私には……小さな子供たちがいたの……
『おかーさん! だっこして!』
『おかーさん! まんまちょうだぁい!』
『おかーさん!』 『おかーさん!』
子だくさんで……毎日大変だった。ご飯の準備もしないといけないし、全員分のおくるみも作らないといけない……寝かしつけもしないといけない。でも……幸せだった。
『今日もお疲れ様、ハニー♡』
『あら? 私はハチじゃないけど?』
『あはは! 確かに! 身重なんだから。無理しすぎないでね? 困ったら僕を頼っていいよ?』
『ふふっ、ありがと!』
夫も居た。少し頼りないけど……優しくて、ユーモアもある。みんなが居たから毎日頑張れたし、毎日が幸福に満ちていたと思う。
でもそれはある日突然崩れた。
『5、6、7、8……うーん。まぁまぁかな?』
ある日やって来た、ニンゲンたち。私の大事な宝物はそいつらに蹂躙された。
子どもたちは袋の中で暴れ、泣き喚いている。夫は胸を貫かれ、地面に倒れて動かなかった。
『親分! タマゴ見つけました! 多分クルミルです』
1人のニンゲンが両手に抱えて持ってきたのは、カタカタと動く何個ものタマゴ。私がお腹を痛めて、命懸けで産んだ、大事な大事なタマゴ。
『か……かえし……』
『あぁ、潰していいぞ。孵すの面倒だし』
『はーい、分かりましたぁ』
グチャ!
………………何も出来なかった。反撃することも。抵抗することも。攻撃を当てることでさえ。
気がついたらどこにも子供達は居ない。夫も居ない。タマゴも居ない。1人ぼっち。広い家にはワタシしかいない。
『なんで……どうして……こんなことに……』
泣く事しか出来なかった。毎日が辛かった。朝起きて家族がいないことに泣き、昼にはひとりぼっちの食卓でまた泣き、夜になったらあの日の事が夢に出てきて泣く。
毎日毎日、私1人しかいない。1人は辛い。苦しいし、悲しい。だから……だから家族が欲しかった。
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「そういう事情があったんでチュね……」
デデンネが納得したように頷いた。森の中には、ハハコモリのすすり泣く声と夜風の音が響いている。
(家族……か)
正直に言うと、元母親だった私には彼女の辛さが痛いほど分かる。
「あなたの気持ちは……とても分かります。とても」
記憶がフラッシュバックする。かつて人間だった頃の私。家族を持ち幸せに暮らしていた私。今でもよく夢にでてくる。それは恋しいという気持ちの表れだろう。でももう会えない。こんな体になってしまったから。
「…………」
私はリナちゃんの方を見る。
「zzz……」
危険な森の中だというのにどこか余裕そうだ。私は少し微笑んだ後、ハハコモリに向かって話し出す。
「あの子は私の家族なんです。だから、元いた場所に帰してほしい。他の子達もです。みんな家族がいて……帰りを待っている」
「……あぁ、そうね。そうだったわね……あたし、大嫌いなアイツらと全く同じ事してたのね」
「そうでチュそうでチュ。反省するでチュ」
鋭い鎌を持つ腕はもう上がらない。嗚咽が森に響く。糸を吐き出していた口元は震え、まるで自分を責めるように木の幹へ突き立てられた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……あたし、何て事を……」
見かねた私はそっと、涙を流すハハコモリの鎌に手を添えた。
「いいんです。あなたはただ……寂しかっただけなんです」
「……え?」
「失ったものは戻らない。でも……あなたはまだ生きてる。まだやり直せる。あなたの優しさを、本当に必要としている子はきっといるはずです」
私は精一杯の笑みを向けた。
「だからお願いします。もう自分を責めないであげて」
ハハコモリは嗚咽を漏らしながらも、私の言葉に小さく頷いた。彼女の触角が、かすかに震えていた。
「そうね。そうよね。ありがとう……わたし、あなたに出会えて、よかっーー」
『パンッッッ!!!』
森に似つかわしくない。闇を裂く乾いた破裂音。頭が真っ白になる。
ハハコモリの体がびくんと痙攣し緑の液体が口から溢れた。それはビシャビシャと私の顔面に降り注ぐ。暖かくて、生臭い。
「………………え?」
私の目の前で、ハハコモリがゆっくりと膝をつく。背後の茂みから、煙を上げた鉄の筒を抱える人影が浮かび上がった。
『あー、あー、こちらライラック。ターゲットを処分した。これより保護対象のポケモンの確保に移る。死体処理はそちらに任せる。どうぞ』
片手でトランシーバーを持ち、淡々と声を出す。緑色の髪をした青年。今、生き物を殺したというのに彼はどこか冷静だった。
「はいはいどいてね〜」
男はズカズカと歩き私を押し除けてハハコモリの前に立つ。彼は銃を構えながらハハコモリの目にライトを当てた。瞳孔は動いていなかった。
「死亡確認……仕事完了だ」
私は凍りついていた。生温かい液体が頬を流れ落ちる。目の前で、確かに救えたはずの命が無惨に散った。あんなに涙を流して立ち直ろうとしたのに……。
「おい! そこのミミロル!」
男が声を出す。私はゆっくりと彼の方を向いた。
「怪我ないか? アイツに何か酷い事されなかったか?」
