RE:対魔忍世界転移憑依物語 ─綴木みこと─   作:楠崎 龍照

9 / 9
7話 逆巻く憎悪の焔

 

 

 

 

10分ぐらい経過しただろうか。

 

「みことちゃーん! おまたせー!」

 

聞き慣れた明るい声が、下駄箱の方へ飛んできた。

 

「……っ」

 

私は反射的に顔を上げる。

更衣室で着替えを済ませた望月さんが、こちらへ小走りで向かってきていた。

 

「ごめんね、ちょっと時間かかっちゃった。みことちゃん、待たせちゃった?」

「あ、ううん……大丈夫」

 

そう返したつもりだった。

しかし、自分でも分かるくらい声に力が入っていなかった。

望月さんは私の顔を見た瞬間、嬉しそうな表情をすぐに引っ込めた。

 

「……みことちゃん?」

 

さっきまでの明るさは消えていた。

代わりに、私の顔色を覗き込むような、不安そうな表情がそこにある。

 

「ねぇ、ほんとに大丈夫? 今日のみことちゃん別人みたいだよ……」

「……卯奈」

 

私は望月さんの言葉を遮るように、彼女の名前を呼んだ。

 

「な、なに?」

 

望月さんは驚いたように目を瞬かせる。

私は少しだけ口を開きかけて、けれど、すぐに言葉が詰まった。

言うべきか。

言わないべきか。

ほんの一瞬の思考。

 

「センパイってまだ話をしているの?」

「うぅん。私が更衣室を出た時は、アイツらが怒られてたよ」

「……そっか」

 

小さく息を吐く。

怒られている。

それ自体は当然だと思う。

けれど、それを聞いても胸の奥は晴れなかった。

あの罵声は、私に向けられたものではない。

綴木みことへ向けられたものだ。

 

ゴミコト。

対魔忍の恥さらし。

卑怯者。

 

その一つ一つが、まだ耳の奥にこびりついて、私を無敵へと至らせようとしている。

殺したい。

虐殺したい。

肥大化する憎悪に私に蝕まれていく。

 

「……」

 

しかし、私は拳を握りかけ、直ぐに力を抜いた。

あぁ……駄目だ。

落ち着け……。

 

「みことちゃん?」

 

望月さんが不安そうに私を見る。

 

「……卯奈」

「うん」

「ふうまセンパイに話したい事があって……いまって教室にいるかな?」

「いると思うよ。でも、もう5時間目終わったし、今は帰る用意してるんじゃないかな?」

「え? あ、そうだね。早く行かないとセンパイ帰っちゃう」

 

望月さんの言葉を反芻させる。

5時間目で今日の授業は終わるのか?

それが通常なのか、短縮授業的な期間なのか……。

私は一瞬、脳内で様々な状況を浮かべるが、自分の正体をふうまさんに説明するのだから、その時に訊ねればいいという結論に達した。

 

「ごめん、卯奈。ちょっとふうまセンパイに会ってくるね」

 

そう言って、私は下駄箱から離れようとした。

 

「待って」

 

望月さんの声に、私は足を止める。

 

「……」

 

振り返ると、望月さんは少し迷ったような顔をしていた。

何か言いたい。

でも、どう言えばいいのか分からない。

そんな表情だった。

 

「みことちゃん……」

「……うん?」

「ふうま君に、何話すの?」

 

その問いに、私はすぐには答えられなかった。

喉に異物が詰まる感覚に襲われる。

 

「……」

 

答えられない。

だけど、あまりにも私を心配してくれる望月さんに嘘をつく事が出来なかった。

 

「大事な話……」

 

どうにか出てきた言葉がそれだった。

精神が崩れていくのが心で感じられた。

涙が溢れそうになるのを必死になって我慢する。

 

「大事な話?」

「うん。センパイにちゃんと話しておかないといけない事がある」

 

息をせずに言葉を吐く。

少しでも息継ぎをしたら涙が決壊しそうだった。

望月さんはじっと私を見つめた。

疑っているわけじゃない。

ただ、心配している。

その優しさが、本当に辛かった。

 

