポカとした春の陽だまりのような温かさに包まれていた。
窓際の最も自然光が美しく差し込む特等席。
油絵の具の独特な匂いと、アトラスさんが淹れてくれた甘い紅茶の香りが混ざり合う、インスピレーションが無限に湧き出してくるこの最高の空間で。
俺───エレン・イェーガーは、今日も今日とて、イーゼルに立てかけたカンバスに向かい、狂ったような情熱と共に絵筆を強く握り締めていた。
パレットの上で色を混ぜ合わせ、カンバスに滑らせる。
描いているのはもちろん、この世の真理であり究極の芸術である、アトラスさんたちの神聖なる百合空間だ。
だが、俺の意識の半分は、目の前のカンバスではなく、自身の『背後』に向けられていた。
(……まただ)
俺の華奢な背中から、すっぽりと包み込むようにして密着している、温かい体温。
赤いマフラー越しに微かに漂う、清潔な石鹸の香り。
俺の背中に自身の胸を押し付けながら、俺を外界のすべてから隔離し、守り抜こうとするかのように包みこんでくる幼馴染──ミカサの存在。
それだけなら、いつものことだ。過保護なミカサの定位置とも言える。
だが、俺の思考を激しく掻き乱しているのは、俺の腰のあたりに回されていた彼女の手が、まるで意思を持った蛇のように、スルスルと脇腹を這い上がり、俺の胸元へとゆっくり進んできていることだった。
「…………っ」
俺は、絵筆を動かす手にギュッと力を込め、必死に平静を装った。 極限の集中状態にある天才画家。
周りのことなど一切目に入っていない、無垢で純粋な芸術家。
そんな完璧な『知らないフリ』の仮面を顔面に貼り付けたまま、俺は荒くなりそうな呼吸を腹の底に押し殺し、ただひたすらにカンバスを見つめ続けた。
ここ最近になってからだ。 ミカサの俺に対するスキンシップが、ただの過保護な家族同士のやり取りを、明確に『一線』を越えたものになり始めていたのは。
つい今朝の出来事もそうだ。 冷たい冬の空気が微かに残る寝室のベッドの中。
布団の温もりと、何か柔らかいものが俺の身体にまとわりつく感覚、そして『くすぐったさ』で意識がゆっくりと浮上してきた時のことだ。
俺の寝巻きの裾がまくり上げられ、素肌を直接、少し冷たい指先が這っていた。
腹部から、太ももの内側、そして下腹部の辺りまでを、優しく、けれどどこか執拗に確かめるようにまさぐられる感覚が、俺の全身を支配していた。
(……ミカサ……?)
俺はすぐに気付いたが、どう反応していいか分からず、咄嗟に目を固く閉じ、規則正しい寝息を立てて『そのまま寝ているフリ』を続けてしまった。
すると、彼女の行動はさらにエスカレートした。
チュッ……。っと不意に、俺の無防備な首筋に、柔らかく、ねっとりとした熱を帯びた唇の感触が押し当てられたのだ。
ビクンッ、と俺の心臓が一気に跳ね上がり、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。
舌先で肌を舐め上げられ、微かな吐息が耳元をくすぐる。
彼女の抑えきれない情欲と、俺を骨の髄まで食べ尽くしてしまいたいというような、暗く重い愛情が、その口付けからダイレクトに伝わってきた。
その後、俺はミカサが満足して少し離れたタイミングを見計らい、「……んん。おはよう、ミカサ……」と、今まさに目を覚ましたという白々しい演技でその場を誤魔化した。
だが、逃げるようにして洗面所へと向かい、冷たい水で顔を洗おうとして鏡を見た時。
そこには、首筋のキスマークに無自覚なまま、頬を異常なほど赤く紅潮させ、瞳をトロンと潤ませた、自分でも引くくらいに『蕩ける様な雌の表情』をした見知らぬ美少女が写っていたのだ。
……
………………
…………………………
(……どうせなら一思いに押し倒して抱けよ……。ヘタレ)
