討幕派の日記   作:玉葱狂い

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一話 昭和の終り

1989/1/07(土)

あゝ昭和帝が崩御あらせられてしまった

私はどうすればいいのか。BETAももうすぐ来るだろうし、日本が蹂躙されるのも時間の問題かもしれぬ。

間もなくやつらは東へやってくるだろう。私には何も出来ぬ。

 

1990年2月11日(日)

あゝ今日は神武天皇がご即位遊ばされてから2650年だ。紀元節だ。

世間や政府、幕臣や武家どもは皇帝と呼んでいるが、歴史的に見れば天皇と呼ぶことなのは明らかだ。幕臣どもめ。今に見ろッ今に見ろッ今に見ろッ今に見ろッ

 

1990年2月12日(月)

こうしてみれば紀元節というのはあっという間に過ぎたものだ。

君を奉じようとも幕臣どもは今日も京都で京が自らのものであるかのようにふんぞり返っている。

腹立たしいものだ。

そもそも、京は794年に桓武帝が遷都の詔を渙発せられそれ以降千年もの間都であり、公家と貴族の町であったのだ。それを武家のごとき奴らに乗っ取られるなどあり得ぬ。これは千載の後迄残る汚点である。唾棄すべきものである。

 

1990年2月13日

本を書くことにした。名前は「幕府非国体論」にしよう。幕臣どもはしきりに「国体」と叫んでいるが日本の国体はそれではない。日本の真の国体とは武家どもの支配する将軍の独裁国家などではなく、天皇を頂点として一君万民のデモクラシーの国家であり、日本人を統合し国家を統一するための一点として陛下はあらせられるのだ。それを幕臣どもは中華思想や西洋思想のごとき「皇帝」と号し、まるでスメラミコトを尊重しておらぬ。これを憤らずしてどうするというのか。

 

1990年2月14日

今日は平穏であった。

晴れている。天気も良いし、実にいい気分だ。今日の不満は書くところがない。執筆は順調であるし、何の文句のつけようもないいい日であったな。

 

1990年2月15日

武家の奴らに聞き取りをした。

武家の奴らの発言は、唾棄すべきものであった。

日本の真の国体は武家と将軍だの、皇帝はただの象徴だの、皇帝が五摂家から選ぶ将軍こそ日本の真の国体などと、陛下をさえないがしろにする発言にはらわたが煮えくり返りそうになった。

その場ではじっとこらえたが、内心怒髪天を衝く怒りでいっぱいだった。

やはり武家という特権階級は腐っている。

 

1990年2月16日

執筆は順調である。執筆に集中するため、執筆が終わるまで日記はやめだ。

日記は一度中断する。

 

彼は日記を書くのを止めた。本の執筆に集中するのは勿論のこと、BETAが間もなく日本に襲来してくるのではないかと彼は思っていた。彼の家は大分県にある。彼の最初の移転先は、広島であった。広島は中国地方一番の都会であり、ここなら対馬海峡、関門海峡を越えられるまでは大丈夫だと踏んだ。だがしかし、彼はBETAそのものについて実は何も知らない。大陸で何かとんでもないことが起きているというのは聞いていたが、それは遠い国の出来事であり、あまり気にも留めず1991年3月までを大分で過ごした。情勢が変わったのはここからである。

BETAの東進と日本帝国政府の大陸への派兵のニュースを聞き、彼は震え上がった。

「ここ(大分)は幕臣どもに一泡吹かせる前にBETAの餌食になってしまうかもしれない」と。

そこからは早かった。彼は1991年8月1日荷造りを済ませ広島へ引っ越した。引っ越しが終わったのは1991年8月23日のことである。

 

彼は、BETAが海を渡ってくると思っていたのだろう。その悪夢は、まさに的中することになるとは露も知らず、彼は年を経るごとに東へ引っ越す。

 

彼の名は、宮田晴信という。1953年2月10日生まれ、大分県出身である。彼は武家ではない。普通の平民である。

宮田の父は、1924年11月3日生まれである。天皇を尊ぶ人であった。そんな父の影響を受け、彼は武家嫌いになり、皇帝、いや、国体の真の表現としての呼称と彼の父が評してきた「天皇」という存在を崇拝し、その天皇こそが日本の中核であり武家や将軍はただの近世の遺物であり邪魔者であると考えるようになった。

宮田は、退役軍人である。1973年に帝国陸軍を志願し、優秀な成績を残し、士官学校では次席であった。しかし、将軍を崇拝し、天皇を蔑ろにする帝国軍の空気感や、武家に対するえこひいきに対して失望し、1985年に帝国軍を辞めた。その後、彼は作家・評論家としての道を進んだ。もとより文章は得意であった。

 

実際、1974年には世界初の戦術歩行戦闘機である「F-4」を「考え得る限り最悪の欠陥兵器」「荷電粒子砲を使った方が安く済む」「人命を消耗する燃費の悪い戦争エンジンである」と評し、その内容で論文まで作り、士官学校の教授を驚愕させたこともある。

その文才を活かし、それまでにいくつかの本を出版した。しかし、いずれもあまり売れない。彼はある時に出版社に就職した。

編集者として1987年に入社し、1991年に引っ越した時でも異動を希望し広島の編集部へ異動している。

 

日記は1974年から始まっており、1990年2月16日になるまで一日も欠かすことなく続けていた。

その日記はごく普通の内容であったが、1989年1月7日から様子がおかしくなっていた。自らの思想を書き始めていた。1989年8月ころには落ち着いたが1990年2月から再発し始めていた。

 

彼は衛士、つまり戦術歩行戦闘機の操縦士ではなかった。彼の兵科は戦車科で、最終的な階級は大佐であり、福岡県に所在する戦車部隊の連隊長であった。装軌車両をよく理解しており、戦術歩行戦闘機という珍妙な兵器の欠点を指摘したのも戦車の弱点を踏まえたうえで戦術機は戦車や歩兵よりも劣ると評価している。

 

そんな中、1992年4月1日、ついに「幕府非国体論」が完成した。

自らの名前で出版し、4月20日から遂に日記が再開する。

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