1999年の春のこと。
今年は桜が、やけに長く残りそうな年だ。風が吹くたびに花びらが舞って、道路の端や公園の隅に淡い色の層を作っていく。
そんな光景が今年も綺麗だと思うけど、でも商売としてはどうにもならない現実を時代というのは突きつけてくる。なぜなら人の流れは確実に変わっていて、昔ながらの店に立ち寄る人は減っているから。
祖父母の代から続いてきた駄菓子屋は、俺が専門学校を卒業する頃には、ほとんど役目を終えかけていたように思う。
近くにできたコンビニは明るくて、涼しくて、品揃えも豊富で、24時間営業だ。大人から子どもたちまで自然とそっちへ客層は流れていく。
結果として、実家の店には『なんとなく懐かしいから』という理由で来る常連しか残っていない。祖父母はそれでいいと思っていても、今後の生活を考えるにはあまりにも安定しない。
高校生の頃は、なんとなく祖父母の家業を継ぐと思っていた。だけどこのまま続けても、いずれ潰れる。
それは、はっきり感じ取れた。
だから俺は店を離れる決断をした。場所に縛られて客を待つのをやめて、自分から客のいる場所に動くことにした。
それで選んだのが、アイスの移動販売だ。
軽トラックの荷台に木枠を組んで、開閉できる板を取り付けてもらい、簡易的な屋台になるように改造した。祖父の知り合いの整備工場に頼んで、最低限の基準は満たす形で仕上げてもらっている。
冷凍ケースは中古品だけど、まだしっかり冷えるし、発電機も積んであるから営業中は問題ない。エンジンを切っても、低く唸るような音が一定に響き続ける。
ブゥーンというその鈍い音は、今の俺にとっては看板みたいなものになっていた。
側面の板を開けば、そのままカウンターにもなる。手書きのメニューを貼って、コーンとカップを並べて、ディッシャーを冷やしておく。アイス屋としてやれることは一通り揃えている。あとは場所とタイミングさえ掴んでいけば、なんとかなる。
その日は、住宅街のはずれにある小さな公園の近くに車を止めていた。4月の昼前、まだ空気は少しだけひんやりしているけど、日差しは確実に暖かくなってきている。こういう場所なら、昼にかけて自然と客が増える。
狙い通り、ボール遊びをしていた子どもたちは、母親を連れてこちらに集まってくる。
「お兄さん、ソーダのやつがいい!」
「私はバニラのこれ!」
「はいよ。1本ずつだな」
冷凍ケースから取り出して、そのまま手渡した。市販の人気で、安価で、駄菓子屋にもコンビニにも置いているようなものだ。
「子どもは少しだけ安くしてますから」
「えっ、いいのですか?」
そう言って、親御さんが少しだけ驚く。大した額じゃないけど、それでも『この移動販売車で買う理由』にはなる。顔を覚えてもらえれば次も来てくれる。そんな積み重ねが、今の俺には一番大事だと思っていた。
子どもたちは素直に喜んで、また騒ぎながら公園に戻っていく。発電機の音と、遠くで聞こえる笑い声と、時々吹く風の音が混ざって、妙に落ち着く空気ができていた。
まだまだ手探り状態。よく売れるのは、よく見るパッケージのアイスだけ。
でも、このやり方で商売について模索していくしかない。
そんなことを考えていた時だ。
ふと、視線を感じた。
さっきまでの騒がしさとは違う、静かで、妙に意識に引っかかる気配だ。
1人は落ち着いた雰囲気の少女。
そしてもう1匹は、ぬいぐるみみたいなペットだとは思う。なぜか『早くしないと遅れるわよ』みたいな、お小言を主人に話しているけど。
少女はじっとこちらを見ている。
淡いベージュの髪が柔らかく広がっていて、頭には黒いリボンだ。紫の瞳は光の加減で少し深く見える。黒を基調としたワンピースに、大きな白い襟とフリルといい、どこかのお嬢様だろうか。
その子に抱っこされているのは、手のひらサイズの淡い紫色の体で、丸っこい輪郭に大きな耳だ。
あれだ、ウーパールーパーのような大人気ペットか、たまごっちか、ポケモンか、最近の流行なんだろう。
とにかく俺は深く考えるのをやめた。
少女は興味深々な瞳で、こちらに歩いてくる。無表情ながら、ワクワクしているように見えた。
やがてトラックの前に立つけど、すぐには話しかけてこない。ただ、メニューと冷凍ケースの中を静かに観察している。
俺は、先に声をかけることにした。
「いらっしゃい、何にする?」
俺の言葉が届いているのかわからないけど、少女はケースを見つめている。なんだか迷っているというより、お上品に吟味しているという感じだ。
「ねぇ、まだ?」
呆れた様子でそう話すのは、やはりペットのほうで、別に少女の腹話術ではないらしい。
「……それと、それ」
