「シロー、またこんなところにいたの? さがしたんだから!」
「シロちゃんおいでー」
可愛らしくも舌足らずな声で僕を呼び手を伸ばす二人の姉妹 。
艶のある黒髪を二つに結び、まだあどけない顔にも凛とした強さを感じさせる双眸で僕を見下ろす幼女、トオサカリンちゃん。
その後ろからはリンちゃんによく似ているが、リンちゃんのような力強さではなく、ふんわりとした優しさを思わせる目をした幼女が顔を覗かせている。リンちゃんの妹、トオサカサクラちゃんである。
二人共に整った顔立ちであり、将来はきっと目を見張るような美人になるだろう。
そんな二人に抱えられ、優しく頭を撫でられている僕のなんと至福な事であろうか。
これが泡沫の夢でない事を僕は願いたい。
申し遅れたが僕は猫である。
名前はある。
なんでもシロというらしい。
全身白いからシロ、なんとも安直な命名である。
どこで生まれたかといえばこの冬木という山と海に囲まれた自然豊かな地方都市街なのではあるが、一介の猫と化したこの身は果たして何処でどう発生したのであろうか。
待て、そもそも自分は猫ではない。
いや、先ほど言った通り見た目はどう見ても猫なのだが、ネコ目ネコ亜目ネコ科ネコ亜科ネコ属に分類される小型哺乳類であるような正当な猫であるのかは不明である。
まあ、結局は猫ではあるのか。
要するに元人間の猫である。
猫になる以前
つまり僕がまだかろうじて人類に所属していた時分の話だ。
意気揚々と光り輝く未来を夢想して二流大学へと入学を果たした僕は、サークルに女に友達にと明るく楽しいキャンパスライフを謳歌する同学生達を尻目に遊ぶ暇も無く勉学とアルバイトに明け暮れた。
そして迎えた就職活動。第一志望だった会社への面接を突発的な事故の発生によってすっぽかし、あっさりと爆砕した。
悪い事とは連鎖するもので、次々と押し寄せる不採用通知に叩き落とされた僕はかろうじて歩んできた正道から滑り落ち、薄暗い地下道へぬるりと突入を果たした。
そんな折、桜満開の青春を謳歌せんと花道を闊歩する若人たちを横目に真っ白な屍と成果て、さながら記憶を失ったピアノマンの如くフラフラと冬木の街を徘徊していた僕の眼前に一つの小さな影が姿を見せる。
夢遊病患者かはたまた酒に溺れた中年サラリーマンのように僕と同じくフラフラと二足歩行する猫耳猫尻尾の小さな生命体。体長は60cmほどか、白いセーターに紫のスカートを身に着けている。
あれは猫か? なにを馬鹿な、猫が服を着て二足で歩行するものか。
これはそう、夢だ。ただの夢。
自暴自棄に溺れる僕の阿呆な脳味噌より生まれ出たファンシーな妖精さんに違いない。
なんか中途半端に猫っぽいのは僕が大の猫好きであるからだろう。間違いない。
悶々と葛藤する僕を尻目に、猫耳の妖精さんは前に横にとフラフラ揺蕩い歩いて往く。
興味がてら少し近付いてみると「にゃんだかなー、猫がそんなに悪いのかぁー」などとよくわからないことをブツブツと呟いていて気味が悪い。それになんだかやけに酒臭い。
「匂いまで再現するとは、最近の幻覚は良く出来ているのだな……」
僕が感心した次の瞬間である 。
「グッバイ! よろしく勇気!」
猫妖精は激しく車行き交う車道へと、その小さな体を投げ出した。
身体を駆け巡ったかつてないほどの激痛と灼熱は一瞬にして消え去った。
何も感じない
何も視えない
何も聴こえない
これが巷に聞く『死』というものなのか
とっさに体が動いたのだからしようがない
妖精さんを助けて轢死、我ながらなんという死に様か
それにしてもなんだか妙に心地良い
僕という存在が言い様のないナニカへと繋がってまるで暖かな大海を揺蕩っているような気持ちの良さ
感じないのに感じるという矛盾
死とは案外と気持ちいい
数年前、黄泉へと旅立った父母もこの様な極楽を味わったのであろうか?
