2018年7月、西東京市・英集修道院。同・運動場上空。特級仮想怨霊(名称未定)の呪胎を非術師数名の目視で確認。その後の対応で、呪術師ではないが、呪いや残穢を目視することが可能な“窓”が呪胎を確認したのが3時間前、避難誘導9割の時点で現場の判断により施設を封鎖することとなる。半径500メートル内の住民も避難が完了した。
呪術高専東京校1年生の
「『受刑在院者第二宿舎』、五名の在院者が現在もそこに呪胎と共に取り残されており、呪胎が変態を遂げるタイプの場合、特級に相当する呪霊に成ると予想されます」
「……はっきり言って、特級に位置するのなら全員で食ってかかっても死にますよね」
「なぁなぁ、俺特級とかまだイマイチ分かってねぇんだけど」
伊地知と譲の会話に混じる虎杖は未だ呪術についての知識が浅い。伊地知は呪霊の等級について説明する。基本的に呪霊には通常武器は無効であるが、有効と仮定した場合、4級は木製バットで余裕、3級は拳銃があれば安心、2級(準2級)は散弾銃でギリ、1級(準1級)は戦車でも心細く、特級はクラスター弾での絨毯爆撃でトントンといった具合の指標だ。
「本来、呪霊と同等級の術師が任務に当たる」
「今回だと五条先生がそれに該当するよね」
「で、その五条先生は?」
「出張中、そもそも高専でブラブラしてていい人材じゃないんだよ」
伏黒と美音の口から出てきた人物は
「この業界は人手不足が常、手に余る任務を請け負うことは多々あります。ただ今回は緊急事態で異常事態です。『絶対に戦わないこと』、特級と会敵した時の選択肢は『逃げる』か『死ぬ』かです。自分の恐怖には素直に従ってください。君たちの任務は飽くまで生存者の確認と救出であることを忘れずに」
「注告をありがとうございます。潔高さんの仰る通り、『自己』と向き合って身の振り方だけは深く考えますよ。特級相手ならね」
その手に余る任務を請け負うことが呪術師としての生命線の要、生死を分つ逆境が前触れもなく強大な壁として立ち塞がることは大いにある。実力が『自己』を磨き、境地で『自己』を押し上げられる運を持ち合わせて尚且つ、アドバンテージを100%引き出すことができる呪術師はそういない。下された等級と『自己』に向き合う真価とはそこにある。
「あの…あの!
「駄目です。駄目です、下がってください!」
「正は、息子の正は大丈夫なんでしょうか?」
施設内に取り残された在院者の面会に来ていた保護者が不安を拭えずにバリケードテープを越えようとしていた。高専関係者が保護者を取り押さえ、虎杖は感情を揺さぶられそうになったところで、生徒の前に出た伊地知が声を張り上げる。
「お引き取り下さい。何者かによって施設内に毒物が撒かれた可能性があります。現時点でこれ以上のことは申し上げられません」
「そんな……どうしてっ…どうしてこんなことに…」
呪術規定8条(秘密)に基づき、脅威が迫るような緊急事態以外は呪術の存在を明かしてはならない。伊地知は呪いの存在をひた隠しにした上で保護者を帰宅させようとしていた。膝から崩れ落ちた保護者のすすり泣く声と姿に虎杖は自身が掲げる信念で闘志を燃やした。
「伏黒、釘崎、金城、鈴原先輩、助けるぞ」
「当然」
「自分もそのつもりだったから!」
「手が届く範囲なら助けるさ」
「………」
祖父から与えられ、自らのものへと昇華した信念に従った虎杖は先陣切って指揮を取る。その意向に殆どが賛成していたが、伏黒だけは唯一黙って外方を向いていた。英集修道院の第二宿舎に到着した一同は入り口へと一歩一歩扉へ近づく。その間に伊地知は皆の無事を祈りながら、外部からの侵入を防いで且つ内部を視認できないようにする効果を持つ「帳」を下ろす。
「夜になってく!」
「“帳”だ。今回は住宅地が近いからな。外から俺たちを隠す結界だ」
「すげえな!」
「無知め」
「『
帳の効果で内部は夜景色へと様変わりする。現実離れした出来事を体験し、興奮を隠せない虎杖に帳の詳細を伝える伏黒、後方からやれやれといった具合で呆れている釘崎は腕を組んでいた。帳が下り切った後に伏黒は片手の薬指と中指の間を広げてもう片方の手を重ね、両親指を耳に見立てる影絵を媒体に式神である玉犬・白を召喚する。
「呪いが近付いたらこいつが教えてくれる」
「かわいい〜!昔から犬飼いたかったの思い出しちゃうな〜。術式で呼び出せるなんて、いいわね伏黒」
