進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……   作:感謝君

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団長視点です


第五十三話

夜の帳が完全に下りた三重の壁の外、底知れぬ漆黒の荒野に、パチパチとはぜる焚き火の音だけが不気味なほど鮮明に響いていた。

 

 

野営の陣形の中央に張られた、指揮官用の分厚いキャンバス地のタープ下。

 

 

そこに集った調査兵団の幹部たちの顔は、揺らめく炎に照らし出されながらも、一様に土気色に沈んでいた。

 

 

無理もない。今日一日、我々約三百名の兵士は、ただの一度も剣を抜くことはなかった。

 

 

ただ息を潜め、馬に揺られ、一人のうら若き少女が、文字通り物理法則を嘲笑いながら巨人の群れを一方的に「解体」していく凄惨な光景を、ただ無力に見上げ続けるだけの観客に成り下がっていたのだから。

 

 

 

私はズキズキと深く鈍い痛みを主張する胃の腑を、厚手のコートの上から気休め程度に押さえつけながら、目の前で静かに炎を見つめる「それ」───リーシェ・ベニア班長へと視線を向けた。

 

 

 

返り血の一滴すら浴びていない彼女の出で立ちは、狂気的なまでの蹂躙劇の後だというのに、あまりにも整いすぎている。

 

 

ミケが先程から険しい顔で鼻をヒクつかせているが、彼女からは一切の疲労の匂いも、戦闘の高揚も、そして罪悪感の欠片すらも漂ってこないのだろう。

 

 

「……リーシェ」

私は、組んだ両手に顎を乗せ、指揮官としての最後の理性を総動員して、重く、静かな声で口を開いた。

 

 

「今まで、君の有用性を重んじてあえて避けてきたことだが……そろそろ、聞かせて欲しい」

 

 

炎越しに、彼女の氷のように冷たく、底の知れない青い瞳が私を射抜く。

 

 

その視線を受けただけで、背筋を這い上がるような悪寒が走った。

 

 

「あの巨大樹の森で、君の身に……一体何があった。何が、君をそうさせた」

その問い掛けが落ちた瞬間、隣に座るハンジが息を呑み、周囲の分隊長たちが硬直するのが分かった。

 

 

兵団最大のタブー。彼女の異常性の根源。それに触れることは、眠れる竜の逆鱗を撫でるに等しい行為だ。

 

 

だが、明日には我々はその魔境へと足を踏み入れる。これ以上の情報の隠匿は、部隊全体の致命的な崩壊を招きかねなかった。

 

 

彼女は表情の筋肉をピクリとも動かさず、ただ淡々と、まるで明日の天気を告げるかのように恐るべき事実を口にした。

 

 

「あの巨大樹の森には、完全な知性を持った巨人がいるわ」

空気が、文字通り完全に凍りついた。

 

 

 

知性を持った巨人。

 

 

ただ本能に従い人間を捕食するだけの自然災害ではなく、我々と同じように思考し、判断する異形。

 

 

 

調査兵団が長年追い求めてきた謎の核心であり、同時に、人類の常識を根底から覆す絶望的な概念。

 

 

 

ハンジがゴーグルの奥で狂気的な探究心と畏怖を爆発させる中、彼女はさらに冷ややかな声で言葉を継ぐ。

 

 

 

「……一応、忠告しておくけど。『討伐』なんていう無意味なことは、考えない方が賢明よ。

 

仮に、今の私と同等の力を持った兵士が100人……いえ、1000人束になって掛かったとしても、数秒で彼に“処理”されるでしょうから。……冗談抜きで」

 

 

私の呼吸が、一瞬完全に停止した。

 

 

今日、たった十秒で十体の巨人を無傷で殲滅したこのバケモノが、1000人。それが、数秒で処理される?

 

 

戦術計算すら成り立たない。

 

 

それはもう、一個の生命体ではない。

 

 

世界を滅ぼす災厄そのものの描写だ。ミケの顔面から血の気が引き、周囲の幹部たちは絶望に顔を歪めた。

 

 

「な……なんだと!?」

恐怖の許容量を超えた分隊長の一人が、耐えきれずに立ち上がり、金切り声を上げた。

 

 

「君が1000人いても敵わないだと!? そんな神か悪魔のようなバケモノの住処に、我々を……この三百人を、死地に送ろうと言うのか! 君の目的は調査兵団の壊滅か!?」

 

 

唾を飛ばして絶叫する分隊長。その恐怖は痛いほど理解できた。我々は、彼女の気まぐれな提案によって、自ら地獄の釜の底へと歩みを進めているのだから。

 

 

 