「……分かった」

 

望月さんは、少しだけ俯いた後、そう言った。

 

「でも、ひとりで抱え込まないでね」

「……っ」

 

その一言に、胸の奥が詰まる。

何でもない優しさ。

それが一番堪えた。

 

「みことちゃん、今日ずっと苦しそうだもん。何があったのか、私には分からないけど……でも、ふうま君に話したいって思ったなら、ちゃんと話した方がいいと思う」

 

望月さんはそう言って、ぎこちなく笑った。

 

「ふうま君なら、ちゃんと聞いてくれるよ」

「……ぅん」

 

口を閉じ、奥歯を食い縛り、涙を押し止める。

私はどうにか頷いた。

 

「ありがとう、卯奈」

「うん」

 

望月さんは、まだ不安そうだった。

でもそれ以上は止めなかった。

私が何かを決めたことだけは、分かってくれたのだと思う。

 

「でも、終わったらちゃんと教えてね? 何も言わないままだと、私ずっと心配するから」

「……ぅん。もちろん、じゃあ、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい、みことちゃん」

 

望月さんの声を背に受けながら、私は下駄箱から教室へ向かって歩き出した。

 

「……っ……っ……っ!」

 

私は走りながら溜めていた涙が溢れ出た。

 

─うん。行ってらっしゃい、みことちゃん─

 

望月さんのこの言葉が、脳内に何度も木霊し、響き続ける。

友人を心配し、それでも無理に踏み込まず送り出す言葉。

その優しさが、私の胸を深く抉り、それが涙となった。

 

「……っ……っ……っっ……っ!」

 

ダメだ、涙が止まらない。

走っているから息が切れているのか、泣いているから息が乱れているのか、私にも分からない。

 

「(なんで……なんでこんなに優しいんだよ……)」

 

望月さんは、綴木みことに言ったのだ。

行ってらっしゃい、と。

心配しながら、苦しそうな友人を、それでも信じて送り出した。

その相手が本当は綴木みことではないことを、彼女は知らない。

もう無理だ。

もう限界だ。

こんな残酷すぎる現実、私には到底耐えられない。

 

「……ごめん……ごめん……!」

 

口から漏れた謝罪は、幸いにも誰にも届かなかった。

それでも言わずにはいられなかった。

言わないと、私は本気で自殺を考えてしまう。

 

「……っ」

 

涙を拭う。

だが、拭っても拭っても視界が涙で見えなくなる。

 

「……っ、くそ……」

 

情けない声が漏れる。

綴木みことの声で、私の弱音が漏れる。

それがまた、どうしようもなく苦しかった。

 

「(泣くな……泣くな……今は泣くな……!)」

 

自分にそう言い聞かせる。

だが、涙は止まらない。

喉の奥がひくつき、呼吸が乱れる。

それでも足だけは止めなかった。

早くふうまさんに話さなければならない。

これ以上、この身体で、この立場で、何も知らない人たちの優しさを受け続けることに耐えられない。

その時だ。

 

「っ!?」

 

誰かに足を掛けられて、そのまま勢いよく廊下に転げてしまった。

 

「いっ……!」

 

受け身を取る余裕なんてなかった。

涙で滲んだ視界。

乱れた呼吸。

焦りで前しか見えていなかった私は、そのまま肩と膝を廊下に打ちつける。

 

「……っ、なに……?」

 

痛みを堪えながら顔を上げる。

そこには、見覚えのある男子生徒が立っていた。

炎条……。

胸の奥が冷えた。

あの時、保健室へ運ばれていたはずの男が、そこに立っている。

顎の辺りに私がぶん殴った痕が残っていた。

そして、その表情にあるの隠す気もない憎悪だった。

 

「よぉ、綴木」

 

炎条は、わざとらしく口元を歪めた。

 

「ずいぶん急いでるじゃねぇか。どこ行くんだよ」

「……センパイに用があるので、どいてください」

 

私は立ち上がろうとする。

だが、肩と膝に鈍い痛みが走り、わずかに顔が歪んだ。

 

