魔王が死んだので、一人残された四天王の俺はヒトと和平を結んでラーメンをすすりたい 作:黒棺
魔王が死んだ。ライルがそれを知ったのは
からん、という音が手元から鳴った。手から箸が滑り落ち、
目を閉じ、大きく息を吸い込む。湿った蒸気と油の臭いが鼻孔の奥を満たす。ぐつぐつとスープを煮込む音が、カウンターの向こうから聞こえてくる。
脳裏によぎったのは、
動揺したのなら、まずは自分の場所を再確認しろ。
あれはいつ言われたんだったろうか。いや、思い出せない。少なくとも碌な状況じゃなかったのは確かだろう。
息を吐き出し、瞼を開ける。ライルが座っているのは、カウンター席だった。木製の台の上に、白い陶器でできた丼があり、その中には食べかけのらぁめんが満ちている。
今は食事中だ。ならば美味しくいただくべきだ。
丼に落とした箸を取り、麺をすすった。
前世で憧れても食べられなかっただろうこれを味わえたからこそ、二度目の生に感謝できる。もちもちの麺を飲み込み、ライルは笑みを浮かべ、顔を上げた。
「ギルさん、また腕を上げたな」
「ありがとよ……じゃなくてな。落ち着いてる場合なのか? 魔王が死んだって言うのに」
この店の主であるギルが、親指で斜め上を指し示した。王の死を伝えているのは、
魔導水晶《クリスタル》は空中にヒトの国の様子を映し出していた。画角から考えると、上空から撮影しているのだろう。
大きな城の前で市民たちが歓喜に沸き、
箸で掴んでいた麺が、千切れてスープの中に落ちた。
「なんにせよ戦争が終わった……少なくとも魔族もヒトも、死ぬやつが大分減る」
「そううまくいくわけねえだろ。いや……それよりもな」
ギルの、壮年の中期に差し掛かった顔の、その眉間に
「この街はどうなるんだよ。お前が治める《アルティーム》は」
「……なんのことだ? 俺はただの、便利屋のライルだ」
「なにとぼけてんだ。この街を解放するとき、肩並べて戦っただろうが」
ギルの黒色の瞳に、ライルの姿が反射した。彼の側頭部には、ヒトにはない角が生えていた。透き通るような白色であり、表面は滑らかに見える。角は短い銀色の髪の間から伸び、緩やかに湾曲しながら、その先を天井に向けていた。
ライルは答えなかった。箸で残りの麺を全て掴み、勢い良く啜った。着ている服にスープが散ったが、構わなかった。さらに丼を持ち上げ、スープを
空になった容器を置いて、ライルはようやく口を開いた。
「ま、魔王軍第四席がなんとかしてくれるさ。和平を提案した結果戦いから追放されて取り残された、四天王末席がな」
「それがお前だろ」
ずいっと、ギルが背を曲げてカウンターから乗り出した。
「帝国から肩並べて解放して……魔族とヒトが、さらには獣人もごちゃ混ぜになって暮らすようになった。お前が作り上げた街だ。忘れたとは言わせねえぞ」
「……分かってるよ」
帝国から圧政を受けていたヒトの街を開放し、魔族の領地とした。ヒトを追い出さず、獣人も受け入れ──異なる三種族が共に暮らすようになった。
アルティーム、それがライルの作り上げた街だ。
再度口を開こうとすると、背後の店の引き戸がガラリと音を立てて開いた。
「ああ、ここに居ましたか。ライルさん」
鈴を転がすような声が響く。
店主の視線が移ると同時に、ライルも振り返った。
彼女を見た時、まず目に入るのは無骨な機械だ。落ち着いた黄色の、光沢を持った機構が頭の左右、側頭部に載せられている。その最も外側には何かを排気するような穴が突きでている。
「ようアリスちゃん。らぁめん、食べに来てくれたのかい?」
店主が先程までの空気とは真逆の、フランクな口調で彼女に声をかけた。
アリス。ライルに使える側近だ。
「申し訳ありません。私はどこぞのバカのせいで摂食機能を喪失しています。いつもどおり、水をお願いします」
アリスはそう言いながら、ライルの横に座った。質素な店内に対して、青を基調とするメイド服が浮いている。街を歩くときくらい、普通の服にしてくれといつも言っているのに、彼女は全く聞き入れない。以前「あなたがこれ以外、くれないのが悪いのです」と言われたが、他の部下と同様に十二分に給料は払っているはずだ。勝手に買えばいいだろう。
