進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
849年2月20日
「私が……ヒィズル国の特使と……?」
磨き上げられた大理石の床と、重厚なマホガニーの調度品に囲まれた、帝国特務兵団総司令室。
壁を隔てた帝都ミットラスの活気ある喧騒すら一切届かないこの絶対的な防音空間に、俺の──今の外向きの見た目に完璧に合わせた、鈴を転がすような高く透き通った『私』口調の困惑の声が響き渡った。
目前の巨大な執務机の向こう側。
そこで両手を組み、俺を真っ直ぐに見据えている男、エルヴィン・スミス総司令が放った信じられない言葉を、俺は頭の中で何度も反芻していた。
「そうだ。キヨミ・アズマビト特使ご本人、たっての強い希望との事だ」
エルヴィン総司令の青い瞳は、どこまでも深く、冷徹だった。
それは、帝都で持て囃されているただの『齢十三の天才画家』に向けるような、温和で保護的な眼差しではない。
国家の命運を天秤にかけ、数万の命を盤上の駒として冷酷に動かしてきた、人類の希望たる『指揮官』としての、逃げ場のない重圧が含まれている気がした。
ピリッ、と。 俺の背後……いや、俺を背後から包み込むようにして常に寄り添っている、赤いマフラーを巻いたミカサからの気配が、一瞬にして変わった。
ただの静かな見守りから、俺に害をなす可能性があるあらゆる外敵を即座に排除するための、極低温の臨戦態勢へ。
そして、そのミカサの気配の変化に呼応するように。
エルヴィン総司令の背後の薄暗い影に、腕を組んで壁にもたれかかっていたリヴァイ兵長が、今まで静かに閉じていた目を、ゆっくりと開いた。
ゾクッ、と。 背筋を巨大な氷柱で撫で上げられたかのような、純度百パーセントの殺気が交錯する。
途端に、司令室の空気は呼吸すら困難になるほどに冷え切り、肌を刺すような重苦しい緊迫感に切り替わった。
(……おいおい、ただの面会要請の話で、なんでこんな一触即発の空気になってんだよ……)
俺は頬に微かな冷や汗を滲ませながら、必死に平常心を保とうと努めた。
「もちろん、断っても構わない」
エルヴィン総司令は、室内の空気がどれほど冷え込もうと、声も表情も何一つ変えずに、さも当然であるといった様子で静かに口を開いた。
「君達二人は、帝国が誇るあの三柱の神々と、極めて深い……特別な関係を築いている。
もし我々が君の意志に反してこの面会を強制しようものなら、瞬く間に我々の存在は彼女たちの手によって物理的に消し飛ばされる事になるだろうからな」
自らの命が常に特異点の機嫌一つで消え去るという絶対的な現実を、彼は一切の恐怖もなく、淡々とした事実として受け入れている。
俺への配慮というよりは、俺の背後にいるアトラスさんやリーシェさんという『理外のバケモノ』たちへの危機管理だ。
(……アトラスさんたちが、そんな理不尽に酷いことする訳ないだろ。リーシェさんはちょっと過激だけど……とは言え、俺に拒否権があるのは良かった。
……でも、解せない。何で遠い異国の特使が、俺なんかを……?)
