進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
重厚なオーク材の扉を背にし、私は冷え切った大理石の廊下を足早に歩いていた。
新エルディア帝国の心臓部たる、特務兵団総司令室。
つい数分前まで、私はあの部屋で、この世で最も愛し、大切に守り抜くと誓ったはずの少女を、私自身の不器用で意固地な言葉の刃で切り裂き、本気で泣かせてしまった。
『もういいっ!!! 好きにしろよ!!!』
エレンの、涙でぐしゃぐしゃに歪んだ痛ましい顔と、私を突き放すように叫んだあの悲痛な声が、呪いのように脳内で何度もリフレインしている。
私の手から強引にすり抜け、泣きじゃくりながら廊下の奥へと逃げ去っていった彼女の小さな背中。
「……っ……」
呼吸が浅い。 自分の愚かさと、エレンを傷つけてしまったという激しい罪悪感が、冷たい鉄の爪となって私の心臓をギリギリと締め上げていた。
私は庁舎の出口を抜け、冬の終わりを告げる冷たい風が吹きすさぶ帝都の石畳へと足を踏み出した。
この辺りは、政府関連の重要施設や、限られた要人専用の住宅街しか存在しない、極めて厳重で静謐な区画。
一般の喧騒は届かず、ただ等間隔に配置されたガス灯と、整備された街路樹が続くばかり。
エレンは、突発的に感情を爆発させることはあっても、今のあの精神状態で、行く当てもなく帝都の街中をほっつき歩くような性格ではない。
それに、こんなにも美しく、無防備な彼女が一人で出歩くなど、私の全細胞が危険信号を鳴らして拒絶する。
可能性として考えられるのは、二択。
一つは、私とエレンがいつも入り浸り、神がかった筆致で宗教画を描き殴っている、アトラスさんたちの住まうベニア邸。
もう一つは、私たちの帰るべき場所である、イェーガー家の自宅。
だが、ベニア邸はあり得ない。 エレンは、ああ見えて他人に弱みを見せることを極端に嫌う。
きっと、よく一人で悩みを抱え込むエレンのことだから、アトラスさんやリーシェさんに心配をかけまいと、そして自身の泣き顔を見せまいと、誰の目にも触れない自室にこもる選択を取るはずだ。
「……っ!」
私は思考を結論づけると同時に、ブーツの底で石畳を強く蹴り、冷たい風を切り裂くように小走りで家の方角へと急いだ。
息が白く乱れ、首に巻いた赤いマフラーが後方へと靡く。 早く。一秒でも早く彼女に追いついて、抱きしめて、許しを請わなければ。
小走りで向かうこと数分。 やがて、整然と立ち並ぶ要人住宅街の一角に、見慣れた我が家──イェーガー家の邸宅が見えてきた。
だが、その風景は、普段の平穏な日常とは明らかに異なっていた。
「……開いてる……」
我が家の重厚な木製の扉が、鍵もかけられず、閉め忘れられたまま乱雑に開け放たれていたのだ。
几帳面なエレンが、あんな不用心な状態を放置するはずがない。
心臓が、嫌な音を立てて大きく跳ねた。 まさか、何者かに襲われたのではないか。
それとも、泣き叫びながら駆け込んだせいで、扉を閉める余裕すら失っていたのか。
私は息を呑み、足音を殺して開け放たれた玄関へと滑り込んだ。
家の中は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
「あっ、ミカサ」
玄関のホールで立ち尽くしていた私の視界に、一人の女性の姿が映った。 リビングから出てきたであろうエレンの母───カルラさんが、二階へと続く階段の先を、血の気を引かせた顔で酷く心配そうに見上げていたのだ。
彼女は私の足音に振り返ると、安堵したように、しかしひどく狼狽した様子で声をかけてきた。
「丁度良いところに来てくれたわ。何だかエレンの様子がおかしくて……」
カルラさんは、自身の頬に手を当て、困惑と、深い深い心配が入り交じった痛ましい声音で私に話しかけてきた。
「さっき、すごい勢いで帰ってきたと思ったら、そのまま二階に駆け込んで、部屋にこもっちゃったのよ」
その言葉に、私の胸の奥がギリッと音を立てて軋んだ。
やはり、私の予想通りだった。彼女は誰にも頼らず、一人で殻に閉じこもってしまったのだ。