冷静に指差して伝えてくるのは、シャーベット系のオレンジとグレープだった。
ありふれた市販品ではなくて、少々高値のアイスだ。
「コーンでいいか?」
「ん」
小さく頷いてくれた。
俺はディッシャーを取り出して、少し固めのシャーベットをすくう。力をかけながら形を整えて、コーンの上に乗せた。バランスを見ながらもう一段重ねて、崩れないように中心を微調整する。
それなりに見栄えは悪くないはず。
「ほら」
差し出すと、少女は片手で静かに受け取った。
その表情はほとんど変わらないのに、ほんのわずかに目元が緩んだようにも見えた。
すぐに少女は器用にポケットからお金を取り出して置いてきたけど。
「まいど。子ども割引、これでいい」
俺はその一部だけを対価として受け取る。
「……書いてなかった」
「秘密のサービスだからな」
俺が自信満々にそう言えば、まるで少女名探偵かのように、少女は再びメニューを見つめた。数年前から『名探偵コナン』って漫画があるけど、この子も賢そうだ。
「……また来るから。その時の分で」
「わかった。覚えておくよ。あっ、でも場所は、移動で……」
少女はお釣りをそのまま置いていって、背を向けて去っていく。
あの子も、ペットも、不思議だった。
気づけばその姿は見えなくなっていた。
俺はパチクリして軽く探すけど、やっぱりいない。
手の中にある小銭だけが、少女たちがいたことを示すかのようだ。
「……なんだったんだ?」
そう呟いてから、俺は首を振る。
考えても仕方ない。
またいつか、機会があったら会えるだろう。
***
その後も、昼前から昼過ぎにかけて順調だった。
子ども連れの家族がそれなりに来てくれた。まあ売れるのは、やっぱり安くて見慣れたパッケージのやつが中心だけど、それでも問題はない。
まずは顔を覚えてもらうこと、それが今の俺に必要なことだと思う。
このままここにいてもいいが、狙いを変える。
午前は子ども、なら午後はもう少し上の年齢層だ。
軽く片付けをして、側面の板を閉じる。発電機の状態を確認してから運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
公園を離れて、住宅街に向かう。
少しだけ街中に寄った通りだ。ここは街で遊ぶような中学生や高校生がよく通る。お買い物帰りの親子連れもいる。寄り道するにはちょうどいい距離で、夕方にかけて人の流れが増えていく。
周囲の景色は、さっきの公園とは少し違う。
舗装された道、並ぶ店、建設中のビル群だ。そしてターゲット層の私服の若者がちらほらと見える。
最初に来たのは、私服の女子高生っぽい2人組だった。
「え、なにこれ、移動販売?」
「アイスじゃん、ちょっと寄ってこうよ」
そんな軽いノリで近づいてきてくれる。
ちょっと高いことに悩みつつも、1個分ずつ注文してくれた。コーンに乗せて、それを美味しそうに食べながら、街を歩いていく。
そんな様子を見て、また何人か寄ってくれる。
部活帰りらしい女子のグループ、お出かけ途中の女子たち、買い物帰りの主婦たち。
この時間帯も、ちゃんと商売になる。
そんな風に思い始めた頃だった。
「えっ……いらっしゃい」
やっと少し落ち着いて休憩していると、見覚えのある姿が視界の端に入った。
淡いベージュの髪に、黒いリボンの少女だ。
まさかの午前に出会った不思議少女である。今はぬいぐるみのように、ペットはちんまりとしているけど。
「さっきの、気に入ってくれたのか?」
「……ん」
短い返事だった。
本音か、お世辞かは分からない。でも常連となってくれそうなのは、嬉しいことだ。
少女はまたケースの中を見つめている。しかも、じっくりと観察している。隣の小さいペットは、腕の中でそわそわしているようだった。
「早く決めなさいよ」
「……別に急がなくていい」
やっぱり少女とペットで、普通に会話している。
気にしないほうがいいのだろうか。
「ストロベリーミックス、そしてフルーツミックスだな?」
「ん、よろしく」
こくりと頷いた。
そんな反応を確認して、冷えたディッシャーを手に取る。
柔らかめのアイスは、シャーベットよりも形を作りやすい。丸く整えて、重ねて、崩れないように仕上げる。コーンの上に2段アイスだ。
差し出すと、少女はまた静かに受け取った。
そして、あらかじめ用意していたのか、小銭を置いてくる。
「これでちょうど?」
「そう……だな。ピッタリだ。さっきの分もあるし」
さっき置いていったお釣りと、子ども割引の2回分、そしてまさかメニュー表の値段から、正しく計算したんだろうか。もしかして名探偵コナンのように、小学生か中学生に見えて、中身は天才高校生なのか?