俺は、頭の中で猛烈な速度で思考を回転させた。
確かに、俺が描く百合の宗教画は、今や帝都中で熱狂的な支持を集め、俺自身も『天才絵師』として持て囃されている。
だが、それはあくまで国内の、それも芸術や宗教の枠組みの中での話だ。
国家間の重要な外交交渉の場に、一介の絵師が指名されて同席を求められるなど、常識的に考えてあり得ない。
「……特使との顔合わせについては、問題ありません」
俺は、スカートの裾を上品に両手で握りしめ、完璧な令嬢の微笑みを顔面に貼り付けたまま、静かに言葉を返した。
「ただ、一つだけ疑問があります。
……何故、ヒィズル国という大国の特使が、軍人でも政治家でもない、一介の絵師に過ぎない私を、名指しで指名したのでしょうか。
……私には、そこに何か別の『裏』があるようにしか思えません」
俺が、意図的に声のトーンを落とし、冷徹にその矛盾点を突いた瞬間。
「……ッ」
エルヴィン総司令の青い瞳が、ほんの僅かに、だが確かに驚愕に見開かれた気がした。
普段の俺は、アトラスさんたちのイチャイチャを目の当たりにしては鼻血を吹き出しそうになりながらカンバスに筆を叩きつける、狂気的な『百合厨』としての姿しか見せていない。
何も知らない、ただ芸術にのみ魂を売った純粋な少女。 彼らは俺のことを、そう評価していたはずだ。
だが今、俺の瞳に宿っているのは、他者の悪意や謀略を本能的に嗅ぎ取り、すべてを疑ってかかるような、獲物を狙う獣のような鋭く強い警戒心だった。
「……エルヴィン。話してやれ」
沈黙が落ちた司令室に、奥で控えるリヴァイ兵長の低く掠れた声が響いた。
彼は、窓から差し込む冬の冷たい光から顔を半分隠したまま、エルヴィン総司令に対して後押しするように、すべてを話すよう促した。
「……こいつらには、知る権利……いや、義務がある」
(俺たちが、知る権利……? 義務……?)
俺は、背後のミカサの体温を感じながら、眉を微かにひそめた。
俺という個人の問題ではない。「こいつら」……つまり、俺とミカサの二人に深く関わる何かがあるということか。
エルヴィン総司令は、一度深く息を吸い込み、再び冷徹で理知的な表情のまま、重々しく、歴史の闇に葬られていた事実を語り出し始めた。
「……百年以上前。まだ我々の祖先が、壁という鳥籠に逃げ込むより遥か昔のことだ。 かつて世界を支配していた『古代エルディア帝国』と、極東の島国『ヒィズル国』は、非常に強固な同盟関係にあった」
俺は、完璧な令嬢の姿勢を崩さず、固い表情のまま無言で聞き入った。 そんな歴史、壁内の教科書には一行たりとも載っていない。
「その関係の深さは、ヒィズル国のトップである将軍家の直系の子息が、このパラディ島に自ら逗留するほどに、当時のエルディアの王と深い友好関係を築いていたほどだ」
(将軍家……ヒィズル国の、一番偉い一族ってことか)
「しかし……『巨人大戦』が勃発し、世界が混沌の渦に飲み込まれた最中。 エルディア帝国は崩壊し、同盟国であったヒィズルもまた敗戦国としての立場へと追いやられた。
そして……混乱の中で、パラディ島に滞在していた『将軍家の忘れ形見』は、故郷へ帰還する術を失い、この島に取り残されてしまったのだ」
そこまで聞いた瞬間。 俺の脳内で、バラバラだったすべての情報のピースが、雷に打たれたような凄まじい速度で繋がり、一つの決定的な『答え』へと収束していった。
東洋という、この壁内においては極めて稀少で特異な人種。
ミカサの母親が、ミカサの腕にだけ密かに受け継がせていた、あの一族の『印』の刺青。
そして、俺という絵師に常に付き従い、最近ではアトラスさんの恩恵もあって壁内の要人たちの間でも徐々に認知度を上げつつあった、黒髪の美しい少女の存在。
「──────そういう事ですか」
俺は、エルヴィン総司令の話を遮るように、冷たく吐き捨てた。
「どうやって情報を仕入れたのかは知りませんが。 その特使とやらは、私に常に付き従っている東洋人の『ミカサ』が、その将軍家とやらの末裔である可能性が高いと目を付けた。