「そっかそっか〜、おーよすよす。頼りにしてっからな」
「行くぞ」
都合上、犬を飼えなかった美音と虎杖は玉犬・白のもふもふとした柔らかい毛を撫でながら愛でていた。伏黒が声を掛け、英集修道院の第二宿舎の内部へ繋がる扉を開くと鈍く擦れるような音がゆっくりと空気を裂いていく。不規則な悲鳴を上げながら、扉はわずかに角度を変えて暗がりを露わにする。その先は鉄のパイプや管で入り組んだ広大な空間が広がっていた。その異様な光景に一同は違和感を覚え、伏黒は制止する。
「何!?これ!」
「ど…どうなってるんだ?二階建ての寮の中だよな、ここ」
「お、お…落ち着け!メゾネットよ!」
「違えよ…こいつは…」
「呪力による生得領域の展開、俺と美音ちゃんは遭遇したことがある。しかし、ここまで大きく広いのは初めてだ」
「………思い出した。宮城だったはず、病院の地下に居た厄介な呪霊でしょ」
聞かされていた宿舎の内装とは遥かに異なり、虎杖と釘崎は慌てている。伏黒と譲は即座に生得領域の具現化が内部にまで影響を齎していることに気が付く。これは呪霊が既にそのレベルの域にまで達し、一同は態々餌として胃袋へと自ら赴いたに等しい。譲の言葉で呪術高専へ転入する前のフリーの呪術師としての活動で、初めて二人が出会い、共闘して討伐した『卵生呪霊』も生得領域を展開していたことを美音は思い起こした。
「扉は!?」
「ド…ドアが…無くなってる!?」
「何で!?私たち、今ここから入ってきたわよね!?」
「「どうしよう。あ、それどうしよう」」
「大丈夫だ。
「ジャーキーよ!ありったけのジャーキーを持ってきて!」
「緊張感!」
元来た廊下に通ずる扉はとっくのとうに分厚い鉄の管で塞がれていた。再び取り乱した虎杖と釘崎は踊り始めたが、有能な玉犬・白によって引き返すことはできる。任務中にも拘らず未だに緩い雰囲気でいる二人を伏黒は気を引き締めさせるために声を張る。
「やっぱ頼りになるな、伏黒は。お前のお陰で人が助かるし、俺も助けられる」
「同感だよ。恵君には安心して背中を預けられる」
(………うーん、なんか妬ける…自分だって頼りにされてるんだから大丈夫)
「………進もう」
虎杖の純粋な笑顔と譲の同意を含んだ心からの本音に伏黒は伏し目がちにして歩き出した。それとはまた別に美音は譲が『信頼』する人間が自身だけではなく、伏黒も含まれていることに嫉妬していたがその胸の内は決して明かさない。一同が先の廊下へ進み出し、また別の大きな空間へと繋がる。そこには肉団子のように圧縮された在院者の姿が二人ともう一人、名札が付いた下半身だけが引き千切られた在院者が血塗れで息絶えていた。
「惨い…」
「三人…でいいんだよな」
「恐らく。ここまで間に合わないとなると…呪胎はもう特級相当の呪霊に変貌を遂げているかもしれないな」
それぞれ反応は違うが、遺体を見て明らかに動揺していたのは虎杖のみだった。まだ欠損が比較的少ない在院者の服のシワを広げて名札を確認すると「岡崎 正」と記されていた。それは虎杖も感情移入してしまっていた保護者の息子、当人だった。
「この遺体、持って帰る。あの人の子供だ」
「でも…」
「顔はそんなにやられてない。遺体も無しで“死にました”じゃ母親としたら納得できねえだろ」
「あと二人の生死を確認しなきゃならん。その遺体は置いていけ」
「冗談言うな!振り返れば来た道が無くなってんだぞ!後で戻る余裕はねえだろ!」
「後にしろじゃねえ。『置いてけ』って言ってんだ!ただでさえ、助ける気のない人間を死体になってまで救う気は俺にはない」
遺体という荷物を抱えてまで任務に当たるのは相当リスクも付き纏ってくる。流石の釘崎も賛同はせず、伏黒ははっきりと自らの意思を伝えて虎杖のフードを掴み上げた。一触即発と言わんばかりの険悪な雰囲気が漂い、虎杖も伏黒の胸倉を強く掴む。
「助ける気がない人間だって?どういう意味だ」
「ここは少年院だぞ。呪術師にはありとあらゆる情報が事前に開示される。岡崎正、そいつは無免許運転で下校中の女児を撥ねてる。二度目の無免許運転でだ。お前は大勢の人間を助け、正しい死に導くことに拘ってるな。だが自分が助けた人間が将来、人を殺したらどうする?」
「じゃあなんで俺は助けたんだよ!」