「また来る」
まるで業務連絡するかのように、そう伝えてくれて、少女は背を向けた。
世間話をする暇もない。
「まいど」
まあ何か訳アリなようだけど、そういう事情は関係なくて、大切な常連客となってくれることを祈ろう。
そう思いながらも、俺は仕事に意識を戻した。それなりにやってくる客の注文を受けて、アイスを作って、渡して、金を受け取る。そんな繰り返しだ。
だけど。
ふと、周囲の空気が変わった。
ざわめきが、ほんの少しだけ不自然に途切れる。
「……なんだ?」
顔を上げた、その瞬間だった。
いつの間にか、通りの向こうに、異様なものが現れていた。
鮮やかな黄色い花の塊で、シルクハットが乗っていて、着ぐるみどころの大きさではない。まさしく怪物であり、しかも動いている。
「なんだよ……あれ……」
周囲になぜか人の気配がなくなっている。
俺だけ、異世界に迷い込んでしまったかのようだ。
でも、見覚えのある少女が留まっていて、その怪物を見物していた。
「おい! 危ないぞ!」
俺が叫ぶと、少女はちらりと振り向く。モグモグとアイスを食べていた。
「おまっ、何やってんだ!?」
慌てて俺はトラックの外に出て、少女のところに駆けつける。
あんな怪物が目の前に出てきているのに、呑気すぎるだろ。
「これは、夢でも見てるのか?」
そして、いつの間にか目の前では、花の怪物と、2人の女の子が戦っている。
あれだ、セーラームーンのようなアニメ的展開が起こっている。
「いいえ、現実よ」
ふわふわと浮いているペットの声といい、ファンタジー要素のバーゲンセールかよ。
「……危ないから離れて。アイスの人」
本気で忠告する雰囲気だった。
それに、とても真剣な瞳だ。
「な、なら、キミも早く避難するんだ!」
「いいから。早く」
そんな声には、全く迷いがなかった。
さっきまでの無口で淡々とした雰囲気とは違う。
たぶん、目の前の少女はこの戦いを見届ける必要があるんだろう。
戦ってくれている2人の女の子のように、戦士としての風格だって感じさせる。
「……分かった。だけど、危なくなったら逃げるんだぞ!」
俺は、しぶしぶ頷いてトラックまで戻る。
完全に納得できたわけじゃない。
でも、俺は足手纏いだろう。
しかも、あんなに真剣に言ってくれたんだ。自意識過剰かもしれないけど、俺の安全を気にしてくれた。
エンジンをかけて、少し距離を取る。逃げるわけじゃない。ただ、全体が見える位置に移動した。ハンドルを握りながら、バックミラーでずっとあの場所を見つめる。
分かるのは、俺が無力なこと。そして、この街で非現実的なことが起きてる、ということだけだ。
時間の感覚が曖昧にも思えた。
長かったのか、短かったのかも分からない。
ふっと街の歪みが消えた。
景色が元に戻っていく。
音も、人の流れも、何事もなかったかのように、現実と虚構が繋がるかのように。
あの怪物の姿も、もう見えない。
「……終わったのか?」
ぽつりと呟く。
俺はすぐにあちこちを視線で探し回る。
「あの子は?」
周囲を見回した。
通りにはいない。
さっきの位置にもいない。
胸の奥が、少しだけざわついた。
いや、なんと、少女はビルの屋上にいた。
ペットを抱っこして、アイスはもう完食しているらしい。
「……よかった」
思わず、大きく息を吐いた。
たぶん無事だ。
距離はあるけど、こちらを見ている気がした。あの戦いを誰かに言いふらさないかと心配なんだろうか、それとも、別のことを考えているのだろうか。
まさか『またアイス食べようかな』なんてわけないよな……ないよな?
そして、少女はその屋上から去っていく。
階段から降りたのか、それとも魔法的なワープしたのかも分からない。
「……今日は俺も帰るか」
小さく呟いて、再びハンドルを握った。
今日はいろいろあって、これからこの街で何か大変なことが起きるのかもしれない。
あの子は『また来る』と言っていた。
なら、その時にでも聞けばいい。
だから、アイスを買いに来るついでに、少しずつ事情を聞いていこう。
一般人の俺がどれほど役に立つかわからないけどな。