「……番人、か。なんだか物々しい名前だな」
クライムは、浜辺に打ち上げられた流木に腰掛け、拾ったばかりの結晶を弄びながら呟きました。隣では、先ほど現れた少女——アニマが、水平線の向こう、実数領域と虚数領域が混ざり合う空の彼方を見つめています。
「ええ。この世界には、あなたのようにただ生を営む人々の裏側で、世界の『理』に直接触れる者たちがいるの。彼らは自分たちを『番人』と呼んでいるわ」
アニマの声は、潮騒に溶けてしまいそうなほど静かでしたが、その言葉には重い響きがありました。
アニマは、指先で空中に円を描きました。すると、虚数領域の粒子が反応し、微かな光の紋様が浮かび上がります。
「彼らの力の源は、この世界のどこかに安置されている巨大なプレート『ゾハル』にあるわ。あれは神の領域からエネルギーを汲み上げる扉。その扉から漏れ出す波動を感じ、操ることができる人間……それがアニマ感応者であり、番人と呼ばれる者たちよ」
アニマは継ぎ足すように説明をします。
「番人には二つの役割がある。私のようにゾハルの力を引き出す『波動の力』を持つ者。そして、その強大な力が世界を壊さないように上限を定める『秩序の力』を持つ者。彼らは常に二人一組で、互いの精神を繋ぎ止めることで、ようやくその力を行使できるの」
アニマは、クライムの手の中にある結晶を見つめ、少しだけ悲しげな視線を向けました。
「本来なら、番人ではないあなたがその結晶に触れることさえ、ありえないはずだった。でも、今のあなたは……無意識のうちに私と、そしてゾハルの波動と重なってしまっている」
「重なってる? 俺が?」
クライムは、自分のゴツゴツとした漁師の手を見つめました。人殺しや世界平和なんてものには、およそ縁のない、ただ網を引き、舵を握ってきた手です。
「そう。番人たちは、自分たちこそが世界の守護者だと信じているわ。でも、今のあなたは彼らにとって、自分たちの聖域を侵す『正体不明のバグ』でしかないの。だから——」
その時、結晶が「チリリ……」と鋭い警告音のような振動を上げました。島の影から、白銀の装束に身を包んだ「秩序の番人」たちが、海面を滑るような異常な速度で近づいてくるのが見えます。
「——彼らは、あなたを排除しようとする。番人にとって、自分たちの理解を超えた力を持つ者は、秩序を乱す『悪』でしかないから」
「逃げて、クライム!」
結晶から響いた少女の叫びに、クライムは思わず立ち上がりました。
「逃げろって言われても、俺の舟はあんなに速くないぞ!」
「私を信じて。あなたの『凪』のような心で、私の波動を包んで……そうすれば、道は開けるから!」
のんびりと昼寝をしていた漁師の日常は、こうして「世界の裏側」を知る少女の告白と共に、完全に崩れ去りました。追ってくるのは、神の力を背負った「番人」たち。
クライムは、生まれて初めて、魚を追うためではなく、宇宙の理を欺くために、自分の精神という「小舟」の舵を強く握り締めました。