「センパイ、ねぇ」

 

炎条は鼻で笑う。

 

「ふうまのマヌケに慰めて貰うのか?褒めてもらうのか? 忍法を使えないどうしで傷の舐め合いか? それともチ〇ポとマ〇コの舐め合いか?」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。

ふうま小太郎と綴木みことを馬鹿にした。

……コイツを殺したい……喉元に噛み付いてやりたい衝動に襲われる。

 

「……」

 

しかし、ここで怒れば、こいつの思う壺だ。

 

「どいてください」

 

私はなるべく低く、感情を殺して言った。

だが、炎条は当然のように退かない。

むしろ、わざとらしく肩を竦めて笑った。

 

「は? なんで俺がお前の言うこと聞かなきゃならねぇんだよ」

「急いでるんです」

「だから何だよ」

 

炎条は一歩、こちらへ近づいてくる。

 

「さっきはよくもやってくれたな」

 

低い声だった。

演習中のような、周囲へ聞かせるための声ではない。

もっと湿っていて、もっと暗い。

怨みをそのまま吐き出すような声だった。

 

「……演習で私を指名したのは、あなたですよね?」

「ああ?」

「私は受けただけで、それで負けたのは、あなたですよ。逆ギレはダサいですよ」

 

そう言ってから、しまったと思った。

今の言葉は火に油だ。

冷静に、早くこの場を離れるべきだったのに。

炎条の表情が、ぴくりと歪む。

 

「……調子に乗んじゃねぇぞ、落ちこぼれがよぉ」

「……」

 

落ちこぼれ。

また、その言葉だ。

胸の奥に黒いものが広がる。

さっきまで涙でぐちゃぐちゃだったのに、いまは別の熱に焼かれていく。

 

「どいてください」

 

私はもう一度だけ言った。

声が震えないように、必死に喉へ力を込める。

 

「私は、センパイに話があるんです」

「だから褒めて、ついでに泣きつくんだろ? 炎条に仕返しが怖いから助けてーって」

 

炎条は吐き捨てるように笑った。

 

「いいよなぁ、弱い奴は。すぐ誰かに守ってもらえてさ」

「……」

「忍法も使えないくせに、周りに庇ってもらって。ちょっとズルい手で勝ったら、今度は悲劇のヒロイン気取りか?」

 

殺す。

その言葉が、頭の奥で弾けた。

 

「……っ」

 

駄目だ。

駄目だ駄目だ駄目だ。

ここで動いたら終わる。

ここで殴ったら、さっき八津先生に言われたことが全部無駄になる。

私は拳を握りかけ、無理矢理開いた。

爪が掌に食い込んでいた。

 

「私は……あなたと話すことはありません」

 

そう言って、横を抜けようとする。

だが、その瞬間、炎条の手が私の肩を掴んだ。

 

「誰が行っていいって言った?」

「っ、離して……!」

 

振り払おうとする。

しかし、演習後の疲労と、さっき転んだ痛みで身体がうまく動かない。

 

「どいて……くだごぶっ!!?」

 

炎条の拳が、私の腹へ沈んだ。

息が詰まる。

胃の奥が跳ね上がり、視界が白く弾けた。

 

「お前さ、調子に乗りすぎなんだよ」

 

膝から力が抜ける。

床が近づく。

もう身体が動かなかった。

 

「……せん……ぱ……」

 

声にならない声が漏れる。

その直後、私の意識はぷつりと途切れた。

 

「……っ」

 

次に意識が浮上した時、最初に感じたのは埃っぽい匂いだった。

 

「……っゲボっ! ったぁ……」

 

お腹がズキズキと痛む。

呼吸をするたびに、腹の奥が鈍く疼いた。

 

「ぐっ……ゲホッゲホッ! ここどこだ……?」

 

私は周囲を見渡した。

薄暗い部屋で埃っぽい匂い。

壁際には焼け焦げた跡や殴られた痕の木人が複数打ち捨てられるように置かれていた。

恐らく演習用の倉庫だと感じた。

 

