進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
エルヴィン団長による、あの地獄のような(彼にとっては胃が千切れるような)「二十四体単独討伐」に関する事後報告と説教の時間が終わった後。
「……以上だ。次からは、せめて新兵の目の前で物理法則を無視するのは控えてくれ。彼らの常識が崩壊する」
「善処するわ」
深く、酷く深く溜息を吐いて額を押さえる団長に対し、私は氷のように冷たい表情を崩さぬまま一礼した。
そして、退室のためにきびきびと踵を返した直後――自分の懐から小瓶を取り出し、執務机の端へと「コトッ」と音を立てて置いた。
「なんだ、これは?」
「王都の商人から買い付けた、とびきりよく効く胃薬よ。それじゃあ、失礼するわ」
目を見開くエルヴィン団長を尻目に、私はしれっとした態度で執務室の扉を閉めた。
(ごめんなさい、団長。でも、巨人を前にすると、勝手に身体が最適解で動いちゃうのよ。胃の痛みは、どうかその薬で散らしてちょうだい)
内心で密かに懺悔しつつ、私は調査兵団の長い廊下を歩き出した。
壁外調査での常軌を逸した大立ち回りが広く知れ渡って以降、兵団内での私の扱いはすっかり「生きた伝説」、あるいは「触れてはならない爆発物」へと変貌していた。
廊下を歩けば、私を視界に入れた瞬間に兵士たちがビクッと肩を跳ねさせ、壁際に直立不動で並び、一糸乱れぬ動きで「心臓を捧げる」敬礼を向けてくる。
(……正直、ちょっと気まずい)
ただ食堂に行って温かいお茶が飲みたいだけなのに、まるで王族か死神でも通るかのようなピリついた空気が流れるのだ。
だが、ここで照れたり愛想笑いを浮かべたりしては、せっかく定着した「冷徹な鬼神リーシェ」という便利なキャラクター性が崩れてしまう。
舐められないためにも、そして何より面倒な詮索を避けるためにも、私は一切の表情を動かすことなく、ただ無言で彼らを一瞥し、威圧感たっぷりに通り過ぎる日々を送っていた。
季節は無情にも巡り、年は明けて844年
肌を刺すような冷たい風が吹く、2月の頃。
アトラスとあの白雪の森で別れてから、実に一年と一ヶ月という長い月日が流れていた。
この頃から、私の中で無理やり押さえ込んでいた「ある疑念」が、黒い染みのように広がり始めていた。
彼を待つことに、私の精神が限界を迎え、痺れを切らし始めていたのだ。
(……あの日、彼は『人間に戻れるかもしれない』と言った。必ず会いに来ると、約束してくれた)
夜、冷え切った兵舎のベッドで一人丸まりながら、私は幾度となくその言葉を反芻する。
でも、もしそれが……
私をあの森から帰し、人間の世界で生かすために彼が吐いた、「私を納得させるための優しい嘘」だったとしたら?
本当は、人間に戻れる兆しなんて何一つなくて。
バケモノの姿のまま、未来永劫あの冷たい森の奥底で、私という唯一の温もりすら失って、たった一人で絶望的な孤独に耐え続けているのだとしたら?