「魔王様が死んだというのに、こんなところにいるとは。ご自身の立場の自覚が、お有りですか?」
「あるぞ? だからお前に街の運営を任せているし、俺はここでらぁめんを食ってる」
「角を引っこ抜きますよ?」
彼女の目が細められた。怒りに呼応するかのように、頭の機械の両穴からプシュっと小さな音を立てて、蒸気が漏れる。白い髪がふわりと揺れた。
「私はあなたのもの。故に私はあなたの、ひいては魔族のために最善を尽くす義務があります。放送は見ましたか?」
「ああ、見たよ。ここに魔導水晶を置いといて良かったよ。……死んだんだな、あいつは」
「情報を総合すると間違いなく。他の四天王……第一席から第三席のいずれも死亡か行方不明となっています。現在、帝都とその上空から偵察を行わせています」
「あまり刺激をするなよ……つまり、今魔王軍で一番偉いのは俺か」
空の器を見つめながら尋ねれば、視界の端でアリスが首肯した。
器の底に突き立つ箸の片方を指で弾く。陶器の縁をからからと音を立てて転がり、一周してもう一本とぶつかった。
アリスが言葉を続けた。
「侵攻部隊は現在撤退中との情報がありますが……それよりもまず、この街が危機敵状況です。帝国が攻略作戦を立てている気配があります」
「おいおい……」
ギルがカウンターの向こうから、顔を出した。
「帝国の支配に戻りたかねえぞ、俺達は。助けなかった共和国も御免だ」
「戻れるならまだマシですね。帝国はヒト至上主義……獣人や魔族はもちろん、最悪ヒトも裏切り者……もしくは異端者扱いで、都市丸ごと焼き討ちです」
外から幼さの残る明るい声が聞こえた。おそらく、店の前を子どもたちが走っていったのだろう。ついで、女性の呼び止める声。
このまま俺が何もしなければ、彼らの日常も灰燼に帰すという。
本当にクソッタレな置土産だ。最期まで突き進んで、斃れやがって。
「何をすればいい?」
言いながら、そんなことすら分からなくなっていたのかと笑いがこみ上げる。こんなやつが魔族で一番偉いことになるのか。本当に、ふざけた状況だ。
侵攻部隊の隊長として立つか、和平の準備でもするか。帝国も消耗しているはずだが、どこまで和平は現実的なのか。
アリスはコップを持ち上げ、最後の一滴まで水を飲み干すと、ようやく口を開いた。
「奴隷売買組織を捕まえてください」
「……はい?」
脳内に疑問符が浮かんだ。それが……聞き捨てならない話ではあるが、この街の危機とどういった関係があるのか。
「魔王軍第四席が種族問わず民を救った……というストーリーを打ち立てます。魔王派の魔族に対し力を誇示すると同時に、同時にヒト族に対し交渉の余地がある存在としてアピールします。……少なくとも共和国相手なら可能でしょう」
「あー……俺はちょっと奥で仕込んでくる」
そう言って店長が厨房の奥へと消えた。いい判断だ。聞いていてもろくなことにならないだろう。
ギルは以前、確かに軍人だった。だが今はただのらぁめん屋の店主だ。こんな話に関わる必要はない。
「つまり、町の外に出ろってことか? どこに行けばいい」
「いえ、残念ながらこの街の中です」
……は?
そう思うと同時に、思い至る点があった。最近子供が行方不明になっているという噂があった。便利屋のライルとして聞いたそれは、それとなく部下たちに伝えていたが──。
「街に居る子供を種族関係なく拉致し、帝国に奴隷として売ろうとしている組織が入り込んだようです。正規の手続きだと間に合わないので、
「ちょっと待て、どこから入り込んだ?」
「港です。その地区の担当者が買収されているようです。……ヒトに配慮しすぎましたね」
思わず天井を仰いだ。
組織の腐敗というのは、どこの世界も例外ではない。
前世でも味わったし知ってはいたが、身近な場所で行われるとたまったものではない。
「本当にこの世界もクソッタレだな……で? タイムリミットは?」
街の外に連れ出されるまでに助け出さなければ。救出作戦となると、標的の人数、建造物の構造など頭にたたきこむことがたくさんある。
「今夜です」
──当日に言うんじゃない。ライルは怒鳴りかけて、その言葉を飲み込んだ。