「起きたか」

 

低い声が聞こえ、私は声のする方を見た。

そこには怒りで真顔の炎条がいた。

 

「炎、条……」

 

名前を口にした瞬間、腹の奥がずきりと痛んだ。

さっき殴られた場所だ。

呼吸をするだけで、内側から鈍い痛みが広がる。

 

「ここ、どこですか……」

「は? 見てわかんねーの? 演習用の倉庫だよ」

 

炎条はバカにした表情で吐き捨てるように言った。

 

「普段はほとんど誰も来ねぇ場所だよ」

「……」

 

その言葉で、背筋が冷えた。

誰も来ない。

つまり、こいつは最初からそれを分かっていて、私をここへ連れてきたのだ。

 

「……何のつもりですか」

 

私は壁に手をつきながら、どうにか身体を起こそうとする。

しかし腹に力を入れた瞬間、痛みで呼吸が詰まった。

 

「ぐっ……!」

「無理すんなよ。さっき結構いいの入っただろ?」

 

炎条はそう言って、にたりと笑う。

私は立ち上がって痛むお腹を擦り、毅然とした表情で冷たく言い放つ。

 

「……私は、貴方と話すことはありません」

「こっちはあるんだよ」

 

炎条が一歩、近づいてくる。

 

「演習で俺に勝った気分はどうだった? 目に砂かけて、顎殴って、周りに祝福されてさぁ。気持ちよかったか?」

 

「……」

 

気持ちよかった。

その言葉が、胸の奥を抉る。

違う。

そう言い切れない自分がいる。

 

私は炎条を殴った感触に、ほんの一瞬だけ救われてしまった。

その事実が、今も喉の奥に張り付いている。

 

「……黙ってないで何か言えよ」

「……」

 

私は、なるべく感情を殺して言った。

 

「貴方が指名して、私はそれを受けただけです。それで貴方は負けただけです。それ以外なにかありますか?」

「……ッ」

 

炎条の顔が歪む。

次の瞬間、腹に衝撃が走った。

 

「ごぶっ……!?」

 

炎条の回し蹴りが、私の腹へ叩き込まれていた。

身体が床に倒れ込む。

肺の空気が一気に押し出され、呼吸ができない。

 

「勝った気でいるんじゃねぇよ」

 

炎条の声が、頭上から降ってくる。

咳き込む。

凄まじい痛みがお腹から全身にかけて走る。

 

「う……ぐ……ゲホッ!」

「お前さ、俺が手加減したって察せねぇわけ?」

「ゲホッゲホッ!」

「それで全員からチヤホヤされて調子乗んなよマジで」

 

蹲る私の身体に、炎条は再び力強く蹴りを入れた。

痛みに呻き声をあげる。

その時だった。

倉庫の扉が、軋む音を立てて開いた。

 

「お、いたいた」

「炎条、先に始めてたのかよ」

「先生の説教、長すぎだっつーの」

 

聞き覚えのある声が複数。

炎条の取り巻きたちだった。

 

「……っ」

 

胸の奥が冷える。

来た。

八津先生に怒られていたはずの奴らが、説教を終えてここへ来たのだ。

 

「お前ら、遅ぇよ」

 

炎条は不機嫌そうに言った。

 

「悪い悪い。あの先生、マジで怖すぎだろ」

「でもまぁ、これで邪魔者はいないってわけだ」

「お、綴木、もう床に転がってるじゃん」

 

取り巻きたちは私を見下ろし、にやにやと笑う。

その視線が獲物を見つけたような目で気持ち悪かった。

 

「……何しに来たんですか?」

 

私は必死に起き上がり、片膝をついた状態でどうにか声を絞り出す。

お腹に激痛が走り、呼吸をするだけで、重い痛みが全身を蝕む。

 

「何しにって、そりゃ決まってるだろ」

 

取り巻きの一人が笑う。

 

「炎条に恥かかせた礼だよ」

「お前のせいで、俺らまで八津先生に説教されたんだぞ」

「ゴミコトのくせに調子乗りやがって」

 

