数日後、日本政府とURA(ウマ娘レース協会)の間に走った激震と、それに伴う超法規的措置により、フリーザは『トレセン学園特別顧問』という、いかにももっともらしい肩書きを得ることとなった。
「指導や介入は貴方の自由意志に委ねるが、学園の設備は自由に使って構わない」
という、事実上の不可侵条約に近い待遇である。
手始めに彼に与えられたのは、トレセン学園の敷地内に建つトレーナー用男子寮の一室であった。宇宙船の豪奢な自室に比べれば随分とこぢんまりとした空間ではあったが、フリーザは、
「無駄がなく、機能的で悪くありませんね」
と、この質素な地球の住環境を案外あっさりと受け入れていた。
そして、この特別顧問の就任によって最も劇的な反応を示したのは、生徒であるウマ娘たちよりも、むしろ彼女たちを指導する男性トレーナーたちの方であった。
「あ、あのっ……! フ、フリーザ様ですよね!? 幼い頃から、ずっと尊敬しておりました……!」
「わ、私の担当ウマ娘のトレーニングメニューを見ていただけないでしょうか! あ、いや、その前にサインを……!」
寮の廊下や食堂でフリーザが姿を見せるたび、二十代から三十代の男性トレーナーたちが、まるで熱狂的なアイドルファン、あるいは伝説の経営者を前にした若手社員のように群がってきたのである。
無理もない。彼らにとってフリーザとは、幼少期に強烈な絶望とカリスマ性を植え付けられた、漫画の中の『悪の帝王』にして『理想の上司』そのものなのだから。
「ホッホッホ。順番に、慌てずとも逃げやしませんよ。……ふむ、このウマ娘は持久力に難があるようですね。スタミナというものはただ走ればつくものではありません。まずは基礎的な体幹のバランスを見直すよう指導しなさい。それと、サインはこちらに書けばよろしいですか?」
そして驚くべきことに、フリーザは極めて紳士的だった。
差し出された色紙に対し、ペンを器用に走らせて流麗な地球の文字で『降伊座』とサインを施し、さらにはトレーニングの悩みに対しても、宇宙軍を統率してきた絶対的な指揮官としての目線から、的確で合理的なアドバイスまで授けてみせたのである。
「す、すげえ……! 完璧なロジックだ……!」
「ありがとうございます、フリーザ様! 一生ついていきます!!」
感涙にむせぶトレーナーたちを見送りながら、フリーザは自室のマグカップで地球のインスタントコーヒーを啜り、優雅に微笑んだ。
(恐怖ではなく、純粋な尊敬と憧憬でひれ伏されるというのも……なるほど、面白いものです。不思議と、悪い気はしませんねぇ)
かつて力と恐怖のみで宇宙を支配していた頃には味わえなかった、奇妙な充足感。地獄での精神統一の賜物か、はたまたこの平和な世界の空気がそうさせるのか。
フリーザ自身にとっても、己の心境の変化は興味深かった。
■
そんなある日の夜。
フリーザはふらりと寮の共有スペースである談話室へと足を運んだ。そこには、激務を終えたトレーナーたちが息抜きのために持ち寄ったであろう、大量の漫画雑誌や単行本が本棚にずらりと並べられている。
フリーザの真紅の瞳が、ふと一連の背表紙に引き寄せられた。それは、『DRAGON BALL』と印字された、全四十二巻のコミックス。
「……これが、この次元の地球における『歴史書』ですか」
フリーザは興味本位で、自分が登場するであろう中盤の巻を手に取り、談話室の古びたソファに深く腰を下ろした。パラパラとページをめくる。そこには、ナメック星での己の姿や、忌々しい野猿どもとの死闘が、白黒の緻密な線画で描き出されていた。
「なるほど、あの孫悟空の視点を中心とした英雄譚として描かれているわけですか……。ほうほう、私の第一形態もなかなか忠実に再現されていますね」
最初は自身の情報がどのように扱われているかという視察のつもりだった。しかし、ページを進めるごとに、フリーザの表情は次第に真剣なものへと変わっていく。
「……この鳥山という作者、ただ者ではありませんね。コマ割りによる視線誘導が極めて計算されている。戦闘のスピード感、空間の広がり……まるで実際の戦闘を真横で観察しているかのような没入感だ」
気がつけば、宇宙の帝王は完全に漫画の世界に没頭していた。
自分が真っ二つにされる屈辱的なシーンに差し掛かっても、
「ふむ、劇的なカタルシスを生むためには、この憎まれ役の描き方は見事と言わざるを得ませんね」
と、まるで敏腕の編集者のような冷静かつ感嘆の声を漏らす始末である。
■
深夜のトレーナー寮。
薄暗い談話室の片隅で、宇宙最強の存在が、コーヒー片手に足を組み、自身の敗北が描かれた少年漫画を食い入るように読み耽っている。
「……おや、もう次の巻がない。おい、そこのあなた。この二十八巻の続きはどこにありますか?」
「ひぃっ!? あ、あの、誰かが部屋に持って帰ってるみたいで……す、すぐ探してきますッ!!」
「ホッホッホ、頼みましたよ。あのサイヤ人達の未来がどうなるのか、少々気になりましてね」
未知のウマ娘という生態系だけでなく、地球の娯楽文化の奥深さまでも知ってしまったフリーザ。彼のトレセン学園での生活は、思いのほか充実した、そして賑やかなものになろうとしていた。