勇者の終焉、あるいは魔王の産声 作:アリスは魔王
シャーレの当番室。窓の外にはキヴォトスの夜景が広がり、室内にはゲーム機の駆動音だけが静かに響いている。
「……先生、もう寝てしまいましたか?」
ソファで資料を整理していた先生の袖を、アリスが控えめに引いた。パジャマ姿の彼女の瞳には、かつての赤黒いノイズなど微塵もなく、ただ純粋な甘えたい気持ちが滲んでいた。
"いや、まだ起きているよ。アリス、どうしたんだい? "
「あの……今日のクエストは、アリスにとって少し難易度が高すぎました。HPは回復しましたが、状態異常のデバフがまだ残っているようです」
アリスは先生の隣に潜り込むように座ると、その腕をぎゅっと抱きしめる。
「先生の体温を確認しないと、またあの『バッドエンド』の夢を見てしまいそうで……。勇者アリス、一時的に『添い寝モード』に移行してもよろしいでしょうか?」
"……もちろん。アリスが安心できるまで、ここにいていいよ"
先生が優しく微笑んでアリスの頭を撫でると、彼女はふにゃりと表情を緩ませ、先生の肩に頭を預けた。
「えへへ、先生はとっても温かいです。最高級の回復アイテムより効き目があります」
しばらくの間、二人の間に穏やかな沈黙が流れる。アリスの規則正しい寝息が聞こえ始めた頃、彼女は夢うつつで小さく呟いている。
「……先生。アリス、次は……もっと強い勇者になります。先生を守って、一緒にエンディングまで……」
"ああ、約束だよ。アリス"
先生は、自分の胸元で丸くなって眠る小さな勇者に、そっと毛布をかけた。
それは、どんな激しい戦闘よりも尊い、二人の間に流れる「奇跡」のような時間。
キヴォトスの夜は更けていくが、シャーレのこの部屋だけは、世界で一番優しい光に包まれていた。
◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、シャーレの当番室の静寂は、轟音と共に撃ち抜かれた。
「ア、アリスがいない! 昨日の夜から帰ってないなんて、これはきっとレアモンスターにさらわれたか、闇の組織の仕業に違いない!」
「ちょっとお姉ちゃん、落ち着いて……。先生のところにいるかもしれないし……」
バコーン! という景気のいい音と共にドアが蹴破られ、モモイ、ミドリ、ユズの三人がなだれ込んで行く。しかし、彼女たちが目にしたのは、恐ろしい陰謀ではなく、あまりにも平和すぎる光景だった。
朝日が差し込むソファの上。先生の腕を抱き枕のようにギュッと抱きしめ、幸せそうに「むにゃむにゃ……経験値……牛丼……」と寝息を立てるアリス。そして、その重みで身動きが取れず、座ったまま白目を剥いて固まっている先生の姿。
「…………ッ!!?」
モモイが指をさして、顔を驚愕に染め上げる。
「ちょっとおおお! 先生! アリス! な、ななな、何これ!? 朝チュンだ! 完全に朝チュンだわこれ!! 勇者が魔王を倒した後に、お城で王女様と迎えるタイプのエンディングじゃない!!」
「お、お姉ちゃん! 声が大きいってば……あわわ、でも確かにこれは、そうゆうゲームの導入場面みたいで……」
ミドリも顔を覆いつつ、指の間からしっかり激写を開始。ユズはあまりの刺激に「あうぅ……」と段ボールに引きこもってしまう。
「……ん、……モモイ? ミドリ、ユズ……? 騒がしいです。まだアリスのログイン時間ではありません……」
目をこすりながら起き上がったアリスは、まだ先生の腕を離さないまま、不思議そうに首をかしげた。
「先生、モモイたちが『あさちゅん』という新しいクエストを持ってきたみたいです。これは、どんな報酬がもらえるイベントなのですか?」
"アリス、その言葉の使い方はちょっと……あと、腕を放してくれないと先生の血流が限界なんだ……"
「ダメです。これは昨夜、先生と結んだ『添い寝ギルド』の契約です。ログアウトは許可されません!」
「ギ、ギルド契約!? 先生、いつの間にアリスとそんな高度なパーティを組んでたのよ! 私も混ぜなさいよー!」
朝から大騒ぎのゲーム開発部。昨夜の「魔王」の影など微塵もない、あまりに騒がしくて温かい、ミレニアムの日常が再び動き出した。
「ところで、先生……これが何か分かりますか?」
突然、ミドリが言うとスマホにパジャマ姿のアリスと一緒に寝ている先生の姿が映っていた。
"ちょ、ちょっとミドリ! そのスマホに映ってるの、消して……! "
