「おい、ちっと飲み過ぎだぞ」
カウンター向こうに立つ禿頭の巨躯が、そのインパクトのある外見に似合わぬことをいうもので自分は笑ってしまった。
「なにがおかしいんだよ。たくっ……そんなんじゃ、本当にいつか潰れちまうぞ」
おかしなことを言う。
自分はとっくに潰れているというのに、彼は……エギルはまだ自分に何か、友人だった時の面影でも探しているのだろうか。
「俺は今でも友人だと思ってるがな」
何を馬鹿なことを言っているのだろうか。
こうして、迷宮区にも入らずバーに入り浸って……システム的に設定されただけの雑な酩酊に、酔っている振りをして過ごすだけの、怠惰な日々。友人など望めるはずもない。
あぁ、イラつく。自分の情けなさにも、この世界にも。
理不尽な殺し合いを強要しておきながら、まるで自分たちの一時の楽しみとなることを考えていたかのように、酒で酔えるようにこの世界を作った連中の欺瞞が、悉く腹に据えかねるのだ。
「……俺はこう考えてるぜ」
ぽつりと漏らした、不満とも言えない自分に嘆きを丁寧に掬ってみせたエギルはニッと明朗な笑みを浮かべて言った。
「大仕事終えた後の一杯で酔えない世界が、リアルのはずがねぇ。だから連中は酒で酔えるようにこの世界を作ったんだってな」
ハッ、とその答えに笑いながら、しかしそれを強く否定できない自分がいた。
自分の仲間を全員奪っておきながら、その張本人がまるで寄り添うように自分の隣に訳知り顔で座っているような吐き気を催す状況。だが、それを強く振り払えないのは何故か。
結局……自分はまだ、こんな状況に陥ってもまだ、生きようとしているのか、と。
「エギル! 開いてるかしら?」
「お、いらっしゃい。ミト。今日はちゃんと開いてるぜ」
その時、バーの扉がカランと音を立てて開き、向こうから快活な声を伴って人影が現れた。
そうして現れた人物を見て、自分は眉を顰めて顔を背けた。かつての知り合いだったからだ。
「? ……って、あんたもしかして◼️◼️◼️◼️!? うっそ、全然気づかなかった。雰囲気変わりすぎじゃない?」
「ははっ、そういやお前ら最近全然会ってなかったもんな」
「噂には聞いてたけど……うわー、本当に酷いことになってるわね」
顔を背けたにも関わらず隣に座ってきた彼女の存在に気まずくなって、自分は席を立ち上がる。
「待ちなさい」
それを察して後ろ襟首を掴んだ彼女に、自分は首を絞められながら姿勢を崩す。
「アスナも心配してたんだからね。何も言わずに消えちゃうんだから。キリトとは……ちょこちょこ会ってたみたいだけどさ」
「あいつも探してたぜ。お前のこと」
「本当よ。まさかエギルのとこにいるなんて。言ってくれてもよかったじゃない」
「本人たっての希望さ」
自分は振り向いて、エギルに助けを求めるような視線を送る。しかし彼は肩をすくめて顎をしゃくると、そのまま店の裏へと消えていった。
おのれ、あの禿頭め。気でも使ったつもりか? 許さん。
「じゃ、早速聞かせてもらうからね? 今まで何をしてたのか」
自分は観念して両手を上げながら、再び席にどっかりと座った。そんな自分に満足げな彼女の顔が……ミトの顔が、いつまで経っても自分の頭の中から離れないのに。
「◼️◼️◼️◼️」
いつからだろうか。彼女の笑顔も……自分の名前も、封を閉ざしたように記憶の底へと沈めてしまったのは。
*
「そんな顔、させたくなかったな」
数多のプレイヤー達を乗り越え、自分とかぐや、彩葉はついに塔の最上階で座して待つヤチヨの元へと辿り着いた。
あの不意打ちの瞬間以来の再会で、開口一番。どんな言い訳が飛び出すものかと思ったら……彼女が見ていたのは自分でも、ましてやかぐやでもなく、いろPだった。
「……ヤチヨ」
いろPが前に出て、着ぐるみを脱ぐ。
中から現れたのは、黒漆の和装を纏い、狐耳を生やした少女アバター。恐らくは現実のいろP……彩葉をモデルとした、黒髪の少女だった。