俺は、カンバスに絵の具を塗りつけながら、心の中でそんな毒づきを吐き捨てた。
そう、気付いていないわけがない。 ミカサが俺に対して、ただの家族や幼馴染という枠組みを遥かに超えた、異性(同性?)としての狂気的なほどの想いを寄せている事なんて。
あのシガンシナ区で共に過ごしてきた日々の、とうの昔から、俺は痛いほどに知っているのだ。
昔は、昼夜問わず付きっきりで俺の世話を焼き、少しでも他の人間(特に女の子)と話そうものなら冷たい視線で威嚇してくるミカサの過干渉な態度を、「俺はお前の弟でも子供でもない!」と鬱陶しく思い、邪険にすることもあった。
でも、何年もそんな異常なほどの愛情を向けられ続ければ、人間は慣れてしまう。
それが『当たり前の日常』として認識し始め、彼女の体温が隣にあることが、俺の生活の前提条件になってしまっていた。
何なら、ミカサがほんの少しでも俺の側を離れ、別の用事でいない時。
俺の胸の奥には、どうしようもない不安と「少し寂しい」という感情がぽっかりと穴を開けるくらいには、俺の精神も完全に彼女の存在に毒され、依存してしまっているのだ。
これが、いわゆる『恋』というものなのかどうか、俺には分からない。
アトラスさん達が見せるような、互いを高め合い、すべてを赦し合うような美しい純愛の百合空間とは違う。
もっと泥沼のように重く、暗く、お互いの首を真綿で絞め合うような、別のドロドロとした複雑な『モノ』なのかもしれない。
でも、このままお互いに本音を隠し、踏み込まないまま停滞し続けるのも良くないと思っている。
何故なら、俺の身体が、それを許さなくなりつつあるからだ。
正直に言うと。 俺も、この身体に変異して、成長期だか思春期か分からないが。
こうして背後から抱きしめられ、胸元や太ももをまさぐられるような事をされていると……。身体の奥底、下腹部の辺りが熱を持ち、キュンと疼くような……。頭が甘く痺れるような、変な気持ちになってくるのだ。
このままミカサのスキンシップを『知らないフリ』で受け入れ続けていれば、いつか俺の方の理性が決壊してしまう。
もし、俺が自身のドロドロとした欲望を我慢出来ずに、ミカサを押し倒して、襲いかかって……。彼女のその綺麗な白い肌に跡をつけ、俺の醜い欲で彼女を傷付けて、泣かせたりなんかした日には……。
(……やめよう。考えるだけ無駄だ)
俺は、思考がこれ以上暗い泥沼の底へと沈み込んでいくのを断ち切るように、頭を小さく振って現実に意識を戻した。
背中では、ミカサの手がエプロン越しに俺の膨らみ始めた胸の形を、ふにふにと指先で確かめるように揉み続けている。
「……ちょっと、くすぐったいぞ、ミカサ」
俺は、なんて事ない風に。 自分がイタズラされていることにすら気付いていない、絵を描くことに夢中なだけの『何も知らない無垢な女の子』の笑顔を顔面に完璧に貼り付けて。
脇を軽く締め、胸を触るミカサの手首を、ぽんっと優しく押し退けた。
「……ごめん」
ミカサは、少しだけ名残惜しそうに指先を滑らせてから、素直に手を引っ込めた。
(……こういう無自覚な態度をとって、彼女の欲望を煽っているからってのも、ミカサの行動がエスカレートしている原因なんだろうな……)
俺は、表向きの明るく純粋な表情とは裏腹に、心の奥底で、自身の狡猾な立ち回りの問題について重く、深く考えていた。
ミカサの暴走を止めるなら、はっきりと「やめろ」と拒絶するか、あるいは彼女の想いを受け入れて一線を越えるかの二択しかないはずなのだ。
でも、今の俺には、こんな風に気付かないフリをしてやり過ごす他なかった。
俺自身、どこかで、ミカサからのこの過剰でねっとりとした愛情のやり取りを『望んでいる』ような、どろどろとした醜い真の姿があって。
