ゼノ・クライシス(Xeno-CRISIS)   作:gp真白

1 / 32
プロローグ

 

 

青い。あまりにも青い。

実数領域の空が映し出すその色は、どこまでも平穏で、どこまでも無関心だった。

次元宇宙。

 

人間たちが、その足元にある実体と、頭上の虚空に広がる意識の二重構造に気づかぬまま、日々の糧を求めて活動する場所。

だが、その平穏な海面のすぐ下では、目に見えない「虚数領域」の潮流が、死者の精神を集合的無意識へと運び、新たな命の種へと混ぜ合わせるという、果てしない循環を繰り返している。

そんな世界の理(ことわり)から、最も遠い場所に、その男はいた。

 

「……ふあぁ……。今日は、少し潮が静かすぎるな」

 

小さな島の港から少し離れた沖合。

一艘の年季の入った小舟の上で、クライムは大きくあくびをした。

彼にとっての宇宙は、今日の釣果と、適度に湿った海風、そして昼寝を妨げない程度の穏やかな波、ただそれだけで構成されていた。

クライムは漁師だ。

 

彼には、次元宇宙の危機を救う高潔な意志も、ましてや上位存在から与えられた特別な使命もない。

 

ただ、この小さな島の港で、悠々自適に、暇があれば眠り、腹が減れば魚を焼く。そんな「普通」の極致のような時間を愛していた。

クライムが再び瞼を閉じ、浅い眠りに落ちようとした、その時だった。

実数領域の物理法則では説明のつかない「音」が、彼の鼓膜ではなく、意識の奥底を直接叩いた。

 

同じ時、次元宇宙の別の場所。

「波動の番人」は、傷ついた精神を癒やすためにその掌から淡い光を放ち、「秩序の番人」は、その力が世界の上限を超えぬよう、冷徹な規律をもって空間を縛っていた。

 

彼らは知らない。

自分たちが振るうその力が、上位存在が「もしもの時」に自分たちを切り捨てるための隔離元素――『アニマ』と『アニムス』の模倣に過ぎないことを。

そして、その隠されたセーフティが今、原因不明の歪みによって軋みを上げ始めていることを。

 

「……ん?」

 

小舟の上で、クライムが片目を開ける。

青い空の向こう側に、一瞬だけ、巨大な「瞳」のようなものが映った気がした。

 

人知の及ばぬ領域から、ただ「観察」し続ける上位存在の視線。

だが、クライムはそれを「雲の形が変わっただけか」と決めつけ、再び使い古した麦わら帽子を深く被り直した。

この時、まだ誰も気づいていなかった。

 

のんびりと昼寝を貪るこの男の、指一本文にも満たない小さな無意識の揺らぎが、宇宙全体の「隔離システム」を書き換える最初のバグになることを。

次元宇宙と、上位存在の世界。

 

二つに引き裂かれた宇宙の運命は、一人の暇を持て余した漁師の、長すぎる昼寝から動き始める。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。