だが、その叫びに対するリーシェの返答は、あまりにも冷酷で、そして絶対的な事実だった。

 

 

「あなた達三百人を殺すつもりなら、こんな回りくどいことをしなくても壁の中でとっくに全員皆殺しにしているわよ」

 

 

ヒッ、と。分隊長の喉から情けない音が漏れ、彼は糸の切れた人形のように椅子へと崩れ落ちた。

 

 

そうだ。彼女の言葉に一切の誇張はない。

 

 

その気になれば、彼女はあの王都の地下街からウォール・シーナの王宮に至るまで、単騎で人類の歴史を終わらせることができる。

 

 

我々三百人など、彼女にとっては道端の石ころと同義なのだ。

 

だが、真の恐怖はそこからだった。

「あの巨人……私が『アトラス』と名付けた彼はね、私と約束したのよ……」

 

 

炎を見つめる彼女の瞳から、唐突に、あの絶対零度の冷気が霧散した。

 

 

焦点がぼやけ、宙を彷徨うような視線。先程まで氷の刃のごとく研ぎ澄まされていた鬼神の仮面が、ドロドロと熱を帯びて溶け落ちていく。

 

 

「自身が人間に戻ったら、必ず壁を越えて、私に会いに行くって……そう言ったの」

 

無意識なのだろう。彼女の両手が硬く握りしめられ、その異常な膂力によって掌に自身の爪が食い込み、血が滲んでいる。だが彼女は痛みに気づく様子もなく、ただ熱に浮かされたように、震える声で言葉を絞り出した。

 

 

「それで、私は一年と一ヶ月、ずっと壁の中で待ったのよ? 彼が来てくれると信じて、毎日毎日、ずっと……!」

 

 

ギリッ、と歯軋りするような音が漏れる。

「……私は、これ以上待てない。彼が来ないなら、こっちから行くしかないでしょ?」

 

 

その瞬間。私は、己の胃の痛みすら忘れるほどの、底知れぬ戦慄に全身を貫かれた。

 

 

(……狂っている)

私はこれまで、人類の未来のため、あるいは自己の野望のために、数え切れないほどの兵士を死地へと送り込み、彼らの狂気や絶望、そして信念をこの目で見てきた。

 

 

 

だからこそ、分かる。目の前のこの女は、人類の存亡など最初から一ミリも歯牙にかけていない。

 

 

 

兵団への忠誠も、巨人を駆逐するという大義も、彼女の中には存在しない。

 

 

圧倒的な武力。冷徹なる判断力。上層部を脅迫し、三百人の軍勢を動かしたその政治的行動力。

 

 

そのすべてが、ただ一体の「巨人」に対する、度を越えた執着と狂信的な愛情───たった一人の少女の『恋煩い』によって引き起こされたものだったのだ。

 

 

 

世界を滅ぼし得る力を持った女が、ただ恋人に会いたいがために、国家の軍隊を私物化して暴走している。

 

 

 

これほど滑稽で、これほどまでに悍ましく、絶望的な事実が他にあるだろうか。

 

 

私は今、完全に正気を失った化け物に、人類の希望である調査兵団の全権を委ねてしまったのだ。

 

 

 

タープの下が、本物の怪物を前にしたかのような、言葉に絶する恐怖の沈黙に沈む中。

 

 

 

私は、乾ききった唇を僅かに舐め、指揮官としての最後の、そして最も愚かな問いを口にした。

 

 

「……一つ、確認させてくれ、リーシェ。我々は……この三百人の兵士は、無事に壁の中へ帰れるのか?」

 

 

その私の必死の問いかけを聞いた彼女は。

 

 

まるで、見当違いの冗談を聞いた小鳥のように、不思議そうに小首を傾げた。

 

「は? ……当たり前でしょ?」

 

 

そして彼女は、炎の光を受けて──私がこれまで見たどんな人間の笑顔よりも美しく、そしてどんな巨人の捕食顔よりも恐ろしい、とろけるような恍惚とした笑みを顔いっぱいに浮かべたのだ。

 

 

 

「だって、帰る時は……私のアトラスも、壁の中へ連れて帰るんだから」

 

 

パチッ、と。再び焚き火が大きく爆ぜた。

 

 

 

その瞬間、私は確信した。明日、我々が足を踏み入れる巨大樹の森には、巨人の脅威など及ばない、全く別の次元の『混沌』が待ち受けているのだと。

 

 

 

私は胃の奥底から込み上げる吐き気を必死に飲み込みながら、もはや誰にも止めることのできないこの狂気の行軍が、一体どのような破滅の結末を迎えるのか、ただただ戦慄することしかできなかった。

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