さびしきもの 作:ひまんちゅ
昼前、石段のほうから音がした。
ぱき、と乾いた枝の折れる音。
続いて、土を踏む足音。
私は縁側から顔を上げた。
彼女も同時に、そちらを見る。
「……来ますね」
「人ですか」
「たぶん」
彼女の声は落ち着いている。
だが、わずかに緊張が混じっていた。
私は立ち上がり、境内の中央へ出る。
少し待つ。
やがて。
木々の隙間から、ひとりの影が現れた。
若い男だ。
二十代前半。
軽装。
スマートフォンを手にしている。
「あ、よかった……人いた」
息を少し切らしながら言う。
「ここ、どこですか?」
私は一瞬、彼を見る。
そして、彼女を見る。
彼女は無言で、少しだけ首を振った。
――任せる。
そういう意味だと理解した。
「山の中の神社です」
「神社?」
男は周囲を見回す。
「こんなとこに……」
その反応は、前に来た男と似ている。
恐怖はない。
違和感はあるが、受け入れている。
「道、分かりますか」
「下りれば林道に出ます」
「助かった……」
男はそのまま鳥居のほうへ向かおうとした。
私はそれを見ていた。
そして、ふと思う。
――条件。
この男は、止まらない。
前と同じだ。
知識がない。
恐怖の型を持たない。
だから。
この場所の影響を受けにくい。
「……少し、いいですか」
私は声をかけた。
男が振り返る。
「はい?」
「少しだけ、休んでいきませんか」
「え?」
男は少し戸惑う。
だが。
「まあ、少しだけなら……」
そう言って、境内に足を止めた。
その瞬間。
空気が、ほんのわずかに変わる。
私はそれを感じた。
――入った。
影響圏に。
だが。
男の様子は変わらない。
普通だ。
私は縁側へ案内する。
「座ってください」
「あ、どうも」
男は素直に座る。
彼女は少し離れた場所にいる。
視線は、こちらに向いている。
「ここ、よく人来るんですか」
「たまに」
「へえ……」
男はスマートフォンを見る。
圏外の表示。
「電波ないですね」
「そうですね」
会話は普通だ。
何も起きない。
だが。
私は観察する。
細部を。
視線。
呼吸。
動き。
そして。
ほんのわずかに。
違和感。
男の動きが、少しだけ遅れる。
反応が、ほんのわずかに鈍い。
「……」
私は黙ってそれを見る。
数分。
何も起きない。
男は立ち上がる。
「じゃあ、行きます」
「はい」
彼は鳥居へ向かう。
止まらない。
振り返らない。
そのまま。
出ていく。
足音が遠ざかる。
消える。
静かになる。
「……」
私はしばらく、そのまま立っていた。
彼女が近づいてくる。
「どうでしたか」
「影響はあります」
「でも」
「弱い」
私はうなずいた。
「入った瞬間に、少しだけ変わる」
「はい」
「でも、維持されない」
彼女はそれを聞いていた。
「どうして」
「分かりません」
私は少し考える。
「でも、仮説はあります」
「何ですか」
「滞在時間」
私は言った。
「と」
「はい」
「関与」
彼女は少し考える。
「関与」
「意識です」
私は続ける。
「怖がる」
「気にする」
「考える」
「それがあると」
「はい」
「影響が強くなる」
彼女は静かにうなずいた。
「では」
「はい」
「さっきの人は」
「関与がない」
私は答える。
「だから、通り抜ける」
彼女は少しだけ目を伏せた。
「……わたしは」
小さく言う。
「関与してほしいです」
私は少しだけ笑った。
「分かってます」
「……」
彼女は何も言わなかった。
ただ、少しだけ近づいた。
午後。
私は紙に書き加えた。
――訪問者(visitor)
その下に。
関与なし:通過
関与あり:停滞
関与強:定着
彼女はそれを見ていた。
「分かりますか」
「少しずつ」
私は答える。
「全部ではないけど」
彼女はうなずいた。
「全部じゃなくていい」
その言葉を、今度は彼女が言った。
私は少しだけ驚いた。
だが。
何も言わなかった。
夕方。
縁側。
いつもの時間。
「……今日の人」
彼女が言う。
「はい」
「すぐ帰りました」
「そうですね」
「……」
少しだけ間がある。
「残りませんでした」
私は彼女を見る。
その言葉は、事実だ。
だが。
それ以上の意味がある。
「そういう人もいます」
「はい」
「でも」
私は続ける。
「残る人もいる」
彼女は少しだけ顔を上げた。
「……はい」
その声は、ほんのわずかに柔らかかった。
風が吹く。
白い布が揺れる。
私はその音を聞きながら思う。
条件は、揃ってきている。
距離。
時間。
接触。
意識。
関与。
それらが重なると。
人は、ここに留まる。
あるいは。
戻る。
私はその構造を、少しずつ理解している。
そして。
その中に、自分がいることも。
もう、疑っていなかった。