さびしきもの   作:ひまんちゅ

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第二十六話 戻るための形

 朝、私は久しぶりに「戻る」という言葉を強く意識していた。

 

 これまでも、戻ってはいた。

 

 外へ出て、戻る。

 境界を越えて、戻る。

 

 だが。

 

 それはあくまで、行き来の一部だった。

 

 ――完全に戻る。

 

 その可能性を、私はまだ検証していない。

 

「……」

 

 布団の中で、目を開けたまま考える。

 

 結び目。

 

 重なり。

 

 中心。

 

 それらが広がった今。

 

 元の状態に戻ることは、可能なのか。

 

 私はゆっくりと起き上がった。

 

 居間へ向かう。

 

 彼女がいる。

 

 だが。

 

 その存在の感じ方も、変わっている。

 

 近い。

 遠い。

 

 同時に。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

 声は変わらない。

 

 だが。

 

 その位置が、固定されていない。

 

「……考えていますね」

 

 彼女が言う。

 

「分かりますか」

「少しだけ」

 

 私は少しだけ笑った。

 

「戻ることです」

「……」

 

 彼女の表情が、わずかに止まる。

 

「どこに」

「外に」

 

 私は答える。

 

「完全に」

 

 彼女は何も言わなかった。

 

 ただ。

 

 ほんのわずかに、距離が変わる。

 

 近づくようで、遠ざかるような。

 

「可能ですか」

 

 私は聞いた。

 

 彼女は少し考える。

 

 そして。

 

「条件があります」

 

 そう言った。

 

「何ですか」

「形です」

 

 私は眉をひそめた。

 

「形」

「はい」

 

 彼女はゆっくりと続ける。

 

「ここは、もう点ではありません」

「はい」

「広がっています」

 

「はい」

 

「だから」

 彼女は言う。

「戻るには」

 

 少しだけ間を置く。

 

「それに合った形が必要です」

 

 午前。

 

 私はそれを考えていた。

 

 境内を歩く。

 

 だが。

 

 歩くというより、位置を移す。

 

 重なりの中を。

 

「……形」

 

 私は小さく呟いた。

 

 これまでは単純だった。

 

 外へ出る。

 戻る。

 

 だが今は違う。

 

 内側が広がっている。

 

 外と混ざっている。

 

 ならば。

 

 単純に「外へ行く」だけでは足りない。

 

「……切り分ける必要がある」

 

 私は立ち止まる。

 

 そして。

 

 意識を集中する。

 

 内側。

 

 外側。

 

 それらを分ける。

 

 区別する。

 

 すると。

 

 ほんのわずかに。

 

 重なりが、ほどける。

 

「……」

 

 私は息を止めた。

 

 できる。

 

 だが。

 

 不安定だ。

 

 彼女が近づいてくる。

 

「どうですか」

「分けられます」

「……」

 

 彼女は静かに聞いている。

 

「でも」

「はい」

「維持できない」

 

 私は答える。

 

 意識を緩めると、すぐに戻る。

 

 重なりへ。

 

 午後。

 

 私は紙に新しく書いた。

 

 ――分離(separation)

 

 その下に。

 

 条件:意識

 状態:不安定

 維持:困難

 

 彼女はそれを見ていた。

 

「それで」

「はい」

「戻れますか」

 

 私は少し考えた。

 

「完全には無理です」

「……」

 

「でも」

 私は続ける。

「近づけることはできる」

 

 彼女は小さくうなずいた。

 

 夕方。

 

 縁側。

 

 だが。

 

 その場所も、完全ではない。

 

 外と重なっている。

 

「……あの」

 

 彼女が言う。

 

「何ですか」

「戻ることは」

 

 少し迷う。

 

「必要ですか」

 

 私は少しだけ笑った。

 

「分かりません」

 

 正直に答える。

 

「でも」

「はい」

「できるかどうかは、知っておきたい」

 

 彼女は何も言わなかった。

 

 ただ。

 

 ほんのわずかに。

 

 近づいた。

 

 夜。

 

 布団に入る。

 

 目を閉じる。

 

 結び目は、広がっている。

 

 中心はある。

 

 だが。

 

 それだけではない。

 

 全体が、つながっている。

 

 私はその中で、分離を試みた。

 

 内側。

 外側。

 

 区別する。

 

 すると。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 外の感覚が強くなる。

 

 だが。

 

 すぐに戻る。

 

 重なりへ。

 

「……やっぱりな」

 

 私は小さく呟いた。

 

 戻るためには。

 

 それに合った形が必要だ。

 

 単純な移動ではない。

 

 構造としての変化。

 

 私はそのことを、はっきりと理解した。

 

 そして。

 

 それを実行するには。

 

 まだ足りないものがあることも。

 

 同時に、分かっていた。

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