さびしきもの   作:ひまんちゅ

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第四十一話 枝分かれする帰路

 翌朝、目を覚ました瞬間、私は昨夜の感覚をまだ身体の内側に残していた。

 

 止まり場所は増えている。

 流れの節、継ぎ目、あるいは止まり木。

 呼び方はまだ決めきれていないが、とにかく、内と外のあいだは以前よりもずっと複雑になっていた。石段を上り下りするだけでは済まない。途中にいくつもの偏りがあり、そこで流れがわずかに留まり、向きを変え、薄くなったり濃くなったりする。

 

 私は布団の中で胸に手を当てた。

 核は相変わらずそこにある。

 安定していて、消えない。

 だが、そのまわりに広がる響き方が変わっていた。中心から外へ向かうというより、中心から複数の方向へ細く伸びているような感覚。まるで根か枝のように。

 

「……帰路が一本じゃない」

 

 小さく呟いてから起き上がり、居間へ向かった。

 

 彼女はすでに起きていた。

 湯を沸かしているらしく、静かな音が室内に満ちている。私を見ると、少しだけ視線を和らげた。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

 私は卓袱台の前に座る前に、そのまま言った。

 

「今日は、道のほうを見ます」

「道」

「はい。中心じゃなくて、そこへ戻るまでの経路です」

 

 彼女は少し考えるように首をかしげた。

 

「昨日見つけた節のことですね」

「それもあります。でも、もっと全体です」

 

 私は紙を広げ、これまで書き込んできた図の横に、新しく何本か線を引いた。

 中心から鳥居へ、石段へ、林道へ、町へ。

 これまでなら一本で済ませていた線を、今日は三本に分けて描く。

 

「昨日までは、外へ出る道と戻る道を、同じ一本の流れとして見てました」

「違うんですか」

「違うかもしれない」

「……」

 

 彼女は紙を覗き込んだ。

 

「行くときと、戻るときで」

「はい」

「同じ場所を通っても、働きが違う可能性がある」

「それが、今日見たいことです」

 

 彼女はしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。

 

「確かに、戻るときのほうが強い感じはします」

「私もそう思ってます」

 

 朝食を済ませたあと、私はすぐに外へ出た。

 

 鳥居を抜け、石段を下りる。

 途中の節に意識を向ける。

 昨日見つけた三つの場所。それぞれで感覚を確かめながら外へ向かった。

 

 最初の印象は、これまでと変わらない。

 石段の中ほどで一度流れがたわみ、鳥居の外でわずかに向きが変わり、林道の途中で外側の感覚が少し強くなる。

 

 だが、今日はそのまま進むのではなく、町まで出たあとで、すぐに引き返した。

 そして、戻りながら同じ場所を通る。

 

「……ああ」

 

 最初の節で、私は小さく息を吐いた。

 

 違う。

 明らかに違う。

 

 外へ向かうとき、その節は流れを薄くする。

 少し迷わせ、少し立ち止まらせ、内側から外側へ移るための緩衝になる。

 だが戻るとき、その節は逆だった。

 薄くするのではなく、拾い上げる。

 外で散った感覚をまとめ、内側へ向けて送り返す働きをしている。

 

 私は石段の途中で立ち止まり、何度か行き来を繰り返した。

 

 一歩下りる。

 一歩上る。

 また下りる。

 また上る。

 

 すると、節ごとの性質が少しずつ分かってきた。

 外向きに働く場所と、内向きに働く場所。

 同じ場所でも、向きによって作用が違う。

 つまり、一本道ではない。同じ通路の上に、別々の帰路が重なっているのだ。

 

「……枝分かれしてるな」

 

 私はそう呟いた。

 

 見た目には一本の石段だ。

 一本の林道だ。

 けれど感覚の上では、そこに少なくとも二種類の道がある。

 外へ出るための流れと、戻るための流れ。

 それらは重なり合いながら、まったく同じではない。

 

 昼前に境内へ戻ると、彼女は鳥居の内側で待っていた。

 私が顔を上げると、彼女は少しだけ安堵したように息を吐く。

 

「分かりましたか」

「かなり」

 

