部屋一面がキラキラと光り輝いている。砕け散ったガラスが、辺り一面に張り巡らされた氷が、差し込む光に反射し2人の青年と女性を照らすように煌いている。
「ツバキ・・・」
金の短髪に青き陣羽織を纏った少年の腕の中では、ツバキと呼ばれた女性――ツバキ=ヤヨイが、既に光を失い焦点の定まらない瞳で青年をしっかりと見つめている。
その姿は儚く、弱弱しい。まるで、氷で出来た人形に無数の亀裂が走り、今にも砕け散るような様だ。
されど、その表情はとても穏やかだ。静かな小鳥さえずる木漏れ日の中、少しばかり昼寝をするような安らかさに満ちている。
「ジン兄様、そこに居らっしゃるのですか?」
ジン兄様と呼ばれた青年――ジン=キサラギは、無言でツバキを握る手に力を入れ、目の前に居ることを伝える。そして、静かに感情がうかがい知れない能面のような表情を浮かべツバキを見下ろす。
「私……幸せ者ですね。最後をジン兄様に看取ってもらえるなんて」
その言葉を聞くや否や、ジンの表情が劇的に変わってゆく。能面のような無感情なものから、阿修羅のように怒りに満ちた表情へと。そして、胸の内から噴出そうとする感情を必至に抑えるかのように、唇を強く噛みながら搾り出すように呟く。
「何故、ここに居る。待機するように命じたはずだ」
ジンが口にしたかった言葉はもっと別の想いだ。しかし、口から搾り出せた想いはそんな言葉となっていた。
「私、ジン兄様のお役に立ちたくて――」
「そんなことを聞いているんじゃない!」
ジンは胸の内の想いを吐き出すように、ツバキの言葉を遮り、顔を彼女から背けながら問いただす。
ジンによって遮られた言葉を続けようとした折、ツバキはある事に気付く。そして、握られていない方の手を頬に当て、それを確認する。その指先に触れたものは、ジンが顔を背ける直前に流し、ツバキの顔に雫となり落ちたジンの想い、
「ジン兄様、泣いていらっしゃるのですか?」
涙だった。
「そんなはずが無いだろう。お前のような命令違反を犯し……勝手に1人で……くっう!」
ジンの涙はもうツバキに落ちることは無かった。代わりに涙はジン自身の頬を濡らし、地面を悲しみで濡らしていく。
「そうですよね、そんなはずありませんよね」
ツバキはジンの涙を否定しながら、少し罪悪感の混じった――それでいて、僅かに嬉しそうな声を発する。そして、頬を僅かに朱に染めながら、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
そして、目蓋を静かに閉じ、全てを終わらせるかのように、別れを含んだ感謝の言葉を呟く。
「まだ、僕の質問に答えていないぞツバキ。目を開け僕を見ろ」
しかし、ジンは終わらせるまいと、視線を逸らしながら先の質問の答えを問いただす。
「何故、ここに居る。心配はいらないと言った筈だぞ」
「心配だったんです。それでも私は心配だったんです。ジン兄様が」
ジンが逸らしていた視線をツバキに戻す。そるとそこにあったのは、光を失った瞳の奥から溢れ出る涙。
「でも、結局何も出来ませんでしたね。何時もの様に迷惑ばかりかけて――」
「そんなことは無い!」
ツバキの謝罪を、後悔をジンは否定する。
「全ては僕が愚かだったからだ。だから、だから! ツバキは何も悪くなどない!」
今、ジンの顔に浮かぶのは自責の憤怒。そして、これから訪れるであろう別れに対する悲しみだった。
「僕は、何時もツバキに救われてきた。支えられてきた! なのに僕は!!」
ジンの内から、堪えていたものが、想いが、ツバキの涙を見て堪えきれずに溢れ出す。
ジンの傍らには何時も彼女の姿が有った。自身のことを兄様と慕う彼女を見ると過去の思い出したくも無い、本当の妹の姿がチラつき鬱陶しく思っていた。
それでも、気付けばその鬱陶しさは彼にとって当たり前の、暖かな少し照れくさい煩わしさとなっていた。
鬱陶しがりながらも、煩わしながらも、義理として、建前としてこなしてたはずの彼女と過ごす時間は、いつしか歪んでしまっていた彼にとって、そのことを忘れられるほどの……。
いつしかジンは心の奥で願っていた。この時間がいつまでも続くようにと。そのことにジンは今更ながら気付かされた。
「ジン……兄」
全てが手遅れとなったこの瞬間に。
ツバキの擦れる声が、間もなくその時の終わりが近づいていることを否応無しにジンに語りかける。ジンはまるでそれを拒否するかのように、強く、強く、ツバキを抱きしめる。
「ジン……兄様、い……て…………ください」
ツバキは、自身が抱きしめられていることに気付いていないかのように、何の反応も示せずに淡々と言葉を続ける。
「い……って、ください。お兄さんを……助け……て」
ジンはその言葉に何の反応も示さない。代わらず彼女を強く抱きしめ続ける。無駄なことだとは、ジン自身分かっている。しかし、それが今の彼に出来る、意味が無くとも可能な、数少ない別れへの抵抗だった。
時間にして数秒。しかし、2人にとっては過去の思い出を走馬灯のように振り替えるに足る時間が、沈黙となって流れる。
「最後に……わがまま……いいですか?」