「あの子……ここからでも聞こえるぐらい、大声で大泣きしていたわ……」
カルラさんの優しい栗色の瞳が、不安で小刻みに揺れている。
「ここ数年、あんな風に泣くことなんて一度たりとも無かったのに……何かあったのかしら……」
カルラさんの言う通りだった。 エレンは、芸術的な美しさに感動して鼻血を出したり、涙を流したりすることはあっても。
個人的な悲しみや絶望で、心を痛めて泣くようなことは全くなかったのだ。
元々、人より達観しているというか、異常なほどの執念を芸術に振り切っているせいか、そういった負の感情を大泣きという形で表に出すことは皆無に等しかった。
だからこそ。 エレンが年相応のか弱い少女のように、母親の呼びかけすら無視して、大泣きしているという事実の重みが。 巨大な鉛の塊となって、私の心に重く、重くのしかかってくる。
私が、彼女の心をそこまで壊してしまった。
私が、あの強がりで不器用な彼女を、一人で泣き叫ぶまで追い詰めてしまったのだ。
「……カルラさん……」
私は、喉の奥に込み上げてくる血のような苦い塊を無理やり飲み込み、視線を落として深く顔を伏せた。
鼻の奥がツンと鋭く痛み、視界が急激に熱い涙で滲んでいくのを、歯を食いしばって必死に堪える。
「ごめんなさい。私のせいです……私のせいで……エレンは────」
私がエレンを追い詰め、酷い言葉を投げつけ、彼女の私を守りたいという純粋な愛情を、理屈でねじ伏せて拒絶するような真似をしてしまった。
すべては私の至らなさが招いた結果だ。
ここで、カルラさんの前で涙を流すのは卑怯だ。
心優しい彼女の同情心を煽るような、ずるい真似は絶対にしたくなかった。
私は、自分が犯した罪を、真っ直ぐに受け止めなければならない。
そう思って、必死に震える唇から謝罪の言葉を捻り出そうとした、その時だった。
ふわり、と。 私の身体が、優しく、どこまでも温かい腕に包み込まれた。
「え……」
カルラさんが、私の言葉を遮るように一歩踏み出し、震える私を正面から優しく、強く抱きしめてくれたのだ。
彼女の服から漂う、清楚な花の香りと、母親特有の、すべてを許容するような柔らかな温もり。
「大丈夫よ、ミカサ」
カルラさんの声は、娘を泣かせた私を責めるどころか、すべてを赦し、包み込むような深い慈愛に満ちていた。
「何があったのかは分からない。
……けど、あなた達二人の事なら、きっと大丈夫。お互い大好き同士なんだから、ちょっとしたすれ違いぐらい、なんて事ないわ」
「っ!」
心を優しく溶かす暖かな言葉に、私の瞳の奥でせき止めていた涙が、耐えきれずにポロリと溢れ出した。
と同時に、彼女が口にした「お互い大好き同士」という言葉の響きに、顔全体がカァッと真っ赤に紅潮していくのをはっきりと自覚した。
(気づかれて……いた?)
私がエレンに向ける、異常なまでの執着と、過剰なスキンシップ。
エレンの背中に張り付き、彼女の匂いを嗅ぎ、彼女をすべての外敵から隔離しようとする私の狂気的な愛情を。
この母親は、とうの昔にすべてお見通しで、ずっと温かく見守ってくれていたのか。
私のその微細な体温の上昇と反応の変化に気づいたのか、カルラさんは私を抱きしめたまま、くすくすと可笑しそうに笑い声を漏らして言葉を続けた。
「気付いてないとでも思ってた? ふふっ、家の中でもあれだけ堂々とイチャイチャしていたんだから、嫌でも理解させられるわよ」
カルラさんは私の背中をポンポンと優しく叩きながら、少しだけ声のトーンを落とし、まるで秘密を共有するような響きで言った。
「あの子、ああ見えて結構嫉妬深いわよ? 我儘で、寂しがり屋で、甘えたがり。
……これからも、ミカサのこと、いっぱい困らせちゃうと思うけど……それでも、大丈夫?」
それは、ただの慰めの言葉ではない。 愛する我が子の本質的な面倒くささと弱さをすべて提示した上で、一人の『伴侶』として、私に一生任せても良いかという。 母親からの、真剣な確認と覚悟を問う言葉だった。
「あ……えっと……その……」