「……」

 

ゴミコト。

その言葉が、私の心の闇を増長させる。

私ではない、この身体の持ち主である綴木みことを、こいつらは笑っている。

それが本気で許せなかった。

殺したい。

殺したい、私の心の殺害意欲がフツフツと湧き上がってくる。

 

「……その呼び方、やめてください」

 

自分でも驚くほど、低い声が出た。

 

「あ?」

 

炎条が眉をひそめる。

 

「今なんて言った?」

「その呼び方を、やめてくださいと言ったんです……!!」

 

私は床に手をつきながら、どうにか立ち上がろうとする。

足元がふらつく。

腹の痛みで、上手く力が入らない。

怒りと殺意に満ちた表情で彼らを睨みつける。

 

「綴木みことは……お前らに、そんな風に呼ばれていい人じゃない……!」

 

私が放った言葉で、この場の空気が一瞬だけ止まった。

炎条たちは、私が何を言っているのか分からないという顔をする。

当然だろう。

私は綴木みこと本人なのだから。

 

「……は?」

 

炎条たちが、気味悪そうに眉を顰める。

 

「何言ってんだ、お前」

「……」

「綴木みことは、だと? 自分で自分を庇ってんのか? マジで頭おかしくなったんじゃねぇの?」

 

取り巻きたちが一斉に笑い出す。

 

「うわぁやべぇ、ゴミコト、ついに自分のこと他人みたいに言い始めたぞ」

「炎条に負けそうになって、頭でもおかしくなってんじゃねぇの?」

「いや、炎条に勝ったつもりになって調子乗りすぎたんだろ」

 

笑い声が、倉庫の中に響く。

その一つ一つが、私を無敵へ誘う。

殺害意欲を刺激する。

 

「……黙れ」

 

私はふらつきながら必死に立ち上がる。

 

「お前らみたいな負け惜しみしか出来ない分際で……その名前を汚すな……」

「まだ言うか」

 

炎条の顔から笑みが消える。

代わりに、怒りだけが浮かんだ。

 

「お前さ、まだ自分が上にいるつもりなのか?」

 

炎条が一歩近づいてくる。

私は咄嗟に身構えようとした。

しかし、腹の痛みで反応が遅れる。

 

「っ……!」

 

その隙を、取り巻きの一人が見逃さなかった。

 

「土遁・縛杭」

 

床が、鈍い音を立てて盛り上がる。

足元から伸びた土の塊が、私の足首へ絡みついた。

 

「っ……!?」

 

反射的に引き抜こうとする。

だが、土の拘束は重く、硬く、足がまるで床に縫い付けられたように動かない。

 

「離して……!」

「無理無理」

 

土遁使いの取り巻きが、にやにやと笑う。

 

「演習じゃないんだからさ。砂なんか使わせねぇ、よッッッ!」

「おぶっ!?」

 

私は土遁使いの取り巻きに殴られて地面に仰向けで倒れる。

さらに床から伸びた土の塊が、私の手首を押さえつけるように固まった。

両手と両足が完全に拘束される。

 

「……ぐぅぅっ」

 

心臓が、嫌な音を立てた。

まずい。

本当にまずい。

 

「さっきは上手くやったよなぁ、綴木」

 

炎条が近づいてくる。

私は動けない。

逃げられない。

叫ぼうにも、喉が恐怖で固まっている。

 

「でも、今はどうだ?」

 

炎条は私の前に立ち、見下ろすようにして笑った。

 

「誰も助けに来ないぜ」

 

下衆の笑顔を浮かべる炎条。

それに続くように下卑たる笑いする取り巻きたち。

 

「無視かよ!」

 

炎条の拳が、腹部にクリーンヒットする。

 

「ごぐっ……!」

「おら、どうした。さっきみたいに避けてみろよッ!!」

「……っ、あぐ……」

「砂でもかけるか? 目潰しするか? ほら、やってみろよ」

 

取り巻きの一人が、わざとらしく笑う。

 

