RE:対魔忍世界転移憑依物語 ─綴木みこと─ 作:楠崎 龍照
「……」
私は目を覚ました。
そこは変わらず、白い天井に、鼻を着くような薬品の香りが漂う保健室のベッドだ。
私は起き上がり、背伸びをする。
窓からは日差しが差し込んでいることから、日を跨いだのだろう。
「綴木さん、おはようございます」
声の方を見ると、保健の先生がこちらを見ていた。
机の上には、湯気の立つ紙コップと、いくつかの薬品らしきものが並んでいる。
「……おはようございます」
昨日の痛みは、思っていたほど残っていなかった。
首にはまだ薄い違和感があり、腹の奥も呼吸をするたびに鈍く疼く。
けれど、昨日のように身動きするだけで意識が遠のくような痛みではない。
「……あれ?」
私は自分の身体を見下ろす。
確かに痛い。
痛いのだが、思っていたよりもずっと動ける。
「昨日、かなり酷い状態だったと思うんですけど……」
思わずそう呟くと、保健の先生は紙コップを手に取り、こちらへ差し出した。
「医療班がすぐに処置してくれましたからね。打撲と圧迫痕は残っていますけど、内臓に深刻な損傷はありませんでした。対魔忍用の回復薬も効いているようです」
「対魔忍用の回復薬……」
私は紙コップを受け取る。
中身は白湯のようで、ほんのりと湯気が立っていた。
「ただし、治ったわけではありませんよ。痛みが引いているだけです。今日は無理な運動は禁止です」
「……はい」
私は素直に頷いた。
昨日のことを思えば、何も言えなかった。
私はゆっくりと白湯を口に含む。
喉を通る温かさが、少しだけ身体の奥に染みていく。
飲み終えた私は、直ぐにキョロキョロと辺りを見渡してから保健の先生に訊ねた。
「……今、何時ですか?」
「午前九時を少し過ぎたところですね」
「九時……」
つまり、本当に一晩経ったということだ。
昨日、あの倉庫で意識を失ってから、私はずっとここで寝かされていたらしい。
「学校は……」
「今日は休み扱いになっています。井河校長先生からも、無理に授業へ出さないよう言われています」
「……そう、ですか」
私は紙コップを両手で包み込むように持つ。
指先に伝わる熱が、やけに現実感を持っていた。
「ふぅぅぅーーー……」
私は一息ついてから、保健の先生の方を見て「ありがとうございます。それでは、私は井河校長先生の方に向かいます」と言ってベッドから降りた。
「綴木さん、無理な運動は禁止ですよ?」
「もちろんです。すみません、井河校長先生に訊ねたいことがあり、失礼します」
私はお辞儀をして、保健室を出た。
保健室の扉を閉めてから私は「……いたた……」と昨日暴行を受けたお腹を摩る。
医療班の迅速な処置により、思っていたほど痛みはないが、やはりそれでも多少は痛い。
まぁでも、歩けないほどでは無い為、私は校長室へと向かった。
後ほど、医療班の方々にもお礼をしないといけない。
そんな事を考えつつ、勘で校長室へ行く。
「(……ここかな?)」
しばらく歩いた先に、他の教室とは少し違う重い扉があった。
扉の横には、校長室と書かれた札が掛けられている。
心臓が嫌な音を立てる。
私が綴木みことではないこと。
本物の綴木みことが、あの暗い深層の底にいること。
「……行くか」
私は、意を決して扉をノックした。
そのノックは、今までにしたどのノックよりと身体と心に響いた。
「どうぞ」
落ち着いた声が、扉の向こうから返ってきた。
井河校長先生の声だ。
「……失礼します」
私はゆっくりと扉を開けた。
校長室の中は、思っていたよりも静かだった。
大きな机。
整えられた書類。
壁に掛けられた五車学園の紋章。
窓から差し込む朝の光。
その奥に、井河校長先生が座っていた。
応接用の椅子の近くには、ふうまさんの姿もあった。
「……」
まるで、私がここへ来ることを最初から分かっていたかのようだ。
息が少し詰まるが、私は開き直って
「綴木さん」
井河校長先生が、静かに私の名を呼ぶ。
「身体は大丈夫かしら?」
「……ええ。歩けるくらいにはどうにか。ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。ごめんなさい。」
私は頭を下げる。
喋り方や口調にこの場にいた井河校長やふうまさんが少し目を細くする。
「……座りなさい」
井河校長先生は、静かにそう言った。
「ええ。はい。失礼します」