私は、あまりにも突然の事に、心臓が痛いほどうるさく高鳴るのを感じた。
要領を得ない、たじたじな声が喉から漏れる。
まさか、こんなタイミングで、こんな形で。 エレンの母親から実質的な『公認』を得ることになるなんて、夢にも思っていなかったのだから。
「良いんですか……?」
恐る恐る、信じられないというように聞き返す私に対し。 カルラさんは私から少し身体を離し、悪戯っぽく、しかし最高に幸せそうな笑顔を浮かべた。
「良いも何も、私の方から頼み込んでいるのよ?」
彼女は、私の両肩をしっかりと掴み、真っ直ぐに私の目を見て告げた。
「『エレンを貰ってくれるか』って。……ミカサ以外に、あの子を安心して預けられる、信頼出来る人は居ないわ。
性格はちょっとアレだけど……見た目だけなら、国宝級の優良物件よ? どうかしら?」
冗談っぽく、少しおどけるように、彼女は私に最高の、そして絶対に断る理由など存在しない提案を持ちかけてくれた。
私は、深呼吸をして、震えそうになる声帯にグッと力を込めた。
煩いぐらい高鳴る心臓を抑えながら、カルラさんの抱擁から優しく抜け出す。
そして、涙で潤む視界の向こうに佇む彼女の、栗色の瞳を、真っ直ぐに、逸らすことなくしっかりと見つめ返した。
「あ、あの。え、えれんを……」
緊張のあまり噛みそうになりながらも。 私はこれまでの人生で一番の真剣さと、偽りのない絶対の覚悟を込めて、深く、深く頭を下げた。
「エレンを、私にください……。必ず、私が幸せにします……ので。お願いします」
途切れ途切れになりながらも、私の魂の底からの誓いを、声にして紡ぎ出した。
私のその不器用で、必死すぎる宣言を聞いて。 カルラさんはパァッと顔を綻ばせ、本当に嬉しそうに目を細めた。
「ふふっ。こちらこそ、どうかうちのエレンを、宜しくお願いしますね」
そう言って、彼女は私と同じように、上品で深いお辞儀を返してくれたのだ。
私が安堵で肩の力を抜き、ようやく深く息を吐き出すと、カルラさんは自身の服のポケットに手を入れ、小さく冷たい金属の塊を取り出した。
「はい、どうぞ」
私の手を取り、そっと手のひらに包み込むようにして渡されたのは、真鍮製の『鍵』だった。
「エレンが引きこもっている部屋の、合鍵よ」
中から鍵をかけて泣いているエレンの部屋を、無理やりこじ開けるための魔法のアイテム。
カルラさんの手から伝わるその鍵の冷たさと重みが、私に確かな勇気をくれた。
カルラさんは私の手を離すと、そのまま背を向けて、リビングの方へと向きを変えた。
「ささっと仲直りして、思いっきり抱き締めてあげてちょうだい」
背中越しに、彼女は私を力強く送り出す言葉をかけてくれた。
「はい。……ありがとうございます」
私は、その鍵を自分の胸に大事に抱きかかえ、心からの感謝を込めて微笑みながら、しっかりと返事をした。
私が階段の方へと向き直り、エレンの待つ二階へと一歩足を踏み出そうとした、その時だった。
「あ、そうそう」
カルラさんが、階段を上る私の背中に向けて、どこかひどく含みのある、悪戯な笑みを浮かべた声で呼びかけてきた。
私が頭だけを振り返ると、カルラさんは階段の下から私を見上げていた。
彼女は、片目をパチリと閉じてウィンクをし、人差し指を自分の口元にスッとあてがいながら、こう口にしたのだ。
「あんまり声が大きいと、下のリビングまで聞こえちゃうから………程々にね?」
完全に、大人の余裕と『そういう意味』を含んだ、ピンク色の忠告だった。
「……ッ!?」
カァァァッ! と。 私の顔面から耳の先、首の根元に至るまでが、一瞬にして爆発したように真っ赤に紅潮するのが分かった。
「じょ、冗談はやめてください……ッ!」
私は、限界まで赤くなった顔を隠すように叫び、母親のからかいから逃げるように、そそくさと階段を駆け上がった。
鼓動がうるさい。鍵を握る手が汗ばんでいる。 だが、私の瞳には、もう一切の迷いはなかった。
(……待ってて、エレン。 今度こそ、私の全部で、あなたを捕まえるから)
私は、愛する人が一人で泣いている部屋の扉へと、真っ直ぐに突き進んでいった。