進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……   作:感謝君

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第五十八話

ズシン……ッ、ズシン……ッ。

 

 

巨大樹の森の深淵から響き渡るその足音は、我々が熟知している無垢の巨人のそれとは根本的に異なっていた。

 

 

 

本能のままに大地を這いずるような不規則な歩みではない。

 

 

明確な意志と知性を持ち、自らの質量を完璧に制御している、理知的な重低音。

 

 

 

その音が近づくにつれ、背後に展開する三百名の兵士たちの間に、伝染病のように恐慌が広がっていくのが肌で感じられた。

 

 

 

平原で無垢の巨人を一蹴したあの一件があろうとも、未知の領域から迫り来る巨大な影に対する原初的な恐怖は拭い去れるものではない。

 

 

 

私は手綱を握り締め、前方で愛馬から降りたリーシェ・ベニアの背中を見つめながら、静かに息を呑んだ。

 

 

 

やがて、鬱蒼と茂る大樹の隙間を縫うようにして、そいつは姿を現した。

 

 

 

15メートル級。しかし、その肉体はあまりにも特異だった。

 

 

不気味に肥大化した腹も、アンバランスな手足もない。

 

 

 

まるで古代の彫刻家が理想の戦士を象ったかのような、無駄のない鋼の筋肉。中性的ながらも端正な顔立ち。

 

 

 

そして何より、我々を睥睨(へいげい)するそのアイスブルーの瞳には、紛れもない『高度な知性』が宿っていた。

 

 

 

(これが……リーシェの言っていた、アトラス……)

人類の敵である巨人が、知性を持っている。

 

 

 

その事実だけでも、壁内の歴史を根底から覆す大発見だ。

 

 

私の中の探究心と、指揮官としての警戒心が限界まで跳ね上がった、次の瞬間。

 

 

『……リーシェ、久しぶりだね。どうしたんだい、こんなにお仲間を連れてきて』

森の空気を震わせる、重く、深く、そしてどこまでも理知的な『人間の言葉』が、巨人の口から紡がれた。

 

 

「なっ……!?」

隣で待機していたハンジが言葉を失い、ミケが信じられないものを見るように息を止める。

 

 

三百人の兵士たちが完全に硬直した。

 

 

巨人が、明確な意思疎通を図ってきたのだ。

 

 

本来であれば、全人類にとって記念すべき、歴史的なファーストコンタクトの瞬間であるはずだった。

 

 

だが、その荘厳な空気は、我々が誇る人類最強の『鬼神』によって、木端微塵に粉砕されることとなる。

 

 

「遅い……ッ! 遅いから、私が迎えに来たのよ!!」

 

鼓膜を劈くような、悲痛な叫び声。

 

 

つい昨日、一切の表情を変えずに十体の巨人を肉片に変えたあの冷徹な氷の刃が、まるで親にはぐれた幼子のように顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、武装したまま猛然と駆け出したのだ。

 

 

 

そしてあろうことか、15メートルの巨人の足の甲にすがりつき、なりふり構わず大声で泣き喚き始めた。

 

 

「早くしてって言ったよね!? 一年と三ヶ月も待ったのに! なんで、なんでまだ巨人のままなのよ!! 私を納得させるための、ただの嘘だったの!?」

 

 

(……嘘だろう。あれが、あのリーシェなのか……?)

 

私は自身の目を疑った。兵士としての規律も、威厳も、そこには微塵もない。

 

 

ただ恋人に待ちぼうけを食らわされ、感情のタガが外れてしまった一人の少女のヒステリーがそこにあった。

 

 

対する巨人──アトラスは、我々三百人の精鋭部隊を前にしても全く動じる様子を見せなかったが、足元で泣き喚く一人の少女に対しては、酷く狼狽したように視線を泳がせた。

 

 

『いや、その、なんだ……嘘じゃない。

人間には、戻れるようになったんだ……でも、その……』

 

もごもごと、巨人の威厳など欠片もない歯切れの悪い弁解。

 

 

それに逆上したリーシェの次の行動は、私の胃の腑を物理的に握り潰すほどの破壊力を持っていた。

 

 

「今すぐ人間の姿を見せて! じゃないと、ここで自分の首を斬るから!!」

 

 

チャキッ、と。彼女は自身の腰からブレードを引き抜き、その鋭利な刃を自身の白く細い首筋にピタリと押し当てたのだ。

 

 

「や、やめろリーシェ!!」

私は思わず叫んでいた。

 

彼女のその刃は、恐らく目の前の巨人が何らかの方法で施したであろう絶対に刃こぼれしない特注品だ。

 

そして彼女の筋力はリミッターが外れている。

 

 

少しでも手元が狂えば、人類最強の戦力は自らの手であっけなくこの世を去ってしまう。

 

そんな馬鹿な死に方があるか。

 