「二人の事情を深くは知らない。どちらにせよ、その遺体を置いていくべきという恵君の『意見』には俺も同意するよ、悠仁君。手が届くのなら助けたっていい、でも連れ帰るってのは生きてた場合じゃあないか?君の『信念』は立派だけど、それに値する身の丈はない。今ここで下手を打つのは死に直結する。それは君の『正しい死』の理念では正解なのか?」
このままでは呪霊に位置を知らせているだけの行為、感情が昂って周囲が見えなくなっている二人を制御するために譲が一歩前へと踏み出す。虎杖の漠然とした「正しい死」という信念、理念、それは「自己」がまるで見えていない犠牲による精神だと譲は見抜いた。この場でそれは通用しない。相手が特級ともなれば尚更、見通しが甘いと言う他ない。
「…………金城の力で持ってくこともできねえのか」
「残念だけど、俺は人間を錬金しようとするだけで完全なる錬金はできない。イメージの問題だろうけど、そこの遺体は『人間だ』という俺自体の刷り込みによって無駄なことなんだ。元の形にだって、小さく軽量化することもできやしない。だから今、俺たちが与えられた生存者を確認すること、救出すること以外の全ては無駄なんだ、無駄無駄」
「いつまで揉めてんのよ。バッカじゃないの!?少しは時と場所を弁えたらどうなの———」
未だに納得し切れていない虎杖に容赦無く、譲の理論に加えて自らの
「みんな……?」
(バカな!!呪いの気配は玉犬が———)
完全に取り残された虎杖は唖然としているが、伏黒は玉犬・白が既に壁に埋まって頭部だけの状態で破壊されているのを目視で確認する。焦燥感が彼の中へ溜まり、その分だけ冷や汗が毛穴から噴き出した。もう呪霊の攻撃は開始されていたのだ。既に皆、目を付けられていた。
「虎杖!!逃げるぞッ!三人を捜すのはそれからだ……」
はっとした時には既に遅れていた。否、遅かったのだ。二人をジロリと舐め回すように至近距離で視線が這っている。ピクリとも動くことすら許されず、数十センチという圏内で立ち尽くす人型で白い顔面に紺色の手が張り付いたような姿をしている目が四つの特級呪霊の前で震え上がることすらできなかった。特級を前にして全く動けない伏黒、「動け」と自己へ言い聞かせる虎杖は生前の祖父からの『人を助けろ』という呪いの言の葉が彼の闘志を燃え上がらせる。
「うあ“あああアッ!!!」
腰に帯刀していた
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暗黒の空間、闇は広がるが地に足は着くその場所で釘崎は一人で探索していた。完全に分断された状況で呪力即ち呪いの気配を感知して五寸釘を三本指に挟み、愛用している金槌を構えた。
(何!?この数ッ!!)
衝突、分断、孤立…その状況下で闇の世界に広がるのは赤ん坊の笑い声と面のような不気味な程に真っ白な巨大な顔面と眼球が幾多も浮かび上がり、釘崎を包囲していた。囚われの釘崎に勝利の活路は存在するのかは未だわからず。
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釘崎が囚われている空間と対照的に、譲と美音は鉄のパイプで囲われた視界が明瞭な空間へと飛ばされていた。飛ばされているという表現はしたものの、英集修道院の何処かまたは呪霊による生得領域内部であることは間違いない。それよりも二人は冷静、視線の先には大きな水玉にオレンジやら緑やら紫が差し込まれたフード付きのサロペットと呼称される塗装服を身に付ける若い青年が立っていた。
「芸術的っスなあ〜〜〜ッ。こんな大きな箱の中に何も入れず、ただただ壁や床、天井に組まれた鉄の管やパイプが不規則に這っている。『不便』で才を切り捨てる世にはこういう遊び心が必要っスな」
「あんたさ、呪詛師?どう見ても普通じゃあない。呪力……いや、スタンドエネルギー?」
「正解っスな。俺は
「楽器なら多少。なんでそんな質問するわけ?自分たちが知りたいのはあんたが味方か、それとも…害ある敵かってことだけ」
「俺が知りたいのはこう、芸術を楽しむ人を誰であろうと止める権利はないのに、無闇矢鱈に突っ込んで『要求』だけを突き通して突っぱねるのは何故かって点。答えてやるっスなあ〜〜〜、俺は君たちにとってではなく、芸術にとって味方ッ!!」
