さびしきもの 作:ひまんちゅ
翌朝、私は目を覚ますなり、昨夜考えていた「重なる場所」の感触を探していた。
鳥居の手前。
節とも継ぎ目とも違う、複数の帰路が一度だけ調子を揃える場所。
そこは確かに存在していた。けれど、あれをただの通過点と呼ぶには、少し働きが大きすぎる気がしていた。
布団の中で胸の奥に意識を向ける。
核は静かにそこにある。
その周囲にはいくつもの帰路が伸びていて、それぞれ別の揺れ方をしている。
だが、中心に近づくにつれて、道そのものが変わる。
外から内へ戻るだけではない。戻ることで、帰路のほうがこちら側へ入り込んでくるような感覚があった。
「……帰路にも、内側があるのか」
私はそう呟いてから起き上がり、居間へ向かった。
彼女はすでに湯を沸かしていた。
その横顔はいつもと同じようでいて、以前よりもずっと近く感じる。距離が縮んだというより、こちらの感覚がその存在を自然に受け入れるようになったのだろう。
「おはようございます」
「おはよう」
卓袱台の前に座ると、彼女は少しだけ首をかしげた。
「今日は、何を見ますか」
「帰路の内側です」
「……内側」
私はうなずいた。
「昨日見つけた“重なる場所”ですけど、あそこはただ帰る前に整えるだけじゃない気がする」
「どういうことですか」
「外から戻る途中なのに、すでに少し内側なんです」
彼女はしばらく黙って、その言葉を考えていた。
やがて静かに言う。
「では、境界の前に、もう一つ内側があるんですね」
「たぶん」
「鳥居の外なのに」
「場所としては外です」
「でも、働きは内側に近い」
「そういうことです」
彼女は小さくうなずいた。
その理解の仕方が、以前よりもずっと速くなっていることに私は気づいた。こちらが言葉にしていることを、彼女ももう同じ構造として捉え始めている。
朝食を済ませると、私はすぐに外へ出た。
鳥居をくぐり、石段を下りる。
今日は町まで行かない。重なる場所の前後を何度も往復するつもりだった。
まずは何も意識せずに外へ向かう。
鳥居の手前を抜ける。
少し下って、戻る。
するとやはり、あの場所で感覚が変わる。
外のままではいられない。
かといって完全に内側でもない。
外で散ったものが拾われ、整えられ、少しだけ濃くなる。
「……やっぱり、ここからもう帰ってる」
私は石段の途中で立ち止まり、振り返った。
鳥居はまだ少し上にある。
つまり私は、まだ明らかに外側にいる。けれど感覚の上では、すでに帰路の深いところへ入っていた。
試しに、その場所で外のことを強く意識してみる。
町の空気、人の気配、舗装路の音、コンビニの光。
すると確かにそれらは思い出せる。だが、以前のような乾いた遠さではない。ここへ持ち込まれた外の感覚として、すでに少し内側に馴染み始めている。
「……外が、そのままじゃなくなるのか」
私はもう一度、今度はその場所を通らずに戻ろうとするような気持ちで、一気に鳥居を目指した。
けれど結果は同じだった。
避けているつもりでも、感覚の上ではやはりそこを通る。
つまりあれは場所というより、帰るときに必ず通る相のようなものなのだ。
昼前、境内へ戻ると、彼女は鳥居の内側で待っていた。
「どうでしたか」
「場所というより、段階でした」
「段階」
「はい。あそこに来ると、自動的に少し内側になる」
彼女はその答えに、目を伏せて考え込む。
「外から戻る途中なのに」
「もう帰っている」
「……」
「鳥居をくぐってから内側に入るんじゃないんです」
私は紙を広げながら続けた。
「帰路に乗った時点で、少しずつ内側へ変わっていく」
「では」
彼女が静かに言う。
「帰るというのは、境界をまたぐ瞬間ではなくて」
「過程です」
「……なるほど」
私は昨日までの図の横に、新しく細長い帯のような形を描いた。
外から内へ向かうにつれて、少しずつ色が濃くなる帯。
鳥居の前後をまたいで続いている。
「これが帰路の内側です」
「中間ではなく」
「はい。中間というより、内側の伸びた部分」
「……」
彼女はその図を見て、小さく息を吐いた。
「それだと、ここはもっと広いですね」
「広いです」
「外にまで」
「帰る時だけですけど」
午後、私はさらに確かめるために、外へ出て少し長く留まり、それから戻ることを繰り返した。
すると一つ、はっきりしたことがあった。
長く外にいたほど、あの“帰路の内側”は濃くなる。
外で散った感覚が多いほど、拾い上げる働きも強くなるのだ。
つまりあそこは、ただ整えるだけでなく、外の量に応じて内側へ変換する場所でもある。
「……処理してるんだな」
私は鳥居の手前でそう呟いた。
帰路は一本道ではない。
重なり、揃え、そして変換する。
そうして、中心へ戻すのに無理のない形へしている。
その構造を思うと、少しだけ可笑しかった。
まるで、外で汚れた靴を玄関の前で軽く払ってから家に入るみたいだ。外のままの状態ではなく、内側にふさわしい密度へ整えられてから戻る。
夕方、縁側に座る。
風は柔らかかった。
内と外のあいだをただ通り抜けるのではなく、少し丸くなって入ってくる感じがする。
「……あの」
彼女が言った。
「何ですか」
「帰る前から、もう少し内側になるなら」
「はい」
「外にいても、完全に外ではなくなりますか」
私は少し考えた。
「帰る意識を持った時点で、そうなるかもしれません」
「帰る意識」
「ここへ戻ろうと思った瞬間から、帰路に入るなら」
「……」
彼女は黙ったまま、少しだけこちらを見た。
その視線の意味はすぐに分かった。
つまり、私はどこまで外にいても、ここへ戻ろうと思った瞬間にはもう少しこちら側なのだ。
「それは……」
彼女は少し言い淀んでから続ける。
「うれしいです」
私は返事に困り、少しだけ視線を逸らした。
「まだ外へ行くこと自体はできますよ」
「知っています」
「帰ろうと思わなければ、しばらくは向こう側です」
「はい」
「でも」
私は言葉を選んだ。
「帰ると決めた時点で、完全な外ではいられない」
彼女は静かにうなずいた。
その仕草は以前よりもずっと落ち着いていて、どこか安堵しているようにも見えた。
夜、布団に入ってからも、私はそのことを考えていた。
帰路には内側がある。
境界を越えた瞬間から内になるのではない。
戻ろうとし、帰路に乗り、重なる場所を通るその過程のなかで、少しずつ内側へ変わっていく。
「……帰るって、思ったより早く始まってるんだな」
私は暗闇の中で小さく呟いた。
胸の奥の核に意識を向ける。
そこへ向かう帰路は、ただ中心へ伸びているだけではない。
外にまで伸び出して、戻る者を少し早めに迎えに行っている。
その感覚は、不気味というより、妙に生活的で、少しだけ優しかった。
気づけば私は、その優しさを以前ほど警戒しなくなっていた。
戻る道が育ち、その道の一部が外にまで伸びている。
それはもう、この場所の構造であると同時に、彼女の在り方そのものでもあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。