王宮の頂上に、不気味な静寂が戻ってきました。
黒紫の翼を背負った「クライム」の瞳の中で、蒼い数式と紫の燐光が激しく明滅し、書き換えられていくネットワークの負荷を物語っています。
「……フン、その力が本物なら、余計に放っておけん」
隊長は短くなった葉巻を捨て、動けずにいるドンパの襟首を無造作に掴み上げました。今のクライム——あるいは彼を核とした集合的無意識のネットワークは、番人たちの手に負える「観測対象」を超えつつあります。
「一度、上の連中と協議が必要だな。小僧……いや、『器』よ。次に会う時は、その中身が誰になっているか楽しみだ」
隊長たちは空間を歪め、転送光と共に姿を消しました。残されたムサシもまた、弟子の変貌を複雑な表情で見つめ、刀を鞘に収めます。
「……これは一度、『オルムス』に報告した方が良さそうだな。クライム、自分を見失うなよ。お前の『意志』が消えれば、その力に呑み込まれるだけだ」
ムサシもまた、風に溶けるようにその場から立ち去りました。
「……あ、が……っ……!?」
一人残されたクライムの脳内に、耐え難いノイズが走り始めました。
自分のものではない記憶——冷たい実験室の風景、誰かに付けられた識別番号、そして「消えたくない」と叫ぶ無数の少女たちの泣き声。
(……私は……誰? 私は、クライム……それとも、名前のない『個体』……?)
クライム本来の記憶が、浸食してくる少女の絶望的な記憶と混ざり合い、彼の自我という「芯」が泥のように溶け出していきます。
「……クライム! しっかりして! まだ消えちゃダメ!!」
胸元で、アニマの結晶がかつてないほど激しく蒼い光を放ちました。
アニマは直感していました。このままではクライムの精神は、逃げ込んできたグノーシス・レアリアンの巨大な無意識に飲み込まれ、完全に消失してしまう。
アニマは自らの意識を極限まで研ぎ澄まし、クライムの精神回路へと深くダイブしました。
「……見せて。あなたが何を望んで、なぜ彼を選んだのか。あなたの『本当の目的』を……!」
アニマが潜り込んだ先——そこは、崩壊した数式が降り積もる、灰色の精神世界。
その中心で、膝を抱えて震えるグノーシス・レアリアンの少女の姿がありました。彼女がクライムと同化したのは、単なる自己保存のためだけなのか。それとも、ゾハルの力を介して成し遂げようとしている「別の目的」があるのか。
アニマの光が、少女の背中にそっと触れました。