私は応接用の椅子へ向かい、ゆっくりと腰を下ろす。
腹の奥が鈍く痛んだが、それを顔に出さないようにした。
だが、完全には隠せなかったのだろう。
ふうまさんの視線が、わずかに私の腹部へ向いた。
「無理はするな」
「……ええ、お気になさらず。ありがとうございます」
手をすっとあげて、そう返した。
ふうまさんの表情がまた少しだけ変わる。
それは驚きというよりも、確信に近かった。
やはりそうか。
そう言いたげな目だった。
「……」
少しの沈黙が落ちる。
井河校長先生は何も言わなかった。
ふうまさんも、何も言わない。
ただ、二人とも私を見ていた。
綴木みことを見る目ではない。
得体の知れないものを見る目……とは少し違う。
敵として認識はしていない目だ。
私は、両手をあげてから「私が言うこと……分かってるんですよね? それ故に、ふうまさんはここにいる訳ですよね?」と言った。
井河校長先生は、静かに私を見つめていた。
ふうまさんも、黙ったままこちらを見ている。
「……そうね」
先に口を開いたのは、井河校長先生だった。
「少なくとも、あなたが普段の綴木さんとは違う状態にあることは分かっているわ」
「……」
やはり。
そう思うと同時に、胸の奥が少しだけ軽くなった。
疑われている。
見抜かれている。
それなのに、私は少し安心していた。
「八津先生から報告を受けているわ。あなたは演習中、別の名前を口にしたそうね」
「えぇ……古寺智樹ですね?」
私がそう言うと、ふうまさんの表情が明らかに変わった。
井河校長先生も、静かに目を細める。
「それが、あなたの名前?」
「まぁ、はい」
私は頷いた。
両手を上げたまま、ホールドアップの状態は崩さない。
「私の名前は、古寺智樹です。綴木みことではありません」
その言葉を口にした瞬間、井河校長先生は表情を大きく変えなかったが、その瞳の奥にある警戒の色が、僅かに濃くなる。
ふうまさんは、黙ったまま私を見ていた。
驚愕と困惑。
そして、やはりそうだったのか、という納得。
その全てが混ざったような表情だった。
「……古寺智樹」
ふうまさんが、私の名前をゆっくりと反芻する。
「それが、お前の本当の名前なんだな」
「えぇ、はい」
私は頷く。
両手はまだ上げたままだ。
「私は、綴木みことではありません。正確に言うなら、今この身体を動かしている意識は、綴木みこと本人のものではありません」
自分で言っていて、胸が痛くなる。
分かっていたことだ。
ずっと、分かっていたことだ。
けれど、言葉にすると現実味が増す。
私は、綴木みことの身体を奪っている。
「……いつから?」
「昨日の朝からです。目を覚ましたら、このような形に」
井河校長先生は、表情を崩さない。
ふうまさんも黙っている。
ただ、二人とも私の言葉を聞き逃すまいとしているのが分かった。
「……その手は下ろしていいわ」
井河校長先生が静かに言う。
「あなたが今すぐ危害を加えるつもりなら、昨日の時点で別の行動を取っていたでしょう。それに、その状態で手を上げ続けるのは身体に響くわ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
私はゆっくりと両手を下ろした。
その動きだけで、腹の奥が鈍く痛む。
思わず眉が寄りそうになるのを、どうにか堪えた。
「……それで、古寺智樹」
井河校長先生が、私の名前を呼ぶ。
綴木みことの声で呼ばれるはずのない名前。
それをこの世界の井河アサギに呼ばれた瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。
「あなたは何者なの?」
「……」
何者。
「別の世界から来た一般人です」
頭に浮かんだ言葉を出した。
その言葉を口にした瞬間、校長室の空気が静かに沈んだ。
井河校長先生は、表情を大きく変えない。
ふうまさんも同じだった。
けれど、二人の視線が、先ほどよりも僅かに鋭くなったのが分かった。
「別の世界ね」
井河校長先生が、私の言葉を反芻する。
「ええ」
私は頷いた。
そして、私はVRゲームをしている最中に意味不明な事故によって、綴木みことの身体に入った事を説明した。
「元の世界でVRゲームにログインしていました」
「VRゲーム」
ふうまさんが小さく呟く。
「えぇ。この世界にもありますよね。私はいつも通りログインして、クエストを受けました。そこまでは何もおかしくなかったんです」
