進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……   作:感謝君

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リーシェ視点です


第三十八話

カチャリ、と。

 

冷たい冬の空気に、立体機動装置の留め金が収まる硬質な音が響いた。

 

ガスの残圧、ワイヤーの巻き取り機構、シリンダーの滑り。

 

すべてが完璧だ。

 

私は満足げに息を吐き、膝の上に置いた装置から顔を上げた。

 

昼下がりの淡い木漏れ日が、すっかり葉を落とした巨大樹の枝の隙間から、白く霜の降りた地面に細い光の筋を落としている。

 

その光を浴びながら、私のすぐ傍らで、アトラスが巨大な胡座をかいて座っていた。

 

彼の指先は、15メートルの巨躯からは想像もつかないほど繊細に動いていた。

私から預かったブレードを目の高さに掲げ、幾度の戦闘で生じた肉眼では見えないほどの微細な亀裂を、彼自身が生み出す硬質化クリスタルで丁寧に、そして完璧に埋めてくれているのだ。

 

巨大な姿をした彼が、ちまちまと私の小さな刃を修復してくれているその光景は、いつ見ても少し可笑しくて、そしてどうしようもなく温かかった。

 

(ずっと……こんな穏やかな日が続けばいいのに)

森の静寂の中、彼の規則正しい作業音を聞きながら、私はそんな甘い考えに浸っていた。

 

私と彼だけの、誰にも邪魔されない秘密の世界。

 

この三ヶ月間、私は彼に守られ、彼に教えられ、彼と共に笑い合って生きてきた。

 

────だが、唐突に。

 

アトラスの指先が、ピタリと止まった。

 

私は不思議に思って彼を見上げる。

 

アトラスの視線は手元のブレードではなく、ずっと遠く、森の深い闇の奥へと向けられていた。

 

人間である私の耳にはまだ何も聞こえないが、巨人の異常な聴覚が何かを捉えたのだと直感した。

 

巨人が近づいてきたのだろうか? いや、ここ数週間、私が周辺の巨人を狩り尽くしたせいで、そんな気配は全くなかったはずだ。

 

やがて、彼はゆっくりと私の方へ視線を下ろした。

 

その端正な顔には、いつものように穏やかで、私を慈しむような柔らかな微笑みが浮かんでいた。

 

けれど、なぜかその青い瞳の奥が、酷く悲しげに揺れているように見えた。

「……リーシェ。君の迎えが来たようだ」

 

ぽつりと。

凍てつくような冬の空気に、彼の低く優しい声が溶けた。

「……っ……! ……何のこと?」

ビクッと、自分の肩が大きく跳ねたのが分かった。

 

何を言われているのか、一瞬理解できなかった。「迎え」? 誰が? こんな壁外の奥深くに?

 

いや、頭のどこかでは既に気付いていた。

 

この深さまで馬を走らせてくる集団など、この世界に一つしかない。

 

「……あと数分で、調査兵団であろう一団がここに到達する。リーシェ、君は壁内へ帰るんだ」

 

アトラスの口から放たれた決定的なその言葉が、私の心臓を鷲掴みにした。

 

サァァッ……と、全身から血の気が引いていく。

 

足先から指先まで、急激に氷水を浴びせられたように冷たくなり、目の前が真っ暗になった。

 

手から力が抜け、磨き上げたばかりの立体機動装置が、雪の混じる硬い地面にゴトッと音を立てて転がり落ちる。

 

「……嫌っ……」

気づけば、私はよろめくように立ち上がり、アトラスの巨大な足の甲にすがりついていた。

 

硬い無骨な巨人の皮膚。

 

なのに、私にとっては世界で一番温かくて、絶対に手放したくない場所。

 

「……なんで! なんでよ!」

私は、調査兵団の兵士としての矜持も、人としての分別もすべて投げ捨てて叫んでいた。

 

「このまま、ここで過ごそうよ! アトラスはそれで良いの!? この冷たい森で、また一人ぼっちになるのよ!?」

 

彼が夜の焚き火の前で語ってくれた、終わりの見えない孤独と絶望。

 

あんな暗闇の中に、もう一度彼をたった一人で突き落とすなんて絶対に嫌だ。

 

壁の中に帰りたいなんて、一度も思わなかった。

 

彼がいてくれるここが、私の帰るべき「家」になっていたのに。

「ねぇ! 私が一緒にいてあげるから……一緒にいさせてよ、ねぇ……っ!」

 

『……リーシェ』

苦しげに私の名を呼ぶ彼の声が、頭上から降ってくる。

 

その声に込められた、決して揺るがない「別れ」の決意。

 

彼は絶対に、私を連れて逃げてはくれない。

 

私の未来を思って、あえて突き放そうとしているのだと、痛いほどに分かってしまった。

 

「私……もっと、アトラスの世界の話、聞きたい……」

私は彼の足に顔を埋め、子供のようにしゃくり上げた。

 