そして、彼女を誘き出し、真偽を直接その目で確かめるために、あえて彼女と深い関係にある『私』を交渉の場に指名したという訳ですね」
「「「──────ッ!?」」」
俺の口からスラスラと、完璧な論理で語られたその推測に。 背後にいたミカサが、息を呑む気配がした。
そして、正面のエルヴィン総司令と、奥のリヴァイ兵長までもが、完全に虚を突かれたように、目を見開いて俺を凝視しているのが、手に取るように分かった。
(……ふざけんなよ)
俺の胸の奥底で、ドス黒い怒りの炎がボワッと燃え上がった。
外交官特有の、相手を駒としか見ていない狡猾でねっとりとした謀略。
そして、ミカサを自分たちの政治的カードとして利用しようとする、その浅はかで強欲な思惑。
怒りと呆れが同時に押し寄せてきて、俺は堪えきれずに「……ふっ」と、少女らしからぬ嘲笑を口から漏らしてしまった。
「……もしミカサが、本当にその"将軍家"の末裔だったとしたら。 帝国とヒィズルの『友好の証』だとか、『祖国への帰還』だとか、都合の良い綺麗事を並び立てて、俺からミカサを奪い取ろうって算段か。 ……ふざけた野郎め」
俺の口調から、令嬢の仮面が完全に剥がれ落ちた。 ドスの利いた、荒々しい素の口調。
「ミカサ、お前は来るな」
俺は、背後にいるミカサを振り返ることなく、荒々しく語気を強めながら、吐き捨てるように命令した。
「あんな狸野郎の所に行く必要はねぇ。俺が一人で行って、適当に言いくるめて、この島から二度と近づかねぇように叩き出してやる」
俺の心の中は、得体の知れない焦燥感でぐちゃぐちゃだった。
ミカサが、将軍家の末裔? そんな大層な血筋が証明されたら、彼女はどうなる? ヒィズル国の権力者として、豊かな国へと迎え入れられるのか?
(……嫌だ。絶対に嫌だ)
ミカサは、俺のミカサだ。 俺の背中を守り、俺の側にずっといてくれる、俺だけのものだ。 誰にも、どんな国にも、渡してたまるもんか。
俺がそんな醜い独占欲に苛まれながら、彼女を遠ざけようとした、その時だった。
「……エレン」
ミカサが、一歩前へ出た。 彼女の手が、俺の肩をそっと、しかし確かな力強さで包み込む。
「私は、自分の出自が知りたい」
「……は?」
俺は振り返り、信じられないものを見るような目で彼女を見上げた。
ミカサの黒い瞳は、決して揺れ動かない、静かで、しかし鋼のように強固な意志の光を宿していた。
「お母さんが、私に何を思ってこの"印"を託したのか。それが、この世界でどういう意味を持っているのか……私は、それを知っておきたい」
彼女の言葉は、俺の保護という名の檻を、いとも容易くすり抜けていった。
「なら俺が代わりに聞いてきてやる。それで問題ないだろ」
俺は、自分でも声が震えそうになるのを必死に抑え込み、突き放すように冷徹な代替案を口にした。
「エレンが聞いても、彼らが素直に教えるとは思えない」
ミカサは、俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「それに、もしその時エレンが言葉で躱せたとしても、彼らはきっと諦めずに何度も接触を試みてくると思う。
……エレンは、その度に何度も、私を隠して誤魔化すつもりなの?」
「当たり前だろ」
「大体、直接会ったとして、相手は外交官だぞ。口下手なお前じゃ、絶対に言葉尻を掴まれて、都合よく言いくるめられて面倒な事になるに決まってる」
俺は、必死だった。 ミカサを傷つけたくない。ミカサを失いたくない。ただそれだけなのに。 どうしてもっと、俺の言うことを素直に聞いてくれないんだ。
「口下手なのは認める。……でも、そんな風に初めから決めつける様な言い方は、どうかと思う」
ミカサの眉が、微かに悲しげに寄せられた。 だが、その言葉は俺の痛いところを正確に抉ってきた。