思い出すだけで、喉の奥に異物が詰まる。
それでも私は話を続けた。
「でも、ロード画面が異常に長くて……回線が切れた表示が出ました。普段ならそこで終わりです。ログアウトして、元の世界に戻るだけのはずでした」
「だけど戻れなかった?」
井河校長先生が静かに言う。
「……えぇ」
私は頷いた。
「表示が黒く塗り潰されて、空間そのものにノイズが走って……次の瞬間、私は青い電脳空間みたいな場所に落ちていました」
言葉にすると、あまりにも現実味がない。
けれど、あれは確かに私が体験したことだった。
「身体の感覚がありませんでした。自分のキャラクターも、輪郭も、全部引き剥がされるみたいで……ただ、意識だけがものすごい速さで落ちていくような感覚でした」
「……」
ふうまさんが黙って聞いている。
井河校長先生も、口を挟まない。
だから、私は続けた。
「その途中で、人影が見えました」
喉に異物が詰まる。
「小柄な女の子の影です。こちらに向かって、何か叫んでいました。多分、私を止めようとしていたんだと思います」
「……それが」
ふうまさんの声が低くなる。
「みことだったのか?」
「……えぇ」
私は頷く。
「ノイズが一瞬だけ薄くなって、顔が見えました。緑がかった金色の瞳で……見間違えるはずがありません」
2人とも真剣な表情で聞いていた。
「綴木みことでした」
その名前を口にした瞬間、校長室の空気が重く沈んだ。
「私は止まろうとしました。避けようとしました。逃げてくれって叫びました。けど、何もできなかった。私の意識は、何かに引っ張られるみたいに、彼女の方へ落ちていって……」
そこで言葉が詰まる。
思い出したくない最悪な出来事だ。
しかし、話さなければならない。
「最後の瞬間まで、私は抵抗しました。でも、止まれませんでした」
膝の上で握った拳に、力が入る。
「気がついたら、望月さんに起こされて、目を覚ましていました。綴木みことの身体で」
「……」
沈黙。
私は続ける。
「だから、私がこの身体に入った原因は、多分その事故です。私の意識が、何かの異常でこの世界に接続されて、綴木みことの意識と衝突した」
「衝突……」
井河校長先生が小さく呟く。
「はい。そして、その結果、綴木みこと本人は、深層に押し込められた」
私は顔を上げる。
「昨日、意識を失った時に見ました。暗い海の底みたいな場所に、結晶に閉じ込められた本物の綴木みことがいました」
ふうまさんの表情が変わる。
「本当に、みことがいたんだな」
「いました」
私は即答した。
「間違いありません」
校長室に、重い沈黙が落ちた。
ふうまさんは何も言わなかった。
ただ、膝の上で組んでいた手に、僅かに力が入ったのが見えた。
井河校長先生も、すぐには言葉を返さない。
こちらの言葉を疑っているというより、1つ1つを整理しているように見えた。
「……その綴木さんは、どんな状態だったのかしら」
静かな問いだった。
「白い……結晶みたいなものの中にいました」
あの暗い海の底。
白い粒子。
そして、結晶の中にいた本物の綴木みこと。
「眠っているように見えました。声をかけようとしたんです。でも、近づく前に、何かに引き戻されました」
「何か?」
「手です」
自分で言っていて、背筋が冷える。
「無数の手が、私を掴んで、引っ張り上げて……それで、目が覚めました」
「……」
井河校長先生の目が僅かに細くなる。
ふうまさんも、表情を硬くした。
「それは、綴木さん本人の意識があなたを拒絶したものだと思う?」
「……違うと思いたいですね」
私は正直に答えた。
「個人的には、あれは……私の中にあるものだと感じてます」
「あなたの中にあるもの?」
「……えぇ」
言葉にするのが怖かった。
なんなら思い出したくもない。
「すみません、あまり思い出したくない記憶でして、まぁ……簡潔に説明しますと、if的な物語ですが、みことが酷い目に会う内容です。申し訳ないのですが、語りたくないぐらいにクソな内容でして……」
そこまで言ったところで、喉が詰まった。
言葉にしようとするだけで、胸の奥が黒く濁る。
あれを説明するのに多大な時間を要することになるだろうな。
そう思い、言葉を詰まらせた。
「……無理に話さなくていいわ」
井河校長先生の声が、静かに落ちた。
「今は、あなたがそれを強い拒絶反応として抱えている。それが分かれば十分よ」
