さびしきもの 作:ひまんちゅ
朝、目を覚ました瞬間に分かった。
――軽い。
昨日よりも、はっきりと。
指先だけではない。
腕。
肩。
全体が、わずかに薄い。
私はゆっくりと起き上がった。
胸に手を当てる。
結び目。
そこはまだ、ある。
だが。
――弱い。
確実に。
「……進んでるな」
私は小さく呟いた。
居間へ向かう。
彼女はすでにいた。
だが。
様子が、少し違う。
「おはようございます」
声はいつも通り。
だが、ほんのわずかに遅れる。
視線も、少しだけ合いにくい。
「おはよう」
私は答えた。
そして、すぐに確認する。
「……変化、ありますか」
「あります」
即答だった。
「どこに」
「全体です」
彼女は自分の手を見る。
「少しだけ、ぼやけます」
「……」
私は黙った。
やはり。
仮説通りだ。
「触れない影響です」
「はい」
彼女はうなずいた。
「あなたが弱くなると」
「はい」
「わたしも弱くなる」
私は深く息を吐いた。
単純な構造だ。
だが。
だからこそ、危うい。
「今日は、どうしますか」
彼女が聞いた。
声は静かだ。
だが、その奥にわずかな緊張がある。
私は少し考えた。
そして。
「続けます」
そう答えた。
彼女は一瞬だけ、目を見開いた。
「……本当に」
「はい」
私はうなずいた。
「どこまで行くか、見ておきたい」
彼女は何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに視線を落とした。
「……分かりました」
午前。
私は境内に留まった。
外には出ない。
触れないまま。
時間を進める。
一時間。
変化は小さい。
二時間。
はっきりする。
三時間。
明確になる。
指先の冷たさは、手全体へ。
身体の軽さは、全身へ。
そして。
結び目。
それが、揺れる。
一定ではない。
不安定。
弱くなる。
戻る。
また弱くなる。
「……来てますね」
私は呟いた。
彼女は、少し離れた場所でそれを見ていた。
「はい」
声が、少しだけ遠い。
私は彼女を見る。
輪郭が、ほんのわずかに揺れている。
「あなたも」
「はい」
「同じです」
彼女は静かに言った。
昼。
私は縁側に座った。
彼女も座る。
だが。
距離がある。
昨日よりも。
さらに。
「……どのくらいで」
彼女が言う。
「はい」
「切れますか」
私は少し考えた。
「分かりません」
「……」
「でも」
私は続ける。
「近づいてます」
彼女は何も言わなかった。
ただ、風に揺れる布を見ている。
午後。
さらに時間を進める。
変化は加速する。
軽さ。
薄さ。
揺れ。
そして。
結び目。
それが。
――ほどけかける。
私は立ち上がった。
息が、少し浅い。
「……ここまでか」
彼女がすぐに立ち上がる。
「触れますか」
その声は、初めてはっきりと揺れていた。
私は少しだけ考えた。
そして。
「……もう少し」
そう言った。
彼女は目を見開いた。
「危険です」
「分かってます」
「なら」
「でも」
私は彼女を見る。
「どこで崩れるか、知っておきたい」
彼女は何も言わなかった。
ただ。
その場に立っている。
動かない。
だが。
確実に、近づいている。
距離を詰める。
無意識に。
私はそれを見ていた。
そして。
結び目が、さらに揺れる。
――あと少し。
そう分かる。
「……」
私は一歩、後ろに下がった。
距離を取る。
彼女も止まる。
その瞬間。
結び目が、さらに弱くなる。
――切れる。
私はそれを、はっきりと感じた。
あと一歩。
あと一瞬。
「……」
私は目を閉じた。
判断する。
必要な情報は、十分だ。
これ以上は、意味がない。
「……触れます」
私はそう言った。
彼女は一瞬で動いた。
距離が消える。
手が伸びる。
触れる。
その瞬間。
――戻る。
一気に。
強く。
はっきりと。
結び目が、固定される。
重さ。
温度。
輪郭。
すべてが戻る。
私はその場で、軽く息を吐いた。
「……分かりました」
彼女は手を離さない。
「何が」
「限界です」
私は目を開けた。
「触れない状態で、どこまで維持できるか」
「……」
「そして」
私は続ける。
「どこで崩れるか」
彼女はゆっくりとうなずいた。
「……危なかったです」
「はい」
「でも」
私は少しだけ笑った。
「確認できました」
彼女は何も言わなかった。
ただ。
手を、少しだけ強く握った。
その力は弱い。
だが。
確かだった。
夕方。
縁側。
いつもの場所。
だが今日は。
距離が、ほとんどない。
「……やめてほしいです」
彼女がぽつりと言った。
「何を」
「さっきの」
私は少し考えた。
「必要なら、またやります」
「……」
彼女は何も言わなかった。
ただ。
少しだけ、こちらに寄る。
そして。
「……危ないので」
小さく付け加えた。
私はその言葉を、静かに受け取った。
夜。
布団に入る。
目を閉じる。
結び目は、強く、安定している。
だが。
その奥に。
ほんのわずかに。
不安定さが残っている。
ほどけかけた跡。
それは消えない。
完全には。
私はそれを感じながら。
ゆっくりと眠りに落ちた。
そして。
その結び目が、わずかに脈打つのを。
確かに感じていた。