僕のヒーローアカデミア:スパイダーウェブ   作:スパイダーキャット

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第3話 糸を紡ぐ理由

「私、ヒーローになる」

 

 夕食の席だった。

 箸が止まる音が二つ。

 

 味噌汁の湯気だけが、静かに昇っている。

 

 イトは自分の声が思ったより小さかったことに気づいた。だから、もう一度言った。

 

「サポート科じゃなくて、ヒーロー科を受ける。雄英の」

 

 皐月が先に口を開いた。

 

「……昨日の火事のこと?」

「うん」

「あの時、イトが飛び出していったの……おばさん、本当に怖かったのよ」

「……ごめん」

「怒ってるんじゃないの。怖かったの」

 

 皐月の声は穏やかだったが、その奥に昨日の恐怖が残っている。商店街で姪の背中が遠ざかっていくのを、追いかけることもできずに見ていた。煙の中に消えていくのを見ていた。

 

「でも、あの時──体が勝手に動いた。考えるより先に走ってた」

「知ってる。イトはそういう子だもの」

 

 皐月が小さく笑った。諦めでも呆れでもない。知っている、という笑い方だった。

 

「小さい頃からそうだったわ。公園で転んだ子がいたら真っ先に駆け寄って、迷子の猫を見つけたら雨の中でも傍にいて。……この子はいつかこういうことを言い出すんじゃないかって、ずっと思ってた」

「おばさん……」

「反対はしないわよ」

 

 皐月はそう言って、味噌汁を一口啜った。

 

「でも条件。ちゃんとご飯を食べること。無茶をしないこと。それから──」

 

 目が少しだけ潤んだ。

 

「──絶対に、帰ってくること」

「……うん」

 

 イトは頷いた。声が震えそうになるのを堪えた。

 

 榕介は、ずっと黙っていた。

 

 箸を置き、味噌汁を飲み干し、茶碗を下げて、台所に立った。背中を向けたまま、食器を洗い始める。

 

 イトは待った。おじさんはいつもこうだ。考えている時は手を動かす。言葉は、手が止まった時に出てくる。

 

 蛇口の水が止まった。

 

「……ウェブシューター」

「え?」

「あれ、持ち歩くつもりなんだろう」

「……うん。あの時、糸が出せなくなって。ウェブシューターがあれば──」

「カートリッジの規格を見直す。射出圧の安全基準も確認しないといけない。ヒーロー科の入試に持ち込むなら、サポートアイテムとしての申請が必要だ」

 

 イトは目を丸くした。

 

 榕介が背中を向けたまま続ける。

 

「明日から工房を好きに使え。ノズルの設計は俺が見てやる。素材の在庫が足りなければ発注する」

「おじさん──」

「ただし」

 

 榕介が振り返った。寡黙な男の目は、いつもと変わらなかった。怒ってもいない。笑ってもいない。でも、確かに何かを決めた目をしていた。

 

「中途半端な道具は持たせない。持つなら、俺が認めたものを持て」

 

 それはサポートアイテム技師としての言葉だった。

 

 道具は使う人間の命を預かる。半端な設計は人を殺す。──それを誰よりも知っている男の、職人としての条件だった。

 

「……! うん、うん……!」

 

 イトは何度も頷いた。今度こそ涙が零れた。おばさんが認めてくれた時は堪えたのに、おじさんの「好きに使え」で崩れるなんて、自分でもよく分からなかった。

 

 皐月が横でティッシュを差し出した。

 

「ほら。泣きながらご飯食べない」

「ごめ、ごめん……おいしい、今日のご飯おいしい……」

「いつもと同じメニューよ」

 

 いつもと同じ食卓。いつもと同じ味噌汁。

 でも今日は何もかもが違って見えた。

 

 

    *

 

 

 翌朝。まだ日が昇りきらない時間に、イトは走っていた。

 

 ヒーローを目指す以上、体は鍛えないとね──そう思って始めた早朝ランニング。近所の河川敷を走るだけの、何の変哲もないトレーニング。

 

 のはずだった。

 

 異変に気づいたのは三日目だった。

 

 最初の日、試しに河川敷を三キロ走った。息が上がらなかった。翌日五キロに伸ばした。余裕だった。三日目、十キロ。まだ走れた。

 

「……おかしくない?」

 

 立ち止まって、自分の脈を測る。ほとんど上がっていない。十キロ走った直後とは思えない数値だ。

 

 試しに、前から気になっていたことをやってみた。河川敷の護岸のコンクリート壁。高さ三メートルほど。助走をつけて跳んでみる。

 

 ──軽々と越えた。

 

 着地の衝撃もほとんどない。どういうことだ。壁を越えたはずなのに、階段を一段降りた程度の感覚しかない。

 

「えっ……」

 

 もう一度。今度は助走なしで、壁の前から真上に跳ぶ。

 壁の上に手が届いた。三メートルの壁の上に、立ち跳びで。

 

「……私、けっこうやるのでは?」

 

 誰もいない河川敷で、独りごちた。

 

 イトはこれまで自分の身体能力をまともに測ったことがなかった。体育の授業はそつなくこなしていたが、本気を出したことがない。人と力比べをすることもなかった。だから気づかなかった。

 

 自分の体が、普通の中学生とはまるで違うということに。

 

 その日から、トレーニングの内容が変わった。走る、跳ぶ、登る。自分の限界がどこにあるのかを確かめる日々。腕立て伏せは二百回やっても筋肉痛にならない。壁面吸着で建物を登る速度は、日に日に上がっていく。

 

 体が動くことが、こんなに楽しいと思ったことはなかった。

 

 

    *

 

 

 トレーニングと並行して、工房での日々が始まった。

 

