進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
冷たい冬の風が吹きすさぶ外気から一転して、イェーガー家の邸宅の中は、暖炉の火とカルラさんの優しい愛情によって、春の陽だまりのような温かさに包まれていた。
だが、私の心臓だけは、まるで氷の塊を飲み込んだかのように冷え切り、激しい警鐘を鳴らし続けていた。
カルラさんから受け取った、小さく冷たい真鍮製の鍵。
それは、娘のすべてを私に託すという母親からの『絶対の公認』であり、同時に、今この瞬間、たった一人で殻に閉じこもり、泣いているであろう愛する人の元へ通じる、唯一の希望だった。
私は、その鍵を胸に強く抱きしめたまま、二階へと続く木製の階段を、一歩、また一歩と踏みしめるように上っていった。
ギシッ……ギシッ……と。 私が足を踏み出すたびに、微かな軋み音を立てる。
その音すらもうるさく感じられるほどに、二階の廊下は不気味なほど静まり返っていた。
あの司令室で、私は自身の不器用で冷徹な言葉の刃によって、彼女の心をズタズタに切り裂いてしまった。
『もういいっ!!! 好きにしろよ!!!』
涙でぐしゃぐしゃになった、あの悲痛な叫び声。
私を突き放し、乱暴に手を振り払って逃げ出していったエレンの小さな背中が、網膜にこびりついて離れない。
私は、息を殺しながら廊下を進み、一番奥にある部屋───エレンがこもっている自室の扉の前に立った。
立ち止まり、中の様子を窺おうと耳を澄ませる。
「…………」
物音は、何一つ聞こえて来なかった。 微かな足音も、泣きじゃくる声も、衣服が擦れる音すらもない。
異常なまでの、完全な静寂がそこを支配していた。
「……エレン」
私は、震えそうになる声帯にグッと力を込め、扉越しに、祈るように彼女の名を口にした。
だが、反応は無い。
ドクンッ、と。 私の胸の奥で、心臓からひどく嫌な音が響いた。
何も聞こえない。部屋の中の状況が全く分からない。
その情報のない空白の空間が、私の脳内に、あらゆる『最悪の想定』を強制的にフラッシュバックさせる。
(まさか……泣き崩れたあまり、過呼吸を起こして倒れているんじゃ……)
(それとも、私の拒絶に絶望して、窓から……あるいは、自ら……)
いや、エレンに限ってそんな命を粗末にするようなことはあり得ないと、頭では分かっている。
それでも、今の極端に不安定になっている彼女の情緒を思えば、最悪のビジョンを拭い去ることができなかった。
カチャッ……
私は焦りを抑えきれず、ドアノブに手をかけて力を込めた。
だが、やはり中から固く鍵がかけられているのか、一定の角度まで捻ったところで、金属の抵抗に阻まれて動かなくなった。
私は、深く、細く息を吐き出した。
そして、もう片方の手に握りしめていた真鍮の鍵を、ドアノブの中央の鍵穴へとあてがい、ゆっくりと、音を立てないように慎重に挿し込んだ。
カチャリ……
微かな手応えと共に、施錠が解除された重い音が鳴る。
鍵を引き抜き、私はもう一度ドアノブをしっかりと握り込み、捻って、手前へとゆっくり引き寄せた。
キィィ……
金属の蝶番が微かに軋む音と共に、扉が開き、薄暗い部屋の中が私の視界へと飛び込んできた。
「エレン……?」
部屋の中は、分厚いカーテンが閉め切られており、冬の午後の光が完全に遮断されていた。
広いリビングの半分程の広さだが、一般的な一人部屋に比べれば十分に広いその寝室。
部屋の空気には、エレンがいつも使っている油絵の具の匂いと、彼女特有の甘く清らかな花の香り、そして……微かにだが、胃液の酸っぱい匂いのような、ひどく苦しんだ凄惨な気配が混ざり合って漂っていた。
私は足音を殺して部屋に入り、目を凝らして室内全体を見渡した。
だが、どこにもエレンの姿は無い。
整えられたままのベッドの上にも。 彼女がいつも腰掛けているソファーにも。
画材が散らばる、窓際のテーブルの椅子にも。
(……どこにも、いない?)