「無理だろ。今のお前、ただの落ちこぼれだもんな」

「炎条にたまたま勝ったくらいで勘違いしすぎなんだよ」

「八津先生に庇われたからって、調子乗んなよ」

 

笑い声、罵声、腹の痛み。

全部が混ざって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 

「や、やめろ……この身体は……!」

 

言いかけて、私は口を閉じた。

 

「この身体は?」

 

炎条が、眉をひそめる。

 

「なんだよ。続き言えよ」

「……」

 

言えるわけがない。

言っても理解されるわけがない。

私は綴木みことではないなんて。

 

「おいおい、マジで頭おかしくなってんじゃねぇの?」

「自分の身体をこの身体とか言ってるぜ」

「やべぇな。演習で勝ったつもりになって、変な方向にキマっちまったか?」

 

取り巻きたちの笑い声が響く。

違う。

違う違う違う。

綴木みことはおかしくなんかなっていない。

おかしいのは私だ。

ここにいるべきではない私が、彼女の身体を勝手に動かしているから、こんなことになっている。

 

「……笑うな」

 

喉の奥から、低い声が漏れた。

 

「綴木みことを……笑うな……」

「だからそれ、自分のことだろうが。テメェさっきから気持ち悪ぃんだよ!!!」

 

炎条が吐き捨てる。

その言葉と同時に、炎条の足が私の腹へ叩き込まれた。

 

「ごぶっ……!?」

 

土に固定された身体は、衝撃を逃がすこともできない。

腹の奥に痛みが突き刺さり、喉から空気が漏れる。

 

「ほら、どうしたよ。さっきまであんなに偉そうだったじゃねぇか」

「……っ、ぐ……」

「綴木みことはそんな風に呼ばれていい人じゃない、だっけ?」

 

炎条は、わざとらしく私の言葉を真似た。

 

「何様だよ、テメェ」

「……っ」

 

その言葉に、何も返せなかった。

実際に今の綴木みことは、みこと本人ではない、ただ彼女の場所に紛れ込んでしまった私だ。

 

「都合が悪くなったら黙りか?」

「……っ」

「黙ってんじゃねぇよ!!」

 

炎条の足が、また腹へ叩き込まれた。

 

「ごふっ……!」

 

身体を丸めようとする。

だが、両手両足は土で固定されていて、衝撃を逃がすことすらできない。

あまりの痛みに視界が白く弾けた。

 

「おい、炎条。こいつ、まだ反省してないぜ」

「自分のこと他人みたいに言ってるし、マジで気持ち悪いんだけど。なんかの障害でもあるんじゃねぇか?」

「忍法が覚醒してねぇからな、障害持ちはマジで有り得るぞこれ!」

 

笑い声が響く。

そのたびに、胸の奥で黒いものが膨れ上がる。

 

「……」

「ほら、謝れよ」

 

炎条の声が降ってくる。

 

「炎条さんに逆らってすみませんでした。卑怯な手で勝ってすみませんでした。落ちこぼれのくせに調子に乗ってすみませんでしたってな」

「……っ」

 

絶対に嫌だ。

私が謝るだけなら、いくらでも謝れる。

古寺智樹としてなら、土下座でも何でもする。

でも、その言葉を綴木みことの声で言うことだけはできなかった。

綴木みことに、そんな言葉を言わせるわけにはいかない。

そもそも、これに関して私は何一つとして悪いことはしていない。

 

「……いや、です」

 

かすれた声で、私は言った。

倉庫の空気が、一瞬だけ止まる。

 

「……は?」

 

無表情になる炎条。

 

「いや、だと?」

「……私は……謝りません……」

 

声が震えている。

身体も震えている。

怖いし痛いし逃げたい。

助けてほしい。

それでも、ここだけは譲れなかった。

 

「綴木みことは……お前らに、謝る必要なんて……ない……」

 

その瞬間、炎条の目が完全に冷えた。

 

「……お前さぁ、マジでムカつくわ。さっきからずっと意味わかんねぇキ〇ガイみたいなこと言ってるしよぉ」

 