そうであってほしいものである。
……というか、いつまでこのままなのか
結構な時間がたった気がするのだが……
こう、純白の羽を生やしたパツキンの美少女天使だとか鎌を携えた死神のおねいさんだとか。
そういうお迎えが来たりしないのだろうか。
まあこれはこれで心地いいのだが流石に暇というか。
まさか永遠にこのままなのか。
勘弁してくれ。
神様仏様閻魔様はどこにいるのか。
今すぐに僕は輪廻転生を所望する。
あ、できれば来世はお金持ちがいいです。
………………
…………
……
おーい
◇
「あちゃー、やっちまったにゃー。こりゃミンチよりも酷いぜぇ……」
眼前に広がる血塗れの肉片をドン引きしながら眺めて呟く猫耳を生やした不思議生命体。
そんなキャッツな生物の足下、大量の血に沈む男の手足は半ばから折れ曲がり、肌からは木枝の様に骨という骨がニョキニョキと突き出ている。
ちなみに眼球もスッポンポン。この有様ではたとえ生きていたとしてもまともな一生を送ることは叶わないであろう。
「もしかしてアタシ助けられた? 運命の出会いってやつ? ってどう見ても死んでますありがとうございましたっつーわけで逃げ――」
「――まあ待て」
早口で捲し立て、早々に逃げを図る不思議生命体に、渋い低音の声が掛かる。
「にゃにゃにゃ!? 何故ここに!?」
そこに立っていたのは不思議生命体に酷似しながらもどこかダンディな雰囲気を醸し出す、猫っぽいなにか。
全身が黒い服でコーディネートされ気怠そうに煙草を吹かしている。
これだけの人身事故に関わらず彼等の周辺には不自然な程に人がいない。アスファルトに広がる凄惨な血肉の前で呑気に談笑する謎の生命体が二つ。なんとも非現実的で奇妙な光景である。
「ふむ、ソレはまだ『完全には』死んでいない。……どうやら余程死ににくい体質のようだにゃ」
「え?これで生きてんの? 流石のアタシもドン引きにゃんですけどー」
「肉体ではなく魂の話だ……こういう類の才覚者はしばらくの間現世に留まる。運が悪けりゃ悪霊になったりにゃ……それに、そこの『ソレ』はなんだか普通じゃない……ふむ、吾輩達の因子に同調したのが原因か……?」
「にゃにそれこわい」
「だが、例の素体にはちょうどいい……運ぶぞ、人払いにも限度がある」
「やだやだこんなグロい肉塊!」
「一応は恩人だろう?」
「このアタシがあんくらいで死ぬわけにゃいっつーの!」
にゃーにゃーと口論した挙句に白いほうが嫌々と物言わぬ死体の服を掴み荒々しく引き摺ると、二つの影は霞のように虚空へと溶けて消えた。
二匹と死体が消え、血に濡れた凄惨な現場は騒々と事故直後の喧騒を取り戻す。
「おい! 大丈夫か!? ……ってあれ?」
「血はあるのに誰もいねぇぞ……」
「……確かに人が撥ねられたよな?」
「あ、ああ」
唐突に大型トラックの前に飛び出して跳ねられた男の無事を確認しようと運転手や周囲の野次馬が集まるも其処に在る筈の人間はすでに無く、有るのはアスファルトに撒き散らされた血痕と車両の破片のみ。
春先に起きたこの怪事件は駆け付けたマスコミによって大いに報じられ、瞬く間に冬木の街から全国へと広がった。
その後、ご当地都市伝説として語られる事になるのは言うまでもない。
◇
『まさか渦に干渉してるなんて……ああ、嫌だわ……私達、とんでもないモノを生み出してしまったみたいね……』
『これもう打倒アンバーとかそういうレベルじゃにゃくね?』
『アルティメット・ニャン計画は頓挫か……しかしコレが吾輩達の仕業と知れれば王国にまたクレームが入るぞ……主にアラヤだとかガイアだとか』
『こ、こ、今度こそオワタ……』
『で、どうするんだにゃ?コレ』
『捨ててきなさい、すぐに』
『だ、だ、だ、ダンボール取ってくる』
―完―