「──! タゲそっち向いたぞ!」
「ヘイトしばらく稼げ! その間に立て直す!」
怒号と剣戟、電子音に派手なエフェクト。そして目前に迫る嫌になるほどリアルな質感のモンスター。
本来、仕事の合間に味わって仕事中もずっと頭の中を支配するはずだった夢の世界。自分はきっと、この世界を永遠の良き思い出として人生に刻むはずだった。
「あ、あ、ああああああッ!!」
「レントォォォーーーーッ!!」
それがなんの間違いか、生涯二度と味わいたくもない地獄の記憶に早変わり。現代社会で生きていればまず味わうことがない「死」の恐怖に、一瞬でも足がすくめば嫌な想像は現実となる。
モンスターの凶刃に斬られ、冗談みたいにポリゴンの欠片となって散った仲間を目の前にして、初めてそれを知った。
「お前……なんであの時レントにヘイト向かせたんだよ!! ふざけんな! お前のせいでアイツが……っ!」
「やめろ。あのままタゲを取り続けてれば死んだのはコイツだ。あの状況は、どっちが死ぬかって話でしかなかった」
「……クソがッ!!」
初めて仲間が死んだ直後、そこは仮想空間だというのに頭が真っ白になっていく感覚が嫌にリアルだったのを覚えている。
《はじまりの街》に戻って「生命の碑」を指先で辿って、10年来の友人のふざけたハンドルネームが、上書きされるように単調なグラフィックの線引きで消されていて、もはやそれだけがこの仮想現実でアイツが生きていたという唯一の証明なのが信じられなくて。
『買えた』
『あり得ん。マジで今年の運使い果たしたわ』
『帰ったら速攻潜る。先にやんなよ!』
あの時……もしも、待ちきれずに自分たちが先にダイブして、そして約束の時間になってもログアウトしてこなかったら、もしかしたらアイツだけは助かったんじゃないか、なんて無意味なタラレバが頭を通り過ぎて。
何もかもが嫌になって、《はじまりの街》の自室に閉じこもった。狭い部屋の中で、何も考えずただ時間が過ぎるのを待つ生活は、辛いけれど、SAO内で過ごしていた期間の中で最も幸福な時間だったかもしれない。
『クエストで美味そうなモン手に入ったわ。送る』
だけど、それはひとえに、仲間が必死に命をかけている横で現実逃避をして過ごす自分のような、どうしようもないクズでも見捨てず気にかけてくれる最高の友人達のおかげだったと、今ならわかる。
『今日も迷宮行ってくる。危ねぇから外出んなよ』
【一週間前のメッセージ】
何ヶ月か経って、他のプレイヤーとPTを組んで「迷宮区」を攻略していた彼らが、モンスターではなく組んでいたプレイヤーに殺されたと。
返ってこないメッセージに疑問を抱いて久しぶりに外に出たとき、知らされた。
*
「……ーい。おーい、大丈夫かーい?」
耳心地のいい鈴の音に、“現実”に呼び戻された。
「いえ、少しぼーっとしてただけです」と返すと、目の前に座る彼女……月見ヤチヨは「そ?」と笑って居住いを正した。
「や〜、すみませんねぇ、ご足労頂いちゃって。周りに聞かれたくない話もあるかなと思ってね〜。お互いに、さ」
「お気遣いありがとうございます」と平静を装いながら、不自然にならない程度に案内された一室を見渡す。
室内は『ツクヨミ』全般に見られる平安時代のような建築様式だ。天井も壁も吹き抜けで、これで内緒話ができるのかとも思うが、そもここは仮想空間。サウンドもグラフィックも0と1の信号の連続でしかない。
そして月見ヤチヨはこの世界を支配する管理人。言ってしまえば神のような存在だ。彼女にかかれば、『ツクヨミ』内のあらゆる場所は“ないしょ話“に適した空間となるのだろう。
つまり、逃げ場はない。彼女に危険と判断されれば、自分の運命はここで尽きる。
「あ、最初に言っておきたいんだけど。別に怒ったりとかはしないから安心してね? 別のゲームで育てたキャラクターをペットとして連れてこれたりするし。結構その辺、自由なのだ〜」