「大体、エレンだってすぐ感情的になって、周りが見えなくなって、よく皆を困らせてる。 ……外交官相手に一人で誤魔化すって言うけど、それでもしエレンが感情に任せて失礼な態度を取って、帝国とヒィズル国の外交問題に発展したら、どうするつもりなの」
「っ!」
図星だった。 俺のこの短気で直情的な性格が、どれだけこれまでアルミンやミカサ、そしてアトラスさんたちに迷惑をかけてきたか。 一番分かっているのは俺自身だ。
「何が言いてぇんだよ……! 俺はただ、お前が危険な目に遭わないように、お前の事を思って──────」
「ほら、そうやって墓穴を掘られたら、すぐにムキになって怒る」
ミカサは、諭すような、けれど少しだけ強い声で俺の言葉を遮った。
「それに、本当に私の事を思ってくれているなら、私の『自分のルーツを知りたい』という意志を、一番に尊重すべきだと思う」
「っ……だから! 危険を冒してまで、別に直接会わなくても良いだろっつってんだよ!」
俺の口からは、もはや論理的な反論ではなく、ただ駄々をこねる子供のような感情的な言葉しか出てこなかった。
「さっきも言ったけど、本人でないと話せない事、見せられない事もあると思う。
……それに、例え彼らが言葉巧みに私を連れ去ろうとしたり、利用しようとしたりしても。 私が、自分の意志で『行きたくない』と、彼らにはっきりと強く言えば済む話」
ミカサは、俺の肩を包む手に、ギュッと愛情を込めるように力を入れた。
「私には、エレンがいる。……エレンが心配する事は、何も無い」
ミカサの言葉は、俺への絶対的な信頼と、揺るぎない愛情に満ちていた。
普通の人間なら、ここで彼女の強さと愛を信じて、共に立ち向かおうと決意する場面だろう。
だが。
(っ……なんでだよ……)
俺の胸の奥で、どうしようもない惨めさと、醜い感情がドロドロと溢れ出した。
(なんで、分かってくれねぇんだよっ……!)
俺はただ、ミカサを誰の目にも触れさせたくないだけだ。
彼女が遠い世界のお姫様になってしまうかもしれない。どこの馬の骨かも分からない婚約者をあてがわれるかもしれない。
その可能性そのものを、徹底的に排除したいだけなのに。
俺のこの、泥のように汚くて独りよがりな独占欲を、どうして理解してくれないんだ。
思い通りにいかない苛立ちと歯がゆさ。 そして何より、こんなにも大好きなミカサと、なし崩し的に言い合いになって、彼女を傷つけるような言いたくも無い酷い言葉を放ち続けている自分自身への、強烈な自己嫌悪と罪悪感。
十三歳という、身体と精神の乱れが、俺の理性を完全に決壊させた。
視界が、急激に熱い水分で歪んでいく。
「エレン……?」 ミカサが、俺の異変に気づいてハッとしたように声をかけた。
「うっ……」
我慢しようとしても、喉の奥からヒックと情けない音が漏れる。 俺は、震える手で自身の目元を乱暴に擦った。
ぐずっ……ぐずっ……
司令室の静寂の中に、俺の鼻をすするみっともない音が響く。
エルヴィン総司令も、リヴァイ兵長も、ただ無言でこの俺の急激な情緒の崩壊を見つめていた。
「うっ……うぅっ……!」
涙が、止まらない。 こんな所で、大の大人たちの前で泣きじゃくるなんて、これ以上ないほど滑稽で恥ずかしいことだと分かっているのに。
「もういいっ!!! 好きにしろよ!!!」
俺は、ミカサの手を乱暴に振り払い、子供のように泣き叫んだ。
そして、そのまま振り返ることもなく、片腕で顔を覆いながら、逃げるようにして司令室の重い扉を押し開け、廊下へと飛び出した。
「エレンッ!」
背後でミカサが俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
涙でぐちゃぐちゃに潤んだ視界の中。 振り返った一瞬、最後に見たミカサの顔は。
俺を泣かせてしまったことへの深い焦りと、言い過ぎてしまったという激しい後悔が混じり合った、今にも泣き出しそうな、ひどく複雑で悲痛な表情だった。
俺は、その顔を網膜に焼き付けたまま、ただひたすらに、石造りの冷たい廊下を涙をぽろぽろとこぼしながら走り去っていくのだった。