ツバキの声は既に擦れ、途切れ途切れで、耳元で囁かれているにも関わらず小さくなっていた。されど、その言葉はハッキリとジンに届く。
「なんだい、ツバキ」
ジンは少し顔を離し、彼女に見えるように出来る限りの笑顔で彼女を見つめる。そして、子供の頃のように優しく語りかけ、言葉の続きを促す。子供の頃と違う点は、その声には、昔のような表層だけの建前でなく、本心から聞き届けようという想いが込められていた。
「やっぱり……ジン兄様には笑顔が似合います」
ツバキの瞳には、とうにジンの顔は写っていない。それでもきっと彼女には彼の今までで一番優しくも悲しい笑顔が見えているのだろう。彼女もまた、今までで一番嬉しそうに悲しい笑顔を浮かべ最後の言葉を口にする。
「私は……ジン兄様のことを……愛し……て」
ジンは、彼女の言葉の続きを聞くために、そのままジッと笑顔でツバキを見つめている。静かに体を僅かに震わせながら。
「ツバキ、まだ言い終わってないだろ。もう少しじゃないか」
「……」
彼女は、ジンの言葉に何も答えない。反応すら見せない。
「もう子供じゃないだろ、最後までハッキリ言ったらどうだ」
「……」
これから先どれだけ待ってもその言葉の続きを――声を聞くことは叶わないだろう。なぜなら、彼女は既に。
「ツバキ、ツバキ」
氷を司るアークエネミー『ユキアネサ』を使役するジンは、どんな極寒の中でも凍えることが無い。そのジンがまるで凍えてしまったかのように体を震せている。
「ツバキ、ツバキ!!」
そして、まるで温もりを求めるように、すがりつくように彼女を強く抱きしめる。しかし、先ほどまで彼女の体に残っていた僅かな力は既に全て消え失せ、温もりはもはや、ジン自身のものしか感じなくなっていた。
最後の言葉を言い終えることが出来ぬ彼女の口は僅かに開かれたまま。
「ツバキいいいいいいいいいい!!」
彼女の浮かべる表情は涙を浮かべながらも幸せそうで、満ち足りたものだった。
「僕は! 僕も! 君のことを!!」
彼女は、最後の言葉を伝え切ることが叶わなかった。それでも想いをジンに伝えることは叶った。
「愛している」
だが、彼女にとって喜ばしいはずのジンの言葉を受けても、彼女は何も反応を示さない。
ジンは彼女の想いに応え、物言わぬ彼女に口付けを交そうとする。しかし、思いとどまり代わりに彼女の唇に指を這わせた。
「今更、僕にそんな資格は無い」
ジンが触れているそれは、彼が今まで触れたどんなものよりも冷たく感じられた。
どれほど彼女を抱きしめ、唇を撫で、その姿を見つめていただろうか? 何時までもという思いと、もう行かなくてはという思いがジンの中で葛藤となり衝突している。
その葛藤を表すかのように世界は、天、地、全てが揺れ、まるで世界の終焉が近づいているかのように辺りのものが壊れていく。
「まだ、それほどの時間は経っていないと言うことか」
ジンは、先ほど最低出力の零刀(フロストバイト)を用い、凍結させた柱の一を見つめる。柱を包む氷が自然氷解していない様を見たジンは、まだあまり時間が経過していないことを知る。
ジンは、彼女の死を前に、想いの他早く立ち直った自身の心の冷たさに嫌悪感を抱く。と、同時に安堵感も抱いていた。
「これならばまだ僕は戦うことが出来る」
ジンは、これからの道へ進むための最後の儀式を執り行う。
彼女を優しく、まるでお姫様を抱きかかえるように抱き抱えながら立ち上がる。そして、部屋の中央へと進む。そして、中央へ辿り着くと、彼女を下半身からゆっくりと地面へ下ろし、彼女の背に手を回したまま自身のアークエネミーへ命令を下す。
「ユキアネサ起動、氷結させよ」
ジンが、ユキアネサに命じると、彼女は徐々に氷付いていく。体勢が崩れない程度まで凍らせると、ジンは手を離し、一歩下がる。すると、彼女の氷結速度が増し、彼女は美しい氷の彫刻へと姿を変えた。その姿は、ただ、ただ、美しかった。
「弔ってやる時間は無い。だから、せめてこれ以上傷つかないようにすることしか出来ない」
大地の揺れは相変わらず断続的に続き、彼女の上からも瓦礫が落下してくる。しかし、瓦礫は彼女を守るように覆い包む氷山に阻まれ、傷付けることなく地へ落ちていく。
「じゃあ、ちょっと行って来るよ……さようなら、ツバキ」
ジンは、美しい氷の彫刻となった彼女に別れを告げ、駆ける。向かう先は、彼女が救うことを望んでくれた、自身にとってもう1人のかけがえのない人物の元。その顔には、彼がジン=キサラギとして流す最後の涙が、頬を伝い流れ落ちていった。
頬を伝い、落ちた涙は、空中で凍り付いてゆき、地へ落ちるまでに完全に氷結した。そして、それは地面に触れると同時に砕け散った。
この日。ジン=キサラギは、かけがえのない愛情を認識し、最愛の女性を失った。そして、その愛は彼を縛る呪いの鎖となった。
こんにちは。にじファンでから移転させていただきました、銀河の星屑と申します。タグでも触れてありますが、この話には少々鬱要素が含まれますが、大団円へと向かい執筆していきます。
これからよろしくお願いします。