えっへん、と胸を張るように腰に手を当てるヤチヨは配信画面で見る姿と全く変わらない。オンとオフでテンションに差がないというのはプロ意識の表れか。はたまた、彼女がAIだからか。
アインクラッド内にもAIを搭載してプレイヤーと会話が成立するmobは存在した。そもそも、SAOの運営の根幹を支える『カーディナルシステム』が一種の高性能AIだ。
しかし、それらはあくまでシステム。設定された役割以上の人間的な行動はせず、言ってしまえばやはり機械的な印象は拭えない。
それなのに、このヤチヨはまるで人間と区別がつかない。問答や所作に、AI特有の「わざとらしさ」のようなものが見受けられないのだ。生身の人間がこのアバターを動かしているとしか感じられない。
だからこそ恐ろしい。機械仕掛けの神を人間のように感じてしまうのは彼女がそれだけ人間の機微に聡い証拠だ。ほんの少しでも隙を見せれば、そこからヒビを入れるように自分の素性は丸裸にされるだろう。
「多分、君の場合も似たようなケースだと思うよ。君は多分、『ツクヨミ』とは別の仮想空間にダイブしてたんだよね? それが突然こっちに飛ばされてきてしまったって感じかな。いや管理人として、この度の不手際心からお詫び申しアゲアゲアリゲーターでございます……」
「FUSHIもアリゲーターです……」
自分の警戒とは裏腹に、ヤチヨは目に見えてわかるしょぼりとした反省顔で三つ指をつついて頭を下げる。それを真似するようにヤチヨの肩に乗っかった謎のウミウシのようなキャラクター、FUSHIも短い体をくの字に折って謝意を示す。
手を横にぱたぱたと振って、「いえいえ、こちらこそアリゲーターで……」とテンパって意味不明の釈明をする何も知らない一般人、を装おう。
恐らくだが、ヤチヨのその推察は当たらずとも遠からずといったところだろう。
SAOとツクヨミを跨いで自分が繋がってしまった原因がツクヨミの拡張性の高さにあるという点は同意できる。だが、それは単に異なるファームが同期したという話ではないはずだ。
なぜなら情報収集の結果、今は西暦2030年であることがわかっている。
SAOがサービス開始したのは2022年。そこから2年近く経過して、本来なら今年は2024年だ。
自分にとってここ、ツクヨミは6年先の未来。どうやらSAOを脱出してしまっただけじゃなく、時間さえも超えてしまったらしい。
もっと言えば、かるーく道行く住人にSAO事件について聞き込みしてみたが、話しかけた全員がそもそもSAOの存在を知らなかった。
あれがただの自分の妄想でなければ、SAO事件がたった6年で風化するなんてことはあり得ない。結末がゲームクリアであれ、プレイヤー全滅であれ。
だから、現時点ではツクヨミの住人が語る日本すら自分にとっては疑わしい。仮にログアウトが出来たとして、そこに広がっているのは本当に自分が知る日本なのか。唯一の現実が現実でないなら、一体現実とはどこにあるのか。
まるで仮想現実という名の迷宮に囚われてしまったような感覚。SAO、ツクヨミと世界を跨いで、本来の自分の体を随分遠くに置いてきてしまったように思う。
「あ! その代わりと言っちゃなんだけど! アバターを元に戻せるまでツクヨミの方では色々とサポートさせてもらうから! 不便な思いはさせないから、許してくだちゃい!」
自分が故郷を思いアンニュイな気分になっていたのをヤチヨはなにか勘違いしたのか。ツクヨミ内でのサポートを申し出てきた。
断る理由もないので承諾しつつ、しかしこの世界で過ごすにしたって何をすればいいのか……と、ふと夜空を見上げて。
天空モニターに映し出されたその光景を指差し、あれは何かと聞いた。
「あ、《KASSEN》? もしかして、君も参加したいのかにゃ?」
煌びやかなアバターたちが武器を持って戦うその姿に自分はかつてのアインクラッドの光景を重ねて、期待に胸を膨らませるのだった。