 朝走り、学校に行き、帰ったら工房に直行する。そんな生活が何ヶ月も続いた。

 

 榕介との共同作業は、ほとんど会話がなかった。イトが射出機構の回路をいじり、榕介がノズル設計と圧力調整を監修する。分からないことがあればイトが訊き、榕介が短く答える。それだけだ。

 

 でもイトは知っていた。おじさんの棚に、新しい部品が増えていることを。イトが使いそうな規格の素材が、いつの間にか補充されていることを。

 

 何も言わない。

 ただ、手が動いている。

 

「おじさん、ここの接合部なんだけど」

「溶接が甘い。やり直せ」

「はい」

 

 ある日、射出テストで糸が壁を貫通した。圧力が高すぎたのだ。

 

「……おじさん、壁に穴が」

「見れば分かる」

「ごめんなさい」

「圧力の上限値を設定しろ。安全装置のない道具は道具じゃない」

「はい……」

 

 何度も失敗し、何度もやり直した。

 

 そして──中学三年の秋。

 

「できた」

 

 イトの声は静かだった。

 

 手首に装着されたウェブシューター。カートリッジを装填し、工房の壁に向けて射出する。糸が真っ直ぐ飛び、壁面に張り付いた。粘着力、引張強度、射出精度──全て設計値の範囲内。

 

 榕介がウェブシューターを受け取り、無言で検分した。接合部を指で確認し、カートリッジの装填機構を動かし、射出ノズルの角度を目視する。

 

 長い沈黙。

 

「……合格だ」

 

 それだけだった。でもそれで十分だった。

 

「ただし」

「うん」

「入試については正規にサポートアイテムの使用申請を出せ。手続きは俺が教える」

「ありがとう、おじさん」

 

 榕介は何も言わず、次の仕事に戻った。

 イトはウェブシューターを手首に巻き直し、しばらくそれを見つめていた。

 

 

    *

 

 

 ウェブシューターが完成してからの日々は、それまでとは全く違った。

 

 早朝、誰もいない近所の雑木林。イトはそこで射出訓練を始めた。

 

 的は木の幹だ。五メートル先、七メートル先、十メートル先。狙った場所にウェブを当てる。繰り返し、繰り返し。最初は半分も当たらなかった射出が、日を追うごとに精度を上げていく。

 

「よし……次」

 

 ある朝、イトは高い楢の木を見上げた。

 

 幹から枝が伸びている。地上から七メートルほどの位置。あの枝にウェブを引っ掛けて、ぶら下がって、振り子の要領で前に飛ぶ。

 

 ──スイング。

 

 理屈は分かる。物理の教科書に載っている振り子の運動だ。支点にウェブを固定し、自分の体重を利用して弧を描く。最下点で最大速度に達し、慣性で前方に飛ぶ。次のウェブを射出して、新しい支点を作り──

 

 理屈は分かる。でも実際にやるのは初めてだ。

 

「……よし」

 

 楢の枝にウェブを射出。命中。糸を引いて強度を確認する。大丈夫、もつ。

 

 深呼吸。

 

 ──跳んだ。

 

 体が宙に浮く。糸が張り、体が弧を描き始め──

 

 速い。思ったより速い。風が顔を叩く。地面が迫る。最下点を通過した瞬間、体が振り上げられて──

 

 前方の木の幹が目の前にあった。

 

「わっ──!」

 

 正面から激突した。

 

 ずるずると幹を滑り落ち、地面に転がる。背中に枝が刺さった。痛い。

 

「……うん、知ってた。最初から上手くいくわけない」

 

 立ち上がり、葉っぱを払う。もう一度。

 

 二回目。今度は最下点で手を離してみた。慣性で前に飛ぶ──が、回転がかかって錐揉みになり、茂みに突っ込んだ。

 

「ぐえっ」

 

 三回目。スイングの弧の頂点で次の木にウェブを射出──タイミングが早すぎて、二本の糸に引っ張られて宙で停止した。蜘蛛の巣に捕まった虫のようにぶら下がる。

 

「…………これは恥ずかしい」

 

 誰もいない雑木林でよかった。

 

 それでも続けた。四回目、五回目、十回目。体中が擦り傷と打ち身だらけになった頃、ほんの少しだけ──コツが掴めた気がした。

 

 最下点で体を伸ばすと加速する。縮めると減速する。次のウェブは弧の頂点の少し前に射出する。手を離すタイミングは、体が前を向いた瞬間。

 

 十一回目。

 

 楢の枝からスイング。弧を描き、最下点を通過。体を伸ばす。加速する。弧の頂点で次のウェブ──隣のブナの枝に命中。手を離し、新しい糸に体重を移す。二つ目の弧が始まる。

 

 ──飛んでいる。

 

 地面から三メートルの高さを、木から木へ。風が全身を包む。枝葉の間を体が泳ぐように滑っていく。

 

 三つ目のスイングで着地に失敗して転んだ。でも、笑っていた。

 

「……すっごい。これ、すっごい楽しい」

 

 泥だらけの顔で、イトは笑った。

 

 寝転がったまま、木々の間から覗く空を見上げる。朝の光が枝の隙間から差し込んでいる。

 

 一年前の自分には想像もできなかった光景だ。ヒーローグッズに囲まれた部屋で「サポート科で十分」と言っていた自分。

 

 今、自分は木の間を飛んでいる。自作のウェブシューターで。

 

 ──雄英の入試まで、あと四ヶ月。

 

 イトは立ち上がり、ウェブシューターのカートリッジを確認した。残量はまだある。

 

「もう一回」

 

 もう一度、木の上を見上げた。

 




拙者、スパイディがウェブスイングの練習してる光景大好き侍と申します。

中学編、USJ編みたいな章区分あった方がいいですか?

  • あった方がいいかも
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