 私はそのまま縁側に座り、紙を取り出した。

 一本だった線を二重に書き直す。

 外向きの矢印と、内向きの矢印。

 そのあいだに、昨日見つけた節を記号で挟み込む。

 

「同じ場所を通ってるのに、道としては別です」

「別」

「はい。少なくとも感覚の上では」

「……では」

 彼女は少し考えてから言った。

「あなたは、外に行くときと帰るときで、違う道を使っているんですね」

「そうなります」

「同じ石段なのに」

「見た目は」

 

 私は笑った。

 

「でも、ここはもう見た目だけで説明できる場所じゃないでしょう」

「それは、そうですね」

 

 彼女もごく小さく笑った。

 

 午後、私はもう一度同じことをした。

 今度は節をできるだけ意識しないで外へ出て、戻る。

 すると、やはり戻りの感覚だけが自然に強くなる。

 意識しなくても、流れが拾ってくる。

 つまり、帰路は行路よりも出来上がっているのだ。

 

 それは少し奇妙で、少し納得のいく話だった。

 私は今まで何度も戻ってきた。

 外へ出ることもあったが、最終的にはここへ戻ることを繰り返している。

 ならば「帰るための道」だけが強く育っていてもおかしくない。

 

「……偏りって、こういうことか」

 

 私は石段の上で立ち止まり、改めてそう思った。

 

 流れが内側に偏っているというのは、単に量の問題ではない。

 道そのものの育ち方が違うのだ。

 行く道より、帰る道のほうが濃い。

 外へ向かう経路より、内へ収束する経路のほうが手に馴染んでいる。

 

 夕方、縁側に並んで座る頃には、その理解はかなりはっきりしていた。

 

 風が吹く。

 今日はその風にも、向きの違いが感じられた。

 外から入る風は少し薄く、内から抜ける風は微妙に鈍い。けれど、帰ってくる気配だけは妙に濃い。

 

「……あの」

 

 彼女が言った。

 

「何ですか」

「帰りやすく、なっているんですね」

「はい」

「外へ行きにくいのではなく」

「それも少しはあります。でも、たぶん本質はそっちじゃない」

 

 私は空を見ながら答えた。

 

「出られないんじゃない」

「……」

「戻る道のほうが、育ってるんです」

 

 彼女はそれを聞いて、しばらく黙っていた。

 やがて、ほんの少しだけ声を落として言う。

 

「それは、うれしいです」

「……そうですか」

「はい」

 

 短い返事だった。

 けれど、その一言に含まれているものは軽くなかった。

 戻る道が育っているということは、つまり私が繰り返し戻ってきたということだ。そしてそれを、彼女はちゃんと数えていたのだろう。

 

 私は少しだけ視線を逸らした。

 

「まだ、外へ行く道もありますけどね」

「知っています」

「消えてはいない」

「はい」

「それでも」

 私は少し間を置いた。

「帰路のほうが分かりやすい」

 

 彼女は静かにうなずいた。

 

 夜、布団に入ってからも、私はそのことを考えていた。

 

 帰路は一本ではない。

 だが、どの帰路も最終的には同じ中心へ向かっている。

 途中の節で少しずつ拾い集め、向きを整え、内側へ返していく。

 外へ出る道も残っている。

 けれど、それは以前よりも細く、淡く、散りやすい。

 

「……枝分かれしてるのに、収束してる」

 

 私は暗闇の中でそう呟いた。

 

 矛盾しているようで、そうではない。

 枝分かれしているのは途中だけで、最後には戻る。

 この場所の構造そのものが、そうなり始めているのだ。

 

 胸の奥の核に意識を向けると、その周囲に何本もの細い帰路が伸びているのが分かる気がした。

 それぞれ別の経路で、別の節を通り、別の揺れ方をしながらも、最後には同じところへ帰ってくる。

 

 私はその感覚を、不思議と嫌ではないと思った。

 

 ここはもう、偶然迷い込んだ場所ではない。

 帰り方を複数持ちながら、それでも帰ってしまう場所だ。

 そして私は、その複数の帰路を少しずつ覚えてしまっている。

 

 そんなことを思いながら、私は静かな眠りに落ちていった。

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