まさか本当に窓から飛び降りたのかと、血の気が引きそうになった、その時。
私が、部屋の中央へ向けて、さらにもう一歩踏み入ろうとしたその瞬間だった。
とすっ……
私のブーツのつま先に、何か、ふんわりとした柔らかい質量のものが当たった。
「え……?」
導かれる様に、私はゆっくりと視線を足元の床へと降ろした。
薄暗い床板の上。 そこには──────
「エレン……!」
フローリングの冷たい木の床に、身体を丸めるようにして、無造作に横たわっているエレンの姿があった。
その無防備で痛ましい姿を見た瞬間、私の心臓がヒュッと縮み上がり、全身の血液が凍りついた。
「エレン! エレン!」
私はその場に膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込み、反射的に彼女の細く白い首筋へと手を伸ばし、即座に頸動脈に指を当てた。
脈拍と、呼吸があるかどうかの確認。 どうか、生きていて。お願いだから。
私の指先に、トクン……トクン……と、弱々しいが確かな鼓動が伝わってくる。
すぅ……すぅ……
そして、彼女の小さな唇から、規則正しく繰り返される、静かで安らかな寝息が聞こえてきた。
「…………あぁ…………」
全身から、一気に力が抜け落ちるのを感じた。
私は、床に両手をつき、肺の底に溜まっていた恐怖のすべてを吐き出すように、深い、深い安堵の溜息をついた。
「……良かった……生きてる……」
彼女がただ、泣き疲れて床で眠ってしまっていただけだという事実に、私の目から思わず安堵の涙が滲み出そうになる。
私は呼吸を整え、改めて、冷たい床に横たわるエレンの姿をじっくりと視界に捉えた。
彼女の顔は、ひどく憔悴しきっていた。
白い額と火照った頬には、涙と冷や汗で濡れた艶やかなダークブラウンの髪が、べったりと張り付いている。
柔らかく閉じられたまぶた。
その長く美しい睫毛の先の目尻には、まだ乾ききっていない微かな涙の雫が残り、泣きじゃくったせいで痛々しく赤く腫れ上がっていた。
床の木目に染み込んだ濃い涙の跡が、それを残酷なまでに物語っている。
そして、その潤った小さな桜色の唇は、深い微睡みの中で、無防備にも半ばだらしなく開いた状態で晒されていた。
「…………っ」
その、あまりにも庇護欲を掻き立てる痛々しさと、それ以上に、すべてを無防備に委ねているかのような無意識の扇情的な色香に、私は思わず釘付けになってしまった。
微かに上下する華奢な胸の膨らみ。 乱れたスカートの裾から覗く、透き通るように白い絶対領域。
このまま、この冷たい床の上で、エレンが目覚める前に私の欲望のすべてをぶつけて、彼女の純潔をめちゃくちゃに奪い去ってしまいたい。
(……ダメ。今は、そんなこと……)
私は、ブルブルと激しく首を左右に振り、脳内を支配しそうになったドロドロとした爛れた煩悩を何とか振り払った。
こんな冷たい床で寝かせておけば、確実に風邪を引いてしまう。
(……ベッドに、寝かせよう)
心の中でそう呟き、私は己の理性を総動員して行動に移った。
床にしゃがみ込んだまま膝を深く曲げ、エレンの身体を傷つけないよう、極めて慎重に腕を回す。
左腕を、エレンの膝裏とスカートの隙間にスッと差し込み。
右腕を、彼女の華奢な背中と肩甲骨の間に差し入れ、落とさないようにしっかりと、包み込む様に抱き寄せる。
ぴとっ……。
「……っ」
その瞬間、私の左腕に、強烈な感覚が伝わってきた。
私の腕に直接触れた、エレンの膝裏の、柔らかな『生』の感触。
精神的ストレスで少し汗ばみ、蒸れているのか。
しっとりとした水気を帯びた、吸い付くような生暖かい熱が、私の左腕の皮膚を通して、全身の神経へとダイレクトに駆け巡った。
(……柔らかくて……熱い……)
私は、顔面へと一気に熱が集まり、耳の先まで真っ赤に紅潮していくのをはっきりと自覚した。
心臓が、先程の恐怖とは全く違う、甘く狂おしいほどの高鳴りを打ち始める。
私は、自身の理性が焼き切れないように必死に奥歯を噛み締めながら、力を込めて立ち上がった。
そして、まるで羽毛のように軽い彼女の身体を、ふわりと、いとも容易く宙へと抱き上げたのだ。
(私……今、エレンをお姫様抱っこしてる……)
私は、腕の中にすっぽりと収まる最愛の人の重みを感じながら、その夢のような事実に今更ながら気付き、エレンを抱き抱えたまま、正面を向いて完全に硬直してしまった。
アッカーマンとしての並外れた膂力があるとはいえ、エレンの身体はあまりにも軽く、そして脆かった。
少しでも力を入れ間違えれば、折れてしまいそうな細い身体。
でも、その中には、私の人生のすべてを懸けても惜しくないほどの、絶対的な価値と熱が存在している。
そのまま、彼女を起こさないようにベッドへと歩みを進めるべきだった。
だが、腕の中から漂ってくる甘い香りと、柔らかな体温の誘惑に抗いきれず。
数十秒程経って。 私は、不意に視線を斜め右下──私の腕の中で眠る、エレンの顔がある方へと向けてしまったのだ。
すると──────