彼はそういう男だ。私の安全のためなら、自分の心ごと殺してでも笑って見送るような、底抜けに優しくて、不器用で、自己犠牲の塊みたいな巨人なのだから。
「……っ、アトラス……」
そう考えるようになってから、私の精神状態は目に見えて悪化していった。
日常的な苛立ちは隠しきれず、常に眉間に皺を寄せ、周囲の気温を数度下げるような不機嫌なオーラを撒き散らすようになっていたらしい。
すれ違う兵士たちは私を見て文字通りガチガチと歯の根を鳴らして怯え、ついに見かねたエルヴィン団長から「頼むから、もう少し表情の力を抜いてくれ。
君が食堂に入るだけで新兵が泣き出すんだ」と本気で懇願される始末だった。
壁外調査における巨人討伐でも、私のその鬱憤は最悪の形で発露した。
ただうなじを削ぐだけでは飽き足らず、両腕を切り飛ばし、アキレス腱を削ぎ、巨人が最も無様にもがくように解体してからトドメを刺すという、より無慈悲で残虐な戦闘スタイルへと変貌していた。
(ごめんなさいね、後ろで震えてる部下たち。でも、私の中に溜まったこのストレスは、巨人の肉を斬り刻まないと発散できないのよ)
そして、844年の3月初旬。
雪解けの季節の気配を感じた時、私の中の張り詰めていた糸が、プツンと音を立てて切れた。
───「あんまりにも遅かったら……また、ここに来るから。それが嫌なら、一秒でも早く会いに来て」───
あの日、私が彼に突きつけた脅し文句。
一年と一ヶ月待った。もう十分だ。彼が来ないなら、私が迎えに行く。
嘘をついていたなら、その巨人の胸ぐらを掴んででも引きずり出してやる。
私は一切の迷いを捨て、兵団本部で行われていた上層部の作戦会議室へと単身乗り込んだ。
───ドゴォォォォンッ!!!
ノックなどという生ぬるい真似はしない。
私の足から放たれた常軌を逸した蹴りが、分厚いオーク材の扉を蝶番ごと吹き飛ばし、会議室の中央へと叩きつけた。
「ひ、ひぃぃッ!」
「き、来たッッ!!!」
もうもうと舞い上がる土煙の中、私はゆっくりと会議室へと足を踏み入れた。
円卓を囲んでいた兵団の幹部たち、そして同僚の数十人が、血の気を失った真っ青な顔で一斉に立ち上がっている。
彼らの手は全員、いつ私に襲いかかられても(あるいは少しでも抵抗して死ぬために)大丈夫なように、腰のブレードの柄にガッチリと掛けられていた。
私が本気で狂ってクーデターを起こしたとでも思ったのだろう。
しかし、私はそんな彼らの異常な警戒態勢を全く気にしないフリをして、会議室の最奥、上座に座る幹部たちを冷徹なアイスブルーの瞳で見据えた。
「───ウォール・マリア外に存在する、『巨大樹の森』深部への壁外調査を提案します。」
地を這うような、絶対に否とは言わせない凄みを含んだ声。
静まり返った会議室で、幹部たちは互いの顔をひきつらせながら見合わせ、やがて全員が揃って、ガクガクと首を縦に激しく振った。
「しょ、承知した……! 即座に編成の準備に取り掛からせよう……っ!」
「と、当然の提案だ! 我々もそうすべきだと、ちょうど話し合っていたところだとも! なぁ!?」
恐怖で裏返った声による、全会一致の可決。
(なんだ、意外と話の分かる人たちじゃない。これならもっと早く扉を蹴破ればよかったわ)
私は内心で満足げに頷き、用は済んだとばかりに踵を返し、破壊された扉の残骸を踏み越えて颯爽と立ち去った。
かくして、一ヶ月後の4月に、調査兵団の総力を挙げた「巨大樹の森への特別壁外調査」が決定した。
その後、兵団内でどんな噂が飛び交ったかは言うまでもない。
「おい聞いたか……あの鬼神リーシェが、ついに上層部に対して武力クーデターを起こしたらしいぞ……」
「会議室の扉が木っ端微塵だった……幹部連中、全員泣きながら要求を飲まされたって……」
「その心労で、エルヴィン団長が胃に穴を開けて過労で倒れたらしい……」
尾鰭に背びれまでついた物騒な話題で持ちきりになっている兵舎を歩きながら、私は冷たい仮面の下で、ひっそりと熱い闘志を燃やしていた。
(待ってて、アトラス。人間に戻れていようがいまいが関係ない。私が、あなたを迎えに行くから)
果たして、美少女へと受肉した巨人と、彼を狂信的に愛する氷の刃は、巨大樹の森でどのような再会を果たすのか。
物語は、誰も予想し得ない激動の春へと突き進んでいく。