 

だが、私以上に恐慌状態に陥ったのは、他でもない巨人の方だった。

 

 

『わ……! 分かった! 今すぐ人間になるから落ち着けリーシェ!! 刃を下ろすんだ!!』

 

 

パニックに陥った巨人のうなじから、爆発的な轟音と共に超高温の蒸気が噴き上がる。

 

 

 

15メートルの肉の鎧が音を立てて崩壊し、猛烈な突風が森の境界に吹き荒れた。我々は腕で顔を覆いながら、その白い霧の向こう側に現れるであろう『真実』を凝視した。

 

 

巨人を操る本体。どれほど屈強な戦士か、あるいは数奇な運命を辿った老練な男か。

 

 

蒸気が晴れ、風が白煙を散らしたその先に立っていたのは────

 

 

「……は?」

私の口から、指揮官にあるまじき間抜けな声が漏れた。

 

 

真っ白な、陽光を透かすような薄手のサマーワンピース。

 

 

肩甲骨まで流れる艶やかな漆黒の髪。

 

 

顔のパーツは神が計算し尽くしたとしか思えないほどの黄金比を描き、アイスブルーの瞳が憂いを帯びて揺れている。

 

 

 

身長は女性としては高い部類だが、しなやかな曲線美と、胸元のささやかな膨らみが、それが間違いなく『女性』であることを示していた。

 

 

極上の、この世のものとは思えないほどの、超絶美少女。

 

 

それが、あの15メートルの巨人の正体だった。

 

(どういうことだ……? リーシェは、巨人の『男』を愛していたのではなかったのか……?)

 

 

私の脳内で、これまでに構築してきたあらゆる仮説や論理が、ガラガラと音を立てて崩壊していく。

 

 

いや、そもそもリーシェ自身が一番驚いているはずだ。

 

 

彼女の瞳は限界まで見開かれ、完全に思考が停止しているように見えた。

 

 

「…………私も、まさかこうなるとは思わなかったんだ……」

美少女──アトラスは、恥ずかしそうに頬を林檎のように赤く染め、ワンピースの裾をギュッと握りしめて身をよじった。

 

 

 

そのあまりにも可憐で、無自覚に扇情的な仕草を見た直後。

 

 

私は、我が調査兵団が誇る最強の兵士が、完全に理性を吹き飛ばす瞬間を目の当たりにすることになる。

 

 

 

「抱いて良い?」

 

 

 

……空耳かと思った。

 

 

 

いや、違う。

 

 

リーシェは今、間違いなく、獣のような欲望を隠しきれない声でそう言ったのだ。

 

 

三百人の部下が後ろで見ているというのに。人類の存亡を懸けた壁外調査の最中だというのに。

 

 

「え!?」と、アトラスと呼ばれた美少女が頭から蒸気を吹き出しそうなほど赤面してパニックに陥る。

 

 

「あっ……あー、いや! ハグだよハグ! 再会の感動のハグ!」

 

 

慌てて取り繕うリーシェ。

 

 

だが、その目は完全に獲物を狙う肉食獣のそれだった。

 

「あっ、どうぞ……」

困惑したまま、控えめに両腕を広げる美少女。

 

 

その細く白い腕の中に、人類最強の鬼神は、まるで吸い込まれるように、呆れるほど甘えた動作で飛び込んでいった。

 

 

 

「アトラス……アトラス……っ」

絹糸のような黒髪に顔を埋め、美少女の胸元に頬を擦り寄せながら、恍惚とした表情で名前を呼び続けるリーシェ。

 

 

春の穏やかな陽射しが降り注ぐ巨大樹の森の入り口で。

 

 

純白のワンピースを着た超絶美少女と、彼女に抱きついて我を忘れている軍服姿の小柄な少女。

 

 

絵画のように美しい、百合の花が咲き乱れるようなその光景を前に。

 

 

「…………」

私は、コートの上から自身の胃のあたりを両手で強く、ひどく強く押さえつけ、そのままゆっくりと馬の首元へと突っ伏した。

 

 

人類の歴史が変わる瞬間は、いつだって残酷で、理解の及ばないものだと覚悟していた。

 

 

だが、これほどの喜劇(カオス)は、私の人生設計のどこにも記されていなかった。

 

 

(……帰ったら、王政府にどう報告書を書けばいいのだ……『巨大樹の森には、リーシェ班長が溺愛する超絶美少女の巨人がいて、彼女たちは現在非常に良好な関係を築いております』……とでも書くのか……?)

 

 

 

激痛を訴える胃の腑と、完全に理解を放棄して石像と化している三百人の部下たちを背負いながら。

 

 

 

私はただ、この絶望的に平和で狂った光景が、一秒でも早く終わってくれることだけを、神に祈り続けていた。

 

 

 

 

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