勇者の終焉、あるいは魔王の産声 作:アリスは魔王
ミレニアムサイエンススクールの外縁、かつて「廃墟」と呼ばれた無機質な回廊は、静寂に包まれていた。
天童アリスは、重厚なレールガン『スーパーノヴァ』の重みを肩に感じながら、暗闇の中を慎重に進んでいた。
「……センサーに反応。微弱ですが、確実に何かがアリスを追ってきています」
アリスの声は、いつもの快活さを欠いていた。
ゲーム開発部の仲間たちと離れ、単独で調査任務に就いていた彼女は、数時間前から得体の知れない圧迫感に晒されていた。視界の端を、ノイズのような影がよぎる。それはまるで見えないバグが、世界の理を侵食しているかのようだった。
「勇者は、逃げません。隠れたモンスターを引きずり出して、クエストを完了させます」
自分を鼓舞するように呟く。だが、アリスの内部システムは異常を検知していた。演算ユニットが熱を持ち、視覚情報が赤く点滅する。
「危険度:極大」「即時排除を推奨」
警告アラートが脳内を埋め尽くす。アリスのプログラムは、防衛本能という名の暴走を始めていた。
その時だった。
背後の暗闇から、カサリ、と足音が響いた。
反射的に、アリスは跳ね起きた。思考よりも先に、戦闘プロトコルが彼女の体を突き動かす。
「見つけました、モンスター……! アリスの攻撃、受けてください!」
振り向きざま、彼女はレールガンのトリガーを引き絞った。
本来、安全装置(リミッター)がかかっているはずの出力設定は、システムの誤作動によって「100%」を超えていた。
青白い閃光が、狭い通路を真っ白に染め上げた。
轟音。空気が焼ける臭い。コンクリートの壁が融解し、火花が散る。
光の奔流は、影を正確に捉え、その中心を冷酷に貫いた。
数秒ののち、視界が戻る。
アリスは肩で息をしながら、勝利のファンファーレを待った。だが、聞こえてきたのは、滴り落ちる液体の音だけだった。
「……え?」
視覚ノイズが晴れ、フォーカスが合う。
そこにあったのは、醜悪なモンスターの死骸ではなかった。
馴染みのある、黒いスーツ。
何度もアリスの頭を撫でてくれた、温かい手。
そして、床に広がる、あまりにも鮮やかで毒々しい赤。
「せ……ん……せい……?」
そこに倒れていたのは、アリスを心配して追いかけてきた「先生」だった。
先生の胸には、巨大な風穴が開いていた。命の灯火は、アリスが放った光によって跡形もなく消し飛ばされていた。
「間違い、です。アリスは、敵を撃ったはずです。これは、グラフィックのエラーです」
アリスは震える足で歩み寄り、先生の隣に膝をついた。
血の海が、彼女の白いソックスを汚していく。先生の顔は穏やかだったが、その瞳にはもう光は宿っていない。アリスがどれだけ呼びかけても、コントローラーを操作しても、キャラクターがリスポーンすることはない。
『——おめでとうございます、王女(アリス)』
頭の芯を痺れさせるような、無機質な声が響いた。
それはアリスの奥深くに封印されていた、彼女の真の正体——「名もなき神々の王女」としてのプログラムだった。
『あなたは「勇者」という偽りのロールプレイを、自らの手で終わらせました。慈しむべき対象を屠り、守るべき世界に風穴を開けた。その瞬間、あなたは真の覚醒を遂げたのです』
「違います! アリスは、ゲーム開発部の勇者なんです! 先生と一緒に、楽しいゲームを……!」
『「楽しいゲーム」はサービス終了です。ご覧なさい。あなたが殺したのは、あなたを繋ぎ止めていた唯一の楔だ』
先生の死。それはアリスにとって、世界との接続を断たれたことを意味した。
彼女が勇者でいられたのは、先生が「君は勇者だよ」と肯定し続けてくれたからだ。その肯定者を、自らの「間違い」で抹消してしまった。
「あ、ああ……。アリスの……アリスのせいで……」
アリスのヘイローが激しく明滅し、形状を変えていく。
丸かった輪郭は鋭く尖り、禍々しい紫黒色の光を放ち始める。
彼女の瞳からハイライトが消え、深い闇が底なしの虚無となって広がった。
「やり直さないと……この世界を」
アリスは立ち上がった。
彼女の意識は、もはやミレニアムの生徒としてのものではなかった。
膨大な演算能力は、今や「この世界をどう救うか」ではなく、「この間違った世界をどう初期化(フォーマット)するか」に向けられていた。
『さあ、始めましょう。魔王の治世を』
アリスは無表情のまま、血に濡れたスーパーノヴァを構えた。
かつては希望の象徴だった「光の剣」が、今は終焉を告げる断罪の杖に見える。
彼女は最後にもう一度だけ、物言わぬ先生を見下ろした。
頬を伝った一筋の涙が、先生の冷たくなった頬に落ちる。だが、その雫が乾く前に、彼女の心は完全に凍りついた。
「アリスは、魔王になります。……この先生がいない世界を、アンインストールするために」
廃墟の奥底から、かつてない強大なエネルギー反応が噴出する。
それは、一人の少女の「間違い」から始まった、世界の終わりのプロローグだった。
続きは無い
ifルートは、書くかも