美音との問答を繰り返す青年、波瀬清也は黄色の髪を揺らしながら「芸術」を説く。スタンドエネルギーもといスタンドパワーを練り上げた波瀬は人型のスタンドを繰り出す。それは背部に三つの小型ボンベを携え、そこからスタンドの手足に伝うように伸びたチューブ、手足、指先に小さな穴が空いている姿形だった。即座に美音は呪力を練り上げ、譲はスタンドパワーを具現化した『
「金城譲…だったっスなあ。それが噂のスタンド、アルケミア。その造形ッ、芸術的センスが詰め込まれ、恵まれたスタンドっスなッ!」
「ッ……!そんなに有名になりましたか、俺は」
「ああ〜〜かなり。そんな君を画家である俺のスタンド『
波瀬のスタンド『ペイント・イット・ブラック』の五本の指先から煙が迫るが、床を蹴って後方へ逃げ込む譲は美音と軽く目を合わせる。遂に野良のスタンド使いにまで存在を認知されていることに驚愕しつつ、その裏に情報を流した何者かの陰謀に自らだけではなく、仲間も巻き込まれるのを危惧する。
「今のを避けたの凄いっスな!初見殺しとまではいかなくてもそこそこだと思ったんだけどなあ〜〜〜ッ!」
「あまりにも都合が良すぎるな。特級相当に成るであろう呪胎、俺の存在を知り得るスタンド使い、きな臭くなってきたとは思わないか?」
「譲!前に注意ッ!あの煙、薄くなっただけで空気にまだ残って広がってる!!」
初見殺しは濃度が空疎になった煙でさえも有害である。美音は制服の内ポケットから取り出した紐付きの鈴を鳴らし、空気との音の反響の差異でそれの見分けがついている。譲は黙ってその指示に従い、アルケミアによって元のサイズに錬金されたライターを指で摘みそれを走り去りながら波瀬の周辺に投げ込む。投げ込まれた瞬間、錬金は作用して炎のエネルギーとなって煙に引火する。煙はガスだった。ガスに誘爆して発生した衝撃波は波瀬を壁まで吹き飛ばす。
「なんって芸術的な爆発ッ!芸術は爆発とはこのことを言うんっスなあ〜〜〜ッ」
「『
「音が音符として見えるッ!こんな面白い能力がスタンドですらないなんて!!」
平気な様子で復帰した波瀬はガスをばら撒きながら間合いを詰めてくる。不用意に距離を縮められるのは厄介のため、紐の鈴から可視化した音符の弾幕を拡散して一つ一つを発射していく。本来、見えないはずの音撃を音符として可視化することによって威力を底上げする縛りが設けられているのだが、波瀬はそれ故にそれを潜り抜ける。美音の術式をスタンドではないと断定した波瀬の言動で、やはり何者かが裏で糸を引いている可能性は濃厚になる。
「そろそろ仕掛けるっスな。『ペイント・イット・ブラック』の芸術はまだ序章、キャンパスに芸術を乗せるッ!!」
「床が少しずつ削れている…?削れているぞッ!!」
「この場だけではなく、キャンパスは君たちもっスな〜〜〜ッ」
『ペイント・イット・ブラック』の能力は端的に言えばスプレーによるガスの噴射、通常時は毒性を含んだガスを噴射するのみ。背部の小型ボンベに周辺の物質を少しずつ素材にする。それを利用したガスを三つに使い分けて噴射し、素材にした物質の特性をガスに含ませる。素材にする際はボンベの時点で複数混ぜ込むことはできず、噴射時は可能。物質に触れている間でしかボンベに素材を満たすことはできない。この戦場で波瀬はスタンドを介して特級呪霊の生得領域によって展開された鉄のパイプを素材にし、ボンベを満たす。
「譲、決してアイツに近寄っちゃあいけないッ!自分が攻撃すべきでしょ!!」
「でも、彼は気づいていないようだ。彼が今、踏み出した位置には既に俺のアルケミアが触れている。錬金が始まる位置だッ!」
波瀬が体当たりしたのは透明な壁、それは特級呪霊の生得領域である床のパイプを利用した管のエネルギー、アルケミアは譲が退いた時点でその床へと効果を付与していた。嘗ての経験値、高専での任務と鍛錬を重ねたことによって成せる遅延する錬金、管のエネルギーは波瀬の移動を制限し、捕らえる。
「これなら直に撃ち込める、《
「へへッ、それはどうッスかな〜〜〜」
余裕の波瀬、撃ち込まれる音撃———!!
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《パラメータ》
【STAND NAME】
ペイント・イット・ブラック
【STAND MASTER】
波瀬清也
破壊力-C スピード-C 射程距離-C 持続力 -C 精密動作性-D 成長性-D