「かくして、桃太郎とその一行は鬼の住む本拠地、鬼ヶ島へと辿り着き、元凶となった鬼の王とあいまみえるのだった」
「……」
「おめでとう落武者くん。このイベントは君の勝ち。正直、ここまで来られるとは思ってなかったよ。凄いね、君は」
一歩前に出て、自分は座敷の上に座るヤチヨを立ったままで見下ろす。
犬、猿、雉ではなく、兎、狐、鴉の愉快なパーティメンバーだったが、鬼ヶ島に来るまでに、鴉は鬼達を引きつけるために犠牲となってしまった。
その落とし前は、鬼の首領の首を落とすことでつけるつもりだ、と。
「……えっ」
「……」
自分の言った言葉の意味をすぐに飲み込めなかったいろPと、何を考えているのか、自分の背後で黙って立っているかぐや(おそらく何もわかっていない)とは対照的に、静かに表情を崩さないヤチヨ。
初めて会った時から、彼女の内心は推し図ることが難しかった。だから彼女とはこうして対立することは避けたかったし、叶うなら協力できる関係性でありたかった。
そんな自分の願いは、彼女が放った不意の裏切りで全て水の泡となってしまったわけだ。
「うん、そうだね。始めたのも、悪いのも、全部私。君は間違いなく被害者だよ」
「ヤ、ヤチヨ? 二人とも……なんの話をして……」
“11人だ。”
彩葉の言葉を遮って、自分はなんでもないことのようにそう言った。彩葉の困惑の表情が、自分の発言の意図を測りかねてさらに混迷を極めていく。
「11、人? 落武者さん……? さっきから、なにが……」
「……まさか」
ヤチヨも困惑の表情を浮かべていたが、自分の目をまっすぐに見て何かを感じ取ったのか。
初めてヤチヨは目を見開き、その言葉の意味に……数字の意味に辿り着いて、息を呑んだ。
11人。
それが、自分がアインクラッドで直接的にも間接的にも体力を削り切ったプレイヤーの数。いや、間接的という意味なら自分が知覚していない者も含めてもっと数字は増えるのだろうが……ともかく、自分が覚えているのは11人。全員の顔と名前を、ハッキリとこの脳に刻みつけている。
その11人と、自分はアインクラッドというゲーム内の死が現実の死となる仮想空間で命の奪い合いをした。そして、勝ってここにいる。だから。
11人。それが今までに自分が殺して、それを覚えている全ての人間の数だ。
「──う、そ」
なまじ、飲み込みが早いだけに……自分が話したことの意味と、その重さを理解した彩葉の声が絶望に染まる。
そして反対に、ヤチヨは見開いていた目を徐々に細めて、自分の顔を凝視していたが……ふと、唇を緩めて困ったように言った。
「……結構、やっちゃったんだね」
ああ。と返す。
軽いようにも思えるヤチヨのその反応を見て、やはりヤチヨは自分の素性に気づいていたことを確信した。
そうでなければここまでの事態は引き起こさないだろうと考えていたからで、予想は的中した形だ。
「落武者さん……そんな……本当に……」
ぺたりと地面に座り込んで、信じられないという声を絞り出す彩葉。そんな彩葉をヤチヨは痛ましい表情で見つめ……自分に向き直った。
「どうして、素直に言う気になったの?」
ヤチヨの目は相変わらずこちらの欺瞞に満ちた心を見透かしてくるようで、居心地が悪い。
質問をしているのに、すでに答えがわかっているかのようなその振る舞いを前にすると、どうしても自分が取り繕えなくなってしまう。
……まるで彼女を前にしているかのように。
「あなたは、本当は何を望んでいるの? 何をするためにここへ来たの? ……どうしてまだ、自分の名前を偽っているの?」
ねぇ、と彼女ハッキリとした意思と表情で、真っ直ぐに。憎たらしいほどに真っ直ぐに、彼女の目が自分を射抜いてくるものだから。
「──クラインさん」
いつかこうして、自分を偽れなくなるのはわかっていた。
わかっていたんだ。