「まだ……話し切れてない出来事、たくさんあるじゃない……もっと、私の話だって……聞いて欲しいのに……っ」

 

大粒の涙が次々と溢れ出し、冷たい冬の地面にポタポタと落ちていく。

 

私の熱い涙が、足元の薄っすらと積もった雪を、無残に、まばらに溶かしていった。

 

どれくらいそうして泣いていただろう。

 

頭上から、静かな、けれど微かな熱を帯びた声が響いた。

「リーシェ、聞いて欲しい」

その声のトーンの違いに、私はピクリと肩を震わせた。顔を上げることはできない。

 

ただ、息を殺して彼の次の言葉を待った。

「もしかしたら、私は───」

 

森の風が、ふっと止んだ。

「────人間に戻れるかもしれない」

 

「え……?」

途端に、私は弾かれたように顔を上げた。

 

涙で視界がぼやけていたけれど、私を見下ろす彼のアイスブルーの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 

巨人が、人間に戻る。壁の中の常識で考えれば、完全に狂った妄想だ。

 

一度バケモノになった者が元の姿に戻るなんて、そんな都合の良い御伽噺があるはずがない。

 

でも。

 

無垢の巨人に襲われ、人間の言葉を話し、クリスタルを操り、私にこれほどまでの優しさをくれる彼なら。

 

この世界の理不尽なルールすらも打ち破ってくれるのではないか。

 

私の瞳の奥に、さっきまで完全に潰えていた「希望」の光が、カチッと音を立てて宿るのを感じた。

 

「約束しよう。その時には、必ずや君のもとへ戻ると」

 

アトラスはゆっくりと片膝を突き、私の目の高さまで顔を下ろした。

 

「だから、待っていて欲しい。そして……絶対に、死なないでくれ」

 

その言葉は、私に「生きろ」という呪いであり、最高の祝福だった。

 

私は、袖口で乱暴に涙を拭い去った。

 

泣いている場合じゃない。

 

彼がそこまで覚悟を決めて無謀な約束をしてくれたのに、私がいつまでも泣きじゃくっているわけにはいかない。

 

「……私……待ってるから。頑張って待つ……」

 

私は、震えを押し殺し、真っ向から彼を見据えて言った。

「……でも、あんまりにも遅かったら……また、ここに来るから。それが嫌なら、一秒でも早く会いに来て」

 

精一杯の強がりと、彼への絶対の信頼を込めた脅し。

 

私の言葉を聞いて、アトラスはふっと目を細め、巨人の喉を震わせて低く笑った。

 

「はっはっは、できることなら壁の中で静かに待っていてもらいたいところだが。……分かった、最善を尽くそう」

 

ザッ、ザッ、ザッ……!

その時、私の耳にもはっきりと「その音」が届いた。

 

凍てついた地面を蹴る、複数の馬の蹄の音。

 

人の気配。もう、数百メートルの距離まで迫ってきている。

 

タイムリミットだ。

 

アトラスはゆっくりと立ち上がった。

 

「それでは、”また”」

「……うん、”また”ね。アトラス」

 

私が短く返すと同時に、アトラスは未練を断ち切るように私に背を向けた。

 

その直後だった。

 

パァァァッ……!

 

私の視界の端で、眩い光が弾けた。

 

振り返ると、私を寒さから守ってくれていたクリスタルの宿が。

毎日温かいお湯で満たしてくれた水浴び小屋の浴槽が。二人で火を囲んだ特製の暖炉が。

 

アトラスが私のために創り上げてくれたすべてのクリスタルが、まるで春の雪解けのように一瞬にして光の粒子へと変容し、冬の冷たい空気の中へと霧散していく。

 

「あ……」

三ヶ月間の、奇跡のような共同生活の痕跡。

 

それが、文字通り跡形もなく消え去ってしまった。

 

ただの、何もない寒々しい巨大樹の森の広場へと戻っていく。

 

ただ一つ。

 

私が足元から拾い上げた立体機動装置のブレードとガスボンベだけは、一見すると普通の使い込まれた鉄の塊のように色を変えながらも、確かな重みと「絶対に折れない」という絶対的な強度の感触を私の手に残していた。

 

彼が私に遺してくれた、生存率を上げるための最後の魔法。

 

「おい! 誰かいるのか!」

「馬を止めろ! 人の気配がするぞ!」

 

木々の向こうから、聞き覚えのある調査兵団の兵士たちの怒声が響き渡った。

 

私は、彼らの方を振り向かなかった。

 

ただ、静かに、けれど力強い足取りで、森の深い闇の奥へと進んでいくアトラスの巨大な背中を、決して瞬きすることなく見つめ続けていた。

 

さようならは言わない。

 

この胸に宿った新たな決意と共に、必ず生きて、彼が人間の姿で壁を越えてくるその日を待ち続ける。

 

彼の背中が完全に見えなくなるまで、私は雪の降る森の中で、強く、強くブレードの柄を握りしめていた。

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