さびしきもの 作:ひまんちゅ
その日の朝、私は昨日の訪問者のことを思い出していた。
彼は通り過ぎた。
止まらなかった。
残らなかった。
だが。
――本当に何も残らなかったのか。
私はその点が気になっていた。
居間に出る。
彼女がいる。
「おはようございます」
「おはよう」
いつものやりとり。
だが今日は、少しだけ早く本題に入る。
「昨日の人」
「はい」
「完全に影響なしですか」
彼女は少し考えた。
「完全ではないと思います」
「……」
私は続きを待つ。
「ほんの少しだけ」
「はい」
「通りました」
私は眉をひそめた。
「通った」
「はい」
彼女は自分の手を見た。
「触れてはいません」
「でも」
「近いところを通った」
私は理解した。
「つまり」
「はい」
「弱い痕跡は残る」
彼女はうなずいた。
「でも」
「はい」
「すぐ消えます」
私は息を吐いた。
やはり。
完全なゼロではない。
だが。
定着には至らない。
「条件が足りない」
「はい」
彼女は静かに答えた。
午前。
私は境内を歩きながら考えていた。
――残り方。
それには段階がある。
通過。
停滞。
定着。
昨日の男は、通過。
自分は。
定着に近い。
その差は何か。
私は立ち止まる。
「……関与か」
呟く。
知識。
興味。
意識。
それらが、影響を強める。
だが。
それだけではない。
「……選択」
私は小さく言った。
戻る。
留まる。
触れる。
それらはすべて、選んでいる。
強制ではない。
だから。
――深くなる。
「どうかしましたか」
彼女が近づいてくる。
「考えてました」
「何を」
「違いです」
私は地面を見る。
「残る人と、残らない人」
「……」
「何が違うか」
彼女はしばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「望んでいるかどうか」
私は顔を上げた。
「望む?」
「はい」
彼女は少しだけ目を伏せる。
「ここに、いたいと」
その言葉は、思ったよりも重かった。
私はすぐには答えなかった。
ただ。
その意味を考える。
――望む。
自分はどうか。
私は少しだけ笑った。
「……否定はできないですね」
「……」
彼女は何も言わなかった。
だが。
ほんの少しだけ、距離が縮まった。
午後。
私は新しい図を書いていた。
段階を分ける。
通過。
停滞。
定着。
その間に、矢印。
条件。
関与。
時間。
接触。
選択。
彼女はそれを見ていた。
「分かりやすいですか」
「少し」
私はうなずいた。
「全部ではないけど」
「はい」
彼女は同じ言葉を繰り返す。
「全部じゃなくていい」
私は少しだけ笑った。
夕方。
縁側。
風が吹く。
「……あの」
彼女が言う。
「何ですか」
「残ることは」
少しだけ迷う。
「悪いことですか」
私は空を見る。
少し考える。
「場合によります」
「……」
「強制なら、悪い」
「はい」
「選択なら」
「……」
「一概には言えない」
彼女はそれを聞いていた。
「では」
「はい」
「あなたは」
少しだけ、声が小さくなる。
「どちらですか」
私は少しだけ間を置いた。
そして。
「選んでます」
そう答えた。
彼女は何も言わなかった。
ただ。
ゆっくりと、うなずいた。
夜。
布団に入る。
目を閉じる。
結び目は、安定している。
揺れない。
だが。
その存在は、以前よりもはっきりしている。
強く。
明確に。
私はそれを感じながら思う。
――残るということは。
単に留まることではない。
関わることだ。
選び続けることだ。
その積み重ねが。
少しずつ、形になる。
私はその形を、まだ完全には理解していない。
だが。
確実に、そこへ向かっている。
そのことだけは、はっきりしていた。