低い声に湿った怒り。

それが、倉庫の埃っぽい空気に混ざる。

炎条が片足を上げる。

狙いはまたお腹。

 

「っ……!」

 

来る。

分かっている。

けれど、避けられない。

両手も両足も動かない。

 

「やめ──」

 

言い切る前に、衝撃が落ちた。

 

「ごぶぅっ……!!」

 

息が止まる。

声にならない。

腹の奥から、熱いものが込み上げる。

私は身体を丸めようとしたが、土の拘束がそれすら許さない。

 

「おいおい、まだ謝らねぇの?」

「ゴミコトのくせに根性だけはあるじゃん」

「いや、これ根性じゃなくて頭おかしいだけだろ」

 

取り巻きたちの声が遠い。

笑い声が耳の奥で反響する。

そんな中で私はボソリと彼の名を呟いた。

 

「……ふう……まセン、パイ……」

「はっ、またふうまかよ、呼んでみろよ。来ねぇけどな」

 

取り巻きたちが笑う。

 

「ふうまセンパーイ、助けてーってか?」

「弱い奴はいいよな。すぐ誰かに縋れてさ」

「まぁアイツがこんな所に来ねぇよ!」

 

違う。

助けてほしいわけじゃない。

いや、助けてほしい。

今すぐここから連れ出してほしい。

だがそれ以上に。

ふうまに話さなければならない。

綴木みことの周りにいる人たちに謝らなければならない。

そして────。

 

「……ごめん……」

 

口から、弱い声が漏れた。

虚空を見つめて謝罪する。

 

「ごめん……なさい……」

「謝る相手が違うだろ」

 

炎条が吐き捨てる。

 

「俺に謝れよ」

「……違う……」

「あ?」

「お前、じゃ……ない……」

 

私が謝らなければならない相手は、炎条ではない。

こんな奴らではない。

 

「……みこと……」

 

その名前が、喉から零れた。

 

「ごめん……」

 

言葉にした瞬間、涙が滲む。

痛みのせいなのか、悔しさのせいなのか、罪悪感のせいなのか、もう分からない。

 

「こいつ、マジで何言ってんの?」

「怖っ」

「やっぱ頭おかしくなってるだろ」

 

取り巻きたちの声が聞こえる。

 

「おい、炎条。こいつ、マジで謝る気ねぇぞ」

「しかもまだ、綴木みことがどうとか言ってるし」

「もう黙らせた方が早くね?」

 

その言葉に、炎条が小さく鼻で笑った。

 

「そうだな」

 

炎条が私の方へ近づいてきた。

私は反射的に身を引こうとする。

だが、両手も両足も土で固定されている。

逃げることなんてできない。

 

「っ……!」

 

炎条の手が、私の首にかかった。

 

「……ぁ」

 

呼吸が詰まる。

喉が圧迫され、空気が入ってこない。

さっきまで腹の痛みに意識を奪われていたのに、今度はそれどころではなかった。

 

「おい、苦しいか?」

「ほら、謝れよ」

「炎条さんに逆らってすみませんでしたって言えば、少しは楽になるんじゃねぇの?」

 

取り巻きたちの笑い声が聞こえる。

 

「……っ……ぁ……」

 

声が出ない。

息ができない。

視界の端が、じわじわと暗くなっていく。

私は、こんなところで終われない。

ふうまさんに話さなければいけない。

望月さんに謝らなければいけない。

綴木みことの身体を、返さなければいけない。

 

「……せ……」

 

声にならない声が喉の奥で潰れる。

 

「せん、ぱ……」

 

その言葉を聞いた炎条が、苛立ったように顔を歪めた。

 

「またふうまかよ」

 

低い声と憎悪。

それが、薄れゆく意識の中で妙にはっきり聞こえた。

 

「呼んでも来ねぇよ。ここは誰も来ないって言っただろ」

 

炎条が言い放った。

その瞬間だった。

倉庫の外で、何かが激しく叩きつけられる音がした。

 

「っ!?」

 

炎条たちの動きが止まる。

次の瞬間。

轟音と共に、倉庫の扉が吹き飛ぶように開いた。

 

「みこと!!」

 

聞き慣れた声。

薄れていく視界の中で、ふうまさんの姿が見えた。

他にも誰か3人ほどの人影を見えた気がしたが……その正体を知るよりも先に、私の意識は完全に落ちた。

 

 

 

 

もう続く気がしない……。

蝕まれていく。

RE:対魔忍世界転移憑依物語X ─綴木みこと─を作った方がいい?