「……すみません」
私は頭を下げる。
「あなたの話は分かったわ」
井河校長先生は静かに言った。
「少なくとも、あなたが綴木さん本人ではないという前提で話を進める必要がある。問題は二つ。綴木さん本人の意識をどう救うか。そして、あなたをどう扱うか」
「……はい」
その言葉に、私は小さく頷いた。
綴木みことの身体を動かしている、得体の知れない意識。
敵意がないと自分で言ったところで、それを証明する手段はない。
「その前に……」
井河校長先生は扉の方を見てから口を開いた。
「盗み聞きは感心しないわね」
「……っ!?」
井河校長先生の言葉に私の心臓が跳ねた。
扉が開き、そこにはバツの悪そうな顔をする3人。
望月卯奈、相州蛇子、上原鹿之助がいた。
「蛇子、鹿之助」
ふうまさんも少し驚きの声をあげる。
「それに、卯奈……」
望月さんは何も言わなかった。
ただ、扉の前に立ったまま、こちらを見ていた。
いつもの明るい表情はない。
驚き、困惑、不安。
その全部が、彼女の顔に浮かんでいた。
「……みこと、ちゃん?」
その声が、胸に刺さる。
言わなければならない。
けれど、その言葉を彼女へ向けるのが、あまりにも残酷だった。
「……卯奈……いや……望月さん」
私は口を開く。
だが、それ以上の言葉が出てこない。
望月さんは、私を見つめたまま小さく首を振った。
「今の話……なに?」
「……」
「みことちゃんじゃ、ないって……どういうこと?」
その問いに、私は答えられなかった。
いや、答えなければならない。
ここまで来て、もう誤魔化すことはできない。
私は膝の上で拳を握る。
「……昨日から、君たちと話していた私は」
喉が震える。
けれど、言わなければならない。
「綴木みこと本人ではありません」
望月さんの表情が、壊れたように固まった。
「……うそ」
小さな声だった。
「嘘、だよね?」
その声に、胸の奥が締めつけられる。
「……ごめん」
私は頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
望月さんは何も言わない。
相州さんも、上原さんも、言葉を失っていた。
校長室に、重い沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、井河校長先生だった。
「三人とも入って座りなさい」
「……」
「ここまで聞いてしまった以上、あなたたちにも説明する必要があるわ」
井河校長先生の声は静かだった。
けれど、その静けさが逆に、この話が冗談でも勘違いでもないことを示していた。
望月さんは、震える足取りで部屋に入ってくる。
その視線は、ずっと私から離れなかった。
「……みことちゃんは」
彼女が、掠れた声で訊ねる。
「本当のみことちゃんは、どこにいるの……?」
私は顔を上げる。
その問いに、私は一呼吸置いてから答えた。
「深層にいます」
「深層……?」
「この身体の、意識の奥底です」
私は、ゆっくりと言った。
「昨日、見ました。暗い海の底みたいな場所に、白い結晶の中に閉じ込められていました」
望月さんの瞳が揺れる。
「生きてるの……?」
「……恐らく生きています」
私は、そう答えた。
断言したかった。
でも、今の私にそれを断言する資格はない。
「恐らく、って……」
望月さんの声が震える。
「なんで……なんで、そんな言い方なの……?」
「……すみません」
また謝ってしまう。
謝ったところで、何一つ許されるわけではないのに。
謝ることしか出来ない。
「私は、あの場所で彼女を見ました。でも、話せなかった。近づく前に引き戻されました。だから……今の状態を正確には分かりません」
「……」
望月さんは何も言わなかった。
ただ、私を見ていた。
いや、正確には、私の姿をした誰かを見ていた。
「じゃあ……」
望月さんの唇が震える。
「昨日、私と話してたのは……」
「……私です」
言葉を絞り出す。
「全部、私です」
望月さんの顔が、さらに青ざめる。
「じゃあ……私が、みことちゃんだと思って話してた相手は……」
「……はい」
私は頭を下げた。
「綴木みこと本人ではありませんでした」
その瞬間、望月さんの目に涙が浮かんだ。
「そんなの……」
小さな声だった。
「そんなの、分かんないよ……」
その言葉が、胸に刺さる。
「分かるわけないよ……だって、声も、顔も、姿も、全部みことちゃんなんだもん……」
