さびしきもの   作:ひまんちゅ

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第十三話 触れない距離

 その日は、あえて触れないことにした。

 

 理由は明確だ。

 

 ――結び目がどこまで維持されるかを確かめるため。

 

 朝、居間に出る。

 彼女がいる。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

 いつものやりとり。

 

 だが、そのあと、私は少しだけ距離を取った。

 

 彼女はそれに気づいた。

 

「……どうかしましたか」

「今日は、触れません」

「触れない」

 

 彼女は少しだけ首をかしげた。

 

「どうして」

「実験です」

 

 私は短く答える。

 

「接触が定着を強めるなら」

「はい」

「触れないとどうなるか、見ておきたい」

 

 彼女はしばらく黙っていた。

 

「……分かりました」

 

 そう言って、少しだけ距離を空けた。

 

 その距離は、意識しなければ気づかない程度のものだ。

 だが、今の私にははっきりと分かる。

 

 午前中。

 

 私は境内で過ごした。

 

 外には出ない。

 

 あえて、内側に留まる。

 

 触れないまま。

 

 時間をかける。

 

 一時間。

 二時間。

 

 変化は、すぐには現れなかった。

 

 感覚は安定している。

 重さもある。

 結び目も、しっかりと感じられる。

 

「……やっぱり、内側では問題ないか」

 

 私は小さく呟いた。

 

 彼女は少し離れた場所で、それを聞いていた。

 

「どうですか」

「安定してます」

「そうですか」

 

 少しだけ安心したような声。

 

 だが。

 

 午後になって、変化が現れた。

 

 ほんのわずかに。

 

 指先。

 

 冷たい。

 

 あの感覚。

 

 最初に感じたもの。

 

 私はゆっくりと手を見る。

 

 何もない。

 

 だが。

 

 確かに、薄い。

 

「……来たか」

 

 私は息を吐いた。

 

 彼女が近づいてくる。

 

「変化、ありましたか」

「少しだけ」

「どこに」

「指先」

 

 彼女はそれを見た。

 

「……弱いですね」

「はい」

「まだ、深くない」

 

 私はうなずいた。

 

「触れれば戻ると思います」

「はい」

 

 彼女は、少しだけ手を伸ばしかけた。

 

 だが、止めた。

 

「……今日は、触れないんですよね」

「そうです」

「分かりました」

 

 そのまま、手を引く。

 

 私はその動きを見ていた。

 

 何も言わない。

 

 言う必要もない。

 

 ただ。

 

 ほんの少しだけ、距離が広く感じられた。

 

 夕方。

 

 縁側。

 

 いつもの時間。

 

 だが、今日は明確に距離がある。

 

「……どうですか」

 

 彼女が言った。

 

「進んでます」

「どのくらい」

「ゆっくりですけど」

 

 私は手を見た。

 

「確実に、薄くなってます」

 

 彼女は静かに聞いている。

 

「戻りますか」

「戻ります」

 

 私は答えた。

 

「でも、どのくらいで戻るかは分かりません」

 

 彼女は少しだけ目を伏せた。

 

「……触れたほうがいいですか」

「今日はやめておきます」

「……分かりました」

 

 その声は、少しだけ低かった。

 

 夜。

 

 布団に入る。

 

 目を閉じる。

 

 指先の冷たさは、少し強くなっている。

 

 だが。

 

 それ以上は進まない。

 

 境内にいる限り。

 

 結び目がある限り。

 

 完全には崩れない。

 

「……なるほど」

 

 私は小さく呟いた。

 

 これは。

 

 単純な依存ではない。

 

 触れれば強くなる。

 離れれば弱くなる。

 

 だが。

 

 完全には切れない。

 

 その構造。

 

 関係。

 

 私はそれを、ゆっくりと理解していく。

 

 そのとき。

 

 ほんのわずかに。

 

 違和感があった。

 

 指先ではない。

 

 別の場所。

 

 胸。

 

 結び目。

 

 そこが、ほんの少しだけ。

 

 ――揺れた。

 

 私は目を開けた。

 

 暗い。

 

 静かだ。

 

 何もない。

 

 だが。

 

 確かに、揺れた。

 

「……」

 

 私はしばらくそのまま動かなかった。

 

 やがて、ゆっくりと目を閉じる。

 

 考える。

 

 原因。

 

 条件。

 

 可能性。

 

 そして。

 

 ひとつの仮説に至る。

 

 ――片側だけでは、安定しない。

 

 つまり。

 

 これは一方通行ではない。

 

 私が離れれば、彼女側にも影響がある。

 

 そして。

 

 それが積み重なれば。

 

 結び目そのものが、不安定になる。

 

「……」

 

 私は息を吐いた。

 

 明日、確認する必要がある。

 

 触れない状態で、どこまで維持できるか。

 

 そして。

 

 どの時点で、崩れるのか。

 

 その境界を。

 

 私は、見ておく必要がある。

 

 そう思いながら。

 

 ゆっくりと、眠りに落ちた。

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