進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
ギイィ……と、重厚なマホガニーの扉が閉まる音が執務室に響き渡った。
アトラス殿とリーシェが退室し、完全な静寂が戻った空間で、私は深く、ひどく長く、肺の底に溜まっていた濁った空気をすべて吐き出した。
口の中に残る胃薬の粉っぽさと苦味を、冷めた紅茶で無理やり胃の奥へと流し込む。
「……ははっ」
誰もいない執務室で、私は思わず乾いた笑いを漏らした。
笑うしかなかったのだ。
人類の命運を握る調査兵団の本部が、あわや『血の海』と化すところだったというのに、それを未然に防いだ手段が、絶世の美少女による『頬へのキス』だったなどと。
(アトラス殿……君のその自己犠牲と機転には、頭が下がる思いだ)
もし彼女が恥じらいに負けてあの行動を起こさなければ、リーシェは迷うことなく、自身の愛する半身に近づく『不確定要素(リヴァイ)』を排除するために動いていただろう。
あの恐るべき歩く終末兵器が、同時に、人類最強の鬼神を繋ぎ止める『唯一の首輪』として機能している。
この狂気に満ちたパワーバランスこそが、現在の壁内人類が生きながらえている絶対条件なのだ。
私はデスクに両肘を突き、両手で顔を覆いながら、先ほどのリーシェの言葉を反芻した。
『───四十三手』
その数字が、私の脳裏に冷たく、そして重く響く。
私が「第二の鬼神」と評したリヴァイに対し、彼女が弾き出した殺害までの手数。
丸腰の素手で、立体機動装置を装備したあの地下街の天才を仕留めるのにかかる時間。
私に至っては、わずか『七手』だという。
立体機動の高速戦闘において、七手などほんの数秒の出来事だ。
私はあの華奢な少女に、瞬きを数回する間に首をねじ切られる運命にあるという事実を、これ以上ないほど正確な数値として突きつけられたのだ。
だが。
私が自身の死の近さを実感し、冷や汗を流しながらも、同時にその目に『歓喜の光』を宿してしまったのも事実だった。
(あの、他者を等しく塵芥と見なすリーシェが……リヴァイの力を認め、四十三手もかかると計算したのだ)
彼女の異常な演算能力と身体能力をもってしても、「一撃」や「瞬殺」とは言わなかった。
四十三手。
それは超高速の立体機動戦闘においては、気の遠くなるような攻防の連続を意味する。
正式な対巨人訓練はおろか、対人戦闘の正規訓練すら受けていない、地下街の我流の刃。
それがすでに、あのバグめいた鬼神にそこまでの手数を要求する領域に達しているのだ。
(……間違っていなかった。私の目に狂いはなかった)
私はデスクの上の書類を強く握りしめた。
もしリヴァイがこの兵団で技術を磨き、経験を積み、その天性の才を極限まで開花させたなら。
彼は間違いなく、リーシェの暴走を物理的に食い止め得る『人類のストッパー』になり得る。
私が彼女を牽制するために用意した「楔」は、ただの希望的観測などではなく、極めて現実的な切り札として機能するはずだ。
「……ふぅ」
私は再び息を吐き、姿勢を正した。
数日後に控えた壁外調査。
リーシェとアトラス殿には、意図して『不干渉』を命じた。
先日の遠征のように、リーシェがすべての巨人を一人で無傷のまま殲滅してしまえば、他の兵士たちは永遠に巨人の恐怖と戦い方を学ぶことができない。
それでは調査兵団という組織そのものが形骸化し、彼女の機嫌一つで崩壊する脆い砂の城になってしまう。
我々は、自らの手で血を流し、刃を振るい、巨人に立ち向かう力と経験を蓄えなければならないのだ。
リヴァイにも、巨人の真の恐ろしさと、それを越えるための戦術をその身に刻んでもらう必要がある。
(盤面の駒は、かつてないほどに混沌としている……だが、最高の手札は揃った)
人類最強の鬼神。
歩く終末兵器たる、優しき巨人。
そして、泥底から這い上がってきた未来の最強の兵士。
彼らという劇薬をどう使いこなし、この残酷な世界で人類を生き延びさせるか。
それが、私に課せられた団長としての使命だ。
私は、再び痛み出しそうになる胃のあたりを軽く手で押さえながら、窓の外に広がる壁の向こう側──来るべき未知の世界での死闘へ向けて、静かに、そして確かな闘志を燃やして立ち上がった。