彼女から愛され、求められているという圧倒的な優越感と、自分の身体が甘く満たされる欲求を満たす為に。
無垢な少女の仮面を被り、彼女の純粋な想いを都合よく利用しているだけなんだ。
(……俺って、こんなに卑怯で、穢い人間だったのか……)
胸の奥が、ギリッと自己嫌悪で締め付けられる。 こんな、自分の欲望のために大切な幼馴染を飼い殺しにしている卑怯で穢い人間と。
俺のことだけを真っ直ぐに見つめ、すべてを捧げてくれる、可愛くて愛おしいミカサ。
(ダメだ……。全然、釣り合わない……)
俺みたいな性根の腐った奴と一緒にいたら、きっと、あの雪のように白く純粋なミカサまで、俺のドロドロした感情に染まって、汚れてしまう。
それだけはダメだ。絶対に嫌だ。 でも、離れたくない。 この背中の温もりを、他の誰かに渡すなんて絶対に考えられない。ずっと、ずっと一緒にいたい。 彼女の純粋さを汚したくない。でも、頭の先から足の先まで、心のすべてを俺のものにしたい。 対等な関係で、美しく愛し合いたい。いや、違う。俺のこの醜い欲望で、彼女をシーツの上で滅茶苦茶にしたい。あの圧倒的な力を持つ彼女に組み敷かれて、俺が滅茶苦茶にされたい。ミカサは、俺だけのミカサだ。ミカサは可愛い。名前を呼んでくれる、少し低くて落ち着いたミカサの声が好き。俺にだけ向けてくれる、少し不器用で、花がほころぶように笑った顔が好き。 普段の、誰に対しても興味がなさそうな無愛想な表情が好き。俺が他の人と話している時に、背後から放たれる、嫉妬でどす黒く澱んだ彼女の瞳が好き。彼女の、少し冷たくて柔らかい頬を、この唇で啄みたい。彼女の、小さく潤った、いつも俺の首筋に触れてくる柔らかな唇が今すぐ欲しい。
「エレン?」
「──────っ」
不意に、耳元で俺の名前を呼ぶ声がして、俺は弾かれたようにハッと我に返った。
ぐるぐると渦巻いていた狂気的な思考の海から引き上げられ、俺はパチパチと瞬きをして周囲を見回した。
気付けば。 アトラスさん達の家のリビングにいたはずの俺たちは、すでに家を出て、帝都の石畳の道を歩いていた。
俺の肩には画材の入った鞄が掛けられ、西の空を真っ赤に染め上げる夕暮れの中、俺とミカサは帰路に就いていたのだ。
どうやら俺は、考え事に深く沈み込みすぎて、帰り支度をして家を出るまでの記憶が完全に抜け落ちていたらしい。
「ん? どうかしたか、ミカサ?」
俺は瞬時に、先程までのドロドロとした感情を心の奥底の厳重な金庫へと封印し、いつもの『無垢で純粋なエレン』の笑みを顔に貼り付けて隣を歩く彼女を見上げた。
「……ずっと、見た事ないくらい怖い顔してたから。アトラスさんも、心配してた」
ミカサは、足を止め、俺の顔をじっと覗き込みながら、微かに不安を滲ませた声でそう言った。
「…………」
俺は、アトラスさんにまで心配をかけてしまっていたことに内心で冷や汗を流しながら、首を傾げた。
「……俺、そんな顔してたか……?」 「うん」
ミカサが、短く、しかし確信を持って頷く。
夕陽の赤い光が、彼女の艶やかな黒髪と、白く整った横顔を美しく照らし出していた。
長い睫毛の奥にある黒い瞳が、ただ俺のことだけを映し、俺のすべてを案じて揺れている。
その、思わず目を瞑ってしまいたくなるくらい、幻想的で、息を呑むほどに美しいミカサの顔を見て。
俺の胸の奥で、先程まで暴れ回っていた醜い独占欲と情欲が、不思議と静かに凪いでいくのを感じた。
「……そっか」
俺は、自分の顔に貼り付けていた無垢な作り笑いが、自然と、彼女への深い愛おしさを孕んだ本物の微かな笑みへと溶けていくのを止められなかった。
今はまだ、俺のこの醜い感情を、彼女にぶつける資格はない。 でも、いつか。この狂おしいほどの感情に決着をつける日が来るまで。
俺はただ、短く言葉を返す事しかできなかった。