「……っ」
「昨日だって、私……みことちゃんが変だって思ったけど、でも、みことちゃんだって思って……」
望月さんは、そこで言葉を詰まらせた。
両手をぎゅっと握りしめる。
「私、何も気づけなかった……」
「違います」
私は反射的に言った。
「望月さんが悪いわけじゃありません」
望月さんが顔を上げる。
「悪いのは私です。気づけなかったんじゃない。私が、綴木みことの姿で、綴木みことの声で、演じてただけなんです」
言葉にした瞬間、胸の奥が裂けるように痛んだ。
皆の前で私は綴木みことを演じていた。
「……演じてた、って」
望月さんの声が震える。
「じゃあ、昨日の……私と話してたのも、笑ってたのも、卯奈って呼んでくれたのも……全部?」
「……はい」
私は頷いた。
「全部、私です」
望月さんの顔が歪む。
泣きそうな、怒りそうな顔。
信じたくないものを、無理矢理飲み込まされているような顔だ。
「そんなの……ひどいよ……」
その言葉に、喉元の異物が喉から出てきそうな感覚に襲われる。
「ごめんなさい」
また謝る。
何度謝っても足りない。
謝ったところで、昨日の望月さんの優しさが本物のみことへ届いていなかった事実は変わらない。
「私、みことちゃんが苦しそうだったから……ずっと心配して……」
「……」
「でも、それは……みことちゃんじゃなくて……」
望月さんはそこで言葉を止めた。
それ以上を言うことができなかったのだろう。
代わりに、相州さんが一歩前へ出た。
「じゃあ、みことちゃんは今も……その深層って場所にいるの?」
「……えぇ」
「助けられるの?」
真っ直ぐな問いだった。
私はすぐには答えられなかった。
助けたい。
絶対に助ける。
そう言いたかった。
でも、今の私には方法が分からない。
「……分かりません」
正直に答える。
「でも、助けたいです」
私は膝の上で拳を握った。
「私は、この身体を綴木みことに返したい。そのためなら、私がどうなっても構いません」
そう言うと、校長室が凍ったのを感じた。
私は再び一呼吸置いてから話をする。
「私は、本来この世界にいるべき人間ではありません。綴木みことの身体に入り込んでしまった異物です。なら、元に戻すために私の意識が消える必要があるなら、それで構いません。」
私は話を続ける。
「これは私の考えですが、こういう状況の場合、両方を救うより片方を救う方法の方が、恐らく現実的です」
口にした瞬間、空気がまた重くなった。
まぁ、ここで綺麗事を言って、全員を救えるかもしれないなんて無責任な希望を並べる方が、よほど残酷だろう。
「そして、選ぶべき片方は決まっています」
私は顔を上げる。
「綴木みことです」
望月さんの肩が、小さく震えた。
「私は、この世界の人間ではありません。昨日ここへ来ただけの異物です。でも、綴木みことは違う。彼女には友人がいて、未来があって、この世界で生きてきた時間があります」
自分の声が、妙に淡々として聞こえた。
皆の表情を無視して私は続ける。
「だから、もし本当にどちらかしか助けられないのなら」
私は一度、息を吸う。
「私を切り捨ててください」
その瞬間。
「やだ」
望月さんの声が、震えながら落ちた。
「……望月さん」
「やだよ、そんなの」
望月さんは、ぎゅっと拳を握っていた。
目には涙が浮かんでいる。
けれど、その瞳にはさっきまでの困惑だけではなく、明確な怒りがあった。
「みことちゃんを助けたいのは分かるよ。私だって助けたい。絶対助けたいよ。でも、だからって……だからって、あなたが消えればいいみたいに言わないでよ!」
「……望月さん」
─私が消えればいいみたいに言わないでよ。─
想定していなかった言葉に私は一瞬言葉に詰まる。
「……でも」
それでも私は、ゆっくりと口を開く。
「それが一番、合理的です」
望月さんの表情が、くしゃりと歪んだ。
「合理的とか、そういう話じゃないよ……!」
「いいえ。そういう話です」
自分でも嫌になるくらい、冷たい声だった。
いや、冷たくしないと涙腺が決壊しそうだった。
「私はこの世界の人間ではありません。昨日来たばかりの異物です。皆さんと積み重ねた時間もない。綴木みことの人生を奪ってまで、私がここに残る理由はありません」
「そんな言い方しないでよ!」
望月さんが、声を震わせる。
「昨日から話してたのが本当のみことちゃんじゃないって言われて、私だって分かんないよ! 頭ぐちゃぐちゃだよ! でも……でもさ!」
