進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
俺の巨大な足の甲にすがりつき、子供のように泣きじゃくるリーシェの温もりと涙の冷たさが、分厚い皮膚越しに痛いほど伝わってくる。
その感触を味わいながら、俺は自分の中に巣食い始めていた、決して抱いてはいけない致命的な感情を明確に自覚していた。
独占欲。執着。そして、おそらくは……
前世でろくな青春を経験しなかった男が、こんな残酷な世界で初めて心を通わせたうら若き女性に対して、そんな感情を抱くのは必然だったのかもしれない。
このまま彼女を俺だけのものとして、世界の全てから隠してしまいたい。
彼女の涙を見るくらいなら、馬で近づいてくる調査兵団ごと森の奥深くへ連れ去ってしまいたい。
だが……それでも、ダメだ。
そんなのは、ただのバケモノの身勝手なエゴでしかない。
彼女は人間なのだ。
日の当たる場所で、仲間と笑い合い、家族の温もりに包まれて生きるべき存在なのだ。
俺の個人的な孤独を埋めるための生贄として、こんな血と蒸気に塗れた森の奥底で、ずるずると一生を狂わせてはいけない。
俺は、奥歯を強く噛み締め、鋼の意思で脳裏にこびりつく邪な考えを完全に払い除けた。
そして、この残酷な別離の痛みを少しでも和らげ、彼女に生きる希望を与えるために。
俺自身にも成し遂げられるか全く分からない、一世一代の無謀な約束を口にする決意を固めた。
「リーシェ、聞いて欲しい」
俺が低く、しかし確かな熱を帯びた声で呼びかけると、俺の足に縋り付いていた彼女の華奢な肩が、ピクリと小さく震えた。
彼女はまだ顔を上げない。俯いたままのその表情は見えないが、地面に落ちる涙の雫が、彼女の絶望の深さを物語っていた。
俺はゆっくりと息を吸い込み、途方もない夢物語を、まるで決定事項であるかのように重々しく紡いだ。
「もしかしたら、私は───」
森の静寂が、一瞬だけ深く沈み込む。
「────人間に戻れるかもしれない」
その言葉が落ちた途端。
ハッとして、リーシェが弾かれたように泣き腫らした顔を上げた。
涙で濡れた夜空のような青い瞳。
その奥底に、さっきまで完全に消え失せていた「確かな期待」の光が、小さな炎のようにパッと宿るのが見えた。
俺自身、全く確信などない。
だが、これまでの自分の特異な性質を思い返せば、一つの狂った仮説が成り立つ。
俺は無垢の巨人と同じ姿をしているにも関わらず、なぜか彼らから「捕食対象」として襲われる。
そして何より、こうして完全に明確な人間の意志と前世の記憶を保ったまま思考し、硬質化という高度な能力すら使いこなしている。
もしかしたら、俺はただのイレギュラーな無垢の巨人ではなく、まだ人間の肉体をうなじの奥に隠し持った未覚醒の存在──ユミルの民の歴史に存在しないはずの「十番目の知性巨人」として、完全に覚醒できるのではないか。
望みは、はっきり言ってひどく薄い。針の穴にラクダを通すような確率かもしれない。
覚醒のトリガーが何なのか、何年かかるのかも全く分からない。
もしかしたら、俺が人間に戻る方法を見つける頃には、原作の物語が進行し、地鳴らしが起き、この世界の全てが終わっているかもしれない。
────それでも
彼女のあの希望に満ちた顔を見てしまったからには。
俺は、この身が完全に朽ち果てるまで足掻き、必ず成し遂げてみせると、魂の底から誓った。
「約束しよう。その時には、必ずや君のもとへ戻ると」
俺はゆっくりと片膝を突き、彼女と極力目線を合わせて、深く静かな声で告げた。
「だから、どうか待っていて欲しい。そして……絶対に、死なないでくれ」
俺の悲痛なまでの願いを受け止めたリーシェは、袖口で乱暴に目元の涙を拭い去った。
そして、調査兵団の兵士としての、あの凛とした力強い顔つきを取り戻し、真っ直ぐに俺の巨大な瞳を見据えて言った。
「……私……待ってるから。あなたが人間に戻れるまで、頑張って待つ」
震える声には、確固たる覚悟が満ちていた。
「……でも、あんまりにも遅かったら……私、また一人でここに来るからね」
それは、彼女なりの精一杯の脅しだった。
「それが嫌なら……一秒でも早く、私に会いに来て」
健気で、どうしようもなく愛おしいその言葉に、俺は張り詰めていた感情が少しだけ解けるのを感じた。
巨人の喉を震わせて、低く笑い声をこぼす。
「はっはっは。できることなら、君には壁の中で安全に、静かに待っていてもらいたいところだが」
俺は一拍置き、彼女の揺るぎない覚悟に応えるように、力強く頷いた。
「分かった。最善を尽くそう」
ザッ、ザッ、ザッ……!
地を蹴る複数の蹄の音が、いよいよ森の木々の隙間から聞こえる距離にまで迫ってきた。
馬の嘶きと、微かに「生存者か!?」という人間の叫び声が風に乗って届く。
タイムリミットだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、彼女を見下ろした。
これが、巨人の姿で交わす最後の言葉になる。
「それでは、”また”」
リーシェは、もう泣いていなかった。
両足をしっかりと地面に踏みしめ、俺を見上げて、最高の笑顔を作ってみせた。
「……うん、”また”ね。アトラス」
その言葉を胸の奥深くに刻み込み、俺は未練を断ち切るように彼女に背を向けた。
ここからは、時間との勝負だ。
調査兵団にこの異常な生活の痕跡を見られるわけにはいかない。
俺は全身の神経を研ぎ澄まし、拠点一帯に張り巡らせていた硬質化クリスタルの宿、精巧に作った暖炉、毎日彼女を温めた浴槽、そして彼女のために創り出した調理器具の数々へと思念を飛ばした。
パキィッ……! シャララララ……!
俺の意志に従い、絶対の強度を誇っていたはずの白銀のクリスタルたちが、まるで朝日に溶ける春の雪のように、一斉に光の粒子となって崩れ落ち、虚空へと消え去っていく。
たった数秒で、三ヶ月間続いた俺たちの温かな日常は、魔法が解けたかのように跡形もなく消滅した。
後に残されたのは、ただの冷たい冬の森の広場だけ。
ただ一つだけ、残したものがある。
俺は彼女の腰にある立体機動装置───ブレードとガスボンベに施した硬質化の改造だけは解除しなかった。
しかし、調査兵団の技術者が見ても「異常な改造」が施されているとバレないよう、クリスタルの色と質感を鉄や鋼と完全に同化させ、外見上は使い込まれたただの通常装備に見えるように変質させた。
たとえ遠く離れても、この力だけは彼女を守り続ける。
俺なりの、過保護で執念深い最後の加護だ。
少しでも、俺のいない世界で彼女の生存率を上げるために。
「おい! 誰かいるのか!」
背後で、馬を止めた兵士たちの驚きと安堵の入り混じった声が響く。彼女が仲間たちに発見された瞬間だ。
俺は一度も振り返ることなく、彼らの接近する音とは反対の方向
森のさらに深く、暗い闇の中へと向かって、ズシン、と重い一歩を踏み出した。
(待っていろ、リーシェ。必ず……人間として、お前に会いに行く)
喪失感に胸を焼かれながらも、俺の巨体には、かつてないほどの熱い活力が漲っていた。
人間に戻る。その果てしなく遠い奇跡を現実にするという、新たな、そして絶対の決意を胸に宿しながら。
俺は、白銀の雪を踏み砕き、深い森の奥へと姿を消した。