  • 是非見たい。
  • 旧みことでいい。
  • 旧みことを残したまま、新みことX見たい。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ソシャゲの序盤で死ぬヒロインにTS転生したけど、とりあえず主人公くんをいじりたい(作者:あまぐりムリーパー)(オリジナル現代/ノンジャンル)

 明上ユーリは転生者。ソーシャルゲームであるラスト・インヘリタンス――通称ランヘリの世界にTS転生してしまった。▼ ランヘリでの役割は、序盤で死ぬタイプのヒロイン。そんな立場になったんだからどうしよう……とかではなく。▼ そんなことよりも、主人公くんをいじり倒したい!!!▼※カクヨム、小説家になろうにも投稿始めました▼一章完結済み▼二章完結済み


総合評価:4487/評価:8.73/完結:59話/更新日時:2026年05月18日(月) 19:03 小説情報

幼馴染(天使)が幼馴染(偽)だった。天使なのはガチだった(作者:ビスマルク)(オリジナル現代/恋愛)

▼『アンタの幼馴染、あれ偽物だよ』▼ 幼馴染に告白する勇気を得るために学校で流行っていたおまじないをしようとしたらガチのお呪いで脳内に悪魔が入って来た。▼ 更にそいつは僕の幼馴染が異世界から来た天使であり、悪魔と戦うためにわざわざやってきたという。▼ そう、全ては嘘だった。僕に超絶美少女な幼馴染などおらず彼女との関係は一ヵ月程度しかなく本物だと思っていた過去…


総合評価:7511/評価:8.84/連載:50話/更新日時:2026年05月23日(土) 21:02 小説情報

アーサー王(史実)がしたこと(作者:妄想壁の崩壊)(原作:Fate/)

▼アイデアが浮かんだので供給します。▼型月アーサー王伝説とブリタニア列王史、史実歴史なんかを足して割ったような世界線です。プーサーではありません。▼さて質問。我々の生きる世界に神秘は全く存在しない。それはなぜか?▼※本編は完結しました。▼


総合評価:13304/評価:8.88/連載:58話/更新日時:2026年05月24日(日) 15:27 小説情報

神様に「リリカルなのは『みたいな』世界に転生したい」って要望したら「幼女戦記」の世界に入った話。(作者:スレ主)(原作:幼女戦記)

「もし生まれ変わるなら、魔法少女リリカルなのは『みたいな』世界を! ついでにレイジングハート『みたいな』最高の相棒(AI)と、可愛い幼馴染もセットでお願いします!」▼死の間際、俺が神様に放った精一杯の強欲な願い。▼目覚めた俺の脳内(システム)に、聞き覚えのある凛とした声が響く。▼『……マスター。再起動を確認。……セットアップ、オールグリーン。……全力でサポー…


総合評価:25263/評価:8.68/連載:39話/更新日時:2026年05月10日(日) 12:21 小説情報

地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)(作者:あなたへのレクイエムです)(原作:HUNTER×HUNTER)

「ねえ! あなたの目を、私にちょうだい? 綺麗な瓶に入れて、毎日眺めたいの!」▼アンドー=ルモアが出会ったのは間違いなく地雷系の女の子だった。ウワーッ!?▼ヨークシンシティのオークションまであと10年。▼ネオン=ノストラードの"破裂"する運命は変えられるのか。▼※掲示板形式主体作品の検索利便性を考慮しタグを控えていますが、幕間の末尾などに…


総合評価:46548/評価:8.96/連載:37話/更新日時:2026年05月24日(日) 20:01 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>