祠を揺るがす轟音と共に、天井の岩盤が鏡のように割れ、そこから白銀の幾何学的な翼を持つ上位存在の執行官(エグゼキューター)が降臨しました。その姿は美しくも、一切の慈悲を感じさせない絶対的な「拒絶」の意志そのものです。
「……フン、ようやくお出ましだ。随分と待ちわびたぜ、神の庭の番犬どもが」
ムサシは不敵に笑い、実体のない漆黒の剣を虚空から引き抜きました。その剣が放つ「存在しないはずの輝き」が、執行官の放つ神聖な光とぶつかり合い、周囲の空間を火花のように弾けさせます。
「オルムス、ガキ共を連れてさっさと行け! ここは俺が食い止める。……これでも、かつては奴らの同類だったんでな。あしらい方は心得ているさ」
「恩に着るよ、ムサシ殿。……クライム君、アニマ、急ぐんだ。この祠はもはや、ただの石造りの建物ではない」
オルムスがコンソールに複雑なコードを打ち込むと、祠全体が機械的な駆動音を立てて変形を始めました。岩壁は特殊合金の装甲へと姿を変え、祠そのものが巨大な潜航艇「アベルの方舟」へとその正体を現します。
「オルムスさん、先生は……ムサシさんは大丈夫なんですか!? 一人で、あんな化け物と……!」
クライムは、遠ざかるハッチの向こうで単身、空を駆ける光の群れに挑むムサシの背中を見つめ、震える声で問いかけました。
オルムスは眼鏡を指で押し上げ、細めた目の奥に割り切れない感情を滲ませながら静かに答えました。
「……どうだろうね。だが、彼が時間を稼いでいる間に、我々は君の『左目』に宿った力を完全に覚醒させる必要がある。この宇宙に残された唯一の希望である、最重要の地へね」
オルムスは即座に視線を切り替え、忙しなく動く組織のメンバーたちに鋭い指示を飛ばしました。
「総員、移動準備! 虚数潜航回路、接続開始。目標は『エルサレム』の座標。神の庭に最も近い、この宇宙の終着点だ。準備を急げ!」
方舟が虚数領域の深海へと潜航を開始する直前、クライムの左目は、ムサシが放った一閃が空を真っ二つに裂き、執行官の一陣を飲み込む刹那を捉えていました。
虚数領域の深海を突き進む「アベルの方舟」の船内。窓の外には、実数領域では決して見ることのできない、精神の粒子がオーロラのようにたゆたう幻想的で不気味な光景が広がっています。
オルムスはコンソールのモニターを見つめたまま、背後のクライムとアニマに向かって静かに語り始めました。
「我々が向かっている『エルサレム』……そこはこの宇宙の終着点であり、同時に始まりの地でもある。かつての旧文明が残した、現世の科学の粋がすべて凝縮された近代都市だ。だが、あそこを統治しているのは、ただの人間ではない」
オルムスが操作すると、黄金の装飾が施された白銀の都市のホログラムが浮かび上がりました。
「そこを支配しているのは、エルフと呼ばれる古代王族の末裔たちだ。彼らは純度の高いアニマ感応能力を血統として受け継ぎ、不老に近い寿命を持つ。……そして皮肉なことに、今君たちを追っている『番人』の組織、その頂点に君臨しているのも彼らだ」
クライムは目を見開きました。
「……じゃあ、敵の真っ只中に突っ込むっていうのか!? 先生があんなに命懸けで逃がしてくれたのに!」
「本来なら、我々『アベルの方舟』と彼らは水と油……決定的な敵対関係にある。だがクライム君、今の君の『左目』に宿った未完成の数式を安定させ、真の覚醒を促すための設備は、彼らの王宮にある『次元変移チャンバー』にしかないんだ」
オルムスは眼鏡の奥で、苦渋に満ちた決断を滲ませました。
「プライドや過去の因縁を語っている余裕はない。上位存在の『消去命令』はすでに始まっている。足りないリソースは、敵から奪うか、あるいは利用して補うしかないのだ。……我々は指名手配の身ゆえ、都市の境界線付近までしか君たちを送ることはできない」
アニマが不安げにクライムの手を握ります。エルフの王族たちは、彼女のような「アニマの器」を道具としてしか見ていないことを、彼女自身が一番よく知っていたからです。
「今のうちに、その街の構造と王族の特性を頭に叩き込んでおいてくれ。潜入に失敗すれば、ムサシ殿の稼いだ時間は無駄になり、宇宙はそのままフォーマットされることになる」
「……到着まであと10分。虚数潜航、終了準備」
オルムスの合図と共に、船体が激しく震動し始めました。潜航艇のハッチの隙間から、実数領域の光が漏れ出してきます。そこには、科学と魔術が融合した、美しくも冷徹な近代都市「エルサレム」の尖塔が、雲を突き抜けてそびえ立っていました。