残光   作:P-PEN

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境界の残り香

 

 

 

 

 数日後。本部の屋上。

 

 クゥラはイヤーマフを外して、長い耳に当たる風を感じていた。隣には、すっかり元気になった神代が立っている。あの繭に囚われた職員は誰一人欠けることなく職務に復帰できていた。

 

 「本当に、あの夜のことは不思議です。誰かに……すごく冷たくて、でも温かい誰かに、救われた気がして」

 

 「……そう。よかったじゃない」

 

 クゥラは、いつものように冷めた表情を装いながら、窓の外を見つめていた。

 

 あの日、資料室に落ちていた黄金の粉は、翌朝には跡形もなく消えていた。内部調査の職員たちも「大規模な界異の自然崩壊」として処理し、軍服の少女の痕跡など、どこにも見つからなかった。

 

 「ねぇ、クゥラ先輩。やっぱり、先輩が助けてくれたんですよね?」

 

 「……あたしはただ、盾を構えていただけよ」

 

 クゥラはいつもの「クールな先輩」の仮面を被り、そっけなく答える。だが、彼女の指先は、あの日見た古い将校礼服の感触を、今も鮮明に覚えていた。あんなに寂しくて、あんなに強い背中を、彼女は他に知らない。

 

 遠く、街の灯りを見つめるクゥラの視線の先。さらに高い鉄塔の影に、一瞬だけ、赤いジャケットを羽織った少女の幻が見えた気がした。その少女が、小さな星のようなお菓子を口に運び、満足げに微笑んだように見えたのは、きっと、朝の光が見せた悪戯に違いない。

 

 「……あたしも、いつか。あんな風に、本当のクールになれるかな」

 

 クゥラの呟きは、誰に届くこともなく、青白い夜明けの空へと溶けていった。

 

 

 

 

 月が天高く昇り、冷たい空気が街を包む。人里離れた高圧電線の鉄塔の上。九鬼儚は、再びそこを定位置として、夜の街を観測していた。

 

 手元の端末を開く。

 

 『神代柾の浄化を確認。鼎様の歩まれる道は、これにて再び清浄となりました。……本日の任務、すべて完了。これより、定時観測に移行します』

 

 慣れた手つきで送信ボタンを押す。表示される「送信失敗」の赤い文字。彼女はその文字を、まるで愛しい誰かからの便りであるかのように、ほんの少しだけ目を細めて見つめた。

 

 「……これでいい」

 

 彼女はポケットから小さな、角の立った一粒の金平糖を取り出した。夜空の星を閉じ込めたような透明な甘味。それを口に含み、奥歯で静かに噛み砕く。

 

 カリッ。

 

 静寂の中で、その音だけが彼女の存在を肯定するように響いた。甘さが口いっぱいに広がり、冷え切った彼女の芯をほんの一瞬だけ温める。

 

 「……甘い」

 

 彼女の瞳は、はるか遠くの夜明けを見つめている。誰に知られることも、誰に感謝されることもない。それでも、彼女(夜鴉)は明日の夜も、この戦場で、夜を見張り続ける。ただ一人の主君への、狂おしいほどの忠誠を、その胸に抱きしめたまま。

 

 

 

 

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