彼女の目から、涙が零れた。
「あなたが苦しそうだったのは、本当だったじゃん……!」
「……っ」
胸の奥が、鋭く痛んだ。
「食堂で倒れたのも、演習で怖い顔してたのも、下駄箱で泣きそうだったのも……全部、嘘じゃなかったんでしょ?」
「……」
何も言えなかった。
「私が見てたのは、みことちゃんの顔だったよ。声も、姿も、全部みことちゃんだった。でも……苦しんでたのは、あなたなんでしょ?」
望月さんは、涙を拭わないまま私を見る。
「だったら、消えればいいなんて言わないでよ」
その言葉に、喉が詰まる。
私は、ずっと自分を異物だと思っていた。
この世界にいてはいけないもの。
綴木みことの場所を奪ったもの。
だから、消えるべきなのだと。
それが正しいと、思っていた。
「……望月さん」
「卯奈でいい」
即座に返ってきた言葉に、私は息を呑んだ。
望月さんは、泣きながらも真っ直ぐ私を見ていた。
「昨日までみたいに呼ばれるのは、まだちょっと苦しい。でも……望月さんって呼ばれるのも、なんか嫌……」
「……」
「だから、卯奈でいい」
その言葉が、あまりにも優しかった。
「……卯奈」
私がそう呼ぶと、望月さん……いや、卯奈は小さく頷いた。
「うん」
ただそれだけだった。
けれど、その一言だけで、私はもう一度泣きそうになり、ゆっくりと目を瞑り、口を噤んだ。
「……」
校長室に、重い沈黙が落ちる。
誰も、簡単には次の言葉を選べなかった。
その沈黙を破ったのは、ふうまさんだった。
「古寺智樹さん」
綴木みことの姿をした私へ向けて、ふうまさんは私の名前を呼んだ。
「……はい」
「貴方がみことじゃないことは、分かった」
その声は、冷たくはなかった。
けれど、優しくもなかった。
ただ、目の前の事実を受け止めようとしている声だった。
「でも、だからといって、貴方だけで勝手に消えると決めるな」
「……っ」
「みことを助ける。それは当然だ」
ふうまさんは、静かに続ける。
「けど、そのために貴方を切り捨てるかどうかを決めるのは、貴方一人じゃない」
その言葉に、私は何も返せなかった。
ふうまさんは続ける。
「俺は、みことを助けたい」
ふうまさんは、静かに言った。
「それは変わらない。けど、だからといって、貴方に消えろと言うつもりはない」
「……」
「そもそも、まだ何も分かってない。みことを戻す方法も、貴方を元の世界に返す方法も、本当にどちらかしか救えないのかも」
ふうまさんは、まっすぐ私を見る。
「分かってないことだらけなのに、最初から自分を切り捨てる前提で話すな」
ふうまさんの言葉に私は静かに涙を流した。
今まで我慢していた涙腺が完全に崩壊した。
涙が止まらなかった。
昨日から、ずっと耐えていたものが、全部崩れた。
私は綴木みことの顔で、綴木みことの声で、情けなく泣いた。
「……すみません」
何度目かも分からない謝罪が、喉から漏れる。
「すみません……すみません……」
誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。
綴木みことに。
卯奈に。
ふうまさんに。
この場にいる全員に。
そして、ここにいる資格なんてない私自身に。
「古寺さん」
井河校長先生の声が、静かに落ちた。
「今は、結論を急がないこと。綴木さんを助ける方法も、あなたを元の世界へ戻す方法も、まだ何一つ分かっていないわ」
「……はい」
「だから、あなたが勝手に自分の処分を決めることは許しません」
その言葉は優しかった。
けれど、命令だった。
「綴木さんの身体を守ること。そして、あなた自身の意識を安定させること。今はその二つを最優先にします」
私は、涙で滲んだ視界のまま頷いた。
「分かりました……」
続くのか分からんよもぉぉぉぉぉ……。
RE:対魔忍世界転移憑依物語X ─綴木みこと─を作った方がいい?
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是非見たい。
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旧みことでいい。
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旧みことを残したまま、新みことX見たい。