先生が焦って手を伸ばしますが、ミドリは手際よく端末を操作し、冷ややかな、けれどどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「だめですよ、先生。これは『先生の職権乱用・事案報告書』として、ユウカ先輩に送信予約済みです」
"ユ、ユウカに!? それだけは勘弁してくれ……! 説教でシャーレの備品が全部計算機(電卓)に変わっちゃう……! "
先生が絶望に膝をつくと、ミドリは一歩近づき、端末を胸元に隠して耳元で囁いた。
「……送信を取り消してほしいですか? それなら、条件があります」
「な、なんだい……?」
「アリスちゃんだけズルいです。……私にも、『添い寝ギルド』の加入権、ください。……あと、今夜は私を優先してデバフ解除(よしよし)してくれるって、約束してくださいね?」
ミドリの顔は真っ赤になっていたが、その瞳は「逃がさない」という強い意志で先生を見据えていた。
「ちょ、ちょっとミドリ! 抜け駆け禁止よ! 私だって先生の隣でログインしたいんだからー!」
モモイが割って入ろうとするが、ミドリは冷静に「お姉ちゃんは、まず昨日の徹夜のレポート終わらせなよ」と一蹴。
「あぅぅ……みんな、先生を困らせちゃ……。でも、私も、段ボールの中なら……一緒に……」
ユズまでがおずおずと先生の裾を掴み始め、シャーレの当番室はさながら「先生争奪戦」のレイドバトル会場と化してしまった。
「……? 先生、みんなでパーティを組むのですか? 勇者アリス、最大人数での攻略、大歓迎です!」
状況を全く理解していないアリスが、嬉しそうに先生の腕をさらに強く抱きしめる。
"あああ……アリス、嬉しいけど、これ以上引っ張ると先生の腕がゲームオーバー(脱臼)になっちゃう……! "
シャーレが騒がしくなっていると。
「……っ、先生! 何ですかこの通知は! 計算が全く合いません!!」
不吉な爆音と共に、今度は当番室のドアが(物理的にではなく、権限で)勢いよく開放された。そこに立っていたのは、あまりの衝撃映像に顔を真っ赤にし、手にした端末を震わせているユウカだった。
「ミ、ミドリから送られてきたこの写真……! 先生の腕にアリスちゃんが、しかもパジャマで……! これはシャーレの業務規定、いえ、キヴォトスの倫理規定の何ページに記載されている『業務』なんですか!?」
"あ、ユウカ……。いや、これは、その……デバフの解除中で……"
先生が冷や汗を流しながら言い訳を探しますが、ユウカの背後からは冷気すら漂っています。
「デバフ!? そんなゲーム用語で誤魔化さないでください! 今すぐその……添い寝を止めて、私の作成した厳密なスケジュール表に従ってもらいます!」
ユウカが強引にアリスを先生から引き剥がそうとするが、アリスは「むぅ」と頬を膨らませて先生にしがみついた。
「ダメです、ユウカ。これは勇者と賢者の特別な『合体技(バインド)』です。外部からの干渉は無効化されます!」
「なっ……合体!? 変な言葉を使わないでください! 先生、早く何か言って……!」
"……ユウカ、落ち着いて。昨日はアリスにとって本当に大変な夜だったんだ。だから、もう少しだけ……"
先生が諭すように言うと、ユウカは一瞬だけ言葉を飲み込んだ。先生の少し焦げた髪や、アリスのどこか切実な抱きつき方に、ただの不純な動機ではない「何か」を感じ取ったのだ。
「……はぁ。もう、先生はいつもそうです。……わかりました。特例中の特例として、あと15分だけ認めます」
「わーい! ユウカ、話がわかるわね!」と喜ぶモモイ。
「……ただし!」
ユウカはスッと先生の反対側の空いているスペースに座り込み、自分の膝に先生の資料を広げた。
「私もここで、先生のスケジュール管理を密着して行います。……いいですね? これは『監視』ですから。決して、私も混ざりたいとか、そういう計算ではありません!」
「ユウカさんも加入ですか? わーい、パーティーメンバーが増えました!」
アリスが嬉しそうに笑い、ミドリは「ユウカ先輩まで……」とユズは段ボールの中からこっそり先生の裾を握り、モモイは先生の背中に飛び乗ります。
"……ごめん、重い……。あと、ユウカの顔が近すぎる……"
狭いソファの上、五人と一箱に埋もれた先生。
昨夜の孤独な戦いが嘘のように、シャーレの朝は「計算不能なほどに騒がしい」幸せに包まれていった。
これでこの話は、お終い
後、先生がアリスの『スーパーノヴァ』に撃ち抜かれたのは、様子のおかしいアリスを急いで追ってきてシッテムの箱を置いてったからです。