その瞬間、ぷちりと何が私の中で切れた。込み上げてきた怒りが爆発する。頭の奥で真っ赤な炎が燃え上がった。私は耳を振り払い、全身の筋肉を弾けさせる。
「ふざけるなあああああああッッ!!!!」
「ん?」
次の瞬間、私は地を蹴り、一直線に男へと飛び掛かっていた。目の前に映るのは、無表情の顔。優しかったハハコモリさんを殺した憎き相手。恐怖なんてもうない。守れなかった命の無念を抱いて私は牙を剥いた。
「……やめろ」
飛び上がった途端、男が口を開く。やめろ? やめるものか。お前はここで報いを受けるべきなんだ。よくも、よくもハハコモリさんを殺してくれたな。
「やめろ……キノガッサ」
「ぎゃっ!?」
その声と同時に、視界を大きな影が塞いだ。影の正体はカサのような頭を持つ緑色のポケモン。キノガッサ。奴が素早く割り込み、私を地面に叩きつけたのだ。全身がズキズキと痛む、気分が悪い。
「離せッ!! ぶっとばしてや……ッ!?」
必死にもがく私の顔に、ふわりと粉が舞い降りてきた。甘ったるい匂い。ねむりごなだろうか? 鼻腔を突き抜けると同時に、頭がぐらりと揺れる。
「あぅ……だ……め……」
全身の力が急速に抜けていく。視界が滲み、足元の大地が遠ざかっていく。最後に見えたのは、冷めた目でこちらを見下ろす男の顔。
「コイツは保護対象だから丁寧に扱えよ? いいな?」
耳にその声が届いた瞬間、私の意識は深い闇に引きずり込まれた。
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薄暗い部屋。ぼんやりとした光の中で、私は膝を抱えてテレビの前に座っていた。画面にはニュース番組が流れている。
『昨夜、ラウンドシティのガンプ森においてポケモンによる連続誘拐事件が発生しました。ハハコモリによる犯行との事で警察は現場検証を進めており……』
「…………」
昨日の出来事がまるで夢のようだった。ハハコモリの声が何度も浮かび上がっては消えてゆく。なぜ彼女は死んでしまったのか? 彼女は悪い事をした。でも殺されるほどの事だったのだろうか?
「……納得できない」
リナちゃんは病院に連れて行かれた。怪我はないが検査のために少し入院するそうだ。ママさん達はお見舞いに行ったので私は家に1匹取り残されている。
「お腹すいた……ご飯食べよ……ん?」
カーテンの方が不自然に揺れている。窓を閉めているので風が入ってくるわけない。私は恐る恐る近づきバッとそれを開いた。
「や、こんばんはでチュ」
「あれ? デデンネじゃん? どったの?」
窓枠の上に、ちょこんと腰を下ろしていたのはデデンネだった。いつものとぼけた顔。だけどその目の奥に、どこか影があるように見えた。
「単刀直入に言いまチュね……今日はお別れを言いに来たんでチュ」
「え?」
思わず声が裏返る。昨日まで一緒にいた友達が、急にそんなことを言い出すなんて。
「で、でもなんで!? いきなりすぎない!? 何があったの!?」
「怖くなったんでチュよ」
「え……?」
するとデデンネは大きく息を吐き、手を組んで静かに話し出した。
「……ニンゲンは怖い生き物でチュ。自分たちは森を荒らしたり、木を切ったり、時にはボク達の家族をボールに閉じ込めたりする。でもボク達は何も出来ない。抵抗したら、ニンゲンに攻撃されちゃうから」
「…………」
「かといってボク達がニンゲンのテリトリーを荒らしたり、物を盗んだりしようものなら、徹底的に痛めつけられて時には殺されるでチュ。ハハコモリだってそうでチた。人間の子供に手を出したから、殺された……でもこんな理不尽が許されていいんでチュかね?」
「…………」
何も言えなかった胸の中で言葉が渦になって、口から零れ落ちる前に全部飲み込まれてしまう。デデンネの声が遠くなり、窓の向こうの街灯だけがぼんやりと揺れている。
「今回の件で思い出しまチた。ニンゲンはこわい生き物でチュ。ボクはもう森の中でひっそり暮らしまチュ。電気は少ないしお腹は空くけど、死ぬリスクも減りまチュしね」
そう言ってデデンネが後ろを振り返った瞬間、思わず口から『待って!』と飛び出した。デデンネは動きを止めて振り返る。
「あ、あなた……この家のポケモンにならない? リナちゃんは優しいし……何かあったら守ってくれる! いくらでも電気を吸ってもいい! ご飯だっていっぱいある! だから……」
デデンネは手を前に出して私の話を遮った。彼の口角は少しだけ上がっていたが、悲しそうな目をしていた。
「ボクの両親は……ニンゲンに殺されたでチュ。だからどうしてもボクはニンゲンのポケモンにはなれまチェん。ボクのプライドが許さないでチュ」
デデンネは窓の淵に立つ。風が吹き、彼の耳と尻尾が揺らいでいる。
「でも……誘ってくれてありがとうでチュ」
そう言うとデデンネは窓から飛び降り、茂みに向かって走り去った。私はその背中を見送ったあと、何時間も外を眺めたが彼は戻って来なかった。
次の日も、またその次の日も、私は窓の外を何回も確認した。何時間も見続けた。
けれども彼は姿を現さなかった。やがて1ヶ月が経とうとした時、私は窓の外を見るのをやめた。
(もう2度と会えないだろうな……)
確証はない。でも、心のどこかでそんな気がしていた。